令和5年(2023年)8月2日  第627回

S・G誌の我がコラムは11月号で丸2年、それを最終回にして貰うお願いを了承頂いている。 8月号分をメール済みで、あと三回分をこの度、纏め終わった。 ラストは御礼の意味も込めて、K元会長の事を書いた。 人格者であり、人生の恩師と感謝している気持を込めた積りだ。 書きたい事は多々あるが、全部を800字に纏めるのは難しかった。 

 

 

原宏一「間借り鮨 まさよ」 ・・・前回の続き

第一貫 バスクの誓い

椋太は釈然としない、いくら夫婦喧嘩の真っ最中だとしても、佑衣はこっちの仕込みを手伝わないで間借り鮨の雅代さんを優先している。 椋太は苛ついた、やはり佑衣は真剣に離婚を考えている、いつになく意気投合している和気藹々とした二人を見ていると、急に佑衣が遠い存在に感じられてくる。 椋太は佑衣と別れる気など一切ない、喧嘩はしているが愛情は残っているし、店のパートナーとしても欠かせない存在だけに離婚などあり得ない。 午後1時に目覚めると佑衣が見当たらない。 自転車で店に駆け付けると1時半を回っているから「まさよ鮨」の暖簾は下げられていた。 二日目の客はどうだったんだろうか、と思いながら入ると、何と、佑衣が付け台の白木の板を片付けている。 厨房から顔を出した雅代さんが、→おはよう、今日は三人も来てくれたのよ、佑衣ちゃんが手伝ってくれたから楽しい昼営業になったわよ、昨日のお客さんは前からの常連さん、勝手に探して来てくれたの、今日のお客さんも探してきてくれて、一人は金沢から駆けつけてくれたのよ、ホントにありがたいわよねぇ、と綻んでいる。 →さ、私の片づけは完了、椋太さんの仕込みを手伝うわ、と言ってくれたのに佑衣がそれを遮る。 →雅代さん、それは彼の仕事ですから・・・ 椋太はすかさず、→有難い、それじゃ賄いをご馳走します、現地で覚えたバスク料理です、漁師鍋・スケを作ります、と誘うと、→バスクの漁師鍋、楽しみだわ、今日も魚が余ったから全部使って、とクーラーボックスを空ける。 ああ、楽しみ、と少女のようにはしゃいでいる。 改めて不思議な人だ、と思う。 ・・・旨い、バスク料理って日本人の舌にも合うわね、と破顔する雅代さんだった。 →確かにイイ素材を使うと味も別物になりました、あんなに旨くなるなんて吃驚です、と椋太も正直に告げた。 今のスペイン食堂よりスケ専門店にした方が人気が出るかも? しかし、雅代さんの上物の魚があったればこそだよナ、価格的には厳しいだろうナ、と胸の内で呟いている。 翌日、午後二時に入店した。 厨房に雅代さんと佑衣がいる、三日目は9人も来た、と驚きの報告である。 2人が昔からの常連、7人が近所の新規の鮨好きだという。 早くも地元の鮨ッ食いに目を付けられたようだ。 6人の付け台に一挙に9人も来られて、3人を結構な長時間を待たしたのだ、と表情を曇らせている。 食堂のテーブルを使えばいいのに、雅代さんの拘りが、握った鮨は付け台に置いてそこから摘んで食べる事であり、テーブルにお持ちするなんて真っ平なのだった。 佑衣が提案する、じゃ、開店時間を早めて午前10時半からで3回転、すると18人が食べられる、と言い出し、雅代さんは、椋太さん、イイかしら?とやる気満々である。 すると4日目は14人に伸びて、2人には泣き泣きお帰り願ったという。 もう、10時半開店を許可するしかない。 佑衣はその日、土曜日11時半の終業と共に早々に引き上げた。 アト片づけを終えて自宅に戻ると、佑衣がいない。 翌休日の日曜日朝、寝室には佑衣がいない、まさか、男が出来た? もしかして雅代さんと店にいるのか?と思いながら、閉めてある店の前に佇んでいると、初日に来た白髪白髭のオヤジが、→今日は未だなのかい?と訊かれたので、まさよ鮨の間貸し主だと明かして、→今日は休日なんですが、折角常連さんがいらしたのですから、酒と摘まみ位なら見繕いますよ、とシャッターを開けて、雅代のことを聞くチャンスを逃さない、と思った。 オヤジは山藤と名乗り、赤ワインでイイと言う。 生ハムやピンチョスを用意すると、→ほう、ピンチョスかね、とかぶり付いた。 スペイン料理も知っているらしい。 →雅代さんの鮨は絶品です、凄い鮨職人ですよね、と話し掛けると、→間借り鮨は5年ほどだが、鮨職人としては長い、けどそこら辺を突っ込むと叩き出されてしまう。 三年前、旨さに仰天して、→女だてらに凄え鮨を握るなァ、と感嘆すると、→アンタ、女だてらに、の意味を知ってんのかい!と啖呵を切られて店から叩き出されたそうだ。 女のくせに、という揶揄する言葉だと咎められたのだった。 女は体温が高いから生魚が傷む、月のモノがあるから不浄だ、の古い偏見が雅代をピりピりさせるらしい。  間借り鮨の5年間でここが8軒目、山藤は、目黒、船橋、四谷と追っかけて、ここ人形町で4軒目だという。 誰にも知らせず、突然、間借り先を変えるから、鮨ッ喰いは手を尽して追っかけるのに必死さ、という人気らしい。 移転先を見付けたら、信頼できる仲間にだけ教え合うのサ、と打ち明けてくれた。 →胃袋も心も雅代に握られてしまった弱みサ、雅代の腕は突出してる、鮨種の仕込み、包丁捌き、握りのフォルムやシャリのほどけ具合い、繊細さも女性ならではで他の追随を許さねエ、人柄もあの通りだし、誰だって惚れこんじまう、それで湯呑酒込みで6,000円ほどだからなァ、銀座の高級鮨なら万札が何枚も飛ぶ旨さだよ、と絶賛が止まらない。 →漁師から信頼されているから上物が直送されてくるし、豊洲の市場の仲買だって上物を優先してくれる、雅代の人格が最高に評価されている証拠で、それを相手の言う値段で黙って買い取るから、ここの原価率も相当高い筈だ、それが安くて旨い! 雅代の追っかけの鮨ッ食いは莫大な恩恵を受けているのサ、と鼻を高くしたまま帰って行った。

 

月曜日から10時半開店、椋太はこんなに早い時間に客はいないだろう、と店を覗きに行くと、何と、もう二人も付け台に並んでいる。 土・日帰ってこなかった佑衣が山葵をおろしている。 雅代と同じ和食白衣姿である。 二晩外泊された身として問い詰めたい気持は山々だが、聞くのが怖くなる。 既に離婚を前提に一人暮らしを始めたのか、雅代さんの鮨の旨さに驚いて鮨職人を目指しているのか、と考えると、ヤバイことになった、離婚の財産分与で店の経営権を奪い取られ、鮨屋に鞍替えされる可能性もある、じゃあ、オレはどうしたらイイんだ、この危機にどう立ち向かう? 椋太は焦った、そうだ、スケ専門店にしたら事態が好転するかも知れない、上物の魚さえ手に入れば出来る、しかし、椋太は魚は水産会社に任せっきりで豊洲市場に行った事も無い、こうなったら雅代さんに泣き付こう、と決めた。 キャリア風の女性、かってのバスク料理の客もいる、総勢21人も来たが、3人はオーバーで食べられなかった。 次回の優先入店券を佑衣が渡していた。 大盛況である。 まさよ鮨が終って佑衣がトイレに立った時、→佑衣に内緒でお願いがあります、と午後3時に人形町駅の喫茶店で会う事になった。 →スペイン食堂をスケ専門店にして起死回生を狙います、その為には魚の上物が必要不可欠です、雅代さんの直送漁師さんから何とか魚を分けて貰えませんか? 即答された、→それは無理、仕入れルートは涼太さん自らが切り開かなけりゃダメ、私のルートは自分で切り開いたンだから、それとスケ専門店っていうのも無茶だと思う、それよりもどうして魚が駄目なのかわかって欲しいから、土曜日深夜から、輪島に行ってみる? 嫌も応もなかった。 ・・・日本海は凪いでいた。 一本釣りの源八爺は7時に出漁の予定だから、と土曜日夜11時に人形町を出発したのである。 輪島市の外れ、「名舟漁港」に停泊していた「源八丸」に乗り込み、三人で釣りを始めた。 軽四をず~ッと運転してきた雅代さんは疲れも見せず爛々と目を輝かせている。 途中、居眠りした椋太は恥ずかしくなった。 一時間、椋太はゼロ、雅代さんは小振りな真子鰈を一匹、源八爺は手慣れた竿捌きで真子鰈や鯛を何尾も釣り上げ、神経締め迄している。 上物じゃない魚は海に戻している。 大型のクーラーボックスに釣果を入れて名舟漁港に引き返し、→アンタらは岸壁でシロギスを狙え、と命じられて竿を出すと、ピチピチと撥ねる細長い魚が釣れた。 椋太は初ゲットである。 雅代さんと二人で競うように釣りまくった。 シロギスはバッカンと呼ばれる水桶にエアーポンプを装着して生かしておく。 それらを古ぼけた源八爺のワゴン車に積み込み、雅代さんが運転して、「船宿源八」に帰り着いた。 源八爺がご飯を炊く、雅代さんが魚を捌く、椋太は魚のアラと野菜でスペイン風のスープを仕立てた。 程なく真子鰈と真鯛の刺身、シロギス昆布締めの握り、魚介スープで舌鼓みを打ちながら能登の海や漁の話に花を咲かせて盛り上がった。 ふと見ると、雅代さんがごろんと横になって寝息を立てている。 流石に疲れたのだろう。 源八爺が毛布を掛けてやった。 今がチャンスと、源八爺に尋ねた。 →わしが築地で仲買い店をやってた頃からの付き合いで、6年前に里帰りして、今は親父が残してくれた船と宿を継いでいる、上物は雅代に送って残りを宿の客用と地元の市場に卸しておる、築地時代、雅代の親父さんにはえらく世話ンなったしナ、とそれ以上は口を噤んだ。 涼太はお願いした、→僕にも魚を送ってくれませんか、コロナで落ち込んだ店をスケ専門店に替えてなんとか立て直したいんです。 →だら(バカ)言うな、何でそんなに弄るんや、小手先だけの商売を繰り返しとったら長続きせんぞ、雅代の間貸し主いうから少しは腹の据わった男やろうと思ッとったが・・・、すまんな、アンタに送る魚はないわ、上っ面な事言うとらんと、雅代を手本にせい、とキッパリ断わられたのだった。

 

雅代さんに揺り起こされたのは夕方だった。 わけて貰った上物の魚を軽四の荷台に積んでこれから8時間の道のりである。 源八爺から断わられた事とか、その上に小手先だの上っ面だの言われたんすから、あんまりッすよ、と愚痴ると、雅代さんは、じっくり話をしたいと、サービスエリアに軽四を停めた。 佑衣から聞いた話を長い事雅代さんが語ってくれた。 →椋太が帰国してから、二ヶ月も仲間と飲み歩いてばっかりで、このままじゃ結婚も店の開店も延び延びになってしまうと危惧した佑衣は親族や友人知人に声を掛けて物件を探した、内装工事も業者を頼み、料理も試作させ、メニューを決めて、グルメ記者やグルメレビュアーに売り込んで回り、七か月後にやっとオープンした。 しかし、椋太は全部自分が立ち上げたかのように記者に言うので佑衣はカチンときたが、それでも夫を立てて頑張ればイイ、と思い直して全てを吞み込んだ。 調理の腕利きの良さに早々に客がついて、それで舞い上がった椋太はグルメ記者やレビュアーたちと連れ立って飲み歩くようになった。 ところが間もなくコロナである。 客は激減し、堪えきれなくなった椋太はスペイン食堂に衣替えすると言い出し、臨機応変にこの危機を乗り切る、と佑衣の大反対を押し切ってバスク料理を捨ててしまった。 結局、椋太は才能があっても楽な方に流れて、応援してくれたお客さんも裏切ってしまって、もう、私には耐えられないんです、悔しいんです、と大きな目に涙をポロポロ流したのだった。 椋太は狼狽えた、正に身に覚えがある事ばかりで、そこまで佑衣が思い詰めていたとは想像すらしていなかった。 そして続けられた言葉に胸が詰まった、→それでも椋太が好きで困っているんです、椋太には才能があるんです、出来る人なんです、でもイザとなるとその場しのぎで楽な方に流れて誤魔化す、そんな彼が歯がゆくて喧嘩もしたし、もう突き放そうと思って離婚する覚悟も決めたんですけど、やっぱり好きなんです、この気持ちだけはどうしようもないんです、って佑衣ちゃん、また泣き出しちゃって、と雅代さんが哀しそうに言う。 更に、→傍から見ててもあなたたち夫婦は危なかっしい、まさか、佑衣ちゃんがそんな気持ちでいたなんて、椋太さん、あなた、本当に幸せ者よ、ただ、あなたたちって間違いなくお似合いの夫婦だわ、私、心から信じている。

(ここ迄第一貫99ページの内、80ページまで。 椋太は佑衣に三枚の手紙で決意を語った、これから店に泊まり込みで原点に帰る、豊洲市場にも日参して魚の勉強を始める、元のバスク料理をもっと旨くする、等々である。 そして、一ヶ月間でまさよ鮨が移転して行った。 椋太と佑衣にとってまさかの魔法使いのように・・・ 第二貫・能登栗の声(金沢市の老舗菓子補)、第三貫・四方田食堂(富津市竹岡の漁師の憩いの場)も読み応え充分である)

 

(ここ迄約5,300字)

 

令和5年8月2日(火)