令和5年(2023年)7月14日  第622回

我が一山本は、今場所は番付を十両に下げ、初日から4連敗、と思ったら怪我で休場だという。 このまま終れば来場所は幕下転落、月給は100万円から無給になってしまう。 令和元年に十両昇格してから丸4年、25才から年収1,000万円超えを続けたのだから、今後は怪我が完全回復するまで、例え、来場所全休でもじっくり治療して、もう一遍、再起を目指して欲しい。 

 

 

佐川光晴「猫にならって」 ・・・前回621回の続き

第二話 やさしく透きとおる

ガラス作家・岸川ミカズ(3月1日生まれの名付け)、妻・順子の母・和代は小学校の教員だった。 昨年4月9日、享年84才で亡くなった。 三ケ月前に夫の有一さんも84才で亡くなっている。 一昨年の東日本大震災が起きてから義父が体調を崩し、そのまま義母を追うようにして亡くなった。 順子の名義になった地所で、侑子と航太の親子四人での生活が始まった。 災害に逢った人々を激励しようとミカズのガラス製品の注文が激増したので、感謝を込めてガラスを吹いた。 ミカズの父親と同じ年代の沖縄の普久原由太郎さんは昔から、→ミカズちゃんのガラスはさァ、イイ表情があるさ~、と褒めてくれていた。 沖縄旅行の途中、石垣島に渡る連絡船で干し鱈をしゃぶっていた時に、→美味しそうだね、匂いがイイ、一人で食べてちゃいけないさ~、と声を掛けられて思わず正座になった。 これまでに会った人の中で一番の人だ、と瞬間、思ってしまったのである。 由太郎さんが差し出してきたガラス杯で、干し鱈を肴にトロリとした泡盛を呑み合ったのである。 チビリチビリ舐めるようにゆっくりと呑みながら夜は更けて行った。 →ご馳走様でした、とガラス杯を返すと、→これさァ、わんが作ったサ、とはにかみ、→うちにおいでよ、と誘われたのだった。 石垣島から小型ボートで竹富島へ浅い海を渡った。 ヰキと言う名の大きなオス猫が由太郎さんを待っていた。 耳が尖った猫は由太郎さんが認めた人以外を寄せ付けないらしい。 ・・・三日間、ミカズは由太郎さんから吹きガラスの手ほどきを受けてひたすらにガラスを吹いた。 そして帰り際に、由太郎さん秘伝の、金属とガラスの配合帳をくれたのである。

 

ミカズが25才の時、会社帰りで独身寮の近くの二階家が火事になって、半狂乱の若い奥さんが、→助けて!子供がまだ二階に・・・、と悲鳴を上げているのを聞くや、ミカズはアト先考えずに燃え盛る家に飛び込んで行った。 →僕は溶けてもイイけど、この子は溶かしちゃイケない、と必死に抱えて下りて来た所までは覚えているが・・・と、意識を取り戻した病院のベッドで佐藤さんに呟いたのだった。 焼け落ちて来た壁板で背中に大やけどを負い、パーカーのフードで頭と顔は無事だったが、全治4ヶ月の重傷だった。 ・・・北海道大学の同期生・佐藤順子と結婚したのは、火傷が癒えて退院する時に彼女から告白されたのだった。 →埼玉の実家の敷地に工房を建てます、会社を辞めてそこでガラス作家として身を立てて下さい。 ・・・その八ヶ月後にミカズ夫婦の新居と工房が出来上がり、カマド開きには、竹冨島から由太郎さんが来てくれた。 →ミカズちゃん、良縁にめぐまれたねェ、いいかい、これから三年間は一日に作るのはみっつだけ、丁寧に腕を磨きなさい、ガラスで稼ぐのは40才を超えてから、それまでここのご一家にたっぷり寄りかからせてもらうとイイさァ、と皆の前で、先に腕を磨け、と由太郎さんが忠告してくれた。 忠告を聞き入れて、毎日、淡い青色のコップを3~4個作り続けた。 アトの時間は義母の和代さんと庭の雑草を抜き、落ち葉を掃き、木々に水を撒いた。 スーパーに買い物に行き、洗濯ものも取り込んだ。 義父の有一さんは校長定年後、請われて幼稚園の園長、妻の順子は高校教師、日曜日だけはガラスを吹かなかった。 三か月も経つと、青いコップは200個になった。 ひとつずつ梱包し、箱に入れて手紙を添えた。 送り先は、幼児を火事から救出した報道で、手紙やカンパやお見舞いをくれた全国の方々、病院の医師やスタッフ、火事に遭った家族、病院の全ての費用を負担してくれた渋谷区長と東京都知事、勤めていた会社、入院中に取材に来た新聞記者やテレビ局のスタッフ等々で、ガラス作家として活動していく事も手紙に書いた。 在籍していた会社は、社員が住人を救った事で世間に大いに株が上がり、特段の応援をしてくれた。 数日後、カメラマンを伴った新聞記者と、テレビ局のクルーが取材に来た。 インタビューの模様は、全国紙の囲み記事と、ニュース番組の特集となった。 テレビ放送のアトは注文の電話が何日も鳴りやまず、最初の一年は青いコップばかり作っていた。 二年目からテイーカップや酒杯、ビールジョッキーも人気を集め、岸川ミカズは新進のガラス作家として名を広めて行った。

 

溶けたガラスの飴色に因んで「キャラメル工房」と名付けたバラック小屋で、どんなに忙しくなっても家事は続けた。 義父の有一さんは、→ミカズさんの作るモノは何でも旨えなァ、と喜び、義母の和代さんも、→本当に美味しいけれど私は申し訳ない、と娘共々の料理下手を謝っている。 妻は結婚二年目に二卵性双子を産み、一年後に教師に復学した。 その間も後も、ミカズが主夫として育児と家事を熟した。 侑子と航太が小学生になった時、主夫・イクメンと言う肩書が付いた新聞社からの受賞があった。

 

義・父母が亡くなって、侑子と航太は高校生になっていて手が掛からなくなってきた。 夕方、工房での仕事を終えてひとり庭を歩いていると、勝手口に茶色い猫がいた。 昨日と同じく室外機の上に横たわっているが目に力が無い。 →おい、お前さん、具合いが悪いのかい?と声を掛けて近寄ると、室外機の下を小さな子猫4匹がウロチョロしている。 →お前さん、その年でよく産んだなァ、と讃嘆すると、母猫は笑顔になって安堵したかのように目をつむった。 室外機の隙間から床下に入り、安全なところで産んだのだろう。 子猫が外に出るようになって、室外機の上で見張っていたと思う。 スーパーで離乳期のエサを買ってきて、竹藪の手前にエサ皿を置くと、嗅ぎ付けた4匹の子猫が直ぐたいらげてしまった。 そして竹林の中を動き回っている。 これだけの広い庭だ、エサさえ与えれば子猫は充分に育つだろう。 自分の子供に手が掛からなくなったが、毎朝の家事がひとつ増えたと考えれば何の事は無い。 最近の緩んだ気持を引き締めて、また、新たな気持でガラスを作れる。 ミカズは、義父・有一、義母・和代、茶色の母猫に深く感謝した。

 

第三話 それぞれのスイッチ

一年生の敦子は父親譲りの身長170cmを見込まれて、三年生引退後の朝霞の県立高校でエースアタッカーに抜擢された。 以来、毎日しごかれている。 二卵性双子の弟・豊はもっと高い182cmで進学校で有名な大宮高校・野球部のピッチャーである。 小さい時から姉・弟という感覚は無く、二人でひとりという気持が強く、ず~と手を繋いで歩いていた。 流石に中学生になった頃からそれぞれの部活動が忙しくなって口もきかない日も多くなったが、ふたりでひとりだと思っていた満たされた感じは高校生の今になっても消えていない。 有名なガラス作家の岸川ミカズさんの娘・侑子はクラスメートである。 父は181cmで老人介護施設長で夜も遅くまで働いている。 母はパートで働き詰めで大体一年毎にパート先を替えている。 飽きっぽい性格なのだ。 父の長時間労働と豊の成績不振が気がかりで、母から敦子はよく零されている。 その日、ペルシャ猫系のミックス雑種のブチャ・7才位を抱きながら二階の奥の部屋に引っ込んだ。 ブチャは太っていて結構重い。 手前が豊の部屋だ。 ブチャは鼻筋が窪んでいてお世辞にも美人とは言えない。 ・・・小6の時、父の介護施設の駐車場で交通事故に遭ったので、「エイミー動物の病院」に電話すると、エイミーこと、浦野映美先生から丁寧な説明があって、言われたとおりに洗濯ネットに入れて駆け込んだ。 →ざっと診た感じでは単純な骨折のようです、手術なしで添木で固定すれば充分でしょう、とアトからのレントゲンでも確認できた、と確信気に言った。 →首輪もないし、避妊手術もしていません、十中八九、飼い猫じゃないですね、と言うので、避妊手術を施して貰った。 翌日から介護施設の物置小屋で飼う事にしたが、二週間経っても飼い主は現れなかった。 ブチャと名付けたメス猫は父が与えたエサをよく食べて見違えるように太った。 恐る恐る父が、→この家で飼いたい、と家族に切り出して全員の同意を得た。 命名の由来は、ブサイク→ブチャイク→ブチャであり、その絶妙さに家族は誰も反対しなかった。

 

母が二階に上って来た、→今日、ミカズさんが買い物に来たの、と話し出す。 あちらにも二卵性の双子がいて、同じ日に同じ病院で誕生したのである。 そんな縁で母親同士が仲良くなり、今は、敦子と侑子は親友の仲である。 航太君によると、父・ミカズから、赤ちゃんの時から丁寧語で話し掛けられていて、証拠のビデオもあるそうだ。 →やあ、侑子さん、航太君、よくぞ生まれてきたね、ぼくはこれから君達を育てる事を最優先するからね、そのつもりでうんと頼りにして下さい、さあ、楽しくやろう、と話し掛けていた。 これを、「わたしがうまれたとき」の作文で、航太君は誇らしげに発表した事がある。 二人の姓は佐藤で母親の姓を名乗っている。 岸川はガラス作家のペンネームのようなモノだ、と侑子が自由研究で発表した。 現実に、佐藤家の敷地内に佐藤家の費用で、岸川家と工房が建っているのだ。 敦子が遊びに行った時、淡い青色のコップを家族分の4つを頂いた。 それは今でも使っている。 母の話は、→ミカズさんの所で産まれた子猫4匹にエサをやり出したら母猫の姿が見えなくなった、このまま庭で子猫を飼っていてイイのか、って相談されたから「エイミー動物の病院」を紹介したの、ちょっと皆で子猫を見に行こう、二卵性双子が久し振りに揃おうよ、と振られて敦子は即、OKした。 しかし、豊は学業が遅れている仲間達と勉強会があるから行かない、航太や侑子、ミカズさんや奥さんにもよろしく、と断わられてしまった。 三日後、佐藤家の庭で遊び回っている子猫を見ながらミカズさんが説明してくれた。 →茶臼のトラはオスでいたずらっ子、黒が勝った三毛猫はまぜこぜちゃん、青い目の銀ちゃんはまぜこぜちゃんの妹って感じ、たぬきさんは一番の美人さん、と言うと娘の侑子も補足して父娘の息ピッタリである。 佐藤家の母は出張、航太は夏風邪を引いて部屋で休んでいるが、ミカズ父娘とこちらの母娘の4人は子猫を相手に楽しい限りだ。 母がミカズさんに相談した、→実は豊が中間テストも期末テストも両方でビリになりまして、それなのにちっともくじけていないし、先生方も目くじらを立てるどころかあの子の事を褒めてくれて・・・、と言った途端、ミカズさんは大きな声で笑い出した。 →いや、おかしい、久し振りにイイ話を聞いたなァ、それはそれは豊君は実にたいしたモノだ、最高位の進学校に挑戦して合格を勝ち取った毎日を本気で楽しんでいるですよ、ビリが二回続いたって大宮高校の生徒である事に変わりない、先生達も白い眼を向けないから元気に学校に通っている、三年間の高校生活で同級生の誰よりも多くの事を学ぶんじゃないかな、その人間関係が一生の財産になりますよ、何も心配は要りません、と諄々と諭してくれて、母は大安心の顔になった。 →そして敦子さん、豊君に遅れをとったなんて反省は無用ですよ、あなたは一家のバランサーです、慌てて無理に自分を変えないで下さい、人生のスイッチは気付いた時に入っているんです、猫とひととの関係もそれぞれですから、あの子達がこの庭をどうやって自分達のテリトリーにして行くのか、本当に興味津々です。 敦子は侑子にこっそり訊いた、背中のヤケドはそんなに酷いの? 皮膚呼吸が出来ないし、汗もかけないから熱い工房でガラスを吹くのは結構キツイ、でも流石に詳しく聞いていない、と明るく話す侑子の強さに敦子は背筋が伸びたのだった。 帰途、ノラ猫だったブチャが我が家に来た経緯を考えた。 ある時、運命的に出会うひとと猫、よし、ブチャをうんと可愛がろう、航太君と侑子、そして豊にも負けないよう、そして高校生活を楽しもう、バレーボール部のエースとして信頼されるよう、精一杯頑張ろう、とその場で屈んでから大きくジャンプした。

(ここ迄、全311ページの内、105ページまで。 第四話は佐藤航太、第五話はエイミー先生、と続いていく。 最終第八話は、猫の恩返し、結構な読み応えだった)

 

(ここまで5,200字超え)

 

令和5年7月14日(金)