令和5年(2023年)6月26日  第618回

文庫本4冊購入。 山本甲士「迷犬マジック③」(書き下ろし)、佐伯泰英「竃(へっつい)稲荷の猫」(書き下ろし)、宮部みゆき「三島屋変調百物語七之続 魂手形」(単行本は2021年)、中山七里「セポクラテスの悔恨」(四六版は2021年)である。  確信する、この4冊は期待を裏切らない。

 

PGAは松山だけ。 22位で予選通過。 ・・・健闘したが13位(405千$)だった。

LPGAはメジャー戦、畑岡奈佐、渋野日向子、笹生優花、勝みなみ、古江彩佳、西村優菜、西郷真央、野村敏京の8人だったが、予選通過は、畑岡、笹生、古江、西村の4人だけ。 ・・・惜しい、一打差で笹生が2位(875千$)、古江6位(215千$)と上位だったが、西村39位、畑岡47位だった。

欧州はドイツで、金谷拓実、星野陸也、岩崎亜久竜の3人。 星野だけが予選通過。  ・・・惜しくも3位(87千€)だった。

 

日本女子第17戦の道産子は、小祝さくら、菊池絵里香、内田ことこ、藤田光里、吉本ここね、宮澤美咲、山田彩歩の7人。 藤田、吉本、山田が予選落ち。 惜しくも、菊池3位(2,100万円)、小祝4位(1,200万円)だったが、内田と宮澤は下位に沈んだ。 予選落ち最下位のエイミー・コガが800万円のホールインワンを決めた!  岩井ツインズ・姉とプレーオフの末、韓国人が今季2勝目、日本人15勝2敗となったが、2敗とも同じ韓国人とは天晴れである。 恐れ入った。 

男子の道産子は、片岡尚之、植竹勇太、安本大佑、佐藤太一の4人。 佐藤が予選落ち。 選手会長の谷原が逆転優勝、惜しくも植竹3位、安本10位、片岡29位だった。

それにしても優勝賞金が女子5,400万円、男子が1,000万円って、コレ、何とかしてあげたいナァ。 

 

 

佐伯泰英「猪牙の娘①柳橋の桜」(書き下ろし)

3才になった桜子は柳橋の真ん中で父親の猪牙舟が橋下に近付くのを見ていた。 母親のお宗からは声をかけてはいけない、と言われているから、手を振った。 それを目にした馴染み客が、→広吉さんよ、桜子が見送ってくれているぜ、と声をかけた。 広吉は、→おお、桜子、お客人の見送りか、と返すと、→お父つぁん、どこ行くの、むこうじま、それとも、よしはら? と意味も分からずに覚えた地名を大声で叫ぶ。 馴染み客が、→桜子、私が吉原へ遊びに行くのを承知ですか、とニヤニヤ顔で応じた。 →お父つぁん、早く帰って来てね、と大小の船を見るのが好きでいつまでも飽きない顔を自綻ばせた。 広吉は船宿さがみ屋の船頭、その対岸の船宿で女衆(おなごし)として働いているのがお宗だった。 ふと見ると、母親の傍には若い男がいて、何事か言い合いしたアト、桜子に寄って来た。 →お客さんを見送っていたの、と言うが、この頃はさくら長屋でお父つぁんとおっ母さんが喧嘩ばかりしているから、このお客様が喧嘩の原因のように思えたのだ。 その夜も激しい喧嘩があった、翌朝、母親は勤めに出かけたアト、姿を晦ました。 桜子、3才の夏だった。 さくら長屋の住人は船宿・さがみ屋の奉公人が多かったので、男手一つで幼い娘を育てる広吉をあれこれと手助けしてくれた。 桜子は、長屋の住人の噂話は幾たびも耳にして来た。 →広吉さんとお宗さんは親子ほど年が離れていた、広吉さんは仕事一辺倒だったからね、話が合わなかったんだろうねえ、お宗さんを誘った男は稼ぎはどうか知らないけれど歳がお宗さんと近いしね、何処で暮らしているのかね、しかし、よく桜子ちゃんまで捨てられたよね。

 

それ以来、桜子は舟好きが一段と高じていつも広吉の舟に同乗した。 広吉も悪くない気分だった。 客たちは若い女房に逃げられた事を承知で、桜子を同乗しているのを許してくれて、飴玉や饅頭の差し入れ、時には小遣い迄与えてくれた。 →わたし、大きくなったら女船頭になる!

 

7才になった頃、桜子の背丈が目に見えて伸び始めた。 五尺を超える勢いだった(・・・江戸期、大人の女衆の背丈は四尺七、八寸だった) 同年齢の男の子や娘も桜子の肩までしかなくて、誰もが桜子を見上げて話をしていた。 ガキ大将の助六は二つも下の桜子に背丈で負けているのが悔しくて、桜子の仲の良いお琴にも雑言を放った、→チビのお琴め、神田川に放り込んでやる! →ばか六、女の子を相手に木刀を振りかざすのかい、情けないねェ、と桜子はお琴に加勢する。 お琴は助六が泳げない事、桜子は船宿さがみの男衆に泳ぎを教えられていて神田川なぞ、何回も往復できる事を知っていたから、けしかけた。 →負けた方が橋の上から神田川に飛び下りるのよ!  助六は木刀を構え直して、→おりゃァ、喧嘩に負けた事はねえッ、ひょろッぺ桜め、と桜子の頭を狙ったが、それより早く桜子の竹棹が腰を突くと、よろけた助六が木刀を川に落とした、→さくらと助六の勝負、桜の勝ち~、助六、木刀を拾いに飛び込みナ!とお琴が叫んだ。 真っ青な顔で、→おりゃ、泳げねェ、飛び込めねェ、と助六が尻込みすると、桜子が、欄干を鮮やかに飛び越えて神田川の水面に浮かんでいる木刀を立ち泳ぎしながら振って見せた。 ガキ大将は、わあわあと声を上げて泣き出した。

 

お琴の父親は寺子屋の師匠だった。 歳は一才お琴が上だったが背丈は既に一尺以上も8才の桜子の方が高く、のっぽとちびの二人組は大の仲良しで知られていた。 そのお琴がガキ大将の豊三にイキナリ頬っぺたを叩かれたという。 →豊三、お琴ちゃんを苛めるとこの桜子が承知しないよ、と立ち塞がる豊三相手に啖呵を切った。 →去年、助六がやられたってナ、オレはあんなヤワじゃない、お前の倍の目方で相撲取りを目指すオレが負ける訳ない、かかってきやがれ! 桜子はイキナリ飛び込んで、ぴしゃぴしゃと音がする程両手で張り飛ばした、→お琴ちゃんの倍返しだ! 豊三の家では、娘に頬っぺたを素手で叩かれて泣いて帰って来たガキ大将を表沙汰にすることはなかった。 それ以来、誰も、この、のっぽちび二人に手出しをする男子はいなくなった。

お琴は棒術と薙刀の稽古を見るのが好きで桜子も連れられて行った。 大河内ってお侍の道場だった。 大河内の隠居さんに、わたしは見るより稽古がしたいって言ったら、こんなご時世に町人の娘が武術の稽古がしたいとは・・・、もし、お父っつあんの許しを得たら稽古をさせてやろう、と言ってくれたの、良いでしょ、と父に問うた。 広吉はさがみ屋の主人と女将さんに相談したら、女将さんが、→桜子ちゃんは愛らしい娘ヨ、悪さを仕掛けてくる男衆を修業した棒術でやっつけてしまえるわ、と賛成してくれたらしい。 女将は桜子がお琴を苛めたガキ大将二人をやっつけた話を洩れ聞いていたのである。

 

大河内家が代々伝える香取流棒術は身を守ろうと考案された術だった。 父を伴って伺うと、→おお、親父さんを連れて参ったか、と17~18才の長身の若侍が声をかけて来た。 →親父殿、それがしは当道場主・大河内立秋の孫の大河内小龍太じゃ、一緒に参れ、と案内してくれた。 ご隠居と呼ばれている主は、→そのほう、船宿さがみ屋の船頭じゃナ、その娘がそなたの猪牙舟で竹棹なんぞを使っているのを見たわ、小龍太、桜子と立ち会って見ぬか、と言われて合点した小龍太は、六尺棒を桜子に渡した。 桜子は竹棹よりも軽い事に驚いた。 十数人の門弟が真ん中を空けてくれたので、先ず、小龍太が突き、上段からの振り下ろし、横手や下段からの動きを見せて、やってみよ、と言われたので、桜子はそのまま、真似てみた。 竹棹を操った事を桜子の身体が覚えていた。 立秋老も広吉も小龍太も驚きの眼差しを向けた。 そして小龍太は竹刀を持って桜子と立ち会った。 結果、→爺様、末恐ろしき娘がおりますな、四半刻も続けて攻めかかった入門志願者は初めてです、桜子、このご時世、棒術が出来たとて何の役にも立たぬぞ、それで良ければ爺様に入門を願え、その場に伏した桜子は、大河内立秋とその孫の若先生に深々と頭を下げて、→道場への入門、お願い申し上げます、と願い上げると、父の広吉は茫然自失としていた。 

 

桜子が大河内道場へ入門してから六年が過ぎた。 背丈は五尺六寸で止まった。 毎日、道場で一刻ほど棒術の稽古をした。 帰りには「表の湯」の朝風呂で汗にまみれた身体をサッパリと洗い流した。 長屋の連中には、お琴が、→毎朝、うちに読み書きを習いに来ているの、と話した事でそう信じられていたし、道場に行かない日は寺子屋に通っていたから、→桜ちゃんは熱心だね、と感心されていた。 だから、長屋の誰もが棒術の稽古に精を出している事を知らなかった。 14才の桜子が稽古中に、片腕を桜子に折られたから治療代を寄こせ、と二十才位の四人組が道場へ殴り込んできた。 三日前、道場帰りに寺子屋に立ち寄ったら、この四人組が、秋の祭礼が近い故、祝儀を差し出せと寺子屋の師匠に談判中でしたが、そんな余裕はない、と断わっってました、そうすると、寺子屋が立ち行かぬ様にしてくれん、と木刀で寺子屋の看板を叩き壊そうとしたので、私が木刀を取り上げました、あの程度で何故、腕が折れましょうか、恐らく仮病です、この騒ぎは寺子屋の師匠やお琴ちゃんがしっかり見ています、奉行所に出ても大丈夫です、と桜子が説明した。 それを聞いて激高した若者は、仲間が怪我をしたのは確かである、治療代を出さぬというならそれがしと立ち会え、と大声を発した。 呆れたわ、と立秋老が洩らし、小龍太が、このまま道場から失せよ、ならば忘れてつかわす、と怒鳴っても、こちらの技量を知らぬ恐れ知らずの若者は、お主が相手か、おもしろい、と刀の柄に手をかけた。 桜子が、→この騒ぎの発端はわたしでございます、私に相手させて下さい、と二人に許しを得た。 長い睨み合いの末、後の先、動きの良い桜子の棒が寸毫速く相手の腰骨を叩き、横に吹っ飛ばした。 若者は頭でも打ったか、首を揺らして茫然としている。 小龍太が腕を吊るしていた男の白布を剥ぎ取ると、青あざが微かに残っている。 →爺様、こ奴ら、叩けばいくらでもホコリが出てきましょう、大番屋に連れ込みましょう、と言い出すと、倒れていた若者がガバッと起き上がるや、脱兎のごとく逃げ出した。 残りの三人も這う這うの体で大河内道場から逃げ出したのは言うまでもない。 →大先生、若先生、私の不始末をよう助勢して下さいました、申し訳ない事でございました、と謝ると、→そなたの行い、爪の先程も悪さをしておらぬ、かえって寺子屋を助けたではないか、立ち会った相手もそこそこの腕前であったが、桜子、後の先で破った一撃、なかなか見事じゃった、と褒められて棒術の修業は生涯続けようと決意したのだった。

 

桜子15才の春、おっ母さんのお宗をこの界隈で見かけたと、さくら長屋のおかみさんが教えてくれたが、殆ど記憶の残っていない母の事など何の感慨も湧いてこなかった。 数日後、稽古が終って長屋に帰ろうとした時、隠居が桜子に話がある、と言ってるからと、小龍太に母屋に招かれた。 小龍太が言うには、→実はそなたの母親が訪ねて来た、我ら一家、桜子をただの門弟とは思うておらぬ、そなたの頑張りにただただ感嘆している、爺様も我が母上もそれがしも身内同然に考えておる、だから爺様と相談して、訪ねて来た経緯をお前に打ち明ける事にしたのだ、昨日の昼下がり、我が門前に立っていた方が、こちらの門弟に桜子と申す娘がおると聞かされましたが間違いございませぬか、と問われて、桜子にそっくりな顔を見て合点した。 宗といいます、桜子の母親どす、と上方訛りが混じった返答だった。 どのような娘か知りとうて訪ねて来た、と言うから、身内同然の娘で、激しい棒術の稽古に明け暮れて、みっつのおりから父親を助けて三度三度のメシを作り、洗濯をし、更に、寺子屋に通って読み書きを習う、こんな娘がどこにいようか! 何の心配も要らぬわ、と応えると、お宗は滂沱の涙を流し、咽び泣いていた。 →ご隠居さま、大河内家の皆々様がようも桜子を一人前に育ててくれはりました、もはや、私の心配は何もありません、ひと目だけでもお会いとうどす、けど、さような真似が出来る筈がありません、と去っていく時に、立秋老は、→桜子親子に真の気持を聞いておこう、三日後にまた来るがイイ、と諭した。 ・・・桜子が父・広吉に打ち明けると、烈火のごとく怒り出し、汚い言葉で罵り始め、口もきいてくれなくなった。 その事を小龍太に報告すると、→母親は12年前の事を心から後悔していたように見えた、桜子、母親と逢うてみよ、大人の離別を乗り越えて空白が埋まるかも知れん、と気持を押されて承知した。 大河内家の離れ屋で母と再会した。 男は流行り病で昨年身罷った、子供はいない、桜子の名前は夫の反対を押し切って私が付けた、今は京都の干菓子老舗に奉公している、京菓子の女職人を目指して修業したい、等々の話を聞き終わった時、心から、→おっ母さん、と声が出ると、→おっ母さんと呼んでくれましたか、これで私の江戸での御用は全て済みました、と安堵して京都へ帰って行った。

(ここまで全316ページの内、100ページまで。 桜子17才、船宿さがみ屋の主人から広吉は船頭頭を命じられた。 やがて桜子は念願の船頭となる。 そして棒術の腕が、振りかかる難関を解決して行く、このアト②巻、③巻と刊行が続くそうだから楽しみに待つ事にしよう)

 

(ここ迄、5,500字越え)

 

令和5年6月26日(月)