令和5年(2023年)4月10日  第605回

難病を抱えている一期先輩のHさんが、→酒は飲めないけど皆の顔が見たいから昼飯を食べたい、と同期のMに連絡があり、年下のNと一期上のOさんと、自分を含め五人ですすき野の蕎麦を食べる事にした。 コロナ前迄は年に二回程、懇親を重ねていた会社仲間とメーカー及び代理店の面々である。 待ち合わせは一流ホテルだったが、そこの中華料理は高価なので街中の蕎麦店にしたのだった。

 

日本女子第6戦は初日が荒天で中止、2日間競技となった。 菊池、内田が予選落ち、惜しくも優勝に一打差の阿部未悠2位、宮澤美咲11位、小祝25位だった。 若い有望格が出てきて、菊池、小祝もおちおち出来ないぞ!と叱咤激励したい。 これで5勝1敗、快調である。

マスターズは2日目と3日目が雷雲や大雨で途中でのサスペンデッドとなった。 比嘉は予選落ち、最終日は1.5ラウンドの選手もいた、強行軍である。 松山は16位(261千$)に沈み、見ているこちらの方が悔しい限りだった。 優勝(324万$)はスペイン人4人目となるジョン・ラーム、3日目まで二打差をつけて首位だったブルックス・ケプカが逆転された。 この四日間、毎日、夜中から朝までの8時間の生放送を観続けた。 世界の一流選手が難コースでシノギを削るのは応えられなかった。 年金者の特権である。

 

 

 

河崎秋子「土を贖う」(単行本は2019年、図書館より借用)

・・・北海道開拓期の様々な苦労の七話がUPされていた。

沢田孝文は、無数のミンクが魚のアラを齧っている音を耳にして心底安心する。 →いっぱい食え、腹いっぱい食え、食って肥って、毛ェ、ふさふさにしろ、と声を掛ける。 ミンク達は、充分な餌を貰いつつ、寒さ厳しいこの根室の地で暮らしてきたお陰か、その毛はつやつやと豊かな光沢に恵まれていた。 北海道に毛皮獣の養殖が導入されたのは国の主導のもとだった。 日清戦争、日露戦争が続いて、大陸での戦争を経験した兵士達はその寒さに仰天する羽目になったのである。 その極寒は、気力も生命力も無慈悲に奪い、地獄を見る事になった。 より温かく、兵士の体を守り、万全の状態で戦いに臨めるような軍服を!という大号令は、当時の産業構造を大きく変えたのだった。 羊毛や、狐の毛皮から始まったがエキノコックスで狐が衰退、養狐業が代わって目を付けたのが魚を主食とするミンクだった。 根室には大規模な業者があった。 

・・・終戦から15年の今、孝文は根室の隣町で、元々、戦争帰りの父が小規模生産を始めたミンク養殖を受け継いでやっている。 雑魚やアラでも喜んで食うし、兎に角、毛皮がイイと、戦中、長野に疎開していた孝文を連れてここに来たのだった。 母親は幼い頃に病死していた。 父は孝文を大事に育ててくれたし、ミンクの事も充分に教わったが、ある日、脳溢血であっさり死んでしまったのである。 父と同じく、孝文は地元の漁師のもとで働いて雑魚や魚のアラを貰い受け、それを餌にしてミンクを育て、冬が近付けば根室の業者迄持って行って金にする。 一人で生きる事を受け入れ、父親を尊敬していたから何の躊躇いもなかった。 ・・・→に~ちゃん、あ~そんで~、と叫びながら小4の姉・久美子と小1の弟・修平が駆けてくる。 近所の農家の子である。 朝搾った牛乳を手土産に持ってきて、ミンクの餌遣りを見たいのだったが、もう終わっている。 だから、すすきの穂を入れてミンクを遊ばせてもイイ、と孝文は笑顔を向けると、さっそくすすきの穂を檻に差し込んでジャレていた。 賑やかな二人の来訪は一人生活の孝文にも嬉しい事だった。 何れ、金が貯まったら家を直して嫁を貰う、そしてこの子らのような家族を持つ、それがささやかな夢だった。

 

汽車に乗ってミンクを根室に届ける。 5匹のミンクが一抱えもある檻の中でキイキイ鳴いている。 兼田ミンク製作所の工房職人の辰さんが、→ああ、下毛がみっしり詰まっているし、毛足も長い、艶もある、及第点だ、もう、親父さんと同じぐれェの質になっている、と褒めてくれた。 外部から持ち込まれたミンクを値段決めするのが辰さんである。 会社はミンク養殖、製品加工、販売まで一貫して自社で行っている。 辰さんは、孝文が漁師を手伝って、交換に雑魚やアラを貰ってくる事を知っているから、→大変だろうけど、漁滓のペレットより遙かにイイから続けろよ、と励ましてくれる。 若手の職人がこっそり教えてくれたのは、孝文の毛皮は最高級の評価らしい。 辰さんは、「まあまあ」と言うけれど、孝文はそれでも嬉しい限りだった。 辰さんは机の引き出しから白と黒のミンクの毛皮の切れ端で作った試作品のキーホルダーをふたつくれた。 可愛い、あの子たちのお土産だ、と有難く受取った。 ・・・二人は歓声を上げて、可愛い!と喜んだ。 二人が帰ると、幼馴染の、雑魚を貰っている漁師の網元の息子・圭介がやって来た。 外国製の大型バイクを乗り回している。 →お前の育てたミンクの毛皮でコートを作って結婚相手にプレゼントしたい、兼田製作所に沢田孝文の毛皮と指定して注文してくれ、相手は根室の網元の娘だ、頼んだぞ、と孝文の商売として嬉しい話だった。 その気遣いに感謝してバイクに乗り去って行った圭介の後姿に心から感謝して頭を下げた。

(ここ迄、全269ページ七話の中のホンの少しである。 二人のキーホルダーはお祖母ちゃんに捨てられた、戦時中に、犬、ネコの毛皮迄集められ、愛猫を殺されて皮を剥がれた恨みがそうさせたのである。 →ミンクの毛皮業者も同じ事だ、毛皮の為に動物を飼うなんてのは非道だ、あの男は実はろくでなしだ、とのお祖母ちゃんの言葉が二人を洗脳させて、絶対正しい事だと信じて、ある夜、孝文のミンクの檻のカギを全て解き放ったのである。 空っぽになった檻を見た孝文は茫然として、まもなく姿を消した、逐電したのである。 ・・・数十年後に、弟の修平が現地に現れて歩き回り、→ごめんなさい、すみません、ごめんなさい、と鼻水垂らしながら謝罪の言葉を繰り返していた。 嫁いでいた姉が急な病に冒されて、枕元に呼び寄せた修平に、→あれはしくじった、絶対、やっちゃいけない事だった、と言い残して旅立った)   

 

 

 

息子の、S社の軽四はナビもバック画面も装備されているし、車内の広さや車高も高くて快適である。 ブレーキを踏むとエンジンが停止する、離すと又かかる。 ただ、トランクが無いが、ゴルフも辞めた我が身には不要である。 恐らく燃費もイイのだろうし、元々、走行距離が少なかったから、これからの年間のガソリン代は極めて少額だろうと思う。 思えば2,500CCの愛車の、ゴルフを辞めたアトの期間の、何と、無駄だった事か!と反省仕切りである。

 

その車でドライブがてら、エスコンフイールドに行ってきた。 片道40分、駐車場に入ると、「駐車料金は千円札しか使えません」と表示があった。 財布には一万円札しか無い。 正午を過ぎているし何か食べてお釣りをもらおう、と考えたが、平日にも拘わらず、何処のフードコートも長蛇の列、見学者が多くて凄い人気振りである。 諦めて何か買おうと思って売店に入ると、キャッシュレスなので現金は置いていません、インフォメーションで両替して下さい、と言われる始末、呆れて早々に出て来たが、何と! 駐車料金はゼロの表示、恐らく、一時間以内は無料とかになっているかも知れない。 折角、千円札を用意したのに無駄な労力だった。 入場料金が無料だったので、ぐるり外野席を廻って来たが、椅子も良し、天然芝も良し、全体の内部構造は、数回、テレビで見ているので、外観だけを一周して来た。 これからはテレビでも臨場感が増すと思う。 

・・・帰途、「蕎D」でカシワ抜きを食べたが、前と同じ450円だった。 550円になった「T庵」より、100円も安い、遠くてもDにするか・・・。

(ここ迄、3,300字越え)

 

令和5年4月10日(月)