令和5年(2023年)4月1日  第602回

BS放送で「春夏秋冬ツアー」と銘打った歌番組が放送された。 都はるみ(春)、伍代夏子(夏)、八代亜紀(秋)、坂本冬美(冬)の4人である。 昭和の懐メロご当人であるが、彼女らの情感に溢れた全曲に感動した。 流石のトッププロ4人衆で、二時間の上演に酔い痴れた。 録画は消さずにして置いた。 殆どが自分も唄える歌だった。

 

また、「町中華で飲ろうぜ」の番組で、日本酒の酒器で素敵なモノを見た。 これまでは、コップに溢れるように並々注ぐのは、コップ肌に着いた他人の指紋の脂を洗い流すように飲み干すのと同じだから、真のサービスとは違う、と以前から思っていたのに、今回は一つの酒器に注いで溢れそうになったら傾いた出口から自動的に盃の方に流れ落ちるという二個のセットである。 町中華の若主人が、「これが大吟醸の注ぎ方、飲み方です」と宣う。 恐れ入った! まったく同感である。

 

 

楡周平「日本ゲートウエイ」(新刊、Oさんから借用)

・・・「プラチナタウン」(’08年)、「和僑」(’15年)、「国士」(’17年)、「食王」(’20年 第355回にUP)に続く、食の世界の、目を見張るような事業提案の物語である。 流石の展開に一気読みだった。

 

・・・「食王」の中での新事業とは、テナントが長続きせず、3、4、5階が空いたままの「死の通り」と嫌われていた元麻布の5階建ての飲食店ビルで、地方の名店が一ヶ月単位で入れ替わる新業態であった。 東京に店を出したくても、店や板前の家賃を含む全ての費用は莫大になるために、安価な費用で出店させ、全国各地の味を知ってもらい、その結果、現地に観光してくれれば地方の活性化に繫がる、という目論みが大成功して、メディアに何度も取り上げられるほどの人気振りだった。

 

「株式会社築地うめもり」が経営している元麻布の「ポップアップ(突然現れる、の意)レストランビル」を開設して早や2年が経った。 現地に足を運ばなくても味わえる全国の有名店の味を都内で味わえるのだった。 大阪に二号店を計画していたが、まさかのコロナであった。 しかし、梅森社長は、→明けの来ぬ夜は無い、この200年の間にもコレラやスペイン風邪が大流行したが人類はどちらの大禍も乗り越えて来た、絶対に収まる時がやってくる、そうなれば爆発的な消費が生まれる、会社の内部留保にまだ余裕があるし、今の内にその時に備えるのだ、新しい事業を考えよう、と石倉部長と企画担当の滝澤由佳に厳命した。 酒の提供が自粛されて、事実上、開店休業に追い込まれている「ポップアップレストラン」であった。 

 

「プラチナタウン」を作り上げた元・緑原町長の山崎鉄郎は、先代からの「緑原酒造」と、新しく始めた冷凍食品の輸出会社「ミドリハラ・フーズ・インターナショナル」の社長を兼務している。 コロナ禍でプラチナタウンも元気がない、老人が多いのでパンデミックが必要以上に警戒されているから、飲食業関連も同様に消沈していた。 ただ、アメリカでは輸出している冷凍食品がバカ売れしていた。 過度なまでの日本食需要だった。 国内では家呑みが多いから日本酒のネット注文も伸びている。 後任の町長だった同級生のクマケンこと、熊沢健治は今は町長を退いて百姓三昧であり、今日も新鮮野菜のお裾分けである。 「燻製工房」の上山君が、自分が作っている燻製の味をどうやって知ってもらえるか、智恵を貸してほしいと相談を受けているが妙案が無い。 鹿、ホロホロ鳥、イワナ、帆立とか、ローカル色もあって、本当に旨いんだが、実際に食べなきゃ判って貰えんしなァ・・・ 溜息の二人だった。

 

東京日本橋の老舗デパート「マルトミ百貨店」の社長・富島栄二郎は、財務担当副社長の義弟・浩輔から、メインバンクの東亜銀行・金村副頭取が融資を断わって来た、と報告に来た。 →オーバーローンの状態が長く続いている、これ以上の融資はご勘弁願いたい、と電話があった、という。 栄二郎社長は、→此の儘だと運転資金は半年も持たんぞ、200億円の負債を抱えて倒産してしまう、という言葉を飲み込んだ。 近年増加してきた外国からの観光客や、オリンピックのインバウンド需要(訪日外国人の需要)を見込んで、店内改装にかなりな再投資をしたばっかりだった。 ところがこのコロナ禍で地下の食品売り場を除き、フロアーを全部閉めたりして一遍に業績が落ち込んだのである。 ・・・外資系の投資銀行に勤めていた浩輔は、栄二郎の妹・寿々子と結婚した時に富島家に婿養子に入ったのだった。 父親の誉も、デパートの業績も絶好調だった頃である。 入社した時の財務部長から、誉の亡くなった今、副社長であった。 都心の纏まった土地の評価額は90億円、従業員は約1,000人(内、7割は非正規だが正社員と同様、全員に生活がかかっている)である。 一等地なので、仮に新ビルを建てるにしてもその建設資金や事業資金をどう工面するか、二人は苦悶するのであった。

 

現在は全てのデパートの一階には化粧品売り場がある。 女性が店内に入り易くするのが狙いで、婦人服やアクセサリー売り場を二階・三階にすれば、 所謂、噴水効果を見込めるのであった。 しかし、今回、大改装したのは二階までの吹き抜きにした広場でイベントを行う事であった。 無料の歌謡ショー、クラシックコンサート、奇術、演芸、有名人のトークショーを毎日様様なイベントを開催したが、客の嗜好も大きく変化して集客効果は全く用を為さなかった。 栄二郎は、この百貨店の危機を如何に乗り切るか、従業員の生活を如何に守るか、の二点しか無いが、策が全く浮かばなくて暗澹たる気持に襲われた。

 

山崎鉄郎は、かっての四井商事で同期生だった牛島幸太郎がこのプラチナタウンの住人になった事で、久し振りに自社の日本酒・伊達の川と、「牡蠣工房」の上原君が製造した牡蠣の燻製で乾杯した。 牛島は、→滅茶苦茶旨いなナ、この燻製、こんな旨い燻製が埋もれたままにしておくのは勿体ないな、と驚いている。  二人は間もなく70才である。 まだ10年かそこらは生きている筈だから、もう一度、世の為、人の為になる事を考えようと誓ったのだった。

 

富島浩輔は、寿々子と結婚と同時に義父名義の高輪のマンションに住み、長男長女に相次いで恵まれた。 正に順風満帆な人生を歩んでいたが、「禍福は糾える縄の如し」の通り、デパート業界の行く末にも暗雲が漂い始めたのだ。 ・・・結婚10年で義父の誉がクモ膜下出血で急逝した時に、遺言で現在のマンションと軽井沢の別荘だけが寿々子に与えられ、残りの全ての財産は兄・栄二郎に渡った恨みが残ったのである。 以来、栄二郎との仲は険悪になり、寿々子から栄二郎に接触をしなくなった。 そのとばっちりが浩輔に飛んできて、栄二郎に理解を示すと、烈火の如く怒り狂い、怒声、罵声を浴びせて、家庭内の主導権を完全に掌握されてしまった。 そして30年、寿々子はお嬢様気質丸出しで、思い立ったら即実行、しかも、富島家の直系なので、財界には知らない人はいないから幅広い人脈も持っている。 危機的状況を察した寿々子が、勝手に一人で動き出した。 菱蔵不動産の尾花社長と会って来たという。 →秘密は一人に洩らせば乗算的に知る者が増える、社長が部下に調べさせるから、1人が2人に、4人が16人に、とね、義兄さんの耳に絶対入るよ、と忠告しても、→マルトミって大きな城が落ちようとしているのよ、東亜に支援を断わられたからには万事休すでしょ、考えがある人間が動くしかないでしょ!と金切り声を出す。 更に、→取締役会議で社長の解任動議を出して、後任は貴方がやるのよ、ととんでもない事を言い出した。 業績不振の責任は浩輔とて社長と一緒である。 しかし、寿々子は止まらない、→投資銀行にいた時、M&Aを幾つもやって血も涙もない手を使った事もあったって言ってたじゃない、潰れたデパートの副社長を何処が拾ってくれるのよ、例えば離婚になったら貴方どうやって暮らしていくの、このマンションは私の名義だし・・・と、追い詰める寿々子だった。 →8階建てのデパートだけど、地下3階、地上39階のビルにすれば5倍以上の床面積が得られるのよ、日本橋の一等地だから引く手数多の入居希望者が群がるわよ、そういう不動産会社を捜して投資させるのよ! 明日は東亜銀行の下村頭取とお会いするわ! 解任の為の株主の取り纏めもお願いするわ、と動きが止まらない。

 

富島栄二郎が日比谷公園を歩いている時、四井商事の同期入社だった徳田から携帯に電話が入った。 同期の一番の出世頭で今や、専務である。 →今、日比谷か、お前に似ていると思って電話した、一緒に昼飯を食おう、と四井の本社ビルに誘われた。 役員専属の食堂があり、毎日、軽井沢の蕎麦屋から取り寄せている絶品だった。 天婦羅も旨い! 思わず舌鼓を打って有難くご馳走になった。 食事をしながら自分のデパートの窮状を打ち明けた。 すると、プラチナタウンを成功させた同期の山崎鉄郎の話になった。 →デパートからの業態転換のヒントを貰ったらどうだ、その業態がイケると思えたら必ず資金は集まる、四井だってそう思ったらカネは出すよ、勝負は下駄を履くまで判らないぞ、と発破を掛けられたが、良いヒントが早々に出てくるとはとても思えなかった。

 

滝澤由佳は思い余って、不躾にも山崎鉄郎に教え願った。 モニターでのやり取りである。 「築地うめもり」がコロナ禍が収束したアトに始める新事業である。 山崎も「ポップアップレストラン」の事は知っていた。 その発案がこの若い女性と知って吃驚である。 かつ、梅森がアイデアを社内公募した事、当時、アルバイトだった滝澤が応募した事、その事にも感嘆しきりだった。 牛島幸太郎の事を説明し、三人寄れば文殊の知恵なので、引き続き三人で検討し合おうと約束した。 望外のアイデアが生まれるかも知れない、由佳は喜び勇んで深々と頭を下げた。 ・・・牛島にさっそく話を振ったが、→ここへ来てからはNHKのニュースだけ、新聞も読んでいないから「うめもり」の事は知らない、と言う。 あれだけ世間を騒がした話題だったのに・・・。 コロナが無ければ大阪に二号店、そして高級店ばかりじゃなく、B級、C級のグルメ構想もあったらしい。 牛島は、→高知にひろめ市場がある、酒の肴になる料理や魚を買って昼間から酔っ払いだらけさ、すぐ前に高校があってセーラー服の女学生と向き合ってガンガンやっている母親もいたさ、まさか、女高生にゃ飲ましてないけど・・・ 流石、飲酒費用日本一の高知だぜ、酒飲みのフードコートそのものだね、実に楽しいし、目の前で藁で焼かれたカツオのタタキは絶品だったナ。 山崎鉄郎は初めて知った。 そんな事がまだまだあるかも知れない。

 

栄二郎によばれて浩輔は社長室に向った。 そして、四井商事の徳田専務から、→百貨店が通用しない時代になったと言うなら、融資を受けたって焼け石に水だ、借金が増えるだけだ、だったら今の店舗、従業員を使ってやれる事業、誰も手掛けた事が無い、新しいビジネスで業態転換を図ればイイ、それが筋のイイ話なら四井もカネを出す、プランの段階で判断できる部署もある、商社は地の果てまで行って血眼でビジネスのタネを探している、有望ならキチッと育てていく、新しい小売りビジネスを考えろ、とヒントを授けられた事を告げた。 何かを考えなければならないが、二人とも全く頭に浮かんでこないのだった。 浩輔は、→四井の専務がそうおっしゃるのなら間違いないでしょう、私も新しい小売りのビジネスを考えてみます、と決心した。

(ここ迄、全323ページの内、第二章139ページまで。 以後、第三章、四章、終章と続くが、山崎鉄郎、牛島幸太郎、滝澤由佳に加えて、プラチナタウンの住人の大手広告代理店の卒業生も引っ張り込み、智恵が絡み合って、素晴らしい小売り業態を纏め上げる。 四井の企画部門に絶対的な評価を受けて徳田専務のゴーサインが出た。 その寸前、寿々子の謀反の動きも着々と進んで行った・・・)

 

今日は土曜日、高校野球の決勝戦、エスコンFでの日本ハムファイターズの試合もある。 男子、女子のゴルフ番組もある。 楽しみ満載の優雅なテレビ観戦である。 録画しながらじゃなきゃ見逃してしまう。

(ここ迄、5,000字越え)

 

令和5年4月1日(土)