令和5年(2023年)3月16日  第598回

17年目を迎えた2,500CCの愛車を手放した。 まだ、64、000km台の走行距離で事故履歴も一切無い健全な状態なのに、10万円しか価値がなかったのは淋しい限りだった。 エア漏れでタイヤのバルブの交換が必要だったが、古過ぎるタイヤなのでバルブ交換で圧力がかかるとバースするかもと説明された。 家内と相談の結果、中古タイヤを買うよりも廃車にする気持を固めたのだった。 購入13年を過ぎて種々の税金が高くなっているし、何かと金がかかり過ぎている。 軽四であれば月額10,000円のリースがあるから、イザと言う時にはそれを使う方法もある。 夫婦とも敬老優待乗車証もあるし、今までもスーパーの買い物と本屋と図書館だけである。 ゴルフも辞めて丸3年、遠出をする元気もないし、何しろここ数年の年間走行距離はたったの2,000kmなのであった。 スーパーも無料配達が当たり前になっているこのご時勢、丁度良しのグッドタイミングであった。 但し、ホンネの気持は、残念!のひと言である。

 

 

下村敦史「ヴィクトリアン・ホテル」(単行本は2021年)

・・・超高級ホテル「ヴィクトリアン・ホテル」は、明日を以てその100年の歴史にいったん幕を下す。

佐倉優美

亡き母から教えられたのは、「許されたかったら許しなさい、他人に寛容を求めるならまず自分が寛容になりなさい、それはいつかきっとあなたの為になるから・・・」 だから他人のミスに目くじらを立てなくなった。 道を間違えて謝る運転手のタクシーから下りてホテルのドアマンに会釈してエントランスホールに入った。 数年振りの宿泊だが中は変わっていない、300年前のイタリア人の画家の大きな絵画も飾られている。 老夫婦の後ろに並ぶと、→最後だから思い出のホテルに宿泊しようと思ったの、と老婦人がフロントの女性に話し掛けていた。 チエックインが終ると、バランスを崩した老婦人が倒れそうになったので、優美は咄嗟に支えてあげた。 →どうもありがとう、優しいお嬢さん・・・ 優美は笑みを返しながら、→いいえ、と答えたが、胸にチクッと刺さる棘の痛みを感じた。 ・・・優しさは、呪いだ。 芸名ではなく、本名の佐渡島優美でチエックインした。

 

三木本貴志

黒のジーンズに同色のジャケットに髭面では、このホテルの勝ち組だらけの客の中では随分浮いて見えるだろう、と自分の惨めさを思い知らされた。 同時に恐怖を覚えた、ホテルマンの視線が何処にも光っている気がする。 エスカレーターで二階に上がると、医学界のパーテイ会場である「玄武の間」には、既に大勢のスーツ姿の男達が旨そうな料理に舌鼓を打っている。 「白虎の間」では大手企業の年末パーテイである。 →どちらも潜り込めそうもないな、と自嘲の笑みが漏れる。 三木本は、永続きしない清掃やコンビニ、居酒屋の皿洗いで食い繋ぐその日暮らしだった。 誰からも相手にされず、機械的に仕事を熟す毎日だった。 胸の携帯が震えた、→てめェ、どこにバックレてんだ! さっさと金返せ、とイキナリの怒声である。 →無理なモノは無理ですから、と言い放って電話を切った。 どうせ、人生の最後に豪遊して人生を終わらせる積りなのだ、自分に優しさが存在しない世界なんて、クソ喰らえ!だった。 「鳳凰の間」は、文学賞授賞式の会場だった。 2~300人に紛れて会場に侵入した。 コンパニオンの彼女が、→お飲み物をどうぞ、とシャンパングラスを差し出してくる。 三木本は早く口を付けたくて、司会者の長い挨拶にウズウズしていた。

 

高見光彦

受賞者は数百人の前で挨拶をしなければならない。 座っていた壇上で心臓はず~っと鳴りっぱなしだった。 掌は汗でぬめっていた。 →失敗したらどうしよう、一生の晴れ舞台で大恥を掻いたら・・・と、不安が雪だるま式に膨れ上がる。 文学賞への応募から5年目にして掴んだ栄光である。 やっと順番が来て、選考委員から褒められた言葉を思い出しながら挨拶を済ませると万雷の拍手に包まれた。 やれやれ・・・と胸を撫で下ろす。 同人誌で小説を発表していた5人の仲間と両親が、受賞者に与えられる招待枠で参加している。 乾杯の音頭は大物作家で、他にも有名作家が大勢集まっている。 担当編集者に指示されて、二列に並んでいる15社の出版社の編集者に挨拶する。 どこも、二作目はぜひ、我が社にと懇願された。 人生、逆転だ、と胸の内で喝采を叫ぶ。 しかし、文学仲間の谷口が、→浮かれずに精進しなきゃ二作目は出せねえぞ、受賞した作品は人を傷付ける内容で、知り合いの女性は不快になったって言ってたぞ、折角の助言だからナ、と受賞できなかったヤツから上から目線で言われてしまった。 喜びに水を差すヤツだ。 

 

森沢祐一郎

ホテル最上階のバーに森沢は若い娘を連れ込んでいた。 ウエイターに、→一番高いシャンパンを、と注文してから乾杯する。 森沢は、各テレビ局のスポンサーになっている超大手企業の宣伝部長であり、有名なキャンペーンガールを何人も輩出している。 各方面に顔が利き、頼めば新人のひとりや二人を捻じ込む力を持っている。 彼女は、→森沢さん、私を推して下さい、と必死である。 →僕はスイートに泊まっている、君は来れるかい?

 

林志津子

志津子は夫の敏行と10階の部屋に入って下界の華やかな景色に酔っていた。 二人は再婚同志だった。 離婚と死別で早くに伴侶を失い、結婚した。 子供がいない孤独の中で出会った二人だった。 地下一階のイタリアンレストランでメニューを見ても解らないので、二番目のコースにした。 →働き詰めの毎日だったな、お前には苦労を掛けた、と柔かい笑みで夫が言う。 運ばれてきた料理を、美味しい、美味しい、と二人で連発しながら平らげて行く。 →本当、来て良かった、と志津子が呟くと、遠い眼差しで宙を睨みながら、夫は言った。 →最期だものな、俺たちの・・・。

 

佐倉優美

・・・演技こそ、人生だ、と外国の有名俳優の言葉を噛み締めていた。 誰かを勇気付け、楽しませても、別の誰かを傷付ける、優美はそれを思い知ってしまった。 迷いが生じて事務所に休暇を願い出た。 大女優だった母に遠く及ばない、未婚で娘を産み、48才で脳梗塞で急逝した母なら、その娘の悩みに何て答えるのだろう? →ある瞬間、その人物の心が自分の心にすっと入ってくると、そこを逃さず、心に寄り添えば本人になれる、と天才肌だった母、そんな存在をプレッシャーに感じながらも同じ道を歩んだ。 →親の名前が才能を殺す事もあるの、と敢えて厳しい環境に娘を放り込んだ母が、泣き言を言った娘に諭し、自分の甘えを思い知った。 いつか、母を超える女優になって見せる、と心に決めて、ひたすら稽古を繰り返した。 しかし、SNSに上がるクレームは酷かった。 女優仲間は、→脚本家と監督じゃなく、主演者の貴女にだけイチャモンをつけて来るクレーマーなんてほっときなさい、と助言してくれた。 来年のシーズン4の撮影までには立ち直りたい、と心から念じているのだった。

 

三木本貴志

シャンパンを一気に呷り喉を鳴らした。 ブッフェには一生食べる事が出来ないような料理ばかりだ、自由に選び取って食べるとどれも美味しかった。 →会場に忍び込んで良かった、人生を捨てる決意をすれば何でも出来るモンだな、と満足していると、→もしかして時沢先生ですか、と胸に赤色の花を飾った男、受賞者に声を掛けられた。 誰かと間違わられているらしい、三木本は、はは、と笑いを返した。 →先生の作品に感銘を受けて小説を書こうと思ったんです、温かい物語が多いですよね、世の中には打算の無い優しさが存在するんだ、って素晴らしいです。 三木本は適当に相槌を打ちながら聞き流したが、面と向かって褒め称えられたのは人生で初めてだった、更に尊敬の眼差しも向けられた。 →時沢先生の新作、期待しています、→君も頑張ってネ、と言葉を交わし、潮時だろうと判断して、「鳳凰の間」をアトにした。 1階のエントランスラウンジの猫脚のソファに休憩した、右側に整った顔立ちの美女がいて目を奪われた、三木本は美女を眺め続けた。

 

高見光彦

昨年の受賞者が声を掛けてくれた、→受賞者が注目されるのは一年間の限定、翌年の受賞者が決まったら注目は全部持っていかれてしまう、今の僕のようにネ、だから注目されている内に二作目のヒットが必要だからネ、心して精進しなきゃネ、と優しいアドバイスだった。 高見は仲間の谷口から指摘された事を気にしていた。 →僕の作品を読んで人が傷付くのは嫌だなと思っています、と打ち明けると、→君の物語は大勢を楽しませるし、同じ問題で悩んでいる人たちを救うよ、たかがフイクションで傷付くっていう読者は放って置くしかないね、堂々としていなよ、フイクションより生身の言葉の方が何倍も切れ味が鋭い刃物でしょ、と先輩受賞者の普段からの覚悟が身に染みた。

 

森沢祐一郎

ベッドの傍らから新人女優が顔を出して身を起こした。 半裸が露わになり瑞々しい体、大きな乳房が存在を主張している。 →祐一郎さん、凄かったです、→別におべっかは不要だよ、と冷たく言い放つ。 →何人もの新人女優が俺に群がってくる、これで同じスタートラインに並んだ、アトはオーディションで頑張ってくれ、とダメを押す。 →推してくれるって言ったのに・・・、と抗弁する新人女優に、→僕の意見は重視されると言ったけど、キャンペンガールに推すとはひと言も言ってない、と冷たく言い捨てて女優の洋服を投げ付けた。 会社に電話すると、部下の吉野がいた、→晩飯を奢ってやる、今からタクシーでホテルに20分で来い、と指示してエントランスホールで待ち構えた。 キョロキョロしながら吉野が入ってくる、→女遊びをしているか、イイ仕事が出来ないぞ、と嘯く。 →女は金に群がって万札に媚びて来る、さっきも女優の卵とベッドで一緒だった、向こうがその気ならこっちも遊んでやらなくちゃな、お前も何人か抱いてやればイイ、今度紹介してやる、とフレンチレストランに向った。

 

林志津子

夫の無二の親友、竹柴の土下座を思い出していた。 →敏行、後生だから頼む! 従業員を食わせて行く責任があるんだ、と必死の懇願だった。 小さな工場を経営していたが、連帯保証人を条件に融資をしてくれる相手が見付かったのだ、と言う。 夫が悔恨の顔をして、→苦しい者同志って同情して手を差し伸べたのがこのザマだよ、結局姿を晦まして彼の借金を背負ってしまった。 でも、志津子は、→竹柴さんを助けてあげて、と背中を推したのだった。 自営業の弁当屋では店と土地を売っても全額は返済出来なかった。 レストランを出ると、→私はあなたを誇りに思うわ、と言葉をかけた。 エレベーターを待っていると、20代後半の青年に、上司らしい男が、→野心を失うな、常に飢えたままでいろ、貪欲になれ、女遊び位しなきゃ半人前だぞ、と諭していた。 男二人は先に下りて行った。

 

三木本貴志

見続けていた女性の傍らに無防備にバッグが置いてある。 立ち上ってさり気なく周囲を見回し、ホテルマンの視線先を確認して女性の右のソファに腰を落とした。 彼女はファッション誌を開き、優雅に読んでいる。 バッグの中から赤茶色の革が覗いている、財布だ、このホテルに宿泊するくらいのセレブなのだろう、富の再配分だ、と勝手に理屈を付ける。 財布を鷲掴みにして引き抜いてジャケットのポケットに入れた途端、気配を感じた美女と目が合った。 怪訝そうな眼差しが三木本の全身を這ったが露骨な視線では無かった。 軽く会釈して踵を返し、中央階段から二階に上がった。 トイレに駆け込み財布を開き、紙幣を確認した。 計94,000円だった。 カードが三枚と運転免許証には、生年月日と「佐渡島優美」の名前があった。 恐らく、買い物はカードで済ませているのだろう、三木本は舌打ちした。 もっとあるかと思っていたのである。

 

高見光彦

赤ら顔の谷口が、→お前の作品は害悪なんだよ、社会的に許されないぞ、と絡んでくる。 余りのしつこさに反論しようとしたら、10年前に受賞した朝倉先生が声を掛けてくれた、→君の受賞作、良かったね、難しい題材を選んで勇気をもって踏み込んでいる、あれはなかなか出来ないよ、と好きな作家からのお褒めの言葉だった。 →でも、欠点だらけですよ、あんなの、と谷口が口を出す。 高見の受賞作をいろいろ詰っていたが、朝倉は全てに反論を翳し、谷口は言葉に詰まってしまった。 正に負け犬の遠吠えだった。

 

(ここ迄、全347ページの内、100ページまで。 さて、この5人がホテル最後の夜をどう過ごして、どう絡まって来るのか、そして10年後にも物語があった)

 

PGAは松山が欠場、欧州ツアーは南アフリカで久常だけ出場、アジアンツアーはインドで日本人ゼロ、日本女子は自分が数回行った事のある鹿児島高牧CCで、道産子は小祝、菊池、内田の三人が出場、さァ、誰が活躍を見せてくれるのか。

(ここ迄、5,300字超え)

 

令和5年3月16日(木)