令和5年(2023年)3月13日  第597回

PGAは松山が一人だけ、欧州ツアーはケニアで川村、星野、久常、岩崎の4人が出場。 アジアンツアーはタイで7人が出場、日本女子は道産子4名が出場。 さて、誰が活躍するか、楽しみである。

・・・日本女子・道産子は内田ことこだけが予選落ち、小祝、菊池、佐藤、三人が予選通過した。 PGAは松山が予選通過、欧州ツアーは久常と川村がイイ位置にいる、星野、岩崎が予選落ち。 アジアンツアーは、浅地、竹安、大西、池村、香妻の5人が予選通過、木下、大岩が予選落ち。 さて、結果は?

・・・3位小祝、10位佐藤、37位菊池だった。 初優勝したのは黄金世代・12人目の吉本ひかるがプレーオフを制覇した。 天晴れ! これで日本人1勝1敗。 欧州ツアー、川村が2打差の2位(208千€)、久常が3位(107千€)と今一歩だった、惜しい。 PGAは松山が調子を上げて5位(1、025千$)と健闘した。 優勝は450万$(約6億円)のビッグな大会だった。 アジアンツアーは浅地22位、大西27位、香妻58位、竹安65位、池村75位(ビリから2番目)だった。

 

大相撲が始まったが解説の北の富士が休場である。 体調不良と発表されているが、この3月末で81才のご老体だから大事を取ったのであろう。 楽しみにしていた「北の富士コラム」も当然、休載である。 残念!

 

 

小路幸也「三兄弟の僕らは」(単行本は2020年)

・・・プロローグ 長男・稲野朗(いなの ろう

父・稲野研一は50才で大手建設会社の部長、母・麻里50才は専業主婦、二人とも三兄弟の良き理解者で、随分、可愛がってくれた。 朗が大学三年の夏、夫婦は結婚25周年、二人の弟は高二と中二だった。 結婚記念日に二人で温泉に行ってくる、というから、丁度夏休みだし、留守の間、自分達の事はちゃんとやるから心配するな、と言ってやった。 三男の幸(こう)が、お小遣いを貯めた30、000円を母に差し出すと、母は涙ぐんでいた。 上の二人は形無しである。 長兄としては末弟にばかりイイ格好はさせられない、とバイト代金30,000円を差し出した。 これで2~3泊は出来るでしょ、と。 結局、伊勢神宮をメインにした観光旅行を、気軽にあちこち寄れた方がイイ、こっちの方が安上がりだ、と車で出かけて行った。 初めての夜は、→朗にいが作ったカレーライスって初めてじゃない?と幸が言った。 →そうかもナ、と次男の昭(しょう)が頷きながらパクパク食べている。 後片付けは昭と幸がやってそれぞれ風呂に入って、二階のそれぞれの部屋でいつもの様に過ごした。 翌日11時過ぎ、電話が来て朗が受けると、警察です、と名乗られた瞬間に理解してしまった、どうしてか判らないけど、父さんと母さんが死んだんだって。

坂橋栄枝(さかばし さかえ)祖母ちゃんは、ひとり娘の母方の祖母・70才。 もう15年も前に札幌に引っ越してアパートにひとり暮らしのおばあちゃんは、電話すると直ぐに横浜まで飛んできてくれた。 葬儀の手配から、保険の手続きから、家と土地の法的手続きや銀行の口座をどうしたらイイとか、山ほどやることがあった。 家族が死ぬってことは本当に凄いなと驚くほどに。 お祖母ちゃんがいなかったら、兄弟三人して路頭に迷っていた。 昭も幸も声を出して泣いた、しかし、朗は泣けなかった、兄だ、泣いている二人の弟と一緒に泣いている訳には行かない、って妙に冷めていた。 喪主として挨拶とかそんなことばかり考えていたからだ。 何もかも終わった日の夜、自分の部屋で、もう、両親の気配がこの家には無いんだ、と思ったら涙が出て来た、今頃かよ、って枕に顔を伏せて、そのまま眠ってしまった。 ・・・住宅ローンは保険で全部きれいになった、アトは毎月の光熱費と、固定資産税だけの支払いだけだ、父さんと母さんの死亡保険金も入ってきて、兄弟三人の大学卒業までの学費やこれからの生活費を払っても充分にお釣りが来るほどの金額だった。 とてつも無い桁の金額が通帳に記載されていた。

 

・・・1、町内会の班長さんは大変だ 長男・稲野朗

10年に一回廻って来る班長制度、今年はウチだった。 町内会費を集める責任がある。 また、去年、母さんから聞かされたのは栄枝祖母ちゃんとソリが合わなくて仲が悪い、弟二人には教えんなくてもイイからね、と釘も刺されていた。 そして祖母ちゃんは躾が厳しくて、小さい時に姿勢が悪かったり、悪い言葉遣いには尻叩きもされた事がある。 父方の両親は父の小さい時に亡くなっており、母方の祖父も随分前に亡くなっていて、三兄弟の僕らにはたった一人の祖母なのであった。 大学のゼミで北海道に行く事になったので、→祖母ちゃんに会ってこようか? と言うと、→あなたのたった一人の祖母なんだからそれは止めないけど、私はネ、お互いに死ぬまでもう会う事もないって思っているの、理由は話せないけど・・・と打ち明けられて吃驚したのだった。

祖母ちゃんは札幌で生まれて高卒で横浜に就職した、母は横浜生まれだ。 そして驚くことに父は孤児で児童養護施設で育った子供だと祖母ちゃんから聞かされた。 父の小さい時に両親が亡くなったと言うのは嘘だった。 →研一さんはイイ人だった、そしてイイ父親だったよ、アンタ達をみていればそれは判る、麻里が研一さんと知り合った時には私と一緒に暮らしていたからネ、母子二人で。 じゃ、お祖父ちゃんはどうしたんだろう、確か、札幌のアパートには仏壇が無かったし・・・お墓参りもしたことがない。 そして2~3日戻ってまた来るから、と帰って行った。 長男180cm、昭が175cm、幸が170cmと5cm刻みで揃っている背丈を見て、祖母ちゃんは、見事な坂になってるね、と微笑んだ。 町内会費を集めておきなさいネ、と言ってホームに消えた。

我が班は12軒の家がある。 年会費は4,000円、三人は両隣の2軒しか知らなかった。 一番端の佐脇さんに×印が付いている、要注意人物らしい。

 

二日後に大きなボストンバックを下げて帰って来た。 →会費は佐脇さんだけが払ってくれなかった、俺は町内会に関係ないからって。 すると、幸が、→小6の時に公園で一人でキャッチボールをしていたら、確かあの人が相手をしてくれた、スナップの効いたイイボールだったから、きっと昔の高校球児かも知れない。 だから日曜日、幸がユニフォーム姿で三人で佐脇さん宅に伺い、キャッチボールをお願いすると、目を白黒させながらも、二年前のキャッチボールも覚えてくれていて、→そうか、両親が亡くなった家の子が班長さんか、エライな、と言いながら相手をしてくれた。 翌日、町内会費を持って来てくれた。  →他人の事を何もかも知らなくてもイイ、佐脇さんは優しい人なんだ、これが判っただけでイイご近所付き合いが出来るってモンだ、と祖母ちゃんが締めくった。

 

・・・2、遺されたものの整理は 次男・稲野昭

祖母ちゃんがオヤジの箪笥から沢山のTシャツを出してきて、手伝え、と言われた。 ハサミで切りながら雑巾にするって。 普通の雑巾よりも小さくて薄くて便利だと言われて、蛇口の水アカとか、サッシの窓枠とか、拭くと確かに本当だった。 土曜の夕方、昭は野球の練習に、朗はコンビニのアルバイト、昭の高校はアルバイト禁止なので、一人だけ家にいたのだった。 ロックバンドの助っ人でドラムとかベースとかで参加している。 音楽好きなのは昭、一人だった。 →昭、ビートルズが来た時、私はネ、18才の高校生だったんだよ、ビートルズもエルビス・プレスリーも随分聴いたものサ、ジャズもロックもポップスもサ、と祖母ちゃんに聞かされて驚いてしまった。 そういえばおふくろは浜田省吾が大好きで、親父が浜田省吾のツアーTシャツを着ていたナ、と思い出していたら、祖母ちゃんがそれを引っ張り出してきた。 →これ、麻里が好きだったから買ってきて研一さんに着せたんだろ、切らないでくれ、と麻里がいってるのかな? でも、残された者が気の済むようにするのが供養なのさ、親より先に死んだ親不孝者の娘の麻里が、孫の昭とこんな事をさせたとしたらと思うと、それも立派な麻里への供養になるさ、と言ったので、昭は気持がスッキリした。 自分で気の済む様にその人を見送るって事でイイんだ。 幸がず~ッと泣いていたけど、それは幸なりの供養だったんだ。 →祖母ちゃん、このTシャツ、切っちゃおう、おふくろが俺と祖母ちゃんの思い出を作ってくれたんだ、と思う、この家を奇麗に掃除するんだからおふくろも喜ぶ。

(ここ迄、全253ページの内、僅か82ページまで。 とんでもない秘密が遺されていた、あのクソ真面目な、囲碁だけが趣味だった親父に隠し子がいたのだ、それは可愛い、6才の優衣ちゃんだった・・・)  (ここ迄、3,600字超え、ここまでで勘弁!)

 

令和5年3月13日(月)