令和5年(2023年)3月8日 第596回
文庫本5冊を購入。 奥泉光「死神の棋譜」(単行本は2020年)、藤崎翔「逆転美人」(2022年書き下ろし)、遠田潤子「月桃夜(げっとうや)」(単行本は2009年、古い、間違った、失敗した)、湊かなえ「カケラ」(単行本は2020年)、小野寺史宣「今日も町の隅で」(単行本は2020年)である。 奥泉、藤崎は初めての作家、さて、どうか?
中山七里「祝祭のハングマン」 第593回の続き・・・
第二章 疑心暗鬼
千代田区の寺院で須貝課長の葬儀が行われ、瑠衣は今度も会葬者を撮る写真係だった。 前回の葬儀も会社の関係者が多く、相当数ダブっている。 父の姿も妻池秘書の姿もあった。 ただ、一人だけ瑠衣の目を引く人物がいた。 案山子を連想させるほどに痩せこけて、頬の肉もげっそりと削げ落ち、立ち姿は幽鬼のようでもある。 妻の十和子に一礼して本堂に消えたが、アトから名前を聞かなければならない。 遺体は最寄りの火葬場で荼毘に付され、夕刻には無言の帰宅を果たした。 瑠衣と志木は心を鬼にしてマンションへ向かう。 デジタルカメラからプリントした写真を差し出して尋ねると、→あ、この人須貝の友達です、お名前は存じてませんが、結婚式の時に招待されていて紹介されたんですが、すっかりご無沙汰なので、アトから結婚式の写真で確認しておきます、とお腹を撫でながらいう。 妻から強い母親になった仕草である。 悲しみを乗り越えて産まれてくる子の事を考える活力に溢れていた。 それこそが、何よりも夫への供養になる、と信じているのだろう。 今日も11時過ぎの帰宅、くたくたに疲れていて、風呂に入ってから泥のように眠りたい、と思っていたら、父親の左の頬に青痣がある。 眉の辺りを大きく腫らしている、左目の目蓋が開いていない。 聞いても理由を言わない、只、問答の果てに知ったのは、出棺後に誰かと殴り合った、→これ以上、何も話す気はない、時が来たら必ずお前に言う、もう寝る、と寝室に引き上げてしまった。 言い出したら効かない頑固な父である。 まさか、犯人を知っているンじゃないだろうナ、と恐ろしい考えが頭に浮かんだ。
翌日、7時台に警視庁に着くと、霧島と麻生の両班長と何人かの捜査員が先に登庁していた。 流石に検挙率トップを争う熱量が違うと感心する。 麻生班長が、→随分早いナ、いつもはアザラシでも現場に行けばよく走る犬になる、そんな奴になれ、四六時中緊張していたら身が保たないゾ、と労いの言葉を掛けてくれた。 5番出口で志木と二人で通勤途中の通行人に目撃者聞き込みをしている時、4番出口で通行人に話し掛けていた男が、あの案山子男だった。 志木もあの身元不明男を知っていた。 駆け出して、→警察です、ご協力お願いします、と言うと、→巡査部長の春原瑠衣さんか、お仕事ご苦労様、と返されてしまった。 →聞き込みですよ、あなた方と同様にね、と名刺を出された。 「鳥海(とりかい)探偵事務所 鳥海秋彦」 →私が須貝の友達だって知っているんでしょ、依頼人は私自身、個人的に須貝の死に納得が行かないから調べている、と説明された。 →この坂は勾配がキツイ、5番出口は4番出口の遙か下だ、利用者には出勤時には4番出口、帰りは5番出口を使う人もいる筈だ、と言い捨てて踵を返すが、麻生さんは元気か?とも言った。
本庁に戻って麻生班長に尋ねると、→こりゃ鳥海じゃないか、俺より一つ下で同じ班で働いていた、お前達の先輩だよ、まさか、被害者の友人だったとはナ、刑事としては飛び切り優秀、検挙率も飛び抜けていた、あのまま続けていたら俺や桐島よりも早く昇進してただろう、退職理由は知らん、誰もが慰留に努めたが頑として聞き入れなかった、奴の手法は初対面の人間を先ず怒らせて相手の出方と性格を探る、それを容疑者以外にも適用する、とんだ偏屈者だ、と一筋縄ではいかない人物であった。 翌日、瑠衣と志木は名刺の新宿区の事務所を訪ねた。 →予想より早かったナ、訊き込みが空振りに終わったからだ、違うか、と図星を差された。 殺された須貝さんとの関係は、→中・高以来の親友だった、それよりも出棺したと思ったらいきなり50過ぎのオッサンが山岸会長に向って行ったが、取り巻きに押さえられてその連中と殴り合っていた、あれは何だ? 瑠衣は、え、それは父だろう、と確信する。 帰りには、志木から、親父さんから理由を聞き出せ!と命じられた。 本庁に戻って宍戸班長に報告すると、→我が班から三人が抜ける、とイキナリの宣告である、ヤマジ建設絡みの事件は迷宮入りしてもしょうがない、と言わんばかりの指示である。 捜査一課の課長も刑事部長も飛び越えた要請があったとしたら、副総監への政治家の関与しか考えられない。 何だ、これは?
7月に入っても目ぼしい情報が得られていない、毒殺事件に三人も抜かれれば当たり前だが・・・。 瑠衣は気力が萎えて帰宅しても疲れが撮れない、父は会長相手のひと悶着の理由を一向に話してくれなかった。 7月2日、半蔵門駅で訊き込みの最中、瑠衣のスマホが鳴った、→私は春原監督の下で働いている宮脇といいます、監督が事故に遭いました、作業中に鉄骨が落下して、今、病院に搬送されました、と行って病院名が告げられた。 同行していた志木に事故を伝えると、血相を変えて、→こっちは気にせず、病院へ急げ!と怒鳴られて、瑠衣は駆け出した。 →早く、早く、お父さん、お父さん、と気が急くばかりである。 辿り着いた病室の前に三人の男がいて、→監督の娘さんですか、さっき電話した宮脇です、鉄骨が直撃して頭頂部が陥没・・・ と聞かされた途端に意識が遠のきかけた、ふらついた体を支えてくれたのは二人の警官だった。 小1時間後、父は死んだ、恐怖と絶望が全身を貫いた。
即死に近い状態で亡くなったのだろう、人相が変わるほどの鉄骨の重さである、両手で顔を包み込むように触れると、まるで氷の様だった、目頭が熱くなり、堰を切ったように涙が溢れ出た、嗚咽も止まず体内の水分が全部涙になった、気が付けば朝を迎えていた。 志木が、→忌引きは7日間、きっちり休め、と言ってくれたが、→ヤマジ建設の関係者が三人続けて亡くなりました、手口は事故に限りなく近い殺人です、ヤマジ建設に動機も犯人も関連しています、あの妻池と言う秘書は何かを隠しているような気がします、と気丈に言い返した。 父から強引に悶着の内容を聞いておくべきだった。 頑固な父だけに時間をかけてでも、と考えていた事が悔しい。 犯人が憎い、堪らなく憎い、鉄骨の落下など、起きようのない作業環境だった。 人為的なものでしかあり得ない。 許せない、その罪は万死に値する、犯人は今眠っているのだろう、震えて眠れ、私がきっと安眠を拒んでやる、瑠衣は憎悪のまま、一睡も出来安なかった。 葬儀は山路領平会長が弔辞を読んだ、→藤巻君、須貝君に続き、今度は土木課の春原君までもが不慮の事故で命を絶たれてしまった、唯々、無念その一語に尽きる、数々の現場を指揮し、なくてはならない人物だった、まさに余人をもって代えがたき人材だった、と読み上げられた時、先の二人と全く同じ内容だったと頭から冷水をかけられた気分だった。 名前さえ差し替えれば使い回されるシロモノだ、父はヤマジ建設を愛していた、しかし、あの弔辞で判る、会社は父を愛していなかった、改めて父の為の弔辞を作る必要がないほどの替えの利く部品だったのだ、瑠衣は沸々と湧き起こる憤怒で眼の前が真っ赤になった。
第三章 愛別離苦
ヤマジ建設絡みの事件から瑠衣は外された。 当事者だけに当然であるが瑠衣は悔しくて溜まらない。 富士見インペリアルホテルの毒殺事件に回されてしまった。 志木から進捗状況を訊いた。 →クレーン操作は楠木という作業員だ、慎重にも慎重を期して、4本掛けのワイヤーロープで吊っていた、最も安全な掛け方だ、それなのに鉄骨はワイヤーから外れて落下した、ワイヤーは切れていない、クレーンのフックも捥げた訳でもない、安全規則の逸脱や違法行為が認められない、定められたマニュアルに従って事故が発生したなら、責任の所在は作業主任者に帰する、親父さんは現場責任者であり、作業安全責任者だった、今のところ、違法行為の物証がない、単なる事故扱いになる公算が強い、と呆れるような捜査結果だった。 ふざけるナ、絶対事故じゃない、と憤怒が胸を焦がす。 この儘じゃ三人の死は闇に葬られてしまう。
意を決して、部下だった宮脇さんを現場に訪ね、楠木さんと会わせて貰った。 →あの一件以来、楠木はすっかり萎縮してしまってクレーンを操作出来なくなりました、慕っていた人を自分が運んでいた鉄骨で死なせてしまったショックは想像に余りあります、その上、娘さんから責められたら立ち直れなくなりますよ、と大反対されたけれど、強硬に突っぱねた。 20代後半の楠木さんは、→楠木昭悟です、監督には随分お世話になっていたのに、こんなことになって本当に申し訳ありません、と酷く恐縮していた。 →自分、クレーンの操作には結構自信がありました、今まで大きなミスもなかったし・・・でもその驕りがミスに繫がったのかと思うと監督に申し訳なくて・・・ すっかり記憶が飛んで何が起きたのか、全く判らないんです。 更に宮脇が、→この現場全員が警察から聴取を受けています、その上で事件性無しと判断されたんです、お父さんを亡くされたのはお気の毒ですが、その無念さを他人に向けるのは余り感心しません、僭越ですがそれは監督が最も嫌っていた事ではありませんか、それは正しく正論だが卑怯だと思った。 宮脇と楠木が頭を下げて仕事に戻って行くと、敗北感が襲ってきた。 ただ少し気になった、楠木が話している最中の仕草が、終始落ち着きが無く、視線も泳いでいた、あれは隠し事をしている容疑者と同じだ、何かを隠している。 帰路、男に尾けられている、と気付いた瑠衣は、角を曲がった直後に踵を返した、→あなた、何の用ですか、→尾行じゃありません、春原瑠衣さん、警視庁捜査一課のあなたとお話がしたくてタイミングと場所を探していました、私は東京地検特捜部の神川淳平と申します、ご自宅を拝見させて下さい、その時、詳細を申し上げます。 すると神川の後から別の二人が姿を現した。 三人を家に上げると、→先ず、書斎を拝見したいのですが・・・、お父さんに事情聴取直前の矢先に亡くなられたんです、有価証券報告書虚偽記載・・・の「捜索差押許可状」を見せられた。 背任や横領の疑いだという。 →大手ゼネコンに対する接待攻勢、最も手っ取り早いのは袖の下の現金です、それは会社の帳簿に載せられない裏金作りをしなければならない、2年前に内部告発がありました、ヤマジ建設の裏金作りは、工事費の水増しです、使用する資材の数量や質を誤魔化す手法です、資材課の藤巻さん、経理課長の須貝さん、そして現場の土木課の春原さん、それぞれのポジションの責任者です、三人は口封じされた可能性が高いです。 瑠衣はギョッとした、父が裏金作りに加担した? そういえば、→信じた俺が莫迦だった、と呟いた言葉が甦った。 会社の正義を信じていた企業人の慟哭か、須貝の葬儀で山路会長に向って行った理由がこれか、と父を思う。
翌朝、宍戸班長と志木に、→東京地検特捜部に家宅捜索されました、父への容疑はヤマジ建設の裏金作りです、三人は口封じで殺されたと思います、 しかし、班長は、→動機は推測できても肝心の物証がない以上、推測の域を出ない、兎に角お前はおとなしくしていろ、と簡単に事が進まない現実を知らされた。 保険会社が訪ねて来て、父の死亡保険金が5,000万円です、請求して下さい、と帰って行った。
第4章・遅疑逡巡
その夜、鳥海が訪ねて来た。 →合法的な捜査しかできない警察ではなかなか犯人は逮捕出来ない、違法捜査で盗聴や盗撮、隠しカメラ、何でも出来なきゃ巨悪は潰せない、ここにも隠しカメラがあるかも知れない、ウチの事務所なら三人を殺した犯人を教えてあげられるが来るか? 新宿ではなく、南大塚の二つ目の事務所だという。 20才そこそこの男の子、ショートヘアで瑠衣よりも顔が小さい、→やっぱり連れて来たんですね、比米倉(ひめくら)です、宜しく。 壁の二面にギッシリと無数のモニターが並び、机の上のパソコン群の光景は中央制御室を思わせる。 彼は特定屋だ、と鳥海がいう。 SNSに上げられた書き込みや画像から個人情報を割り出し、必要とする者に売って対価を得る不法商売である。 これを聞け、と音声が流れでる、→二人とも会社に多大な貢献をしてくれた男だが訴え出るとまで言うのだから仕方がない、泣いて馬謖を切るという故事があったがまさにそれだ、大型受注がなければ業績は痩せ細る、社員とその家族の生活を保障する為には辛い判断も止むを得ない、昨日の葬儀で春原課長が食ってかかって来た、アレもそろそろ我慢の限界に来ているようだ、これも仕方がない、方法は以前と同様に任せる、現場で災難に遭うのが一番自然だ、きっと本人も本望だろう、と会話が終った。 ヤマジ建設の会長室を向かい側のビルから高性能集音マイクを使ったのだ、と鳥海がいう。 殺人実行犯は妻池、彼の口座には、一回に付き、翌日、500万円が振り込まれている。そして事件の日は三回ともその場所にいた事がスマホの位置情報から比米倉が拾っていた。
(ここ迄、全5章278ページの内、第4章・遅疑逡巡の190ページまで。 さてこのアト、どうなっていくのか、法律が裁けないのなら誰かが始末する、警察官なのに私刑執行人と行動を共にするのか、イヤ、自分で父の仇を討ちたい思いと錯綜する思いの瑠衣だった)
(ここまで、5,600字越え)
令和5年3月8日(水)