令和5年(2023年)1月17日 第585回
S理容店が入っているビルは、再開発事業で解体されるので、それがMマスターの引退時期であるから、2~3年後にはトコヤを捜さなきゃナ、と思っていたが、何と、今年の8~9月か、ズレても年内いっぱいから解体が始まるとMマスターから聞かされて吃驚! 身体能力も相当弱ってきているから丁度イイタイミングだとMマスターはいう。 助手のW女史は仕事を続けそうなので、働く店を教えて欲しいと頼んだ次第。 数回、彼女の手で調髪して貰ったが、彼女の耳掃除も抜群なのである。 そんな話で三人で盛り上がった今回の調髪時間だった。
百田尚樹「輝く夜」 ・・・前回の続き
第二話 猫
・・・石丸社長からは、→晩飯、一時間くらいは駄目かナ、と更に誘われたので、→み~ちゃんゴメン、10時半迄には帰るから、と胸の中で言い訳して付き合う事にした。 ホントに近所の食堂だった。 でも憧れの社長と一緒にビールと定食でも素敵な食事だった。 →青木さん、この四ヶ月間の貴女の仕事振りは実に真面目で誠実でそして優秀でした、契約違反ですが、ほとぼりの冷めた来春頃にウチの正社員になってくれませんか、と驚く様な申し出である。 勿論、異存はないが、→社長の買い被りじゃないですか、私はそんなに優秀じゃありません、と謙遜するも、→私は経営者としてそれなりに人を見る目は持っている積りです、と言い切った。 →すみません、嬉しくて嘘みたいです、石丸社長の会社は最高です、と弾む心で応えたのであった。 そして、→社長に憧れている人が沢山いらっしゃいます、と告げると、→会社を作った時に自分で決めた事があります、社内の女性とは絶対に恋愛関係にならない、公私のけじめをキッチリつけているンです、と断言した。 (アトから知った事は、美人の秘書が自分でバラまいた嘘だった) そして遅くなったからタクシーで送ると言い、アパートの傍まで来ると一緒に降りて、一杯、水をご馳走して下さい、と部屋に付いてくる。 雅子の部屋は5階建ての古いマンションの3階、エレベーターの中で思った事は、この人は派遣社員だから手を出しても構わないと思っているのだろうか、それなら構わない、今晩のお礼に好きなようにさせてあげよう、でも軽蔑してしまうわ、とハラを括ってドアに鍵を差し込むと、ドアの向こうから、にゃ~とみ~ちゃんの声が聞こえてきた。 ドアを開けるとみ~ちゃんは逃げずにじっと石丸を見上げている、雅子以外の人間の足元に寄り添うのを初めて見た。 石丸は片目のみ~ちゃんを抱き上げて、頬を付けて、ミーシャ!と叫び、み~ちゃんは、にゃ~と鳴いた。
石丸社長も雅子と同じだった。 死にそうになっていた子猫を拾って帰り、奇跡的に助かったのでミーシャと名付けて可愛がっていた。 それ以来、10年間、石丸家の一員だったが、一年半前、予防注射を打ちにいったミーシャが車から飛び出して行方不明になった。 片目が潰れていたから可愛くないし、辛い目に遭っているんじゃないかと母と心底心配していた、それがこんなに大事にして貰えたなんて・・・、と涙が溢れていた。 →青木さん、先程の正社員の話は無かった事にして下さい、僕はず~ッと公私のケジメを守って来ました、貴女が正社員になったら結婚を申し込めなくなっちゃう、と険しい顔で迫って来た。 み~ちゃんが腕の中で、にゃ~と鳴いた。
第三話 ケーキ
命終間近かの20才女性の癌患者が、大好きだった主治医と結婚して、その夫とパン屋を開店して、50年間ハッピーに生き抜く夢を見た。 死に顔がまるでイキナリ50年も経ったように、髪が真っ白、皺だらけになっていたが、顔は優しく微笑んでいた、という看取った主治医の物語。
第四話 タクシー
鞄の縫製工場の職人で同い年・24才の大塚和美と香川依子は沖縄にダイビングに出かけた。 依子は、和美に国際線のスチュワーデスだと偽る事で押し切られた。 声をかけられた男二人と海の家でお茶をした。 名乗り合うと、和美は姫野和美と偽名を言い、依子は咄嗟に嘘が言えず、本名を名乗ってしまった。 快活な茶髪の男は遠藤、坊主頭は島尾と名乗り、どちらも26才、テレビ局のディレクターで番組のロケハンだと言う。 国際線のスチュワーデスと言った途端に、二人はウオ~ッと歓声を挙げた。 和美はホラを吹きまくって、行った事のないパリやミラノの話や、パイロットのセクハラ、嫌な乗客の話を何処で仕入れて来たのか、面白そうに聞かせている。 夜、遊びに行って良いか?と遠藤が聞くと、即座に和美がOKした。 泊まっているペンションには、吹き抜けになっているロビー兼食堂があり、男達はウイスキーを持参、女達は部屋から持ち出してきたスナック菓子をテーブルに広げた。 雑談1時間後、和美は二対二でデートしよう、と遠藤と星降る夜の浜辺に出かけて行った。 残った二人で島尾が打ち明けた。 →実は去年まで制作部だったけれど今年から配送に回されました、だから、運転手みたいなモンです、遠藤は実際ロケハンですが、僕は休暇を取って遊びに来ました、彼とは同級で仲がいいんです、姫野さんは如何にも遣り手の感じですね、接客業に向いています。 依子は和美の本業を教えてやりたかった。 鞄の縫製が工場一の腕前で、仕事に、絶対手を抜かないから作った鞄は何年も持つ、と。 島尾は、→広島の出身で父親は漁師です、漁師を継いで欲しかったけど、僕の我が儘を許してくれました、だから、海も素潜りも大好きです、沖縄の海は瀬戸内海よりも綺麗過ぎます、と逞しい体と筋肉のついた腕で泳ぐ格好をした。 依子は、→素潜りは格好良かったですよ、漁師の手伝いをしていたから体が逞しいんですよね、と楽しい会話だった。 12時過ぎに和美と遠藤が帰って来たが、こんなに遅くまで何をしていたのか、和美には聞かなかった。
翌朝6時、そっと起き出して浜辺に行った、島尾が朝から泳いでいるかも知れないという期待だった。 案の定、早起きしてひと泳ぎしてきたらしい。 →香川さん、東京でもまた会えますか?とイキナリ訊かれて、思わず本当の携帯番号を告げてしまった。 好感の持てる相手だけに嘘を付いていた事を後悔して気持が落ち込んだが、スチュワーデスじゃないから東京で会う事なんか出来ない、電話が来たら忙しくて会えないと断わればいい、彼との楽しい思い出は旅のひと時だけだから、と割り切って気楽に思う事にした。
東京に戻ると工場の単調な生活が続いた。 島尾の事を何も知らないのだと気付いた。 下の名前も何処に住んでいるのかも、そもそも結婚とか恋人とかも訊かずじまいだった。 10日後、近所の食堂で和美と食事中に携帯が鳴った。 →香川さん? 島尾です、覚えておいでですか? 今度の休みはいつでしょうか? 咄嗟に嘘が浮かんだ、→明日からニューヨークです、日曜日に帰ってきます、月曜日ならお会い出来ます、と思わず言ってしまった。 島尾は大喜びである、→嬉しいです、待ち合わせ場所と時間は、予約してから今晩また電話します。 和美が、→今の人、沖縄の人ね、やめなさい、スッチーなんてすぐばれるよ、恥かいてフラれるのがオチだわ、と忠告された。 でも島尾から連絡された場所は、港区の有名ホテルだった。 彼の弾むような声を聞くと断われなかった。 次の日から携帯の電源を切った、ニューヨークに居る筈の電話が繫がったらおかしいから。 ・・・白いワンピースとパンプスを十万円近い金額で新調した。 美容院にも行った、これで給料の半分近い散財である。 でも、島尾と会うのはこれが最後、だから素敵な思い出を作ろう、精一杯楽しもうと心が華やいだ。 島尾も高級そうなスーツで待って居た。 依子はこの一週間で仕入れた雑誌からの知識で必死に行った事のない外国の話を偽った。 島尾は感心しながら熱心に耳を傾けている。 依子は罪悪感で胸が痛むが嘘を続けるしかない。 二回目も服を新調した。 三回目は流石に友達から借りた。 話の中で、→和美は正社員のスチュワーデス、私は契約社員、その前職は鞄の縫製職人、と打ち明けた。 →丁寧に作られた鞄は長持ちするんです、そこに社長は拘っている会社でした、と説明すると、→鞄の話の香川さんは楽しそうですね、スチュワーデスだと敷居が高いから、僕は鞄の職人さんの方が良かったかな、と告げられて、思わず、ごめんなさい、と反応してしまった。 取り返しのつかない事をしてしまった後悔に苛まれた。 始めから正直に言ってそれで相手にされなかったら仕方がない、でも、もう遅い。 もう二度と会わない、と心に決めた。 楽しい思い出は充分に出来た、思い残すことはない。 →また会えますか? →もう暫く会えません、当分、時間の都合が付きません、と断わると、→やっぱり僕なんかじゃ駄目なんですね、と悲しそうである。 →こちらから連絡します、と言いながら絶対電話はしない、と心で謝った。
島尾を忘れかけていた一ヶ月後、島尾から、→会いたい、我慢できない、と切羽詰まった声で電話があった。 その声は依子に恋しているという男の切実な訴えだった。 依子は手紙を書いた、→スチュワーデスは嘘、ホントは鞄職人、と打ち明け、これまでの嘘を謝罪した。 →島尾さんが好きです、もし、島尾さんが許してくれるなら、イブの正午に初めて会ったホテルに来て下さい、もし嘘吐きの私を好きでなければ来ないで下さい、お願いです。 二日後の昼に電話があったが仕事中で電源を切っていたので、メールが残されていた。 「イブの日に会えなくなりました、プライベートな事情です、本当に申し訳ありません」 依子はそのメールを三度も読み返した。 そして消去した。 新しい携帯電話を買って、電話番号も変えた。 依子の人生から島尾は全て消えた。
・・・5年後のイブの日、依子はタクシーの中で愚痴を始めた。 →来年30才になるの、でも一度だけ本当に好きになった人がいたの、テレビ局の人で沖縄で会った人なの、でも、鞄職人なのにスチュワーデスと嘘をついたから、私は耐えられなくなって逃げたの、と言うと、初めて運転手が口を開いた。 →テレビ局員と言うのは嘘かも知れないですね。 !!ああ、その声、忘れられない声、懐かしい声が甦る、目を閉じて余韻に浸る。 飲み過ぎて酔っているのだろうか? →彼ら二人はもしかしたらトラック運転手だったかも知れません、旅の開放感でつい嘘をついてしまったのかも知れません、一緒に行った高級なレストランも貯めて来たお金だったのかも知れません。 依子は胸が詰まった。 →危篤状態が続いていた母親が亡くなり、葬式やその後始末で東京へ戻ってこれなかったかも知れません、東京へ戻ってあなたからの手紙を見て慌てて電話をしましたが連絡がつかなかったのかも知れません。 依子は涙が零れた。 →彼はあなたの消息を一生懸命捜したのかも知れません、と言葉を切り、→沖縄のペンションにも問い合わせました、こっちの嘘を謝りたい、もう一度会いたいと必死でした。 彼も泣きながら、→乗って来た時、直ぐ、あなただとわかりました、怖くて声が出なかったんです、いつか、あなたに会えるかもしれないと思って、翌年、トラックの運転手を辞めてタクシーに乗りました、あなたと行った事のあるところは休日に全て廻りました、でも、痕跡はとうとう見付からず失意の気持が続きました、で、自分に期限を切りました、5年間で巡り会う事が出来なければ親父の跡を継いで漁師になろうと・・・、今夜が最後の夜でした。
第五話 サンタクロース
両親は賢次・和子、長男・望、次男・孝、三男・豊、末娘・聖子の家族はクリスマスケーキをカットしてそれぞれが幸せそうにパクついた。 ・・・18年前のイブの日、最愛の夫に事故死された和子は妊娠していた(息子の望)ので心中しようと街中を彷徨っていた。 雪降る中で協会が見えてフラフラと迷い込んだ。 暖かい気持ちにさせてくれたのは80才の神父さんだった。 手の甲には星型の痣があった。 聖者に現れる聖痕という。 ・・・シングルマザーで頑張っていた時、5才になっていた望に優しくしてくれたのが賢次だった。 今、両親は高二の望から精神的にいろんな恩恵を受けていて、賢次は、最高に自慢の、俺の息子だ、と胸を張って訴えると和子は喜びの涙を流すのだった。 ・・・聖子が躓いてスート部を倒した。 庇った望が手に火傷した、その手の甲にあの星型の痣がくっきりと現れて、和子は息を吞んだのだった。
(ここまで、5,100字越え)
令和5年1月17日(火)