令和4年(2022年)10月28日 第563回
東京からのYさん、今回は、1日目はジンギスカンに付き合って、最終日は紅葉を見たいと言うので、Yさん指示の、先ずは滝野すずらん公園、そこから山の中を走り抜けて恵庭湖近くの三段の滝、そして支笏湖から千歳へ、千歳市内で昼食、その後、13時半に空港へお届け、入園料や昼メシ代は奢って貰った。 我が車も数年振りの150km超えの走りで満足だったろう。 帰途は高速を使わずに下道を走って来た。 何しろ、年金者の時間は充分にあるのだ。 山の中の紅葉は既に終わっていて落葉だらけ、支笏湖畔だけが紅葉の見頃だった。 ・・・夕方、テレビを見て吃驚した。 何と、市内の中島公園が真っ赤とまっ黄色な紅葉に包まれていてその美しい事。 また、北大構内も黄色が凄まじい。 他にも数か所の案内があって、全くの灯台下暗しだった。 知らなくて申し訳ない、とYさんに謝罪するばかりである。
Oさんから8月4日以来の単行本3冊借用。 中山七里「越境刑事」、佐々木譲「裂けた明日」、渡辺裕之「紅の墓標 オッド・アイ」である。 さて、ここにUP出来るのはどれか?
山口恵似子「恋形見」(単行本は2015年)
巴屋のおけい・11才は、母親・おとわから理解できない虐待を受けていた。 妹のおその・7才の飼っていた文鳥が亡くなった、と泣きながらの大騒ぎで両親の部屋に駆け込んでいった。 父・吉兵衛はずっと店に出ている。 おけいの飼っていた愛猫・ミイも14才の長寿を全うして先程おけいの腕の中で静かに息を引き取った。 →おっかさん、ミイがいけなくなったの、庭に埋めてあげたいんだけど良いでしょうか?と尋ねると、→おやまァ、おそのの飼っていたチロも今朝がた冷たくなっていたのだよ、おそのはこれだけ泣きじゃくって悲しんでいるのに、お前は涙ひとつ零さない、血も涙もない末恐ろしい子だよ、何だいその目は、泣きもしないで小面憎い、とイキナリおけいの頬をつねり上げた。 (チロが死んだのはおそのが餌をやり忘れたから、これが初めてじゃない、そのたびにおけいが代わりに餌を与えていた、ミイの具合いが悪くなってからはミイの餌を摺り餌にしたり、下の世話も一日に何度も・・・ だからチロの方まで目がとどかなかった、一方、ミイは天寿を全うして安らかにあの世にいった、おけいが泣く事なんか少しもない、寧ろ、おそのの大袈裟な哀しみ様に呆れていたのだ) 更に、力任せにおけいの頬を張り飛ばした。 畳に横倒しになったが、ゆっくりと身を起こし、おけいは涙もみせず声もあげず、じっとおとわの顔を見た。 益々、激高したおとわは、→子供のくせに仇を見るような目で親を見て!反吐が出る、お前の賢しらな顔を見ると、反吐が出そうだ、と二度三度とおけいの頬を張り飛ばした、鼻血が畳の上に飛び散り、おそのが悲鳴をあげて部屋を飛び出した。 女中頭のおつねが飛び込んできた、→お内儀さん、気を確かに持って!と、馬乗りになって両手で首を絞めにかかったおとわを羽交い絞めにして引き離した。 おつねが来なければ殺されていたかも知れない、とおけいは茫然とした。 直もおとわは叫ぶ、→出ておゆき、二度と戻って来るんじゃない! おけいはふらりと部屋を出た。 勝手口から下駄をつっかけて走り出した。 →お嬢さん!と背中からおつねの声が聞こえてきた。
おつねが部屋に戻ると、おとわはへなへなと畳に崩れ折れ、肩で息をしている。 →お内儀さん、自分が腹を痛めた実のお子さんに何ていう仕打ちですか、おけいお嬢さんはお店の大事な跡取りです、婿を取って巴屋をお継ぎにならなくちゃいけない方です、お内儀さんが我が子だからと好き勝手なさって良いという事はありません、充分弁えて下さい、これは旦那様のお考えです、今度は旦那様から意見して貰います、とおとわより先に奉公している女中頭は軽蔑の眼差しを向けた。
おけいは少しでも遠く家から遠ざかろうと必死に走った。 雨の中を何処をどう走って来たのか分からずに橋の欄干にもたれて川の流れを見ていた。 涙が溢れ出した、いつからこんな事になったのか、確か、おそのが生まれてからおっかさんは妹一人に吸い寄せられて、次第におけいを邪険にし、はっきりと憎悪の心をおけいに向けていた。 いっそ、このまま死んでしまおうか、生きている限りおっかさんに憎まれ続ける、この先良い事なんか、ひとつも無いに決まっている、そう思いながら欄干から身を乗り出そうとした時、→おけいちゃんじゃないか、どうしたえ?と声が掛かった。 女物の蛇の目傘を差した仙太郎・17才だった。 巴屋の隣で小間物問屋を営んでいる蔦屋の跡取り息子だが、親に似ぬ放蕩息子で、吉原・深川等々の悪所通いを重ねていた。 懐から手拭を取り出しておけいの髪や着物を拭いてくれた。 優し気な顔付きの仕草が板についている。 鼻血のアトや腫れた顔を見ても何も詮索されなかった事が嬉しかった。 →汁粉を食べて帰ろう、と汁粉屋に入る。 仙太郎はこっちの両親にも評判が悪い、しかし、よく遊んでくれたし、いろいろ教えてくれたし、一緒にいると心ときめく事ばかりだ、おけいの周りにこんな楽しい人はいなかった。 →血相変えて走っていくおけいの姿を見かけたのサ、と二つの汁粉を押し出して来た。 →甘えモンは苦手よ、ところでその顔、いったい、どうしたえ?と訊かれたので、→おっかさんは妹おそのの事は何をしても可愛い、あたしの事は何をしても憎くてたまらない、こんなことが一生続くんだろうか、と打ち明けた。 仙太郎は暫く考えて顔をあげた、→おけいちゃん、苦労ってやつはそれを背負えるだけの強えもんの肩に掛かってくるのサ、弱え奴に背負いきれねえ苦労をさせたら目もあてられめえ、おめえの家で苦労を背負えるのはお父っつあんとおめえだけよ、おっ母さんとおそのちゃんには無理だろう、二人の苦労を背負うしかねえ、そんな役割だが仕方ねえ、強えもんは人より損する具合いで丁度勘定が合うってもんよ、ウチは親父が全部苦労を背負ってくれるから俺はこうして遊んでるのサ、というから、思わずプッと噴き出した。 仙太郎はまた優しい目をして、→そうさ、それで良い、おめえは強え子だ、これをやろう、黒漆に螺鈿細工の施された美しい見事な櫛だった。 →大人になったらきっと似合うぜ、おっ母さんとおそのちゃんの苦労を背負って偉いから、そのご褒美だ、これからもお天道様はしっかり見てるぜ。 こんな綺麗な櫛は初めて見る、天にも上るような心地で櫛を胸に抱きしめた。 自分を見守り、励ましてくれるお守りなのだ。 おけいは仙太郎が神様仏様の使いの様に見えて心の中で手を合わせた。
その日の夕餉の前、巴屋の奉公人は20人、番頭、手代、小僧、女中とメシ焚きの内、番頭だけが通いでアトは全て住み込みである。 主人の吉兵衛が切り出した。 →ウチは娘が二人、だから総領娘のおけいに婿を取って跡を継がせたい、ついては明日から商いのイロハを仕込む、いまから仕込めば婿取り迄には多少の才覚は付くだろう、と言い切っておけいに視線を寄こす。 こくんと頷いて、→みなさん、どうぞよろしゅう、と両手を付いて頭を下げた。 仙太郎から貰った守り神の螺鈿細工の櫛を握り締め、店に出るようになれば内所にいなくても良い、母の監視下から解放される、理不尽な暴言や折檻から逃れられる。 仙太郎の笑った顔が瞼に甦った。 胸の隅っこにキュンと痛みが走った。
その翌日からおけいの生活は一変した。 朝餉を食べ終えるとすぐにおそのと一緒に手習い処に行き、お昼は弁当を食べる。 家に戻って夕方、店を閉めるまで店の片隅で過ごすようになった。 吉兵衛からは、→店の隅っこで一日の商売の流れを見ておきなさい、とだけ言い渡された。 同じように隅っこに控えている新入りの同い年、小僧・太吉がいた。 客が来ると即座にお茶を捧げ持ってくる。 →太吉、見本帳を持っておいで、三番と五番!と指示されると、へい!と返事良く木綿の端切れを綴じた見本帳を二冊引っ張り出して手代に届けた。 なるほど!あれが新入りの仕事か、と合点がいった。 巴屋は間口五間、奥行き十間の店構えである。 江戸有数の木綿・呉服問屋の大丸屋は、間口だけでも九間もあった。
おけいは父の吉兵衛が大好きだった。 亡くなった祖父の茂兵衛は、夕餉には奉公人たちの膳にも必ず、海のものと山のものを付けて、毎晩、滋養のあるものを晩飯にした。 その方が病気になる確率が少ない、病気になったらその掛かりは店持ちだ、結局は得なのだ、祖父はそのことを身に沁みて分かっておいでだった。 茂兵衛が亡くなると、母のおとわは奉公人の食事をお新香とおみおつけだけに落とそうとしたが、女中頭のおつねが吉兵衛に訴え出て直ぐに沙汰止みになった、という過去があった。 おつねが奉公人たちから信頼を失った大きな理由だった。 夕餉の時、おとわは、→お前さん、おけいは五目のお師匠さんに通わせなくていいのかい? 嫁の貰い手も無くならないように、と言うと吉兵衛はおけいに目で問うてきた、→踊り・三味線はおそのがイイと思う、私はもっと商売の勉強をする、とキッパリ告げた。 心の中では、私は巴屋を継いで婿を取る、嫁になんぞ行かない、と決心した。 そして部屋に戻って算盤の稽古をするのだった。 螺鈿細工の櫛を引っ張り出してそっと頬に押しあてる。 この櫛を貰ってから何もかも変わってしまった。 おとわはおけいに手出しが出来なくなった。 冷たい扱い、酷い事を言われても毛筋程の傷もつかなくなった。 心の中からおっかさんを追い出してしまった。 おかげでおとわをじっくり眺める事が出来た。 まことに取るに足らない愚かな女だった。 秘かに聞こえるおとわへの奉公人たちの声がまるで低い評価である事を気付かせてくれたし、おとっつあんもおつねも、番頭の忠兵衛も手代も女中もみんなそれを知っている。 だから好きな事を言ってればイイ、おけいは聞くふりだけして通り過ぎればいい事だ。 ああ、仙太郎兄さん、ありがとう、と櫛を撫でるのだった。
ある時、蔵の外へ反物を持ち出して見比べていた。 そっと触って木綿の風合いを確かめていた。 →よう、おけいちゃん、と頭から声が振って来た。 見上げると隣家の蔦屋の屋根で昼寝をしている仙太郎だった。 →おめえも上がってこねえか?と誘われて昇っていった。 →オレぁ、ちまちま小間物仕入れて毎日あくせく働くなんざ、ほとほと性に合わねェ、と言う。 それじゃ世間に通らない、と通り一遍の反論をする気がなかった。 そういう事もあるんだろうナ、と妙に納得してしまった。 それじゃ売れっ子の髪結いの亭主になるか、金の生る木を育てるしかないですネ、と他愛ない話だった。
瞬く間に二年が過ぎた。 最初、父の吉兵衛はおつたから引き離すのが大きな気遣いだったが、意外や、おけいは呑み込みが早くてやる気を見せて来たので、最近は大店を連れ回していた。 大丸屋、白木屋、越後屋・・・ 特に越後屋の大きさにはおけいは度肝を抜かれた。 間口九間、奥行四十間、奉公人千人はこの頃の世界でも最大の商業施設だったろう。 呉服屋は一反売りが決まりだったが越後屋は切り売りに応じたのである。 金持ちから庶民に迄、客層を拡げたのが「店前売り」、「仕立て売り」、「切り売り」、「現金掛け値なし」という商法だった。 年に一度の年末払いの掛け売りをやめ、現金売りで値段を安くする・・・で、大当たりを取ったのである。 二人は茶店で休んでいた。 雨がしとしとと振って来た。 すると、「三井越後屋」と屋号が書かれた傘がいくつも見える。 →あれも越後屋さんが考え出した商法さ、宣伝になるし、借りた客は屋号入りだから傘を返さなきゃならない、良く考えたものさ。 目の前を仙太郎が女連れで横切った。 恐らく悪所の女だろう、 それを見た吉兵衛が、→あれは蔦屋さんの倅だね、困ったもんだ、蔦屋さんは固い人だし、弟は真面目なのに・・・、と呟いた。 越後屋、白木屋、大丸屋から仕立て上がったおけいの着物や帯が届くと、おとわは眉を逆立てて目を剥いた、→こんな子供に分不相応な贅沢を!と柳眉を逆立てて言うから、→着物はおそのにあげます、帯はおっかさんが使って下さい、私は要りません、とおけいは冷たく言い放つと、おとわの平手打ちが飛んで来た。 敢えて避けずにそれを受けると、吉兵衛が激高した。 →跡取り娘に仕込んでいるのに、私のやり方が気に食わないのなら、お前は今日限り、この家を出て行け!と怒鳴ると、わッと声を上げて泣き伏した。 我が母親ながらおけいはほとほと愛想が尽きた。 どうしてこれほど愚かなんだろう? この店にはおとわの味方は誰もいない、それならせめてお父っつあんに嫌われないようにしなけりゃ立つ瀬が無いだろうに、どうして墓穴を掘るような真似をするんだろう? 部屋に戻ったおけいはあの櫛を取り出して誓った、越後屋だって始めは小さな店だった、いろんな工夫で大きくなった、巴屋だって、金の成る木にして見せる!
17才で亡くなったおとわのふたつ姉・おきぬは、弁天様の再来と謳われた程の美貌の持ち主だった。 おきぬが亡くなった時、両親がひっそりと話していた、→おきぬじゃなく、どうしておとわじゃなかったの、と盗み聞いたのだ。 おけいはおきぬにそっくりな利発で落ち着きのある聡明な娘だった。 その顔を見る度におきぬと較べられた屈辱と敗北感が甦ってきた、我が娘への言い知れぬ怒りの仕打ちだった。
(ここまで、全357ページの内、僅か、54ページまで。 このアト、おけいの快進撃が続く、正に跡継ぎ娘の真骨頂が発揮される痛快ストーリーである。 乞うご期待!である)
(ここ迄、5、600字越え)
これで5日連続UP・・・ いえッ~い!
令和4年10月28日(金)