令和4年(2022年)9月27日 第550回

大相撲、最年長優勝記録を玉鷲がやり遂げた。 天晴れ! 並み外れた破壊力が健在である。 まともにぶつかったら、ガッシリと受け止めれる力士はいないと思う。 我が一山本は中日以降、引き技が多くなって自滅の負け越し。 幸い、幕尻に留まれそうだから、来場所は押し切れる力を付ける猛稽古が必要だろう。

 

PGA(プレジデンツCUP)は、アメリカの圧勝! 最終戦のシングルマッチ、松山は辛うじての引き分けだった。 LPGAは二位だった笹生がtoday+5と崩れて32位(15千$)、古江がUPして16位(29千$)、畑岡は58位だった。

 

日本女子第29戦、山下美夢有が独走して5打差で優勝。 このまま賞金王になるんじゃないか?と、思うほど絶好調である。 これで26勝3敗。 竹田麗央という19才も2位に喰い込んでいた。 層の厚い日本女子である。 男子も負けていなかった。 21才・大学4年生、蝉川泰果(せみかわ たいが)がアマ優勝。 アマの優勝は史上6人目である。 倉本昌弘、石川寮、松山英樹、金谷拓実、中島啓太という、そうそうたるメンバーと肩を並べた。 たいがはタイガーウッズに因んだ父親の名付けらしい。 男子も若い子がドンドン出て来た。 頼もしい! 人気復活の兆しを感じる。

 

 

西條奈加「お蔦さんの神楽坂日記③ みやこさわぎ」(単行本は2016年)

・・・初めてのシリーズ、最新刊の④が無くて、③を購入。 ①②は古いから止めた。

多喜本履物店経営のお蔦さん(本名・滝本津多代)は元芸者、高一(桜寺学園高校)の孫・滝本望(のぞむ)と赤坂で二人暮らし。 望の父は札幌に転勤し、母も付いて行ってイラストレーターをやっている。 滝本家は代々、男子が厨房を守って来た(望は四代目)。 だから芸一筋だったお蔦さんは料理が出来ない。 母も父任せだった。 父の転勤話が出た時に、神楽坂での生活は望がお蔦祖母ちゃんの食事を賄うと決まったのだった。 →息子と言えども男は目を離すとすぐ浮気に走るから、アンタは付いておゆき、とお蔦祖母ちゃんは母にダメ押ししたのだった。 木下薬局の息子・生粋の赤坂生まれの洋平と歩いていると、二年生になった在田真心(ありた こころ)ちゃんがションボリしている。 声を掛けると、イキナリ泣き出した。 サイレンの様にウエーンと泣き声が大きい。 そこにガタイのイイ警察官がやって来た、→君達、この子に何かしたのか、と怒声が上がる。 二人は必死に否定してそれぞれの身分を明かすと、→そうか、君がお蔦さんのお孫さんか、同僚からの忠告は署長の不興を買うよりもお蔦さんを怒らせるほうが怖い、署長は転任するけれどお蔦さんは神楽坂から動かないからね、と聞かされた。 真心ちゃんは、泣きながら、→こころのせいでお父さんとお母さんがリコンしちゃう、という。 これは警察ではどうもならない。 多喜本履物店に連れて行ってお蔦祖母ちゃんの智恵を借りに行く。

 

イタリアレストラン「コルディ・アリタ」は真心ちゃんの両親が営んでいる。 〆て16席の小さな店でベネチア料理を出している。 主人の輝幸さん・40才がイタリアで4年修業してきて一年前に開店した。 あっさり目の味付けが祖母が気に入り、望も何度か足を運んでいるから店の夫婦とは顔馴染である。 履物店を閉めて7時半、真心ちゃんに夕飯をご馳走する。 お父さんがシエフだから7才と言えども舌が超えて居る筈、→ウン、美味しい!お父さんの次くらい、と褒められる。 祖母ちゃんがお風呂に入れて布団を敷くとこてんと眠ってしまった。 そして11時過ぎ、レストランを閉めた在田麻美さん・35才が迎えに来た。 →今日のランチが終わった午後三時、ここ一週間、主人の機嫌が悪い事は気付いていましたが、とんでもない事を言い出して・・・ 真心は俺の子じゃないだろう、俺とは全然似ていない。 主人の前に付き合っていた人が居て、その人の子供じゃないのか、というもんですから大喧嘩になっちゃって。 誓って主人の子です。 100%断言できます。 ひと時、二人が働いていたレストランの上客だった人と付き合った事がありましたが、その人と別れて一年以上経ってから主人と付き合いが始まりました。 ただ、親子鑑定をしたいと言い出したからすっかり腹が立って、そんなに信用できないなら離婚するしか無いわね、と私が言い出したんです。 両親がいつになく激しい諍いをして、何度も真心ちゃんの名前が出て来たからてっきり自分が原因でリコンするんだと思い込んだのが真相だった。 そこへ奉介おじさんが帰宅した。 亡くなった祖父の末の弟でお蔦さんの義理の弟である。 何かややこしいが、四か月前から我が家の一員になっている。 画家で、乾蝉丸という雅号である。 海外を放浪しながら画を描いていたが、今は、晴海にある古い倉庫をアトリエにして、ビルのエントラスに飾る大作に取り組んでいる。 海外放浪が長かったせいか、奥さんの有紀さんと離婚し娘の楓ちゃんは、別な高校の望と同じ高一だった。 奉介おじさんは、テルさん、と呼んでいるほどのレストランとの付き合いがある。 真心ちゃんと麻美さんは泊まっていく事になった。 お蔦祖母ちゃんは奉介おじさんに、命令した。 →明日、テルさんが何で無茶を言い出したのか、お前が聞いてお出で、お前にしか出来ない助言があるだろう、お前にしか出来ないんだよ、と繰り返したのだった。 日曜日は神楽坂の店は何処も休みである。 不安げな奉介おじさんが心配でこっそりアトを付けて行くと、楓ちゃんとバッタリ! 一緒に盗み見る事にした。 店の奥からトレーを片手に持ってきたテルさんがコーヒーカップを置きながら、→麻美と真心がお世話になって、と挨拶していた。 奉介おじさんが切り出した、→信じていないのは自分自身、テルさんでしょ、僕も覚えがある、妻子を養う当てが無くて、妻のせいにしようとして、妻子を置いて一人で逃げた、テルさんは妻子とこの店も捨てる気なのか、コルディはイタリア語で真心の意味だからね。 テルさんは、→実は開店一年経っても自分の不甲斐なさが身に染みてまして・・・ そんな時に以前、麻美と付き合っていた男が訪ねて来たんです、個人投資で大儲けしたから広尾に開く80席の大箱の料理長をやらないかと誘われました、こんな小さな食堂で終わるなんて勿体ない、とも言われましたし、麻美に無理をさせて、真心に淋しい思いをさせてそれでいいのか、とも。 輝幸さんは猛毒に当たってしまった。 嫉妬、という猛毒だった。 あの男がどうしてあんなにオレの妻子に関ろうとするのか、疑心暗鬼に陥った結果が親子鑑定だった。 奉介おじさんは語った、→ヨーロッパ、アフリカ、南米、それこそ世界中を10年以上も逃げ回っったけど、それでも消えないんだ、娘の面影が・・・ 子供ってあっと言う間に大きくなるんだ、その貴重な時間を僕は12年間もフイにしてしまった、本当に悔やんでも悔み切れない、心の底から後悔しているよ、テルさんにはそんな思いをして欲しくないんだ。 漏れ聞いていた望の傍で楓がポロポロと涙を零していた。 それで奉介おじさんとテルさんに気付かれてしまった。 →テルさん、僕の娘の楓です、真心ちゃんはアト10年もしない内にこうなりますよ、一緒に居ればアッという間です。 このアト、テルさんは麻美さんと真心ちゃんを迎えに来た。 輝幸さんは麻美さんに心から謝罪し、勿論、お蔦祖母ちゃんからタップリの小言を喰らったがハッピーな親子三人には蚊に喰われたほどの痒みしか無かった。 奉介おじさんは楓を送って行き、別れた奥さんも交えて楽しい夕食だったらしい。 次の日、輝幸さんがトマトとタラコのリゾットを差し入れてくれた。 流石にプロの味、すっごい美味しい! →これだけの腕があるんだ、投資家と言うがただの博打屋だ、引け目を感じる事は要らない、画家もロクデナシだけどね、とお蔦婆さんは身も蓋も無くして鼻先で言い除けた。

 

徳島県で生まれ名古屋で高校を終えた都さんは23才の芸妓で、お蔦姐さんの弟子でもある。 神楽坂では芸者ではなく、芸妓と呼ぶのが習わしだった。 →最後のお座敷なんだからしっかりお励み、と声を掛けている。 えッ、最後って都姐さん、辞めるの、と訊くと、ええ、辞めるの、と怖いくらいに真剣な目で言った。 あれは辞めたくないんだナ、と望は直感した。 珍しいけど寿退社だ、と祖母さんがいう。 最盛期は700人もいたらしいが、今は20数人だ。 芸妓組合の今の組合長は勝乃姐さんだった。 老舗料亭の「ねぎ亭」の二代目からすだちが届いたから、望は都姐さんを夕食に誘った。 望がつくったすだち塩(塩は沖縄土産で頂いた)で天婦羅を口にした都さんは、→美味しい! 香りが爽やかで塩が甘く感じられる、と絶賛だった。 鶏肉に大葉を巻いたトリ天も旨い!と言っている。 数種の天婦羅が続いてデザートはすだちゼリー。 お婆ちゃん子だった徳島時代を思い出して、→名取だったお婆ちゃんの影響で踊りを始めた、らしい。 →阿波踊りも抜群で、手の振り、足さばき、ピッタリ決まってました、ホントに誇りに思ってました。 来週、ねぎ亭で組合主催の送別会兼婚約祝いが行われるそうだ。 勿論、お相手も、お蔦さんも勝乃さんも出席する。

 

送別会当日、22時過ぎに帰って来たお蔦祖母ちゃんはねぎ亭の娘・若葉ちゃんと一緒だった。 若葉ちゃんは高校を卒業して料理学校に通っている。 ねぎ亭で4代目の板長を目指すのだ、という。 若葉ちゃんはもう、すっかり綺麗な女性になっている。 →外で修業して一流になって、お父さんとお爺ちゃんをギャフンといわせてやる、と意気軒高である。 若葉ちゃんは、お爺ちゃんの指示で祝い膳を持ってきてくれた。 →うわ! ありがと、親方の料理食べたかった、とさっそくかぶりつく。 着替えた祖母ちゃんにお相手の事を尋ねると、→40才の高橋圭介さん、飲食店十数軒のオーナーで年商は億を超えている。 婚約指輪も385万円(みやこ、385の意味らしい)の特注品だったが、都さんの表情が今ひとつ冴えなくて、二人とも、→そうなのよ、何か気になるわね、最も嬉しい時なのに、と不審げだった。 この心配は本当になった。

 

土曜日、外食に出かける寸前、勝乃姐さんが駆け込んできた。 →都が一方的に婚約解消を言い立てて姿を消したのサ、婚約指輪と一緒にネ、これじゃ結婚詐欺と変わらないと客筋にどやされた、と言う。 ただ、高橋さんは、ボンヤリ呟いたと言う。 →都のせいじゃない、全ては自分の身から出た錆だ、あの指輪は慰謝料だ。 でも勝乃さんは、→此の儘じゃ、芸妓組合の名折れだ、芸妓のメンツが立たない、と鼻息荒く言う。 都さんは、名取の祖母から名付けて貰った由緒ある名前、「吉佐路」を大事にしていたが、一昨年、突然、都に変えたのだった。 そこで何かを思案した祖母が、名古屋の都の実家に確かめておくれ、と勝乃さんに指示し、それが確認されると、今度は高橋さんに、明日一時にここへ来てもらう事になった。

 

翌日曜日、お蔦、勝乃、望の三人で昼食を摂ったアト、誰よりも先に都さんが顔を出した。 →お姐さん達にはどんなに謝っても謝れ切れません、それだけの事をしてしまいました、本当に申し訳ありませんでした、と深謝しても勝乃姐さんの怒りは容赦なかった。 暫くの、激しい勝乃姐さんの怒りが疲れて来た時に、お蔦さんが、→アンタの口から始めから聞かせていおくれナ、高橋さんと最初に会ったその経緯もネ。 都さんは語り出した、→10年前、台風で家も祖母の家も床上浸水に遭いました、吉野川の氾濫でした、祖母の家にいた私は二人で避難所に逃げ込みました。 そこでず~ッと手助けしてくれていたのが高橋さんでした。 当時30才の高橋さんに、13才だった私はとても頼りにしました。 東京から徳島の親戚に来ていて、洪水騒ぎに巻き込まれた人でした。 避難所の誰もが優しい高橋さんに感謝していました。 だから、祖母はすっかり信用して全財産を家に隠している、と話してしまったんです。 だから4日目の朝、財産が心配になった祖母は、男の足で確かめに行って欲しい、と頼んだのです。 高橋さんはそのまま戻ってきませんでした。 385万の全財産も消えていました。 家具店を経営していた実家も商品が軒並み水に浸かってしまい、店は倒産し、名古屋の家具メーカーに父は就職したんです。 東京から来た高橋さんの情報だけじゃ警察は逮捕出来ませんでした。 祖母は名古屋で笑顔を取り戻すことなく二年後に息を引き取りました。 ・・・偶然に、神楽坂のカフェで高橋さんを見かけて、アトを追って飲食店オーナーという事を突きとめました。 それから彼に近づいて行ったのです。 成る程! 吉佐路の名前は避難所で高橋さんに打ち明けていたから、10年経って顔は変わっていても名前じゃ気付かれると、急遽、変えた理由だった。 そして、高橋さんが来た、げっそり痩せた蝉の抜け殻のような姿に、羽振りの良いオーナーには全然見えなかった。 →申し訳ありませんでした、今更、どんなに謝っても許されない、それだけの罪を犯しました、と都さんよりも深く深く頭を垂れていた。

 

高橋さんは警察にも自首したが、もう時効になっていたから、厳重注意で済んだようだ。 10数軒の店は全部譲渡し、手元の財産を全額、都に渡して神楽坂から姿を消したそうだ。 また、高橋さんと都さんは必死に芸妓にカムバックさせて欲しいと勝乃姐さんや組合に頼み込み、復活が許された、という一幕もあった。 高橋さんの財産は、名古屋の両親が半分、芸妓組合が半分で神楽坂の行事にこれを充てるという事になった。 今回も力強いお蔦姐さんの活躍があったのは流石であった。

(ここ迄、全7話・268ページの内、第2話・84ページ迄。 結構なテーマばかりである。 そして判り易い。 ④も買おうと思う)

 

(ここ迄5,700字越え)

 

令和4年9月27日(火)