令和4年(2022年)8月29 日 第541回

女子プロ第25戦、北海道4戦の最後である。  残念ながら道産子じゃない稲見が今季2勝目の逆転優勝。 2打差を逆転し、3日目迄TOPだった原英梨花が、涙のtoday+4と崩れたのは可哀そうだった。 これで23勝2敗。 日本人強い! ご機嫌である。 

男子プロは、外人強敵を蹴散らして22才・河本力が逆転初優勝!(2,000万円) あっ晴れ! 姉の女子プロ・河本結と史上4組目の「きょうだい優勝」だと言う。 姉の初優勝の時のキャデイを務めていて、副賞の高級車を貰って喜んでいた「姉弟愛」は記憶に新しい。 やっと、若い名前が出てきて、これで男子プロも活況を呈してくれる事を期待したい。

 

PGAプレーオフ最終戦は、直前のプレーオフ第2戦迄の年間ポイントで選ばれた30人で最終戦4日間を争う。 ポイント1位にはスコア-10が与えられ、松山は-2からのスタートである。 優勝者は1,800万$(24億3,000万円)、2位以下が、650万→500→400→300万$(4億円)で、最下位の30位でも50万$(6,750万円)の巨額のボーナスである。 首位だったアメリカ人がtoday+3と崩れ、today-4のローリー・マキロイが逆転優勝して3回目の年間王者に輝いた。 松山はtodayイーブンと伸ばせず、11位タイに終わったが、それでも1億円以上の賞金だろう。 ご立派! 欧州ツアーは、川村が9位(38千€)、LPGAは畑岡が13位(35千$)、古江が45位(9千$)で、笹生は予選落ちだった。

 

 

原宏一「佳代のキッチン③ 踊れぬ天使」(単行本、2017年刊)

第一話 おみちょの涙(石川県・金沢市の近江町市場を地元の人は「おみちょ」と呼ぶ)

(佳代は韓国・釜山のチャガルチ市場で長い休息を取っていた。 もう、一ヶ月を超えた。 福江島で連絡が来た、松江の婆ちゃんが亡くなって、喪失感に沈み、しばし茫然としていた時に、息子の、温泉旅館「水名亭」の正志社長が下関からのフェリーチケットを手配してくれたモノだった。 婆ちゃんの「支店開設資金」は正志社長が引き継いでくれた)

 

金沢・近江町市場の15分先に名水「上の清水(かみのしょうず)」がある。 釜山からフェリーで下関、途中、松江に寄って正志社長に挨拶、調理屋を引き継いでくれた家坂さんとごはんを食べて、ふらりふらりと楽しみながらやって来て金沢で調理屋を始めたのだった。 初めの客は市場内の鮮魚店のおばちゃん・仁科さん、これ美味しそう、と魚介メシを二つ買い、調理屋のシステムを聞くや、面白そう、と夕方、カマスを持ってきた。 →目先の変わった晩酌のアテをお願い、塩焼きばっかりで夫が飽きている、と言って5匹を置いて行った。 3匹の洋風の燻製は、生っぽくジューシーで香ばしい旨さ、残り2匹は酢締めにして押し鮨にした。 →あら、機転が利くわねェ、近所に宣伝しとくよ、と上機嫌だった。 翌日は仁科さんの店の周辺の人たちが、食材を手にわんさとやって来た。 市場の人は普段から出前が多いから、目鼻の変わった昼メシに人気が集まり、共稼ぎだらけだから昼も、夜のオカズもお任せになって、初日から繁盛した。 こうして二週間過ぎて毎日ヘトヘトだったが、久し振りの充実感に浸って晩酌を重ねていた。 ある日のピークが過ぎた午後、40代だろうか、疲れた顔の女性がやって来た。 →これを調理お願い出来ますか、港の知人から頂いたんですが、食べ盛りの息子3人にがっつり食べさせたいので同じ料理で結構です、とトロ箱の5㎏もある鮟鱇を差し出された。 鮟鱇は料理した事がないが、韓国・釜山の市場で出されていた蒸し煮・アグチムなら見様見真似で何とか出来るだろう。 折角、こんな重いものを運んできてくれたのだから、息子さんの為にも頑張ろう、と引き受ける事にした。 モヤシ・長葱・ニラの追加野菜も直ぐ持ってきた。 鮟鱇の捌きに奮闘し、料理の隠し味に、地元で有名な「とり野菜みそ」(我が家でも金沢旅行の土産に買って来た事があり、絶品だと思う)も入れて、上々の味に仕上がった。 ただ、半分はイタリア料理のフリットにした。 雅美さんと名乗った人はその二日後にまたやってきて、→アグチムもフリットも美味しくて息子たち三人はペロッと平らげました、と、目元の隈は更に濃くして、相変わらずの疲れた顔で答えてくれた。 →今日は違う魚でアグチムとフリットをお願いします、近所の人に話したら是非にって言われたんです、20人前ほど・・・、と言いながら皮を剥がれたウマズラハギがギッシリ詰まったトロ箱を自転車から下ろしている。 それと魚介メシも食べさせたいので20人前と言うではないか、嬉しい注文である。 時間的には厳しかったが40人前を自転車で運ぶのは大変である。 配達しましょうか?と声を掛けたが、いえ、大丈夫ですから、と断わられた。

 

三週間振りに仕事を休んだ。 市場の店が定休日にしているのは水曜日、その日に併せて、金沢城址、兼六園、ひがし茶屋街、ブラブラ歩きの散策である。 ひがし茶屋街で、声を掛けられた。 若い女性がサイクル姿でヘルメット、スポーツ自転車を押している、→ごめんなさい、金沢にはまだ三週間で良く知らないの、と謝ると、→あら、だったら先輩ですね、私も名古屋から来て間もないものですから、と一緒に目当ての店を探すと直ぐ見つかって、ほうじ茶の加賀棒茶を付き合って買って別れたが、颯爽と走り過ぎる姿に見惚れてしまった。 晩酌のアテの材料も買い込んで夕暮れ時の厨房車に戻ると、雅美さんが居て、→今朝も来てみたんですけど、お休みだったんですね、明日の朝の予約は出来ますか? とトロ箱を開けると、鰤のこども・フクラギが4匹も入っている。 今夜の内に下処理しておけば明日でも充分に使えるが、一尾3㎏ほどか、これならアグチムとフリットにしても20人前にはなる。 →実は友達がSNSで拡散して食べたいって人が増えちゃいまして・・・と、魚介メシも20人前と言う。 明日は朝から40人前となれば、いつもの常連さんの分が受けられなくなる、これから下処理・・・、休日気分が吹っ飛んでしまった、参ったナァ。

 

翌朝、「お手伝い募集中、調理屋の仕事に興味ある人に限定、ただし薄給、午前中だけでも可」のチラシを貼り付けた。 休日明けの一日は多忙だった、やはり、雅美さんの注文は断われば良かった、と近くの縁石に腰を下ろして休んでいると、→あらッ、昨日はどうも、とスポーツ自転車が声を掛けて来た。 佳代も直ぐ気が付いた、ひがし茶屋街で出会った女性だった。 摩耶と名乗った女性は、調理屋のシステムを見詰めて、→面白そうな商売ですね、と言いながら、私もロードバイクでテントで勝手気ままに旅していますから、厨房車に寝泊まりしている気持が良く判ります、金沢の次は新潟です、と言うので、→ここで飲まない?と誘うと直ぐ乗って来た。 佳代が先ず摘まみ三品を作ると、摩耶も、私にも作らせて、と一品を作った。 なかなか、手際がイイ、と思っていると、→貼ってあるチラシを見ました、昼前だけ手伝わせて下さい、と言うではないか! 金沢の町が気に入ったから暫く滞在したくなった、この厨房車楽しそう! 但し、二週間だけ、雪の降る前に新潟に入りたいので、と願ったり叶ったりの申し出だった。

 

楽しく呑んだ翌早朝、上の清水を汲んで、市場で魚介の仕入れ、摩耶は、凄い、とどれも興奮気味に楽しんでいる。 時間になるといつも常連さんが列を為し、摩耶は初日から大活躍してくれた。 とりわけ摩耶は肉にしても魚にしても火入れ感覚が抜群にイイ。 だから焼き物は全て彼女に任せた。 そんな慌ただしい頃合いに今日も雅美さんが姿を現した。 トロ箱にフクラギが6尾、昨日より2匹も多い。 これでアグチムとフリットを50人前、魚介メシも同じだけと注文してそそくさと帰る。 摩耶は、→あの人、業者さんですか? 何だか変ですね、と聞くので、→主婦なんだけど、仲間がSNSで広めたらしいの、と腕まくりして作業に取り掛かった。 その夜、弟の和馬に電話すると、→普通の主婦が毎日20人前も50人前も? SNSにしたってそれは怪しい、と摩耶と同じ答えだった。 翌朝も翌々日も、雅美さんがず~ッと50人前が何日も続いた。 午後から摩耶が金沢市内の蔵元を見学して来ると出て行った夕方、摩耶が、→佳代さん、大変、ここで作った料理が売られていると、とんでもない話が舞い込んできた。 →アグチムには「本場韓国の辛辛煮付け」、フリットには「ボーノ!ボーノ!フリット」、魚介メシには「地魚うまうま飯」と、手書きの札があった、店内には雅美さんの姿があったが、見られないように通り過ぎて来た、と言う。 その店はおみちょの北東側の奥まった所に、「羽柴水産」の店名があった。 佳代が平静な声で、→ごめん下さい! 出て来た雅美さんは佳代と摩耶に気付くなり、顔を引き攣らせて立ち竦んだ。 →お話を聞かせて下さい、→あのシャッターを閉めさせて下さい、と言いながら、テーブルにイスを並べた。 →四か月前、夫がダンプカーに正面衝突されて亡くなりました、夫の目利きで料理屋やレストランに納品していましたが、三人の息子との生活、店を守る為、若い衆二人の給料を支払う為、専業主婦だった私が受け継ぐよりしようがありません、しかし、発展途上の若い衆の目利きは夫に及ばず、そのうち、仕入れ先の仲買店からも舐められる様になって、B級品を掴まされたり、A級品のトロ箱に疵ものを入れられたりするようになってきました。 そうすると、お得意先も段々と離れて行きました。 二人の若い衆にも貯金がキレて辞めて貰いました。 鮟鱇もそうです、10㎏モノが食べ頃なんて知らなくて、仲買の売り言葉に乗せられて買ったんですが料理屋に持ち込んだら突き返されたモノなんです、それで佳代さんに料理して貰ったら、とても美味しくて、その時、これは売れる!と魔が差したんです。 上手に値付けできれば家計の足しになる、それから、ウッカリ掴まされた格落ちの魚や安い魚を持ち込んで作って貰って、いつも全品必ず捌けました。 こんな目立たない店なら見つからない、バレる筈ないと思ってましたが、やっぱりバレますよね、本当に申し訳ありませんでした、この通りです、どうかお許し下さい、涙を流して深々と腰を折られたのだった。 そして土下座した。 道理で、いつも疲れた顔で目の隈も段々酷くなっていたのだった。

 

翌早朝、羽柴水産に出向いて雅美さんにピシャリと言い付けた、→今日の午後、あたしの厨房車に来て下さい、詳しい話はその時に、と。 アトは雅美さん次第だ、とハラを決めた。 摩耶が出掛けて直ぐ、雅美さんがやって来た。 神妙な顔の雅美さんに、→厨房車にある食材を使って私の為に何か料理を作って下さい、罪滅ぼしの積りで・・・、それで転売の件は忘れます。 そう言い添えた途端、雅美さんは え、と洩らしながら深々と頭を下げて、→ありがとうございます、ぜひ作らせて下さい、と礼を言った。 二品は、ハタハタ車麩の治部煮風、加賀太きゅうりのペペロンチーノだったが、有り合わせの食材で咄嗟にこれだけの料理、手際もイイし、合格である。 佳代は切り出した、→今のお店を一部改造して調理屋をやりませんか? 雅美のキッチンをやりませんか? 改造費用は手当てしてくれる人がいます、雅美キッチンが軌道に乗る迄、私が手伝います、そのアトは今の常連客を引き継いで貰って、私は別な地へ移動します、あなたが家族の為に頑張っているから応援するんです、かって、私も親に捨てられて弟と二人で必死に生きて来ました、と胸に籠る気持を打ち明けた。 雅美さんが全身を震わせ、頬に涙を流している、これまでに堪えに堪えていたのだろう、初めて見る雅美さんの滂沱の涙だった。 そして転業を決意してくれて新たなチャレンジに賭けてみる、と力強い宣言があった。

 

その日の深夜、正志社長に詳細を報告すると、改造資金を快諾してくれた。 更に、→一ヶ月も雅美さんに無料奉仕したら佳代さんも大変だろう、資金援助は大丈夫か、と温かい言葉をかけて貰ったが、今回は結構な稼ぎになって懐がアタタカイ、と自慢した。 次の地は、摩耶が行く新潟方面と被らないようにしなきゃ、と内心思っている。

 

第二話 チャバラの男 静岡県藤枝市の放棄茶園で無農薬栽培に取り組んでいる男

第三話 ロングライド・ラブ 新潟県佐渡市 摩耶に誘われて佐渡ヶ島のロングライド

第四話 躍れぬ天使 群馬県大泉町 ブラジル人町の佳代のキッチン

第五話 モンクス・ドリーム 山形県山形市 元プロのピアノ弾きに再び脚光を・・・

第六話 カフカの娘 北海道稚内市 礼文島香深に生きるシングルマザーと中三の娘

以上、どれもが内容充実、いつかチャンスがあれば書き込みたい。

 

(ここ迄5,300字越え)

 

令和4年8月29日