令和4年(2022年)8月23日 第539回

文庫本4冊購入。 佐伯泰英「新・酔いどれ小藤次㉕ 御留山」(完結編、書き下ろし)、高田郁「あきない世傳 金と銀⑬」(完結編、書き下ろし)、山口恵似子「夜の塩」(単行本は2019年)、小路幸也「風とにわか雨と花」(単行本は2017年)である。

24回目の図書館、単・1、文・1を借用。 

 

日本女子プロ第24戦、又もや岩井千怜が二週連続優勝! 初優勝して二週連続優勝は史上3人目との事。 1990年・西田智恵子、2005年・表純子に続く快挙である。 そして、today-8(コースレコード)と追い上げて2位に入った山下美夢有も素晴らしい。 これで22勝2敗、ぶっち切りの強さである。 次週は又もや、北海道の小樽カントリーが会場である。 菊池に続く道産子の優勝を見たいモンだ。

男子は北海道千歳市で、41才・岩田寛が優勝。 ベテラン健在である。 女子に比べて強い新人が見られない。 男子ゴルフは此の儘、下火になって終わってしまうのか・・・。

 

夏の甲子園、仙台育英が優勝。 北海道を別にして、本州で初めて白河の関を超えた快挙である。 ゴルフの岩田も同じ高校出身なので、仙台市民はさぞや盛り上がっている事だろう。 あっ晴れ!

 

 

山口恵似子「夜の塩」(単行本は2019年)

・・・題名の意は、料亭の玄関に盛られる「もり塩」の事だった。 家に邪気を入れないおまじない。

昭和30年代の物語である。 篠田十希子は「白樺学園」の中等部・高等部の英語教師であった。 実は、昭和20年に38才で応召された父・俊彦は、やはりここの英語教師だった。 学園から5人の教師が応召されたが誰一人帰還できなかった。 園長の白瀬慈子は、父たちに、「兎に角生きてお帰り下さい、手や足が一本なくなっても教師は続けられます、必ず、生きてお帰りになるんですよ」と、ご武運をと言うような美辞麗句なしに本気で言ってくれた。 母の保子は、「園長先生のお言葉は本当に嬉しかった」と、何度も十希子に言ったモノだ。 何くれとなく面倒を見てくれた園長先生に、母は年賀状や暑中見舞いを続けていたので、十希子がお茶の水女子大に合格した時も、→篠田先生の忘れ形見が同じ教育の道を歩む事に運命を感じます、卒業後は是非当学園で教鞭を執って頂きたく存じます、と有難い返事が届いた。 白樺学園の教師は狭き門で滅多に募集がない。 十希子は直ぐ挨拶に伺った。 白瀬慈子はひと目見て目を潤ませ、→ご立派に成長なされて、篠田先生もどんなにか喜んでおいででしょう。 その時70才少し前の園長はまるで祖母のような感覚だった。 その後も覆ることなく、常に優しく大らかな態度で接してくれて、新米教師の奮闘を寛大に見守ってくれた。 十希子は、同僚の優秀な先輩英語教師の相場寿人と恋に落ちたが、先方の母親が片親の家に育った娘との結婚に反対していた。 しかし、園長先生が直接会いに行って説得してくれたのだった。 6月に結納、と決まって、昨夜、初めて体を許したばっかりだった。 今朝になっても歓喜の余韻は僅かな疼痛となって残っていた。 昨日は土曜日で半ドンだった。 家主の矢部ふささんに借りている二階に帰ると、料亭「千代菊」に勤めている母がよそ行きの着物に着替えていた。 →千代菊の女将さんの菊端なみ江さんから電話があってネ、女学校時代の二人の友達が亡くなっったの、伊豆の旅館に嫁いだ人で、なみ江さんが行けないからお母さんも代理を兼ねてゆっくりお別れして来るわ、と喪服を風呂敷に包み出かけて行った。 いつもより若々しく華やいで見えた。 父が亡くなって以来、母は働きずくめだった。 昨年、一人娘が無事大学を卒業して教職に付き、今また、将来の夫を得た。 定めし肩の荷が下りてホッとしているかも知れない。 たまには娘時代に帰って、お通夜や葬儀に集まる友人たちと気兼ねなく過ごしたい筈だ。

 

月曜日の朝、自分で炊いた朝食を平らげ弁当を拵えて7時に出かける。 母は葬儀で二泊しているので、一階の家主・ふささんに、→行って参ります、→行ってらっしゃい、といつもの様に挨拶を交わす。 学校に着くと既に寿人は座っていた。 胸の秘かな高鳴りを抑え、緩んだ頬を引き締めて普通に挨拶を交わす。 朝礼が終り、授業が始まる。 十希子は、授業の始まる前の15分間、生徒が選んだ英語の原書を翻訳させて、それを発表させていた。 今回は、「風と共に去りぬ」であったせいか、一斉に手が上がったが、酒匂千夏という生徒は活発で個性的な意見を言うので面白い、名指しすると、黒板にすらすらと英語の文章を書き、その意味について自分の意見をハッキリ述べた。 →はい、見事な翻訳ですね、と小さく拍手をしながら、問答に移ると、千夏のハキハキした答が心地良くクラスの皆にも染み渡っているようだ。 →名作というのは読み手の年齢に合わせて様様なことに気付かさせてくれます、10年後、20年後にぜひ、もう一度読んでみて下さい、新しい発見、新しい感動と出会える筈です、と締めくくった。

 

6時間目の授業が終わって職員室に戻った途端、→篠田先生、菊端さんという方からお電話です、緊急と仰っています。 千代菊の女将さんから?と受話器を取ると、→十希子ちゃん、大変なの、すぐ店に来て頂戴、と取り乱した切迫した声が飛び込んできた、そして涙声であった。 ただ事じゃない、と思い、教頭に、→申し訳ありません、母に何かあったようです、このまま帰らせて下さい、と申し出て、タクシーに手を上げた。 寿人が追いかけてきて、→君の手に余る事があったら電話するんだよ、という心遣いは嬉しかった。

 

ごめん下さい、篠田保子の娘です、と声を張り上げると、廊下の奥から中年の女が現れた。 案内された座敷に向かって、→女将さん、保子さんの娘さんが見えました、と声をかけながら襖を開けると、二人の男の背中が見えた。 →ああ、ときちゃん、こっちへ、と招き寄せ、→保子さんの一人娘で十希子さんです、ときちゃん、こちらは刑事さんと検事さんよ、と洟を啜りながら言う。 中年の男が、静岡県警の平山です、若い方は、東京地検の紺野です、正月に相場に紹介して貰って一度お目にかかってます、とそれぞれの自己紹介だった。 平山が、→お嬢さん、大変お気の毒ですがあなたのお母さんは亡くなりました、伊豆修善寺の「みたけ荘」という旅館で、前岡孝治という三晃物産の社員と一緒でした、心中と見られています。 紺野検事が続けた、→東京地検特捜部は三晃物産と新甫鉄鋼との架空取り引きを摘発しました、その中に多額の使途不明金があり、前岡は資金課長で社長・穂積の娘婿で、金の流れを知る立場に居ました、前岡を召喚しようと呼び出す直前で姿を晦ましました。 平山がアトを引き取った、→二人は連れ立ってみたけ荘に到着しました、宿帳には山川一郎、同妻と前岡が記入したそうです、翌朝、床上げに行った女中が、互いの手首を紐で結んで、カミソリで手首を切っていた二人の死体を発見して、警察に通報されたのです。 女将も付け加えた、→三晃物産はうちのお得意様なの、係は保子さん、お勘定も前岡さんから頂いてるわ。 咄嗟に十希子は叫んだ、→嘘です! 母は絶対に自殺なんかしません、私の結婚を心待ちにしていてやっとそれが叶う時に急に死を選ぶなんて信じられません、私を残して死ぬなんて、母は絶対にしません、絶対に違います、と怒りと口惜しさの儘に声を張り上げた。 女将が付け加える、→伊豆に嫁いだ同級生は横井辰子さんだと思いますが、でも、三年前です。 えッ、母が娘に嘘をついて出かけた? 誰もが、ひとり十希子だけの空回りに見えているのだろう。 平山が、→ご遺体は静岡市の県警にあります、確認をお願い出来ますか、と同行を願い出た。 十希子は、教頭と家主のふささんに、→母が急死した、これから静岡に遺体の確認に行く、と連絡すると、女将さんが息子の満に東京駅まで送る様に指示して、十希子に大枚を握らせた。 押し戻そうとしたが、→いつ、何が必要になるか判らないから、邪魔になるでも無し、持ってらっしゃい、とキツク言われ、→じゃ、少しの間、拝借致します、と頭を下げた。 真っ赤なアルファロメロに、20代そこそこの若い男が乗っていた。 八重洲口で下ろして貰ったが、二人の男は料亭の息子さんはイイ車に乗ってるね、と羨ましげだった。

 

死体安置所の母は苦悶の表情ではなく、目を閉じて眠っているように見えた、→母です、間違いありません、と十希子はため息交じりに告げた。 平山の勧めに従って明日ここで荼毘に付す事にした。 明日も付き合ってくれる、という紺野と平山と警察署を出た途端にフラッシュが焚かれた。 →日刊トウキョウの記者です、前岡浩治の心中相手の娘さんですね、ひと言お願いします、と大声を浴びせられた。 →前岡は34だった、お母さんの年増の深情けってやつですね、と容赦ない。 紺野が怒鳴る、→やめろッ、失せろ、ゲスども、と言っても相手は怯まない。 男はヘラヘラしながら、→いやあ、美人だねえ、あんたのお母さんならきっとイイ女だろうナ、年下の男が夢中になっても無理ないか。 キっとなった十希子は、→私は亡くなった篠田保子の娘、十希子です、あなたのお名前をお聞かせ下さい、と切り込むと、男は30代半ば、喜怒哀楽の感情を捨て去った目をして、→これは失礼、と名刺を差し出してきた。 「日刊トウキョウ 記者 津島六郎」 この会社は各界のスキャンダルとエロ・グロで売っている赤新聞だった。 十希子は告げた、→一生忘れません、一生許しません、と宣言した。 警察が手配してくれた宿で、寿人に電話をかけて事の次第を簡潔に報告した。 ただ、決して心中とは思っていない、と力説し、序に紺野検事が立ち会ってくれている事も告げた。 寿人は終始どこか頼り気無かった。

 

 

十希子が斎場に着くと、先に来ていた一団の中から、30そこそこの目を赤くした女が弾かれた様に立ち上り、→この泥棒猫、人殺し!と叫ばれた。 →いい年して若い男に夢中になって挙句の果てに心中を仕掛けたんだわ、恥知らず!と喚き続けた。 「人殺し」「泥棒猫」という言葉は衝撃だった。 膝がガクガク震えた。 周囲のこれまでの人々はどっちかと言うと母に同情的だった。 蒼白になった十希子を見かねたのか、→落ち着きなさい、娘さんを責めたって仕方ない、と年輩の夫婦が宥めた。 ・・・骨箱を提げて家に帰るとふさが転がり出てきた。 →可哀そうに、酷い目にあったね、と優しい声を掛けられた時、きっちり閉めて置いた涙腺が決壊した。 →おばさん、心中なんて嘘です、絶対に嘘です、と声を上げて泣き出した。 ふさもそっとやさしく背中を撫でながら、→あたしだって同じ気持だよ、保子さんが心中だなんて冗談じゃないよ、あんたの花嫁姿を楽しみにしていたのに、何が悲しくて自分から死ぬもんかね、悔しいね、とんだ濡れ衣を被せられてね、と、十希子と同じ考えの人が身近にいるだけで安心できたのだった。 →保子さんの弔い合戦の積りでひと肌もふた肌も脱ぐからね、と元気付けられ、その言葉を頭に刻んだ。 これから戦いが始まるのだ、と。 ・・・父が戦死してバラックでのひもじい生活が続いていたが、保子が同級生だった菊端なみ江と偶然再会した。 料亭千代菊は運よく戦火からの消失を免れ、戦後は進駐軍や政府関係者、闇成金相手に大いに儲けていた。 人出が足りない、あんたは行儀作法が身についている、教育もあるし、絶対大丈夫よ、と法外な条件で雇い入れてくれたのだった。 それが今では仲居頭のナンバー2にまで昇り詰めていた。 安定した生活を築き上げ、そして真近な娘の花嫁姿、絶対心中じゃない。 

(ここ迄、全382ページの内、第一章65ページまで。 学園には、心中した人の娘さんに教えて欲しくないとクレームが入り、園長は頑として受け入れなかったが、十希子はある考えがあって、教師を辞めた。 それは千代菊への就職だった。 内部から母親に関する情報を集めようとしたのだった。 幸いに好景気の波に乗って外人のお客も多く、十希子の英語力が充分に発揮されて、順調に千代菊の階段を昇り始め、貴重な多くの情報を得られるようになった。 そして、母からの情報に対して破格な金額が振り込まれていた事もあり、その相手の懐に深く潜入することに成功した。 この作家らしくないストーリーである。 乞う、ご期待)           

 

(ここ迄5,100字超え)

 

令和4年8月23日