令和4年(2022年)8月14日 第537回
日本女子第23戦は、道産子の菊池・小祝とも予選落ちだった。 折角の避暑地だったのに残念だろう。 しかし、共に19才の道産子、内田ことこ(18位)、阿部未悠(22位)が予選通過してイイ成績を収めたのは今後の希望が膨らむ。 優勝はツアールーキーの岩井千怜(ちさと)・20才、岩井ツインズとして去年からツアー参加している双子の妹だった。 去年は姉の明愛(あきえ)の方が成績上位だったが今年は妹の方が逆転していた。 弟も観戦していて三人で歓び合っていた涙の姿が感激だった。 おめでとう! これで21勝2敗、これから秋の陣、ますます奮闘を願う。
まさきとしか「祝福の子供」(単行本は2019年)
東都新聞文化部の柳宝子(ほうこ)・33才は、函館の実家に戻った夫・浩人と離婚して親権を奪われた小3になる娘・愛理が泣いている夢を見た。 朝8時を待って浩人の携帯に電話をすると、かっての姑・未知子が出た。 →あの、宝子です、愛理は元気でしょうか? →ええ、との返事だけ、言葉が続いてこない。 こちらも言葉を見つけられず、→宜しくお願いします、で通話を終えた。仕事を辞めず、東京に残る事を決めた宝子に未知子は突き放すように、→自分の事だけ考える、あなた、そういう性格なのよ、と切り捨てられた。 愛理に会ったのは、二ヶ月前の夏休み、函館のファミレスでアジフライにカブリついていた、浩人に似て来た顔を思い出す。 9時を回った文化部には定年まで二年のデスクの勝木がフリーライターの蒲生と談笑していた。 そこに電話が入った。 茨城県水戸警察署? 宝子が小6の時に亡くなった父の指紋と、今回の変死体の指紋が一致した、えッ、何それ? 父は若い頃、忍び込んだ深夜のスーパーでボヤ騒ぎを起こし、書類送検されて指紋を取られていた。 父は生きていたら75才で、母とは12才離れていた。 当時、柳正孝親子三人は仙台で暮らしていた。 ・・・水戸警察署の遺体安置所で、老人班のある顔を見詰めていたが、この人が父である筈がない、21年前に死んだんだから・・・と、警察から知らされた今の名前・鈴木和男を茫然と見ていた。 生きていた頃の優しさは微塵も感じられない。 10年前から建設会社の寮に住み込んでいて、偽名である事は会社の中では暗黙の了解だったらしい。 三日前の早朝、神社の境内に倒れていて死因は心臓死で事件性はないとの事だった。 傍にコップ酒の空瓶が3本も落ちていたらしい。 無意識に、どういう事ですか、と口から洩れた。 21年前、単身赴任先の青森のアパートの部屋のストーブから火が出て就寝していた父はそのまま焼死したのである。 母と行った父の葬儀、あれは誰だったのだろう? ・・・こっちの葬儀が終わると、喪服を着た男三人が現れた。 建設会社の社長と60代の二人だった。 →訳あって会えない娘がいる、と言ってましたから、娘さんが見つかったと聞いてわたしらもホッとしました、スーさんは酔っ払うと奥さんと娘さんの自慢ばっかりだったなァ、奥さんは優しい、10以上も歳が離れているとか、娘さんは勉強が出来るとか、自慢の娘とか、居酒屋の卵焼きより嫁の方が旨い、とか。 でも来た時は辛そうだったなァ、奥さんを亡くしたばっかりだと言ってた。 えッ! 父が母の亡くなった事を知っていた? 看護師だった母が、通勤途中に倒れてそのまま逝ってしまったのもほぼ10年前だ。 時期は合致する。 寮には小さなボストンバックだけが残っていた。 対応してくれた人の、→スーさんは何かから逃げていた、いや、ここに隠れていたのかなァ、と話してくれた事が耳に強烈に残った。 警察は青森の焼死事件に絡めて、鈴木正男と入れ替わった可能性を探ってくれたが、当時は、遺体の損傷が酷く指紋が取れず、歯の治療痕が一致した、火の出たのは父の部屋、という判断だった。 今、その歯医者は廃院となっていた。 その遺骨は母と一緒に札幌のお墓に納骨されている。 その日は札幌の4月の終わり、冷たい風の強い日、母も祖母も自分も泣いた。
自宅に戻ってボストンバックを空けてみたが何にも残っていなかった。 僅かな衣類と洗面道具だけでこれが父の21年間なのか、と愕然とした。 しかし、底板が僅かに持ち上がっていた、それを取り去ると、薄茶色の封筒があった、→娘へ、いつも見ていた、これからも見守っている、という手紙が入っていた。 更に、新聞の切り抜きもあって、かなりの枚数だ、宝子の署名入りの記事だった。 そして最近の、八王子で起きた現代の阿部定事件、性器を切り取られた男性の殺人事件は、父が命を落とす三日前の事件だった。 調べると、被害者は鬼塚裕也・25才、スコップで頭部を殴られたくも膜下出血が死因、凶器も性器も現場に残されていた(切り取られたそれは口に突っ込まれていたのを知ったのは、大学の同級生・黄川田刑事からの秘かな情報だった)
刑事を伴って札幌の墓のお骨を確認に行ったが、二つある筈の骨箱が母の一個しかなかった。どうして? 21年前、父の遺骨を収めたのはしっかり頭に残っている、しかし、10年前に母の遺骨を収めた時、もう一個あったのかどうか、全然、記憶に残っていない。 それほど宝子は母を突然失って動揺していたのかも知れない。 母は知っていたのだろうか? それとも母が処理したのだろうか? 同伴の刑事も諦めて、また連絡します、と去って行った。 JRで函館に向かった。 愛理に会うのだ、翌日11時デパートの中のカフェ、しかし、愛理は急用が出来て12時にここを出るという。 何時もの如く素っ気無い、迷惑に感じているような気さえする。 愛理が出たアト、浩人が、→再婚することになった、愛理の事も可愛がってくれている、だからもう、あなたは会わない方が良いと思うが、愛理の為にも考えておいてくれ、産んだだけで母親の権利を主張されても困る、母親の資格は無いと思う、と断じられてしまった。 離婚の原因は浩人の会社が倒産し、函館の伯父が経営するLPガス店に就職が決まり、宝子は新聞社に残る決断をした事だった。 娘を捨てた、と浩人や浩人の両親に詰られたのは言うまでもない。 宝子は突っ張って、一年後にまた話し合う条件を愛理と二人暮らしを始めたが、宝子は4才の子の我が儘に閉口して怒鳴り付け、閉じ込める事もした。 そんな時に、浩人が、→アンタが働きながら育てるのは無理だッて言っただろ、こんなのは虐待だ、此の儘だといつか殺してしまう、函館のばあちゃん、じいちゃんに子育てをして貰う、と僅か半年で連れ去られてしまったのだった。
宝子は青森の火事になったアパート傍のラーメン店に聞き込みをした。 ラーメン店の先代は父を知っていて、水戸の寮仲間と同じような優しかった話をしてくれた。 ただ、見知らぬ男を連れて来た時、相手の男が怒鳴り散らしながら父を罵倒して出て行った、その男の事は弘前市の小森さんに訊けば良い、と言われて足を延ばした。 ホテルのラウンジで落ち合った小森さんも、水戸や青森の方々と同じように優しい父を語ってくれたが、→絡み酒でタチの悪い男は確かにいた、ホームレスのような人をアパートに泊めていたんじゃなかったかなァ、それと、柳さんが亡くならなかったら離婚してたんじゃなかったかナァ、家族とはもうダメかも知れないって、ポツンと洩らした事があったなァ、と思い出してくれたが、あんなに仲の良かった両親に何があったかなんて思い出す事一つもなかった。
これ以上の捜索は宝子には無理だった。 東都新聞社に出入りしているフリージャーナリストの蒲生君・30才に有料で委ねる事にして、これまでの聞き知った事、全てを伝えた。 21年前の青森の火事で焼け死んだ人は、父が親切心でアパートに泊めていたホームレスのような人で、かつ、父の保険証で歯の治療をしたんだと思う。 私が小学校に上がる前に、母が子連れ再婚した父なので私とは血が繋がっていない事も伝えた。 ・・・水戸駅の蒲生から電話があって、直ぐ会いたい、と言うから3時間後の東京駅近くの喫茶店で落ち合った。 建設会社の寮の父の部屋の棚の裏に落ちていた新聞の切り抜きが目の前に示された。 半年前のさいたま市の84才の男性が遺体で発見されたが、大川宗三津(元医者)が殺害されて放火された、犯人は捕まっていない、という報道だった。 新聞の切り抜き記事が、一ヶ月前の八王子市の阿部定事件と、半年前のさいたま市の放火殺人事件、水戸に居た父がどうして? 帰宅して久し振りに小学校入学式の愛理との親子三人の写真を眺めながら、自分のボックスも開けてみた。 へその緒や出生証明書が入っていて、3,050gとか体重が記されている。 シングルマザーだった母は父と結婚するまでひとりで宝子を育てた。 疲れ、苛立ち、そんな事が多々あった事だろうに、母が出来た事をどうして愛理に自分は出来なかったんだろうかと、ふと思いながら見直すと、一瞬、思考が飛んだ。「大川産婦人科医院、院長大川宗三津」との文字が目に入って来た、これ、埼玉放火殺人事件の被害者じゃないか、父が集めていた新聞記事は、なんらかの接点がある、私が生まれた産科医院? 宝子は愕然とした。
蒲生と共に大川産婦人科医院があった和光市を訪ねた。 院長先生は子供が好きでこっそり「養子斡旋」をやっていたが、斡旋をした4才の男の子が、引き取った親の手に負えなくなって、腕を骨折している子を夜中に病院の前に置き去りにして、その子は肺炎で亡くなったらしいの、その事件から医院は移転してしまったの、と聞かされて二人は吃驚だった。 もしかして性器を切り取られた鬼塚は大川産婦人科で産まれたんじゃないよね、と自分に問うた宝子だった。
会社に浩人の再婚相手・水沢依子が訪ねて来た。 浩人より年上、恐らく40代だろう、ふっくらとして感じが良い。 コーヒーショップに待たせた彼女は、→愛理ちゃんのお母様に会わないといけないと思ったし、どんな人なのか、この目で確かめないといつか後悔すると思って、とキッパリと告げられた。 更に、→私は愛理ちゃんの新しいお母さんになります、それでイイですね、と覚悟を迫われた。 →私は母親失格だと思っています、と心の声が出た。
今回の納骨を終えて僧侶に尋ねた、10年前の母の納骨の時にもう一つ骨箱があったかどうかと。 僧侶は判らないと言いながら、そういえば永代供養塔が出来た時、コツ箱が知らぬ間に増えていた、というう。 永代供養塔が出来たのは先の父の納骨から二年後の事だった。 そういえばその頃、母と二人で父の墓参りで札幌に行った事がある。 その夜、友人と会うと言って母は一人で出かけ、夜中にホテルに戻ってきた。 あの時だ、母は焼死したのが父ではない事を知っていた、だから、収めていた他人の骨箱を夜中に永代供養塔に移したのだ、と確信した。 父と母は娘には知られたくない秘密を共有していたのだ。
蒲生君に会って、この推測も打ち明けた、→だから、母は父が生きている事、火事の真相も知っていた、二人には私には言えない何かがあったと思う、父も母もこれ以上の調査を望んでいない、知らない儘の方がイイと思うからもう止めましょう。 すると、蒲生君は、→実は僕はず~ッと母に嫌われていました、一年前に亡くなりましたが戸籍を調べてもホントの親子でガッカリしたくらいです、母のことを全部知りたいんです、これも何かの縁です、続けさせて下さい、と必死に頭を下げるので、宝子が蒲生君に告げていなかった父のボストンバックに残っていた八王子の現代の阿部定事件の記事の切り抜きもあった事、蒲生君が見つけて来たさいたま市の殺害放火事件の切り抜き記事、この二つがどこかで繫がっているのだろうか、父が私に残したメーッセージなのだろうか? 蒲生君が続ける事を了解した。
(ここまで、全394ページの内、190ページまで。 このアト、実に複雑怪奇な事柄が次々と判明する。 宝子も蒲生君も実の父親は一緒だった。 えッ、まさか! 養子縁組に手を染めていたのは大川産婦人科に群がった悪党共だった。 大川医師殺しと八王子の阿部定事件は同一犯で、驚愕のどんでん返しであった・・・ 愛理から宝子に直接あった電話が心を和ませる。 全体像をここに纏めるのは難しいが読み応えは充分である)
(ここまで、5,000字越え)
令和4年8月14日