令和4年(2022年)8月2日 第532回
佐伯泰英「出紋(でしぼ)と花かんざし」(文庫本、書き下ろし)
・・・前編は第529回にUP済みです、お先にそちらをどうぞ。
6年前、茶屋の花見本多を父・千之助と訪ねた満吉だったが、主の五郎丸左衛門は、二人の挨拶を受けたアト、→先に棟梁の所に行こう、と宮大工の棟梁・巽屋十代目、吉兵衛の仕事場に向かった。 棟梁の家の傍らの作業場で切り込み作業中の十数人の大工が黙々と働いている。 白髪髷の老大工に、→壱松はん、新入りの弟子を連れて来たんや、棟梁は奥でっか、と五郎丸左衛門は問うた。 →棟梁から聞いてましがナ、十五にしちゃ背丈も体つきも立派や、と目を見開いている。 五郎丸左衛門が先ず、仕事場に顔を出したのは、巽屋の上客の花見本多が新入り弟子の後見やと、弟子たちに知らしめたのだった。 壱松さんは大工頭だった。 千之助は、→山稼ぎの千之助どす、倅は形(なり)だけ大きゅうおすが、山家(やまが)育ちでなんも知りまへん、宜しゅうお頼みいたします、と深々と腰を折った。 →じゃ、棟梁の普請場に行きましょう、と先導してくれた。 棟梁が切り込んでいる磨き丸太は、先程の作業場の丸太と違って、上等品だと一目で判った。 何と無しに荘厳な厳しさが普請場に溢れていた。 壱松大工頭の声を受けて振り向いた吉兵衛は厳しい目付きながらも、→早や、大人の背丈やナ、本仕込みの丸太も担げそうやナ、と和やかな言葉だった。 満吉は気負って、→へえ、山から担いで郷に下ろせます、この磨き丸太に触ってもよろしおすか、と断わって、二本の丸太をひょいと肩に担いでみせた。 吉兵衛と壱松は、ほうほう、と満足そうに笑っている。 壁に立て掛けてある五本の出紋はどれも最高級品だった。 その中の一本はあの100年モノの出紋に間違いない、満吉はそう見抜いた。 棟梁は、→菩提屋の跡継ぎ・太郎吉はんに会うたんびに、しっかり一人前の宮大工にしてんか、と頼まれているし、後見が花見本多さんや、大物二人の後見を持った新弟子なんて、わての方が緊張します、一日二日、親父はんと京見物してナ、うちに来るのはそれからでええわ、住み込み弟子は三人の兄貴分がいるから、その折、紹介しまひょ。 すると満吉は、→棟梁はん、たった今から作業場の掃除をさせて下さい、わては遊んでいる暇はありません、と断わると、→そうか、ええ、心掛けや、と許可してくれた。 五郎丸左衛門と千之助が、→満吉は棟梁に任せましょう、と茶屋に引き上げて行った。 棟梁は、→あそこに立て掛けてある五本の化粧柱、茶亭に使うのはどれが良いか、迷っている、と言う。 満吉は、→あの内の一本は菩提屋の太郎吉はんとわてが秘谷で見付けた100年モノの出紋に間違いありません、これです、と指差した。 棟梁は、→壱松じぃ、わてが何日も迷った出紋をこの新入りがあっさりと選びおったわ、と感嘆した。 作業場で待たされていると、棟梁と話し合った大工頭が、→みな、よう聞きや、この小僧は満吉というねん、本日、棟梁の許しを得て弟子に新入りや、面倒見てやらんかい、それとナ、満吉は棟梁付きの弟子となる、今までも何人かいたが棟梁付きを解かれたやつも辞めたやつもいる、結局、当人次第や、と知らしめた。 仰天したのは満吉である、何でおれが棟梁付きなんだろう、とキツイ修業を覚悟した。 住み込みの三人と部屋に連れていかれた。 →満吉、これが四年目の成三郎、京の生まれで親父が大工、新太郎は三年目、家業は竹細工、余助は一年半前の弟子入りで18才、八百屋の五男坊だ。 満吉は、→兄さんがた、在所者の満吉、15才です、山稼ぎがわての家の仕事でした、京の事も宮大工の事も何にも知りません、なんでも教えとくれやす、二度言うて解らん時は怒鳴るなり叩くなりしておくれやす、お願い申します、と深く頭を下げた。
この日から宮大工の修業が始まった。 太郎吉はんが磨き丸太の特性を教え込んでくれた事にどれだけ感謝したか解らない。 棟梁の意を汲んで道具を渡し、切り込みを入れる磨き丸太を差し出した。 棟梁の英才教育を必死に熟して、これまで習った事を帳面に認めていった。 ある日、棟梁がそれを見て、→満吉、読み書きが出来るのか、けどナ、職人は五体に刻み込んで身につけるものや、書き留めるのは止めや、と静かな口調で言い切った。 満吉は、→はッ、非礼をしました、これまでのモノは焼却しますよって赦して下さい。 →体に刻み込んでから読み書きが役に立つ、と言われてから既に6年が経った。 満吉は棟梁の動きを頭に刻み込んだ、宿舎に帰ってそれを日誌に記録した、普請場を離れてまで、なんやかや言われなかった。 その日誌がもう十冊を超えた。 満吉は一日として休んだ事もない、どれ程、神社仏閣や吉兵衛が手掛けた屋敷や料亭を見回った事か、だから、一日として雲ヶ畑にも戻らなかった。 7年目に入ると、かえでが京の奉公に出てくると、文が来た。
棟梁と満吉は花見本多に呼ばれた。 向かっている途中、棟梁が、→満吉、よう頑張っているナ、たったの六年で半人前になったんはお前だけや、このまま宮大工を続けろよ、と温かい言葉だった。 花見本多の暖簾をくぐると、女将の桂木が姿を見せて、→お待ちしていました、棟梁、満吉はん、と笑顔で出迎えてくれた。 そして、すっかり一人前の娘になったかえでもいた。 六年振りに再会したかえでは眩しいほどの美しい娘に育っていた。 棟梁は、→満吉に文をくれてる子かいナ、京にもこれほどの美形はおりまへんで、と目を細めた。 座敷には、村長の嫁のお茂、菩提屋の7代目に就いた太郎吉改め杉蔵、そして父・千之助がいた。 満吉は、→お師匠はん、杉蔵はん、ご無沙汰しております、親父は元気やったか、と挨拶を交わした。
今日は満吉の前で、かえでの奉公先を決めると、かえでが言ったらしい。 女将の桂木は、→祇園の舞子はんと思ってましたで、あんたの器量と賢さがあったら直ぐに売れっ子になりますわ、おっとりしてるし、舞子にはうってつけや、と疑問気に言う。 かえでは、→ここの仕事をさせて貰いながら京を知りたいです、そのあとで奉公先を決めるという贅沢は許して貰えますやろか?と願うと、五郎丸佐衛門が、→それがええ、先ず、この界隈を知って京の町に慣れりゃ良い、と後押ししてくれて女将も納得した。 義母のお茂にも胸の内を明かしていないと言うが、お茂が黙っているのは何かを感じているからだろう、と満吉は考えていた。 吉兵衛棟梁が突然、→この際だから正直に言っておこう、満吉の6年は他の弟子の倍の修業の成果を超えとる、但し、宮大工は神社仏閣の習わしも、能狂言のこと、祇園会の祭礼も神事も知らんとあかん、遊び心を胸に秘めんと一人前になれん、満吉はもう少し余裕を持って京の町を見るこっちゃ、明日から三日間、暇をやるわ、京の町を見直して見んかい、これは遊びやないで、この6年間の己の仕事を確かめる為の三日間や、京案内しておいで。 満吉は、→棟梁、有難いお言葉や、感謝申し上げます。
翌朝迎えに行くと、かえでとお茂師匠の二人だけで、千之助と杉蔵は京の客筋に挨拶に行ってそのまま帰途につくらしい。 お茂は、→二人とも満吉はんを見て安心したのよ、例え、半人前でも五年先十年先が見える弟子だってね、そして素晴らしい棟梁に見込まれているってね、そして杉蔵さんが言うには、子のいない棟梁はきっと満吉を跡継ぎに考えて棟梁付きにしたと思う、と。 更にお茂は、→実母のお千香はんが満吉さんを訪ねたやろ、実の娘を案じているから当たり前や、今日、その話をする時がやって来た、お千香はんはきっとアンタに詫びに来る、その時はちゃんと会って詫びを受け入れてやって欲しい、一緒に連れて逃げたかったのに岩男はんに邪魔されたんだから、かえでが京に奉公に来たのもそれが一番の要因やろ、と優しく諭したのだった。 顔も知らない実母であるが、きっと直ぐ解る、とお茂が請け負った。
翌日、見物を一日で切り上げたかえでは、花見本多の夫婦に願った、→うち、満吉兄さんと同じ職人になりとうおす、舞子はんの髪を結う職人さんに。 絶対、修業に音を上げません、とキッパリ告げたのだった。 →満吉が修業10年になる4年後にまた三人の実家族で会いましょう、それまで頑張りや、ここにイイお手本がいるし、とお茂は二人に見送られて帰途に付いた。 その途中、かえでは、→4年後、うちが半人前の髪結いになった折り、満吉あにさんを婿にしてあげるわ、と手を取って言うのだった。
女将の桂木が紹介してくれた髪結いの女師匠・ひろのの元には、舞妓はん、芸妓はんらが何人も来はる繁盛処だった。 丁度来た舞妓のまめ花が、→あら、宮大工の満吉はんの妹はんやろ、と声を掛けてくれた。 京見物の最初に会った舞妓はんだった。 →かえでどす、まめ花はん、あの時、愛らしい菜の花のかんざししてはりましたナ、と挨拶すると、→あれはここのひろのお師匠の亭主さんが造りはったモノや、この店の隣が仕事場やで。 かえでは、男はんが可愛らしいかんざしを造るのかと、吃驚すると、桂木女将が、→ひろのさん、隣も見せてと断わって覗きに行くと、亭主の仙造はんが、→おや、花見本多の女将が珍しい、と恐縮の体で頭を下げた。 仙造は、→髪結いの仕上げを飾るのがこの花かんざしです、一年12月で種類が異なる、一月は松竹梅に始まって、菜の花、桜、藤、柳、団扇やお祭り模様、金魚、すすき、桔梗、菊、紅葉、師走は顔見世のまねきがお定まりやナ、と説明する。 かえでは一瞬にして魅了された。
花見本多の女将に、ひろの・仙造夫婦、そして満吉が呼ばれた。 女将は二人に9年前に会った経緯を説明し、今回、髪結い床を見学にいった事情を説明した。 しかし、髪結いの仕上げに花かんざしを飾ることを知って、考えが変わったと、かえでが言い出した。 →お師匠はん、花かんざしの修業がしとうございます、奉公させておくれやす、と願って両手をついて二人に頭を下げた。
ちょっと中座を、と断わって手に持ってきたのは花かんざしらしきモノだった。 満吉は、→かえで、仙造師匠に断わりもなしに素人が見ようみまねで造ったのか、何て真似をしやがる、と怒声を上げると、かえでは今にも泣きそうに真っ青になって引っ込めた。 しかし、仙造は、→満吉はんのお叱りは解るが、まず、それを見せてんか、と手に取ると、→女将はん、これはえらい才やで、花かんざしを三年やった弟子と同じか、それ以上だわ、よう桜も紅葉も特徴を掴んでいる、と言って、ひろのに手渡すと、→これ、初めての娘が造った花かんざしやおへんで、と目を丸くして魂消ていた。 仙造は、→花見本多の女将さん、かえではんをナ、わての元で修業させておくれやす、4~5年後には一人前の職人に育ててみせます、と言い切った。 満吉は、→かえで、これからはどないことでもお師匠はんに断わったうえでやるんや、ええな、と諭して、二人して両手をついて弟子入りを願った。 →かえではん、ええ兄さんを持ったナ、流石、巽屋吉兵衛はんの弟子や、モノの道理を分かってはるがナ。
瞬く間に修業の歳月が過ぎていた。 かえでの修業3年目が終わる頃、仙造師匠が、→もうわしの真似を止めてかえでの考える花かんざしを一年分、造ってみい、と指示されたのだった。 迷ったかえでは満吉を訪ねて同席した吉兵衛棟梁にも相談した。 満吉は、→お師匠はんに断わってな、三日ほど雲ヶ畑に帰って山や川や花々を見てたら何ぞ思い付くことがあるやも知れんで、祇園への想いと違うて見えるんやないか、と助言した。 かえでは納得して帰って行った。 仙造師匠は、→満吉さんがそない云うたか、得難い話やな、いいだろう、雲ヶ畑を見てこんかい、と許しが出た。 出迎えてくれたお茂義母に事情を話し、翌日から老犬になったヤマと一緒に雲ヶ畑のあちらこちらを見て回った。 ここの自然と四季がかえでの生きる全てだった。 亡くなった岩男の水守りの仕事も思い出していた。 都の鴨川を汚す訳にはいかん、天子様に申し訳が立たん、と枯れ木や葉っぱを取り除いていた父をも思い出していた。 そして、ここに到った自分のさだめをハッキリと胸に刻んだ。 たった一日で、かえでは、→おかはん、明日、京に戻ります、この次には花かんざしの職人としてみんなと会いとうおす、うちの造った花かんざしを見ておくれやす、きっと、雲ヶ畑に吹く風や川の水の冷たさが何かを思い出させてくれたんや、と言い切った。
(ここ迄、全329ページの内、残り30ページまで。 さて、満吉とかえではどんな終章になるのか、乞う、ご期待である、)
(ここ迄、5,100字超え)
令和4年8月2日