令和4年(2022年)7月15日 第526回

大相撲名古屋場所、「溜まり席の妖精」が二日目以降、姿を見せない。 初日はテレビ画面をはみ出した右の通路際に辛うじて見えたが、東京から離れた名古屋場所では、財力的な威光が効かなくて、イイ桟敷席が手に入らなかったのか、と意地悪く思うと同時に、もし、テレビ映えしないから・・・という理由で姿を消したのだとしたら、随分、傲慢な一家だナと幻滅する。 年6場所、毎回15日間とも、十両以上の取り組みを熱心に観覧していた余程の相撲好き・・・、若い美女がたいしたモノだ、と感心していた気持を逆撫でしてくれる。 しかし、一方で老舗の鶏肉問屋の大女将は、今場所も毎日違う和服と結った髪で健在である。 有難き! ホントの相撲ファンなり。

 

全英オープンが始まる。 日本人は松山を初め7人の出場である。 何人、予選通過成るか、夜中の観戦が待ち遠しい。

 

 

町田そのこ「うつくしが丘の不幸の家」(文庫本、単行本は2019年)

第一話 終りの家

「髪工房つむぐ」は二日後にオープンする。 「譲と美保理へ。 夢を叶えたふたりに祝福を!」のメッセージカードの胡蝶蘭が飾られている。 隣町の実家も理容店である。 譲は理容学校を出てから10年、いずれ店を譲ると父に言われてず~ッと安月給で働き続けた。 ところが理容免許取得後、アーティストになると何年も行方知れずだった弟の衛が女を孕ませて帰ってくると、昔から弟を溺愛していた父が、→お前は本当に親がいないと何も出来ないナ、と呆れながらも、→弟に店を継がせる、お前は、あの美容師の女と一緒になって、二馬力なら店の一つ位構えられるだろう、とあっさり譲を追い出したのだった。 ・・・そんな時に、義父・勇一から電話が入る。 →衛の嫁が夫婦喧嘩で出て行った、衛は手の甲を骨折した、予約が多くて店を閉める訳にはいかん、譲、手伝いに来い! 美保理はカッとなって、→断わりなさいよ!と電話を押し付けるも、譲は、→今回だけにするから、と謝り顔で出かけて行った。 何と、ヒトの良さ。

 

美保理と譲の付き合いは8年に及ぶ、小さなネジ工場の事務員だった美保理は、床屋の家に遊びに行くようになってから、義父・義母から、嫁は理・美容師がイイと面と向かって言われたので、24才で美容学校に入学し、二年間で免許を取った。 今回、海を見下ろす小高いうつくしが丘の築25年の3階建を購入してリフォームした。 この街には900を超える戸建て住宅が並んでいる。 床屋は一軒も無かった。 リフォームは内装全てを二人でやり切った。 結婚式も挙げたかったが諦めた。 全ての金をつぎ込んでも足りなかったのだ。 二階はリビングとキッチン、トイレとバスルーム、三階は主寝室と6畳の洋室が二つ、という3階建だった。 裏庭には枇杷の木があって三階の窓に届く高さであった。 枇杷の実は譲の大好物だが、枝葉が窓を叩くようにバサバサと鳴っている。 これは枝葉を切らなくちゃ、と思って物置から脚立とノコギリを引っ張り出す。 譲がいない内にやってしまおうと始めたが、何と、その面倒な事、ノコギリは重いし枝は中々斬れない。 グラり、と脚立が揺れて落っこちそうになる。 →あらあら、枝を切ってらっしゃるの?と、隣の庭から声が掛かった。 小さな老女が美保理を見上げていた。 近所への挨拶は明日行う予定だったので名前も把握していない。 →済みません、枝がお宅に入ってしまって、と謝るが、→いえいえ、逆に沢山恩恵を受けているわ、と返された。 枇杷の木はとっても固くて木刀の材料になると言う。 →その先は出入りの植木屋さんに頼んで上げるから・・・、寒いわ、ウチでお茶しましょう、降りてらっしゃい、と誘われて遠慮なくお邪魔した。 荒木信子と名乗った老女は、21年前に夫と死別して一人暮らしが長いと言う。 ガラス張りの水槽には三分の一の高さまで木屑が詰められていた。 →リクガメを飼っているの、ガーンちゃん!と呼びかけると、木屑の山がもそりと動いて小さな頭がヒョッコリ出てきてパカパカと口を動かしている。 美保理は思わず声を上げた、→亀が呼んだら反応するんですか! →そうよ、散歩するとアトをついてくるし、可愛いったらないのよ、もう、26年になるし、と嬉しそうである。 淹れてくれたお茶が美味しい!と心から言えば、→それ、枇杷の葉茶なの、お宅の木から葉っぱも実も頂いているの、あの木一本がどれだけの薬になっているか、このお茶は胃腸を整えてくれるし、煮詰めたら塗り薬になって、日焼けやかゆみ止めになるの、枇杷の実はホントに美味しいし、種だって焼酎漬けにして飲めば内蔵に凄くイイの、軽い風邪なら直ぐ治っちゃう、葉っぱを焙れば湿布薬の代わりになる、お風呂に入れると体の心から温まる、とその効能が計り知れない。 そんな木を切ろうとした事など、絶対言えない。

 

・・・店先の清掃をしていた時、通りがかった40過ぎの女性が、→ここが不幸の家って呼ばれているのを知ってて買ったの?と、ショックな言葉を掛けられた。 口角を上げて嬉しそうに、また言った、→有名なのよ、み~んな逃げ出すように出て行ったの、私の知っている末次さんは一家離散よ、もう、何家族かしらね、ここに住むと必ず不幸になっ出て行くの、いわく付きの家はお安くしてくれたんでしょう、もしかして、全く? やだァ、かわいそう! そこから先はよく覚えていない、箒は立て掛けてあったから投げ付けずに済んだらしい。 荒木さんに叫ぶ、→不幸の家って何ですか、幸せになる為に買ったのに・・・、私は必死でここまで来たのに! 信子さんはキョトンとして、→ず~ッとお隣に住んでいるけれど、酷いわネ、だれも不幸になって出ていってないわ、あなたに告げ口したのが椋本さん、あの方は残念な方なの、と心底憐れむように言った。 →舌に載せるモノを吟味できない人なの、だからあの人ってキライ! 穏やかだった信子老女が唇を尖らせて言い放った。 →不幸の家って嘘よ、あんなにイイ枇杷の木もあるのに。 すると大きな声が聞こえた、切れ掛けの枝は切りましたよ、アト少しだけ整えます、と植木屋さんだった。 お代を支払います、と慌てて美保理が申し入れると、→こんなんで貰えねえよ、ここの奥さんから枇杷の種焼酎を貰う約束してるしナ、けど葉っぱを少し貰っていくよ、寒くなると腰が痛むので湿布がテキ面に効くんだ。 いくらでもどうぞ、と申し出ると、→ねえちゃん、ここで床屋やるんだって、今度から来るよ、それにしても床屋の庭に枇杷の木って縁起がイイな。 信子がすかさず返す、→あら、栄三さんったら粋な事言うわね。 床屋の三色の回転灯は、昔、外科医を兼ねていて、赤は動脈、青は静脈、白は包帯、理容師は人の命も救っていた、枇杷の木も薬効多く、人の健康を救っている。 お客が沢山来そうでイイな、と美保理は胸が温かくなった。

 

その夜帰宅した譲は、「介護付き有料老人ホーム」のパンフレットを美保理に見せて、→隔週の木曜日にここでヘアカットをすることになった、親父の馴染み客がここのオーナーで話を持ち掛けられた、今まで通っていた人が辞めて後釜を探している時だった、俺の顔を潰すんじゃないぞ、しっかりやれ、と言われたけれど、オヤジなりの詫びなのかもナ、今日だってバイト代をくれたんだぜ、と目尻をほんのり赤くして手渡された。 →明日はおふくろが手伝いにくる、ウオーキングの序にチラシのポスティングをしてくれるってさ。 翌朝、ウオーキングシューズ持参でやって来た義母・皐月は大量のチラシを捌いてくれた。 おまけに重箱にギッシリのご馳走でお弁当を三人で平らげた。 皐月の手首に絆創膏が貼られている、今朝、料理中に油が跳ねて火傷したらしい。 美保理は隣の荒木さんに貰った枇杷の種焼酎を出して、これ、火傷にも効くんだって、とガーゼに浸して傷跡に載せた。 ヒンヤリしたガーゼは、→あら、気持イイ、と義母は洩らした。 →さっきまで疼いていたのに引いてきたみたい、少し分けて、と願われた。 義母は遅くまで手伝ってくれて枇杷の種焼酎を持って帰って行った。 譲と二人で隣に挨拶に向かうが、何度もチャイムを鳴らしても出てこない。 するとはす向かいの家から老女が顔を出して、→荒木さんなら今日の昼過ぎに越して行きましたよ、息子さんと同居が決まって・・・ 一人暮らしが長かったから少しボケて来たんですよ、何か起きたアトじゃ危ないからって息子さんがね、優しくてイイ息子さんですよ。

吃驚した、昨日は随分ハキハキしていた、あの植木屋さんはご存じなのだろうか? 挨拶しながら紙袋を差し出す、→美容室も兼ねているんですってネ、行かせてもらうわ、と受取ってくれた。 縁起がイイわね、貴方たち、あしたから頑張ってね、と言われて美保理は、古いモノが去る時は溜まっていた悪いモノまで全部浚っていってくれる、あの家は悪い噂があったようだがこれから流れが変わるでしょう、きっと自分の幸せを築いて見せる、と内心、ガッツポーズの美保理であった。

 

第二話 ままごとの家

末次多賀子・43才は結婚22年、夫・義明は、息子・雄飛(高3)がスーパー勤めの年上の子・樹利亜を妊娠させて、アト3ヶ月で生まれると聞かされて仰天した。 二年前には、高卒後、劇団に入ると意思を曲げない娘の小春と対立して、小春は家を出て行った。 義明は雄飛に、→お前が大学を出るまでウチら夫婦がお前達三人の面倒をみる、一緒にここに住め、それが最もイイ方法だ、と決心を打ち明けた。 横で聞いていた多賀子は何も相談を受けていなかったから吃驚! 娘・小春の時とは正反対の甘さである。 雄飛は、→ありがとう、父さん!オレ、大学には行きたかったンだよナ、就職にも有利だしナ、宜しくお願いします、と無邪気に喜んでいる。

 

それから二日後、以前、社宅で一緒だった8つ上の紀子さんから声を掛けられ、スマホの写真を見せられた。 何と、義明が30代前半の女と手を繋いでいた。 →社宅で一緒だった遠藤さんから送られて来たの、末次さん、いつ離婚したのッて言ってたわよ、この女は社宅の向こうの市営住宅に住んでいるようよ、いつも手を繋いで平然としているらしいわよ、もう、半年になるわね、雄飛君、受験でしょ、キチンと話して別れて貰わなくちゃ。 他人の不倫は蜜の味、という心の声が聞こえて来そうだった。 そういえば最近、帰宅が遅くなっているし、食事も済ませて来た、と多くなっていた。 義母・良枝に良く言われた言葉が甦った。 良く観察してなきゃダメよ。

 

小春が来た、→同級生の美和ちゃんが産婦人科に行ったら、小春の弟が彼女と一緒に来ているって連絡があったの。 えッ! もうそこまで知られているの、と多賀子は愕然とする。 夫の浮気も小春の耳に入れた。 →ねェ、そのスーパーに会いに行こうよ、一緒に。 多賀子は迷ったが決めた、そうだ、行かなくちゃ。 スーパーに行くと、ふっくらしているお腹の子がいた、→あのう、末次雄飛の母ですが、と声を掛けると、大きな目が睨み付けて来た、→信じられない、今度は親が出てくるなんて、どんだけ甘やかされているの、来るなら本人を寄こして下さい、こんなに頼りない人だと思わなかった、と軽蔑したように言う。 →あの、雄飛抜きでお話ししたかったの、これは雄飛は知りません。 すると、→休憩時間を貰ってきます、向かいのファミレスで待ってて下さい。 樹利亜は、→昨夜、別れようと言いました、お腹の子は私が一人で育てるから雄飛君は要らないって電話を切りました、親の金で大学通える事になった、卒業するまで三人して面倒を見て貰える、って嬉しそうに話す人に父親になる覚悟があるとは到底思いません、大学ッ! 勝手にすればと怒鳴っちゃいました。 よく見ると、頬はこけ、顔色も悪い、ここ迄相談する人もなく、ひとり悩んでいたのだろう。 →私の母もシングルマザーです、私だって大丈夫です。 小春は、→ホントに最低の弟ね、今日だって学校行く前にあなたに会いに来るべきだよね、それさえも出来ない出来損ないだわ。 樹利亜は、もう時間です、と、1,000円札を置いて出て行く、アッという間だった。 すると、スーパーの入り口に雄飛がウロウロしている。 小春は、→入って行く勇気もないのネ、情けない、ちょっと捕まえて来る、と飛び出して行って、後ろから雄飛の尻を蹴り上げていた。

(このアト、この一家はどうなっていくのか、三階建の大きな家は? 第一話で椋本さんの奥さんが言ってたのはこの末次家の事だった、彼女の言う、一家離散の真の意味とは?  このアト、さなぎの家、夢喰いの家、しあわせの家、エピローグと続く、エピローグでは、「髪工房つむぐ」が開店3年を過ぎ、この3階建ての家の最初の住人が、自分が植えた枇杷の木を観に来た、全277ページのお薦めである)

(ここまで5,200字越え)

 

令和4年7月15日