令和3年(2021年)6月11日 第424回

笹生優花にはもう一つの物語があった。 体力UPに鍛錬を重ねたいと懇願する中学生の娘に、日本人の父親は念書を書かせたそうな。 鍛錬がどれ程厳しくても、耐える、やり続ける、家族を恨まない、と三つの約束を。 鍛え上げた強靭な基礎体力が尾崎将司を唸らせた。 始めて彼女のスイングを見た時、「どうやってその足腰を手に入れた?」と驚愕し、今回のインタビューでは、「優花は何クソ精神が凄い!」と称えた。 天下を取る為の自身を苛む過酷な鍛錬が陰にあったのだ。 優勝インタビューに流暢な英語で答えていた、日本語、タガログ語の三か国語を話す頭の良さは、一打一打の次のシーンを的確に考える事にも生かされるだろう。 アメリカツアーに登録したそうだから、5年間シードの特権も生かして活躍する様子が目に浮かんでくる。 日本人の父親にも拍手!

 

Oさんから新刊単行本1冊、柚月裕子「月下のサクラ」、彼の読む前に貸してくれた。 有難し! ・・・流石の柚月裕子、一日半で読了! それにしても現代警察の防犯カメラの駆使やGPSを活用した捜査方法に舌を巻く、ホントにこの人、女流作家?と思ってしまう。 

 

 

 

近藤史恵(ふみえ)「みかんとひよどり」(文庫本、単行本は2019年)

作者は1969年大阪生まれ、数冊買っているような思いがあったが、既刊本一覧に見当たる題名が無かった。 オカシイな? 我が娘と同じ漢字名(読みは別)なので勘違いなのだろうか?

 

潮田亮二・35才は京都の雇われシエフで、今、11月の山中で迷って、凍え死にそうな冷たい雨に晒されていた。 遙か遠くで雷鳴も聞こえている。 まだ、飼い始めて半年のメスの猟犬・ピリカも心配そうに鳴き声を上げている。 此のまま遭難して凍死か、と一瞬覚悟する。 遠くで犬の声がした、野犬だろうか? 恐怖心が込み上げてくる。 鳥猟用の散弾銃はあるがこんな暗闇では何も見えない。 ピリカがワンッと吠えた。 遠くから目の前に光が弾けて、眩し過ぎて何も見えない、思わず尻もちを付いて手で光を遮ると雨合羽を着込んだ大男が立っていて、→お前ら、そこでなにしてる? とドスの利いた声がした。 男の後ろから黒い犬が顔を出した、挨拶代わりかピリカと臭いを嗅ぎ合っている。 男から、ほら、と手を差しだされてグッと引き起こされた、デカい! 190cmはあろうか、そして濃い、血と獣の臭いがした。 恐怖感はあるが、兎に角助けて貰ったと安堵する。 →道はこっちだ、車を見なかったが何処から入って来た? 稲矢町から、と答えると、→山の反対側だ、よっぽど山の中を歩き回ったナ、まァ、イイ、俺のところで風呂に入って服を乾かせ、明日の朝、お前の車の所まで送ってやる、無茶する奴に俺の縄張りで死なれると面倒なだけだ。 ピシャリと言われて、はっとした、確かに、さっきまで死と隣り合わせにいたのだ、→済みません、軽率でした、と素直に詫びの言葉が出た。 男の車は4人乗りの荷台がある軽トラックで、荷台には大きな鹿が2頭も横たわっていた。 この人はハンターなのか、道理で獣や血の臭いがした筈だ。 今までヒヨドリと鴨しか撃った事が無かったが、年輩の猟師にヤマドリもいると教えられて、歩き回るウチに山奥へ迷い込んだのだった。 黒い犬はマタベーと言う名前だった。 

 

築70年は経っていそうな一軒家と小屋がある。 薪ストーブが赤々と燃え出した、燃える火で身体を温めるなんて何と贅沢か、凍り付いていた身体がほどけてゆく。 スエットの上下を寄こして、風呂から上がったらそこの布団を使え、俺は小屋にいる、と言いながら深夜12時を過ぎてるのに出て行った。 小さい風呂だったが天上の温泉を思わせた、それだけ身体が冷え切っていたのだろう、バスタオル迄用意してくれていた、スエットに着替えて戻ると、二匹の犬はストーブの前で眠っていた。 小屋から灯りが漏れている、すみません、と声を掛けると、開いているから入れ、何か用か、と返事がある。 中に入って息を吞んだ、皮を剥がれた鹿がフックに逆さまに吊るされていた、傍らで大鍋がぐらぐらと湯を沸かしている、ここは獲物の解体小屋だったのだ、ピリカにドッグフードを分けて欲しい、と願うと、鼻先で笑われた、子犬じゃあるまいし、朝食ったなら丸一日大丈夫だ、とケンもホロロだった。 巨大な冷蔵庫とコンロ、大きなステンレス台がある。 次々と解体されてゆくサマをぼんやりと眺めていた、猪の解体は見た事があるが鹿は始めてだった。  男の手際の良さは秀逸だった。 解体が全て終わると、床に水で流し、ステンレス台に熱湯を掛けて消毒、そのアトに更にアルコールで拭く、最後に石鹼で手をきれいに洗った。 →どれ、今日はマタベーが頑張って遭難者も見つけたし、ご褒美をやろうか、とローストした猪肉を二匹に与えると、マタベーは目を爛々とさせて、あっと言う間に平らげた。 ピリカも凄い勢いで食い付いた。 →俺は昨日も喰ったし、お前も食うか?と手渡された。 旨い! こんな猪肉、調理が上手いのだろうか? もう寝ろ!と言われて、疲れた体は一瞬に眠りに落ちて、朝、7時に起こされるまで熟睡した。 彼の車で山を廻る時に、何回も礼を言ったが、→大した事してない、死なれるよりマシだ、と素っ気無い。 自分の車に乗り込むまで見ていてくれて、エンジンが掛かったのを確認して去って行った。 彼は何者なのだろう? 名前も訊いていない。 ・・・京都市内に入った辺りで、大島若葉に電話した、→今日は店を開けられそうにない、予約は有った? →ああ、シエフ、予約が入っている訳ないじゃ無いですか、とグサッとくる言葉が返ってくる。 →オーナーにも言って置いて・・・、オレが言うと何かとややこしい、→了解です、但し、週末の賄いにデザート付きです、とちゃっかりしている。

 

家に帰ってベッドに倒れ込むと、死んだように眠り続けた、目が覚めたら夕方だった。 スマホにオーナーからのメールがあったが読む気になれない。 パリで学んだ料理学校で優等生、試験も何度も1位を取った、修業した最高級のレストランでも仲間内ではトップクラスだった、なのに、日本で雇われシェフとして二軒を潰し、自分で始めた神戸の店も失敗して借金を作り、その返済に24時間レストランで深夜勤務を無休で一年間働いた、そこで今のオーナーと出会い、京都に出すフレンチレストランのシェフになって欲しいと言われたのだった。 「レストラン・マレー」は、間もなく半年になるが黒字になった月は一度もない、オーナーは隣の駅にインド料理レストランを持っていてかなり儲かっている。 そっちもインド料理店にする、と恐怖の決定をこのメールで言って来てるかも知れない。 けど、決心してメールを開けると、こっちの体調を心配したオーナーの言葉だった。 ネットの我が店の評判を覗くと、又しても、もう再訪しないでしょう、と辛辣な言葉があった、あのちょび髭のキャバクラ嬢を連れた嫌らしい中年男の顔が浮かぶ。 キャバクラ嬢の胸の谷間ばかり見ていたくせに、料理をちゃんと味わったとは思えない。 オレは向いていないのだろうか? 祖母に借りたフランス修業の借金、料理学校の学費、フランス滞在でかかった費用、店を潰した借金等々、これまでの潮田亮二の人生の収支は大幅な赤字である。 近い内に黒字の結果を出すか、料理人を諦めてチエーン店の店員になるか、どちらか決めなければならない、残された時間は少なかった。

 

オーナーの澤山柊子が厨房の入り口から顔を覗かせた、→亮君、身体大丈夫なの? 太股のラインがわかるほどのピッタリしたタイトスカートと、ハイヒールのロングブーツ、30代に見えるがもっと上だと思う、実年齢は知らない。 三人程の恋人がいて、誰とも隠し事はしないし、誠実に付き合っているから、何の問題もないと公言して憚らない人である。 →ヤマシギかヒヨドリのローストを食べたい、と食材に無いモノをいう。 この人は根っからジビエ料理が好きなのだ、神戸の店にやって来た時に、たまたま仕入れていた国産のヤマシギのローストを食べた、ただ一人の客だった。 次に来た時、亮二の店は閉店していたが、チエーン店の厨房迄探し求めて来て、レストラン・マレーを用意してくれたのだった、感謝しても感謝しきれない。 ただ、条件があった。 継続的にジビエ料理を提供する、何れは、ジビエ専門のレストランにする、というモノだった。 オーナーがいっとき、体調を崩してうつ状態に陥ったが、ジビエ料理を食べて精神も肉体も回復した、と絶対信頼の結果だった。 ある程度の予約数があれば高価なジビエ食材を前もって用意できるが、今の状態では事前の用意も出来ない。 ばたばたと足音がして、→あ、オーナー、今日は早いですね、テーブルに飾るお花を買ってきました、と遅刻が不問になる挨拶だった。 小柄な、ショートカットと完全なるノーメイクで子供の様に見える、本当の年齢は知らない。 元キャバクラ譲で、欲しかった車も買えたし、そろそろ昼職に戻りたいな、と考えていた時にオーナーからスカウトされたらしい。 狩猟に行った事は若葉に言ってあったので、成果は?と訊かれて、ボウズ、ボウズと釣り用語で返事した。 オーナーは残念そうだったが、遭難しそこなった事は伏せた。 あの救ってもらった家で食べさせてもらった、夏の、脂肪の少ない猪の肉、あの肉ならば何かイマジネーションが湧いてくるかも知れない、何とか手に入れる方法がないものだろうか? 結局、その週はフランス産の野鴨を仕入れてメニューに載せたが、注文があったのはオーナーだけで、解凍してしまえば再冷凍出来ないから、アトは若葉と亮二の賄いになった。

 

定休日の朝4時、ピリカの冷たい鼻を押し付けられて起こされる、何でこいつは定休日が判るのだろう? 本当は身体を休めたかったし、遭難の恐怖感も残っている、と考えていたのに、機嫌のいいピリカを見ると、出かけるか、と言う気持ちになった。 一時間走って車を下りる、今日は山に入らずにヒヨドリか鴨を狙おう。 鴨がいそうな池に移動して8時過ぎまで待ったが、鴨も他の鳥も現れない。 場所を替えて歩き出すと、鳥獣保護区内の木の上にヒヨドリが鈴なりになっていた。 涎を垂らしてそこを過ぎるとこっちにはもういない、あいつらは保護区だと知っているんじゃ無いか、と悔しい思いがする。 不意に銃声がした、禁漁区で撃っている奴がいる? 駆け寄るとエアライフルでヒヨドリを撃ち落としていたのは、先日のあの男だった。 ピリカが盛んに尻尾を振って彼の顔をぺろぺろ舐めている、旨いモノをくれた人は絶対忘れないのだ。 →何だ、お前も一緒か、とピリカより下に見られている。 →鳥獣保護区でも、害獣駆除の許可をもらっている俺は農家からヒヨドリの被害を何とかしてくれと頼まれている。 なるほど、そうか。 男の手に五羽のヒヨドリがあった。  →ヒヨドリを獲りに来たのか、いるならやるぞ、先週の鹿もあるし肉は持て余している、ヒヨドリは毛を毟るのが面倒だ、欲しけりゃ持っていけ、今撃ったやつもそっちにある筈だ、ゴクリと喉が鳴った、更にもう二羽ゲットした。 →この間の猪、どうやったら手に入りますか? →夏の残りが冷凍してある、肩ロースの旨い奴だ、いるならやる、今は、獲れる数に俺が食える数が追い付いていないから、食ってくれるなら俺も助かる。 あの家の前ではマタベーが仁王立ちになって待っていた。 小屋から出てきて、ジップロックに入ったブロック肉を手渡されたので、名刺を差しだしたら、彼の顔色が変わり、肉に入った袋をひったくれられた、→店で出すならダメだ、→出しません、自宅で処理したものは出せないから試食です、と言ってやっと了解してくれた。 →金は要らねえ、面倒くさいからだ、どうしてもと言うならもうやらねえ、と意固地だった。 →遭難した時のお礼もしていませんし、今日のお礼もさせて下さい、お名前と今後の連絡先も、と必死に頼むと、大高重美という名前とスマホの連絡先交換をした。 →もう、遭難するなよ、と言いながら小屋に戻った。

 

猪のタルトはオーナーを飛び上がらせた、→これよ、これヨ、凄く美味しいよ、感動した亮君のジビエ料理、あの時と同じ驚きと情熱の味よ、急にどうしたの、やる気が出て来たのね、熟成三日後のヒヨドリも楽しみね、と狂喜乱舞の如くの歓びようだった。 次の定休日、夕方目掛けて猪のタルトと、モンゴルの岩塩と手作りのマスタードを持参した。 悩んだ末のお礼の品だった。 肉料理に使う岩塩とマスタードは気に入ってくれたようだ、→ヒヨドリまだいるか、昨日12羽獲った、二羽は羽を毟った、アト10羽持ってけ、有難い、しかし、今後もタダと言うわけには行かない、→お金を支払わせてください、領収書もお願いします、と言うと、むすっとした声で、それが面倒くさいのよ、金なら要らんから持っていけ、と譲らない。 しかし、彼のジビエ食材は魅力がある。 此処の解体場が許可さえ取れば堂々と仕入れる事が出来るのだが・・・。

 

次の休みの時にあまり高価じゃないワインを三本下げて大高の家に向かった、驚いた、家が焼け落ちている、スマホを掛けると、今、川のキャンプ場にいるという、大高に怪我が無いと知ってホッとする。 近くにミニバンが止まっていて30代程の女性がこちらを睨み付けていた、見知らぬ男がいたから警戒しているのだろうか? キャンプ場に行くと、マタベーと大高がいた、→火の始末はちゃんとしている、古いから漏電か、それとも放火か?とゾクリとするような事を言う。 →この間の話、まだ生きているか、こんな事情で金がいるンだ。

(ここまで全283ページの内、88ページまで。 京都近くの有害駆除動物の焼却設備には、年間鹿2,000頭、猪1,000頭が運び込まれ、肉とならずに命が捨てられている。 移動式の解体処理車は2,500万円、いくら店が繁盛しても手が出ない、しかし、共同出資者を募る手がある。 亮二のオーナーはやる気充分だった。 そして、大高の家はやはり放火だった、その犯人は? その理由は? 大高は九州の猪・狩猟のプロに弟子入りし、GPSでねぐらを追跡、猟犬と共に猟銃で仕留める、罠にかかって長い時間苦しむよりも数段に獣の命を肉に替える技術を磨いてきた、冬のヒヨドリはタップリみかんを食べて美味しくなり、更にミカンのソースと併せると絶品らしい、題名の由来である、勿論、亮二の店は躍進を続けていた)

(ここまで、6,000字越え)

 

          令和3年6月11日