令和3年(2021年)5月26日 第420回

道新日曜版に高校同期のA未亡人の投稿があった。 20数年前に京都・清水寺の桜見物で、亡妻と思われる写真を胸に抱いた初老の方をお見かけし、つい、言葉を掛けた、→お二人でお花見ですね、素敵ですね。 一期一会、あの時のお相手の満面の笑みを今でも想い返す事が出来る。 桜前線を追いかけ、中部、関東、東北を北上して札幌に戻って来たが、一生分の桜見物を堪能した。 主人が亡くなってもう20年を過ぎたが桜の季節の度に思い出す。 味のある品のイイ内容だった。 朝7時過ぎ、未亡人に携帯でメールを送ると、直ぐ、返信があって、ありがとう、メッセージ一番乗りです、と嬉しそうな言葉があった。 74才を過ぎて、早朝から互いにハッピーになるような交信があるのは高校人脈が続いている良縁である。

 

我が高校が昨年、創立100周年を迎えたが、コロナ禍の為に祝賀会を順延していた。 流石に今年、質素な記念会だけ挙行することにした、ついては札幌同窓会会長としてお祝いの言葉を寄稿して欲しいと要請があったが、僅か230字に纏めるのは至難の技だった。 願わくば、町挙げての祝賀会で来賓として祝辞を述べる緊張感と、お祝いの美酒も味わいたかったが、未遂に終わった事は残念でならない。 

 

 

 

佐伯泰英「照降町四季(二) 己丑(きちゅう)の大火」(文庫本書き下ろし)

・・・第408回で照降町四季(一)を上梓しています

1829年が己丑の年で、江戸の大火があった・・・

3月21日未明、蘭方医・大塚南峰は今朝も武村道場で朝稽古の最中だった。 相手は八頭司周五郎、道場主・武村が師範を任す程の腕を持ちながら、照降町の鼻緒屋の見習い職人として喰いぶちを凌いでいる浪人だった。 南峰に一方的に打ち込ませる稽古だった。 南峰は女房が二人の子を連れて実家に戻った程の酒吞みだったが、それにより、今は更に、酒に身を持ち崩していた。 蘭方医として優秀な腕を持ちながら、段々信用を落としつつある状態を見かねて、周五郎は病に伏せっている師匠・弥兵衛の為にも、と体を動かす事で気分を変えさせようと企てたのだった。 酒浸りの暮らしだったが、今では稽古で汗を掻き、朝風呂ですっきり洗い流して診療に励む、この二ヶ月間で少し引き締まって来た体や爽快感が、自ずから禁酒も実行させていた、酒が抜けて来たから信用されて受診者も元に戻りつつあるようだ。

 

弥兵衛の娘・佳乃は三年間の駆け落ちから目が覚めて出戻った鼻緒職人だった、今は、父に代わって実家の商売を一手に引き受けている、師匠も弟子の周五郎も舌を巻く程の腕前だった。 →お父ッつぁん、もう一度仕事場に立つ気で頑張って、と父に気合を入れるが、→佳乃、もはやお前の代だ、卸元の宮田屋の源左衛門の旦那も大番頭の松蔵さんも代替わりは承知していなさる、腕も上がっていると感心していなさる、もう、心配はない、それより湯屋に行け、客商売の嗜みだ、と追い払われてしまった。 家を出ると、北風がびゅッと頬を撫で、妙に生温かい強風だった。 番台には幼馴染のふみが娘のいちを抱いていた、父の容態を聞かれて、→ふみちゃん、もうお父ッつあん、ダメなの、南峰先生にこの夏は越せないと言われているの、おっ母さんも知らない話なの、ゴメンね。 湯から上がるとふみの夫・寅吉が暖簾を下ろしている。 →舅がナ、この強い北風で湯屋から火を出しちゃ話にもならないから、火を落とすと言うのさ。 用心深い人だった。

 

材木屋の尾張屋では西国大名家の新築に使う材木の切り込みを請負い、普請を頼まれた棟梁も立ち会って一年が過ぎようとしていた。 尾張屋では風の強い夜は、切り込みを終えた材木を保管する蔵や作業場の火の気番を置いて厳重に警戒していた。 この日、徹夜を過ごした17才の見習い・亀之助と、還暦前の平吉じいは、何百両もの建材を守る緊張感で疲れ切っていた。 夜が明けて気が緩んだ亀之助が煙管の吸い差しをポンと捨てたが、それが平吉の綿入れに飛んだのを見逃してしまった。 二人は尾張屋の勝手口に廻り朝餉を馳走になった。 そして二階で仮眠を取っていた。 綿入れに潜んでいた火は、切り込んだ材木の保護の為に巻いた紙に、そして棟木に燃え移った。 保管庫の中で火の手が上がったが、誰も気付かなかった。 それから半刻(一時間)、新たに切り込んだ柱を担いで蔵の戸を開けた職人の顔に猛烈な炎が襲い掛かった。 →と、棟梁! 保管庫に火が入った!と大声で喚いた、大勢の職人衆が飛び出してきて、水を掛けろ!と叫んだ時、烈風が蔵の中に吹き付け、屋根瓦が割れ飛んで大きな火柱が立ち上った、棟梁は己の半生で一番の大仕事が消えて行く光景に茫然自失した。

 

四つ半(午前11時)、鼻緒屋に半鐘の音が響いて来た、周五郎が、→様子を見てくる、万が一には親方の身を守る支度がいる、と飛び出すと、ひとつだった半鐘の数がどんどん増えていた。 →おっ母さん、大事なモノを纏めておいて、私は道具を纏めるわ。 周五郎は、炎がごおッと凄まじい音を響かせているのに気付いた、恐ろしい轟音だった。 あちこちから早鐘が打ち鳴らされている。 想像以上の大火になる恐れがあった。 南峰先生が、→万が一を考えて医療道具や薬の類いを大川向こうの深川に舟で運ぶ、と言う。 周五郎は自分の長屋に戻り、床下に隠している金子を取り出した。 五両三分と布に包んだ脇差だった、鼻緒屋に戻った周五郎は佳乃に提案した、万が一を考えて深川に親方を移そう、そういえば深川の因速寺はウチの檀那寺なの、両親を預かってもらうわ。 宮田屋も外蔵に大事な道具類や高価な履物品をしまい込んで、蔵の全ての開け口に火が入らぬよう、漆喰や土や味噌で目張りしている最中だった。 佳乃は荒布橋傍の老梅の幹に手を置いて何事か祈願していた。 船宿中州屋の船頭・幸次郎は佳乃の幼馴染である、予約で埋まってしまって、もう舟は残っていないと言いながら、年季ものの猪牙船が隠してあった。 →これで佳乃の両親を深川迄運ぼう、因速寺だったな。 荒布橋の袂には戸板に乗せられた弥兵衛と、おっ母さんと纏められた道具が揃っていた。 舳先に立った周五郎が飛んでくる火の粉をせっせと払っている、幸次郎が、これは大火事になるぜ、と断言する。 避難する舟だらけで川はごった返していた。 突然、弥兵衛が起き上がり、→まるで花火の宵だな、おりゃ、賑やかに三途の川を渡っているようだ、しっかり火事を見ておきたい、今生の最後にえれェ見物だ、といつなら考えられない元気の良さだった。 そこに大名家の家来が刺さり込んで来た、→中州屋の船頭・幸次郎か、舟は無いと言いながらあるではないか、こちらに寄こせ、と槍を突き出してくる。 周五郎が竹竿で相手の鳩尾を突くと、ううッと呻き声を残してドボンと転落した。 深川に舟が着いて佳乃が和尚さんに掛け合いに行った、→病人がいるなら離れの納屋が空いているとお許しが出た、と叫んだ時に、ドドーンと大きな音がして、因速寺の門前の五人は震撼した。 この火事はただ事ではない、と改めて知らされたのだった。

 

親方と母娘を寺に残して中洲屋に戻ろうとしたら、乗って来た猪牙舟の舫い綱を外そうとしている四人組がいた、火事の混乱に乗じて舟を盗み荒稼ぎをしようとしている連中だった。 木刀を振り翳した男が周五郎に打ちかかって来たが、腰車の技で堀に投げ込んだ、兄貴分が長脇差を抜いて斬りかかって来たが、周五郎の木刀の先で鳩尾を突くと、あっさり虚空に浮かんで水面に落ちて行った。 残る二人は戦意喪失で水の中でもがいている二人に手を差し出している。 げえげえと水を吐き出しているお粗末さであった。 すると、佳乃も一緒に照降町に戻ると言って乗り込んで来た。 足元を足袋と草鞋で固め、袷の上に宮田屋の袢纏を着込み、たすき掛けだった。 大川河口に出ると、火事は何倍にも拡がり、上流から北風と炎が、ごうごうと不気味な音を響かせていた。 幸次郎が、ああ~ッと悲鳴を挙げ、周五郎も、何と!と絶句した、佳乃の顔は恐怖に歪んだ。 三人は水を掛け合って濡らし、破れ傘を被って火除けにした。 

 

途中で幸次郎を降ろし、照降町の宮田屋に舟を着けた、丁度、主の源兵衛一家と女子衆が宮田屋の持ち舟で深川別邸に逃れるところだった。 大番頭の松蔵が、→丁度良かった、この茶箱二つに下り物の草履と鼻緒が入っている、佳乃さんに頼もうと思っていた品物です。 有難い、火事が収まったら早々に仕事が出来る。 すると、→大変だ、小伝馬町の牢屋敷に火が入った、囚人が解き放ちになる、と大声が聞こえて来た。 罪状の重い囚人は金子と刃物を手に入れようと押し込み強盗を働く、大火と共に厄介な恐怖の事態になって来た。 主の源兵衛と何やら打ち合わせていた大番頭の松蔵が、→周五郎さんにお願いしたい事がある、佳乃さんにも内緒で、こっちをご覧ください、と言って宮田屋の奥座敷に案内された。 仏壇の下の扉を開き、鉄製の棒を引っ張ると、石組みの井戸が現れた、水が満々である、→大事な証文や書き付けが水を通さない箱で沈められています、千両箱八つと小判八百数十両も一緒です、この宮田屋が万一消失した場合、八頭司さんにこれを守り抜いて頂きたい、再建する為の大事な資金です。 →命に賭けて守り抜きます、と約定したのだった。 鼻緒屋に戻ると、佳乃が飼い猫のうめとヨシの親子猫が竹籠に入れられて、みゃあ、みゃうと心細げに鳴いていた。 風呂敷包と夜具も支度されていた。 →これを深川に届けてほしい、私は此処に残ってあのご神木を守りたい。 松蔵も、→この宮田屋に火が入るのを防ぎますが、それでも避難する時になったら一緒に、という約束ですぞ、と赦してくれた。 周五郎は、→それがし、必ず戻って参る、それまでに何としても頑張って生き抜いてくれ、と櫓をこぎ出して深川に向って行った。 深川では佳乃の母・八重が心配そうに待ち受けていた、佳乃さんは大番頭さんたちと一緒に残っているから、それがしも直ぐ折り返します、この荷物と猫は寺の坊さんにお願いして下さい、と早々に漕ぎ出した。 川には焼死体が驚くほど浮いていた、飛んでくる火の粉も一向に減らない、しかし、照降町にはまだ火が入っていなかった。 荒布橋の傍のご神木の老梅に、川の水を汲んで掛けている佳乃がいた。 宮田屋の屋根には店の若い衆が上って、桶を手渡して屋根に振りかけていた。 もう、暮れ六つ(午後6時)近い、一人でご神木にかけ続けて来た佳乃がふらついていた。 →佳乃殿、休みなされ、私が交代する、と言うと、素直に猪牙舟に倒れ込むように体を横たえた。 しかし、宮田屋にもとうとう火が入った。 周五郎と佳乃は、このご神木さえ守り切れば必ず照降町は復興すると信じて水をかけ続けた。 それを見ていた松蔵や若狭屋の大番頭・新右衛門が、→二人に任せてはいけませんな、ご神木を燃やしたら、我々住民の名折れ、沽券にかかわります、と大声を挙げると、店の火は食止められなかったが、ご神木は守ろうと、どっと、人手が増したのである。 女の佳乃さんが体を張ってますぜ、男衆よ、佳乃さんを守りなされ、とますます活気付いた。 船宿・中州屋の船頭・幸次郎が、ウチの宿は助かった、おかみさんが握り飯をたくさん作ってくれた、これで一息付けろ、と山盛りのお握りの差し入れがあった。 旨そうに平らげた周五郎が、若い衆に、→よし、代わろう、お握りがあるぞ、ひと晩頑張り抜けば朝が来る、と自らも鼓舞するように叫んだ。 宮田屋・若狭屋の大番頭二人が、焼け残っている土蔵の中身は頼みの綱、それを解き放たれた囚人に奪われては、復興もままならなくなる。 それぞれから10人を出して指揮下に入らせるので、八頭司周五郎さんに警護方の頭になって略奪を防いで欲しい、と懇願されたのだった。 必死の作業の周五郎を頼もしげに見ていた二人は、→あの方が照降町にいて良かった、としみじみ本音を吐露したのだった。

 

宮田屋の二つの土蔵を守っていた手代の四之助に、三人の賊が抜き身を突き付けていた、「鎮火したアト、ひと晩は扉を閉めたまま冷やさねばならない、今、開けたら空気が入って一気に燃え上がる」と、必死に抗っていた。 駆け付けた周五郎が、背中に差していた刀を鞘ごと抜いて、声を掛けた、すると、抜き身で襲い掛かって来た男が鞘尻で喉を突かれて、ぐえッと後ろに吹っ飛んで悶絶した。 おのれッ、と槍と刀の二人が同時に掛かって来たが、鳩尾と喉を突かれて後ろに吹っ飛び、気を失った。 周五郎が一人を担ぎ、一人の襟元を掴んで引き摺り、残った一人を四之助が襟首を掴んで引き摺って、橋の欄干に縛り上げた。 アトから親分に引き渡そう。

 

明け六つ(午前6時)、最後の烈風が襲ってきた、最後の踏ん張りどころだ、佳乃が雨の神様・大山参りに唱える言葉、「お山は晴天、懺悔懺悔、六根清浄」が自然と口から出ると、全員が唱和しながら水かけに拍車が掛かった。 こうしてご神木を守り切った照降町の一団は、復興の確かさを信じたのであった。 佳乃のずぶ濡れを見た中州屋の幸次郎が、→ウチで湯に浸かりねェ、女将さんに着替えを借りてヨ、と猪牙舟で連れて行った。

(ここまで全331ページの内、162ページまで、家屋消失・37万軒、焼死者・2,800人余という己丑の大火の復興物語が始まる、逃亡中の囚人は又も宮田屋を狙って来た、ご神木を守り抜いた佳乃と周五郎に賞賛の嵐と復興の名誉が与えられた、弥兵衛はいっときの元気が嘘のように衰退していった)

 

(ここまで5,500字超え)

 

          令和3年5月26日