令和3年(2021年)4月19日 第408回

男子プロ第1戦、22才・金谷拓実が優勝、一打差の2位がアマチュアの20才・中島啓太、トップ10には、ビッグネームが辛うじて宮本勝昌のみ、石川遼も予選落ちだったし、馴染みのビックな名前が消滅しつつあり、確実に次の世代への代替わりを予感させる事が男子プロにも起きて来た。

女子プロ第7戦、19才・山下美夢有がtodai-6の快進撃で逆転の初優勝、コースレコードを3打も上回る-14で、かつ、5打差を付けての圧倒的な勝利であった。 高二・17才でプロ合格していて、ツアー最小の150cmの小柄ながら、真の底力を持っていた選手であった事が証明された。 先々週の優勝争いに破れたが、今回、あっさり優勝をもぎ取った。 更に今後の活躍が期待される。 これで日本人の7連勝! 実に胸がすく思いである。 

アメリカでは、19才・笹生優花が二日目でトップに立ちながらも、結果は6位、予選通過76人中、渋野日向子33位、畑岡奈佐72位を押さえての堂々たる成績である。 日本勢は河本結を始め4人が予選落ちだった。 女子プロは日・米、共に、新世代・19才、そして、オーガスタアマ女王・17才、恐るべし!

  

 

佐伯泰英「照降(てりふり)町四季(一)初詣で」

(文庫本書き下ろし、PR帯に、新シリーズ始動!四ヶ月連続刊行とある、1942年生れの作者が新シリーズとは凄い!(二)は5月7日発売と告知されている)

鼻緒屋の佳乃は三年振りに馴染みの照降町に帰って来た。 佳乃を見かけた夜鳴き蕎麦屋が、→お父っつあんの喘息で帰って来たのか、咳が止まらず仕事処じゃねえぞ、と声を掛けてくれた。 知らなかった、吃驚である。 →赦してくれるだろうか? お父っつあん。 鼻緒屋(新品の鼻緒だけじゃなく、下駄も草履も扱って、古びた鼻緒の挿げ替えもやっている)の他に、傘、雪駄、下駄を売る店が軒を並べていて、雨の日には傘、晴れの日には雪駄が良く売れていたので、照降町の町名が生まれたのである。 店の裏戸をこつこつ叩いて、→おっ母さん、佳乃よ、と大きな声で告げると、→えッ、本当に佳乃かい、一人かい? と驚いた母の八重が顔を出した。 →佳乃、先ず、お父っつあんに謝りな、ずっと心配していたんだから。 病床の父親に、→お父っつあん、お許し下さい、私が悪うございました、と頭を板張りに擦り付けた。 →あの男はどうした、 →賭場に借金をつくった三郎次は、「苦界に身を沈めて金を作ってくれ」 そうじゃなきゃ俺が殺されると言うので逃げてきたの、 →あいつはいなせな振りをしていたが、女房でさえ苦界に売り払おうっていう根性ワルよ、という父の声は弱弱しかった。 そして、→八重、明日、玄冶店(げんやだな)の親分さんに、追いかけて来るかも知れない三郎次の事を相談しな、あいつと佳乃が駆け落ちした事はこの界隈の人はみんな知っているから、今更、恥も何もあるもんか、と言うなり、ひゅうひゅうと喘鳴(ぜんめい)が起こり、激しい咳にも見舞われた。 三年前の父親とは想像もつかない程の老いた病人だった。 爺様の弥吉が長年勤めた、傘・履物問屋の宮田源左衛門方から暖簾分けしてもらい、鼻緒屋を始めて、父の弥兵衛は屋号もつけずに慎ましやかに鼻緒屋を営んで来た歴史があった。 →おっ母さん、私ここに住んでイイの? 出戻り女でゴメンね、三郎次のような札付きに引っ掛かった私が莫迦だったわ、明日から店で働くわ、子供のころから得意だったから手伝えると思う。 →実は通いの者を雇っているの、半人前の職人だけど、根が真面目だからお父つぁんの手伝いになってるわ、明日は宮田屋さんに挨拶に行くよ、もう一度この照降町で暮らさせて下さい、と頼みにね、明日一番で湯屋に行ってきな。 佳乃はしんみり、→恥ずかしいけどご近所の皆さんに挨拶しなきゃネ。

 

翌朝、小網湯の暖簾を潜ると、番台に座った女が幼馴染のふみだった、所帯を持って子供を産んだのか貫禄がある。 →寅吉が魚河岸辞めてうちに入ってくれたの、娘のいちと今、孕ん中にもう一人なの、と笑顔いっぱいである、 →佳乃ちゃんが戻って来た、こんな嬉しい事はないわ、としみじみ言う。 寅吉と三郎次は魚河岸の同じ店だった、佳乃の三つ上の寅吉は、→三郎次と深間に嵌るなよ、あいつはタチの悪い遊び人だ、危ないぜ、と忠告してくれたのに、佳乃は聞く耳を持たない程ノボセていたのである。 この三年、佳乃は身も心もしゃぶり尽くされていたから、そんな体のけがれを落とす様に長湯した。 次は、髪結いのえびす床、平治親方にはもの心付いた頃から結って貰っていた、 →いらっしゃい、親父さんの具合いはどうだ?と、三年間の空白がなかった様に接してくれる。 →私、のぼせ上がって駆け落ちしたけど、逃げ戻ってきたの、 →そうか、三郎次が正体見せやがったか、と佳乃を責める言葉はなかった。 →お代はこの町に戻って来たご褒美だ、 →さっき、ふみちゃんの湯屋代も受け取ってくれなかった、照降町界隈の情けの深さを思い知らされたわ、本当に有難いわ、出て行った私が本当に莫迦だったわ。

 

店に戻ると、→なんぞ、御用かな? と男の声がした。 →アンタがウチの奉公人? お父つぁんの助っ人なの? →もしやそなたはご当家の娘御にござるか、それがしは八頭司(やとうじ)周吾郎と申す、と26~7才の西国訛りの言葉使いだった。 →娘御どころか、出戻りの佳乃です、とやりあっている所に母の八重が、→この人は、もう二年前から浪人さん、痩せの大食いだけど気さくな人だよ、周吾郎さん、今日も夕餉を食べて行きな、佳乃は宮田屋と玄冶店の準造親分に挨拶に行くから付いといで、と出かける事になった。 周五郎には父の様子見もお願いして、照降町の両脇の店々に、→娘が出戻って参りました、これまでと同じ様にお付き合いの程、お願い申し上げます、とぺこぺこ頭を下げ続ける。 佳乃は、→知らない人にまで頭を下げないでくれる? との文句も一向にお構いなし、→どうせ、みんな知ってるんだよ、と屈託ない。 御用聞きの準造は、南町同心・波津兵衛(はづ ひょうえ)から十手を与り、「玄冶店は情味のある十手持ち」と、阿漕な探索は一切しない評判だった。 →三郎次の話をそっくり話しねえな、と訊かれて佳乃は半刻は語った、八重も始めて訊く娘の三年間であり、余りの酷さに呆然として言葉を失っていた。 →もはや三郎次に未練はねえな、お八重さん、話を聞いた以上、わっしに任せておきねえ。

 

宮田屋の大番頭・松蔵は、→佳乃さん、しっかり親孝行して償いしなされよ、と言外に非難した。 弥兵衛の病が回復しなければ他所の店に廻すような口振りだったので、→大番頭さん、もの心付いたころから鼻緒の挿げ替えは習わされて来ましたから頑張りますので宜しくお頼み申します、と必死に願った。 →弥兵衛さんが元気になるまで、佳乃さんの仕事振りを見て見ましょう、と請け負ってくれた。 次は魚問屋・相模屋である。 ふみの亭主の寅吉や三郎次が奉公していた問屋である。 親方・恒五郎が、→おお、照降町の別嬪が戻って来たか、と迎えてくれた。 →親方、とても合わせる顔がございませんがお詫びに上がりました、と詫びの言葉を繰り返した。 そして、隠し事は今後の為にならないと、全てを晒して親方に告げた。 →あいつは女を食い物にして生きて来た野郎だ、あいつがいなくなったアト、何人もの女が騙された、と文句を言いに来たぜ、アンタは最後の最後に逃げ出す智恵と覚悟があったから良かった、これで奴も年貢の納め時よ、何れ、骸になって六郷の流れに投げ込まれるな、と断言する。 13才になった時、父親の弥兵衛は佳乃に給金・年5両を支払っており、貯めた30両を持って駆け落ちしたが、全部、博打で使われてしまった。 →佳乃さんよ、照降町でやり直しねえ、おめえの歳ならいくらでも出来るさ、お八重さん、残り物の鮟鱇がある、弥兵衛さんに鮟鱇汁でも食わせねえ、と切り身を持たせてくれたのだった。

 

鼻緒屋に戻って来ると、周五郎が、→親方にはうどんを煮込んで食べさせた、ついでにそれがしも馳走になった、二人のうどんも作ろうか、→お腹なんか減ってない、其れよりも手が仕事を覚えているかどうか試します、と佳乃は鼻緒の挿げ替えに取り掛かった。 弥兵衛の挿げ替えた鼻緒は決して緩まない、ピタリと足に吸い付く名人技よ、と称えられていた二代続きの腕の良さだったのである。 佳乃が女でなけりゃ、鼻緒挿げ替の三代目名人になる、と噂されていた時に、三郎次と知り合ったのだった。 三年振りに挿げ替えた下駄を父親に見て貰った、出来の良さに頷いた弥兵衛が、→佳乃、残りの下駄が9足ある、おれに代わってやってみねえ、出来上がったら大番頭さんに確かめてもらえ、と根気を失った職人の哀しみが漂った弱弱しい声だった。 周五郎は、履き古した下駄の鼻緒の挿げ替えしか出来なかった。 →佳乃さんは親方の代わりは充分に務まりますな、手際の良さに吃驚、見事なモノだった、それがし、もう用ナシじゃな、と項垂れる。 →当分はお侍さんと二人でこの鼻緒屋の働き手よ。 →なに、良かった、助かった、と周五郎は安堵の表情を浮かべた。

 

夕餉を四人で囲んだ、晩酌をしない夫を見て、→大塚南峰先生は少しはイイ、とお許しがあるんだけど、もう酒は充分飲んだ、と手を出さないのよ、と八重がいう。 周五郎も格別に嗜む習わしは無いし、懐具合もある、と淡々と言う。 周五郎の長屋はどこかと尋ねると、越後屋の裏長屋だという、幼馴染のおみつちゃんがいて、お父つぁんが大工だと言うと、→存じておる、おっ母さんが男と逃げて、料理茶屋に通い奉公している、父と弟妹三人の面倒も見ている感心な子だ、と周五郎が褒める。 鮟鱇を美味しくご相伴に与った周五郎が、帰り際、→佳乃どの、親方や女将さんがこれほど喜んでいるのを見た事がない、よう、戻ってくれた、それがしからも礼を申す、と喜色満面で去って行った。

 

翌日、日和下駄10足を宮田屋に持参した、大番頭さんが、→約定の日にちから随分遅れましたな、と言いながら、厳しい眼で出来を確かめる、→弥兵衛さんは何足挿げなすったな、→全て私がやりました、使い物になりませんか? →弥兵衛さんには本当は重ね草履を頼みたかったが、最近は日和下駄がやっとでな、これならば、下り物の重ね草履の鼻緒を頼めますな。 3枚重ね5枚重ねの重ね草履の鼻緒は、天鵞絨(びろーど)、絹、縮緬、なめし革を用いている。 →佳乃さんは良い折りに照降町に戻って来ましたな、三年前から腕は落ちていませんな、歳を取った分、履物が判ったようだ、日和下駄は浪人さんに任せてこれからは下り草履を大量に願いますぞ。 草履は京の品が各段で、「大阪は足袋、京は草履で、江戸は下駄」と言われるほど、江戸は道の整備が遅れていたのであった。

 

店に戻ると、八重が、→三郎次がお前を連れ戻しにやって来た、偉く下手に出て夫婦喧嘩をしたもんでとか何とか、って。 →それがアイツの手なのよ、恐らく賭場の連中に脅かされて連れ戻しに来たのよ。 周五郎も言う、→あの男は人間のクズ以上のワルじゃ、上目遣いに他人を見る眼差しに心根が出ておる、賭場の無頼漢が従っているから今日中にまた来るかも知れぬ、しかし、ここで無法な真似はさせない、それがし、勝手に鼻緒屋は我が身内と思うておる、故に身内の難儀はそれがしの難儀でござる、と頼もしい限りであった。 この日も夕餉を共にした周五郎が、→良いか、心張棒をしっかりな、と念を押して長屋に帰っていった。 さて、寝るかと言った時に、表戸がどんどんと叩かれた、→私よ、豆腐屋のおみねよ、知らせた方がイイと思って来たの、と言う。 三郎次の事だろう、と思った佳乃がくぐり戸を開けた途端、寒風と一緒に血の臭いをさせた人影が蹴り込まれて土間に転がった、血塗れの三郎次が猿轡を嵌められていた。 更に三人の男女が押し込んできた。 女をおみねと間違えて悔やんだがアトの祭りだった。 →神奈川宿の祭文の菊之助親分が、52両の貸しのカタにこの三郎次からおめえの身柄を預けられたのよ、おれは代貸しの大関の熊辰よ、黙って従った方が身の為だぜ、こっちは鉄火のおぎんと武造だ、この女と三郎次を舟に引き摺り込みな、三郎次は大川に出たら流れに蹴り落とせ! その時、潜り戸が開いて風が舞い込み、痩身の男がすっと入って来た。 周五郎だった、→大関の熊辰とやら、今、御用聞きが来る、大番屋で三郎次を始末するなり何なりとなされよ、→テメエら、コケにしやがって、と喚いた熊辰が長脇差を引き抜いて周五郎に斬りかかったが、心張棒を掴んだ周五郎が迅速な動きで熊辰の首筋に叩き込んだ。 がつん!と鈍い音がして鎖骨が折れて熊辰は土間に悶絶した。 おぎんが匕首で佳乃に突きかかろうとしたが、周五郎の心張棒がおぎんの鳩尾に突き込まれ、後ろ向きに吹っ飛んだ。 武造は一瞬の早業に呆然として立ち竦んだ所に、十手が突き出され、玄冶店の準造親分と子分たちが御用提灯を先頭に雪崩れ込んできた。 佳乃は思った、→周五郎さんは長屋に帰る振りをして三郎次らが戻って来るのを待ち受けていたんだ、と感謝の念でいっぱいだった。

(ここまで、325ページの内、91ページまで。 佳乃の腕はホンモノで厳しい大番頭の目を和ませた、鼻緒屋の商売繁盛が続く、周五郎も腕を上げて行き、弥兵衛のかかりつけ医の大塚南峰とも親交が進む、江戸払いになった三郎次が、十手者の目を盗んで佳乃を引っさらおうとするが、又しても周五郎の手配りで事なきを得た、今度は遠島となってやっと心から安心できる事になった。 出戻り娘が家業の再興を担う、ほのぼの物語である) (ここまで、5,600字越え)

 

                 令和3年4月19日