令和3年(2021年)4月5日 第404回
単行本・夏川草介「始まりの木」、文庫本・東野圭吾「魔力の始動」(単行本は2018年)の二冊を購入、更に図書館から文庫本(2002年文庫の改装版)1冊と、二日後に2冊、さて、読み込むか! ・・・スナックM、再開店の翌日、金曜日6時過ぎに行くと、既に、二組7人の先客、こちらは3人、アトから一人、計11人の歌合戦で盛り上がった。 この店は続けて貰いたい、と本音が渦巻いていた宴だった。
大相撲、驚いた、白鵬に連続の「注意」だけ。 てっきり、引退勧告だと思っていたが・・・。 7月に最終決定するって言うけど、また、エルボードロップみたいなカチ上げを許すの? 信じられない横審の弱虫の弱腰振り、もっとブーイングが出てもイイと思うけど。
中山裕次郎「泣くな研修医」(文庫本、単行本は2019年)
牛の町総合病院、研修医1年目の雨野隆治・25才は、5年先輩の外科指導女医・佐藤玲と休憩室で昼食を摂った。 女医は何時もの5辛のカレー弁当、隆治は普通のカレーである。 テレビで近くの高速道路の事故を報じていたら、女医のPHSが鳴った。 受話器を耳に当てながら、→さっきの事故、10分後に来るよ、と隆治に言う。 親子三人、ドライバーの父親は無傷、母親は鎖骨骨折、小児が腹壁破裂、整形外科の当直医も呼んで、と指示が続く。 救急車が到着すると、外科医の岩井先生も駆け付けてきた。 5才の子はチャイルドシートだったせいか、お腹から腸がはみ出ていた。 →服を脱がせて全身にモニターを付けろ、佐藤はルートを二つ取れ、研修医は動脈血の採血、手術室に行く前にCTを撮る、いいな。 佐藤はルートを取った、→点滴繋いで、と早い。 焦りながら隆治は動脈を何とか確保、注射器の中に赤い血が貯まってくる、その血液をナースに渡す。 佐藤は、→ルート、もうひとつ取れた、そっちと繋ごう。 このような外傷患者の場合、ルートを取るのは最優先、薬でも何でも入れられる。 →血圧も上がって来ました、92の50、とナースの声に、岩井医師は頷きながら、→じゃ、手術室だ、と落ち着いた悠然とした安心感に溢れていた。
深夜零時、手術室で岩井、佐藤、雨野の三人は黙々と手洗いに励んでいた。 時間をかけて手の細菌数を減らすのだ、外科医にとっては神聖な通過儀礼、患者の体の中に細菌が入ってはならぬ、他に緊急手術はない、静かな空気が流れている。 幼い患者の傷んでいる腸を切除したり、それぞれの内蔵の大丈夫さを確認したり、二人の外科医はテキパキと処置して隆治は見惚れるばかりで何も出来なかった。 最後に腹部内を洗浄して無事終わり、岩井医師の宣言通りの一時間少しだった。 しかし、その時、隆治は視界がグニャリと揺れて目の前が真っ白になり、気を失なった。 →しかし、ぶっ倒れるとはねェ、そのタイミングも術後と言う優秀さを持ってるね、君は、と岩井先生の太い声で記憶が戻った。 佐藤先生が、→こいつ、全然、家に帰っていないンで疲れてるんですよ、と言い訳してくれていた。 結構、派手に倒れたらしい。 →患者さんをみてきます、とICUへ向った、「山下宅磨」と名札が下がっていて、始めて5才の患者の名前を知った。 この小さな人間を隆治は何としても生かしたかった。 翌朝、岩井、佐藤が患者を見下ろしながら、→抜管は中止、こりゃ厳しい、負け戦かなあ、と言葉が続く。 →腸管が張って横隔膜を押している、呼吸を邪魔している、数日は抜管出来んなあ、と呟く二人に、隆治は立ち尽くすばかりだった。
→ムンテラ(説明と同意、のドイツ語)するから父親を呼んできて、と佐藤医師に言われて、患者のベッドに付き添っていた心配そうな父親を迎えに行った。 病状を詳しく説明したアト、→ここ数日がヤマです、予断を許しません、と告げると、父親は立ち上って直角に腰を曲げ、→息子を助けて下さい! よろしくお願いします!と悲痛な顔で叫んだ。 看護婦と一緒に退室した父親を見送って、佐藤が力強く言った、→絶対、何とかするぞ、→ハイッ!
20代後半の吉川看護師は、いつも隆治の頑張りに好感を抱いてくれていた、患者の採血は看護師なのだが、佐藤医師からはトレーニングの為に、毎朝、隆治がやる様に指示されていた。 患者が痛がらないように一度で素早く血管を探り当てなければならない、その朝、5人の採血を終えた隆治は緊張感から汗だくになっていた。 同期の研修医・川村は、耳鼻咽喉科医で緊急な患者は滅多にいないので、結構、余裕のある優雅な生活振りだった。 その川村に強引に誘われて4対4の合コンに付き合った。 三人がCAだったが一人だけOLだった、はるかと名乗った色白の彼女と話している内に、→8年前に牛の町病院で母がガンで亡くなった、担当の先生は岩井先生で随分お世話になった、→その先生、俺の上司、と話が弾んでいた所に、携帯が鳴った。 →雨野先生、看護師の吉川です、何回も鳴らしました、宅磨君、さっき吐いちゃって、グッタリしちゃって、すぐ来てくれますか? タクシーに飛び乗って病院に急ぎ、白衣を羽織ったが鑑に映った顔は酔った赤さだった、洗面所で顔を洗い、口をゆすいで病室へ向うと、岩井先生が、→じゃ、挿管するぞ、と、佐藤先生、ナース二人で宅磨君の口を大きく開けていた。 人工呼吸器に繋いだ。 佐藤は淡々と言った、→遅い、もう全部終わった、ICUに行くよ、連絡して。 宅磨君は夕方に一度吐き、その後、又吐いて誤嚥性肺炎を起こして急激に呼吸状態が悪くなったらしい。 合コンに行く時に宅磨君の部屋を覗けばよかった、そうしたら吐いた事も知らされたかも知れない。 佐藤は、→雨野は研修医、呼ばれたら一番においで、今日、私も岩井先生も長いオペがあって、その後、研究会があるから早目に上がるよ、と言い付けていた筈、それなのに患者も放っぽり出して呑み会なの? 吞んで病棟に来る時はマスクをしな。 ただ、そんな先生に任せた私にも責任がある、けれど研修医と言っても医者は医者、同じ医師免許でやってるンだよ、私も岩井先生も。 たった一度のミスで患者を殺す仕事なの。 学生気分なら辞めな、命がけでやらなきゃ患者さんは助からない、私も岩井先生も何時も命がけなんだ。 →すみませんでした、と頭を下げると涙がポタポタと床に零れ落ちた。 隆治は情けない自分に悔しくて涙が止まらなかった。
その日以来、隆治は医局に泊まり続け、一日に3度は宅磨君の顔を見に行った。 二回目の抜管から一週間が過ぎた日、既に小児科の病棟に移っていた宅磨君は父親と一緒に笑顔だった。 →せんせー、ごはんたべたい ・・・手術から2ヶ月も経過していたが、いろいろあって、腸の動きがず~ッと麻痺していた、→ゴメンな、もう少しでご飯出せるから、と頭を掻く、それが面白いと嗤う子に、父親が、→こら、た~君、ダメだよ、と平和な時間が充満していた。
隆治がお腹を叩く「打診」を行うと、宅磨のお腹は、ボーン、ボーンと太鼓を叩いたような音がする。 腸が三倍にも四倍にも拡張して中に空気を溜め込んでいるので、共鳴しているのだった。 これを「鼓音」と言って、腸が全く動いていない証拠だった。 とてもじゃないが食事を出すどころじゃない、吐いていないのが不思議なくらいだ。 →お腹の腸が勝手にウネウネ動いて食べ物をウンチにしてくれるンだけど、今、腸がマヒしているんだ、もしかしてもう一度手術かも知れない、岩井先生と相談するから・・・ ウン、判った、と返事を聞いて佐藤女医に報告する。 →おならが出ていないから、お腹がぱんぱかりんだよね、もう一度開けるのは、あの小さい体力では結構ヤバイ、雨野、祈ろう、おならが出るように、腸が動く様に・・・と真剣な表情だった。 医者が祈るとはナンセンスであろうが出来る事は何でもやる、その中には祈る事だって含まれてイイのだ、目を瞑って、→頼む、頼む、神様、何とか治して下さい、あと少しの力を下さい。
父親に説明した、→明日良くなっていなければ手術に踏み切ります →そんな、そんな、まさか手術にミスがあったンですか! と怒り出して、そして泣き出した。 岩井先生は、→息子さんは今戦っています、凄く辛いと思います、でもとっても頑張っています、私達は全力でサポートします、おとうさんも辛くて必死に戦っているのも知っています、大丈夫、絶対に勝ちましょう! 父親は顔をクシャクシャにして、→ありがとうございます、と言って再び涙を流した。
翌朝、小児病棟のナースが駆け寄って来た、→大変よ、出たって! 宅磨君、おならが出たって! それも二回も! 病室に入ると宅磨は満面の笑みだっった、→すっごいクサイのが100回も、恥ずかしいから看護師さんには2回って言ったけど。 →お腹を見せて、と言いながらパジャマをたくし上げるとお腹が平坦になってへこんでいるのが判る、→宅磨君、よくなったねェ、と言いながら隆治は泣いていた。 ぽろぽろと溢れ出る涙を止められない、涙はぽたり、ぽたりと宅磨の足に落ちた。 →嬉しくて泣いているのさ、と不思議がる宅磨に言い訳した。 報告を受けた佐藤女医は目を真ん丸にして上半身をのけ反らせた。 →そうか、いやあ、良かったじゃない、おなら! と少し涙ぐんでいた。 →レントゲン撮っといで、岩井先生に見せよう、と意気揚々と言った。
医者になって数ヶ月、宅磨君の回復はこんなにも嬉しいモノなのか、がんの告知、死の宣告、看取った患者の死亡確認等々、辛い事も沢山あったけれど、医者冥利に尽きる事、この上ない。 ナースステーションに岩井先生が車椅子を押していた、乗っているのは宅磨君の母親、事故で骨折していて二度の手術で二か月以上も宅磨君と会っていない、状態はいつも岩井先生から報告されていたそうだ、→サプライズで、宅磨君、喜ぶぞ、と岩井先生が照れ臭そうに言う。 隆治は、→宅磨君、驚くなよ!とカーテンをさっと開けた。 →あ~ッ、と声だけでそのまま動かない、→た~くん、ゴメンね、涙声が呟く。 →ママ、ママだ、ほんものだ! →た~くん、よく頑張ったね、本当にお利口でした。 後ろで看護師が泣いていた、父親も泣いていた、隆治はこの瞬間を一生覚えているだろう、宅磨君よく頑張った、と目を瞑った。 体中に力が漲ってくる、最高だ!
(ここまで全293ページの内、大幅な中抜きとエピローグ抜きで最後まで。 ちょっとずつ泣く回数は減って来た研修医、雨野隆治・25才の第一巻である)
yuoutubeで公開されている、まるちゃん正麺の、味噌、醤油、塩のつくり方に嵌った。 美味しい、旨い! 商品そのものの出来上がりが生麺のようなので完成度が高い。 一人でもつくれるし、特に、味噌は絶品、フライパン二つで上々の出来上がり、ニンニクを入れ忘れたり、最後のショウガもうっかりした事があったが、ラードで炒めたひき肉も玉ねぎもモヤシも旨い。 付属の味噌ダレに生味噌を少しプラスするなんて絶妙。 まるでプロの味である、厭きない。 5個入れの袋麺で400数十円と安いし、今後は醤油も塩も絶品の味に近付けるよう、家内に代わって昼飯をつくろう。 醤油ラーメンのタレにも再仕込み醤油をプラス、とあったが、普通の醤油でも結構な上品な味だった。 このおかげで、ラードは冷蔵庫に入れちゃダメ、鶏肉、豚肉は冷凍庫だから事前に必要量だけ解凍、モヤシは買い溜めしていないとか、家内のルールが判って来た。 調味料もこんなにあるのか、と驚いたし、それぞれの置き場が微妙に違うのも、長年の主婦としての使い易さになっているのだろう。 全ての食品と調味料と料理道具が、我が頭の中に整理整頓されると料理もやり易いだろうナ、と思うが、簡単じゃないような気がするなァ。
女子プロ第5戦、2001年生れの山下美夢有・19才が新世紀世代(笹生優花・19才には世代の名前は無かった)と名付けられて健闘したが、狭間世代の稲見モネのtoday-6の、3打差逆転で競そり負けた。 稲見は小祝と並んで早くも今年2勝目である。 日本人の5連勝、トップ10も日本人ばかり、快調で嬉しい。 ・・・アメリカでは、マスターズ・トーナメントが開催されるオーガスタ・ナショナルGCで、梶谷翼・17才・高三が世界一のアマ女王に輝いた、日本人初の快挙とは素晴らしい。 2打差の-1で、トップに立っていた17番でダボを叩き並ばれた、ドキッ、危ない!と思ったが、プレーオフ1ホール目で相手がボギーパットを打つ前にドキドキのパーを決めて優勝した。 高三の強心臓に安堵した次第。 女子プロは本当に若い子が次から次と台頭してくる。 マスコミも世代の名付け方に四苦八苦するばかりだろう。
(ここまで、5,200字越え)
令和3年4月5日