令和3年(2021年)3月20日 第401回
文庫本3冊購入、中山裕次郎「泣くな研修医①」(単行本は2019年)、「々② 逃げるな新人外科医」(2020年文庫書き下ろし)、「々③ 走れ外科医」(2021年文庫書下ろし)、 作者は1980年生まれの現役外科医、現在は福島・郡山市の病院に勤務、この本は道新の広告で知った。
二条市場の傍を通ったので老舗のDラーメン店に入った。 カウンターに座ってマスクを外すと、女将らしきオバちゃんからイキナリ、→ラーメン食べる時までマスクしていて下さい、とダメ出しが入った、ヒョイと見ると、そういう貼り紙がある、一瞬、ムッとしたけれど、すかさずマスターから、→済みません、と苦笑が漏れたので気が鎮まった。 あの絶妙なコンビが永らく店を切り盛りしているのだろう、薄味の、昔風なあっさり醤油味で料金も750円と高め、自分としてはイマイチだったが、平日の昼時、アトから4人続けて入って来たのはこの味好みの常連さんだろうと思う、有名人の色紙が壁一面で、結構、繁盛しているかと推察できるが、自分は、また行きたい、という気持ちにはならなかった、寧ろ、あのおばちゃんの顔が浮かんで、もう行かないだろうと思う。 残念!
山口恵似子「トコとミコ」(文庫本、単行本は2016年)
昭和2年(1927年)、寺井勇作(35才)の小1の娘・美桜子に、母の南都子(32才)は、10棟程の「御小屋」と呼ばれている屋敷勤めの職員と家族が住んでいるところへ向かう娘に、→ミコ、あったかくして行きなさい、と念を押していた。 彼らが仕える六苑(むつその)伯爵邸は敷地3,000坪に建つ洋館だった。 構内では60人程の職員が働いていた。 大正天皇が崩御されたので、ロンドンから伯爵一行が帰国する、と邸内は準備に追われて蜂の巣をつついたような騒ぎだった。 ・・・正月8日、帰国するお殿様を迎える為に、職員の家族も含め100人近い人数が出迎えていた。 令嬢の燈子姫君はロンドン生まれ、同い年で、花束贈呈に選ばれた美桜子はドキドキしていた。 花束を受け取ったお姫様は、→サンキュー、べりマッチ、と言いながら頬ッぺにチュッとキスされて、美桜子は呆然とした。 勇作は、→御前様と奥様のご希望で、同い年の美桜子と尾形純子ちゃんが学友に所望された、と誉れ高そうに告げた。 美桜子がお屋敷の門を入ると、ナースの安川礼子さんが出迎えてくれた、ロンドンで燈子が生れてからず~ッとお傍にお付きらしい、伯爵夫人が国内の病院で気に入った方で、燈子の懐妊を知った時に日本から呼び寄せてお守り役に任じたのだった。 1月28日、尾形純子が肺炎を発症し、学友の任を解かれた。 それから美桜子一人でお姫様のお相手をする事になった。 英国刺繍を礼子ナースから教えて貰って判ったのは、お姫様のイニシャルはT・M 寺井美桜子はM・Tと、丁度逆さまだった事に歓び合った。 そして、「トコちゃま」 「ミコ」と呼び合うようになっていた。 ・・・この年の3月、六苑伯爵が大金を預けていたメインバンクが破綻したのだった。
燈子が成長するにつれお稽古事が多くなって、美桜子との逢瀬は週二回に減った。 小5になると美桜子には受験が待っていた。 燈子は自動的に昇級する女子学習院(本科11年)である。 母・南都子は自分の過去の失敗を省みて、どうしても公立の第一高等女学校に合格して欲しい、とプレッシャーをかけていたが、昭和8年(1933年)3月、美桜子は見事、合格を果たした。 伯爵夫人は、お祝いに二人に反物を選ばせた所、トコちゃまが、→ミコと同じ着物が着たい!と主張して同じ柄の反物を追加して購入したのだった。 三ヶ月後、新しく織り上がった反物が届けられた、二枚の牛首紬は生地も織りも柄合いも風合いもまったく同じであった、トコとミコは、→ずっと、仲良くしましょうね、二人がお婆さんになるまで、と固い約束を交わしたのだった。 この時には知らなかった事は、反物に先に目を付けた美桜子の糸の強度が、追加でアトから織り上げた燈子の糸の強度を三倍も上回っていたのである。
昭和13年(1938年)、六宛燈子は前川男爵の四男・実彦(朝鮮銀行勤務)と見合いさせられた。 入り婿候補で六宛家の家督を継がなければならない。 10才、年上だった。 一方、寺井美桜子は日本女子大(大学の創立に、渋沢栄一、大隈重信が協力した)を目指していた。 トコちゃまから結婚させられそうだ、と打ち明けられたミコは、→ミコには好きな人がいるの? と訊かれ、→尾形純子さんのお兄さん、暁さんが好きです、今は海軍兵学校に入って江田島にいます、と囁いて顔を赤くした。
六苑家の結婚式は1,000名を超える招待客だった為、帝国ホテルで二回の披露宴が行われた。 ・・・生れた子は春彦と名づけられ、燈子は跡継ぎを生んで人生最大の義務を果たした、と肩の荷が下りた。 乳母と看護婦がついているから、自らが世話をする事が殆ど無くて、赤ん坊の実感が薄かった。 →トコちゃま、美桜子さんがいらっしゃいました、と安川礼子が案内してきた。 燈子が師となって、英国刺繍と英語のレッスンで二人は時間を過ごす。 ・・・昭和16年(1941年)、正月の六苑家の来客は500人を超えた。 その中に能役者・珠江響の凛々しい姿があった。 響は、習い事のひとつにあった燈子の踊りの先生だった、当時の秘かな恋心に胸が焼かれる。 新鮮な空気を吸いたくて庭に出ると、海軍士官が直立不動の姿勢で、→燈子様、尾形暁です、と挨拶され、燈子は、ミコの想い人だわ、と顔を綻ばせた。 →日本は大きな戦争に巻き込まれないとは限りません、もし、そうなっても、私は心から燈子様をお慕い申しげておりますから、必ずお守り致します、叫ぶように言って駆け去っていった。 えッ、ミコはあの人が好きなのに、と呆然としたが、暁を追いかけて来た美桜子が物陰からじっと見ていた事なぞ、知る由も無かった。
日米が開戦すると、伯爵と婿・実彦は愕然とした。 二人とも米国に駐在経験があるので、物量の差を身を持って知っていたからである。 招集命令、帰郷、軍需工場の動員等々、60人の使用人は6人まで減少した。 美桜子は、女子大を出て大手出版社・三晃社に勤めたかったが、採用枠が無く、中堅出版社で燻っていた。 若者が応酬されて人手不足になった外務省が、始めて女性事務官を募集したので応募すると、見事、採用された。 その報告に訪れた美桜子は、上半身が着物、同じ生地のモンペ姿だった。 あの牛首紬で造り替えており、→アトから元の着物に仕立て直すの、と屈託ない。 ・・・珠江響が、→召集令状が来たので挨拶に伺いました、恐らく、今生のお別れになるでしょう、と訪れて来た。 そして激しく打ち明けられた、→ず~ッとお慕い申し上げておりました、しかし、身分が違い過ぎるのですっぱり未練を断ち切りましたが、恋しさは募るばかりでした、戦場にあっても毎日思うのは、燈子様の事だけでしょう。 燈子は稽古を付けて貰った日本間に招じ入れ、→わたしもず~ッとお慕い申しげておりました、と激情に駆られて帯も解かないまま、一度は果てた。 渇きが癒されてから二人は着物を脱ぎ捨て、欲望が歓びを呼び覚まし、更に欲情を搔き立てる、その果てしの無さに燈子は胸が震えた。 夫には感じられなかった恍惚感が燈子を包み込んだ。 →先生、ご無事をお祈りしております、と見送ったが、先生も私も全てを捧げた、思い残すことは無い、ずっと私は生きて行ける、と確信した。 ・・・二ヶ月後、燈子は身籠っていた、同時に響の戦死公告が届いたと伝え聞いた。 この子は先生の子だわ、先生の魂は私の中に宿っている、私の傍に戻って来てくれる。 ・・・昭和19年(1944年)7月、誰一人、父親を疑わない儘、娘・葵が誕生した。
昭和20年、寺井美桜子は玉音放送を外務省の仮庁舎で聞いた。 六苑伯爵邸は悪運が強く、ボヤも出さずに無事な姿で残っていた。 10軒ほどの「御小屋」は防火対策から取り壊されていて、生まれ育った住宅は跡形もない。 伯爵夫人と燈子と2人の子は疎開しており、伯爵と婿の実彦、尾形夫婦と女中一人が残っていた。 父・勇作は空襲で命を落とし、焼け出された美桜子と母・南都子は、邸宅の女中部屋に住むところを与えられた。 疎開先から帰って来たトコちゃまは、ミコ、と抱きつき、涙を零してすすり泣いた。 生きてこうして会えたのが奇跡の様に思われる。 春馬5才、葵1才の二人の子供も元気いっぱいだった。 美桜子は憮然として言う、→戦地から男が帰ってきたら外務省の女はお祓い箱です、だから、得意な英語を駆使して占領軍相手の仕事を探します。 ・・・9月中旬、→この家は占領軍将校宿舎として接収する、住人は48時間以内に立ち退く様に、と唐突な命令である。 美桜子は、鍛えた英語を駆使して、→こちらの伯爵は戦争反対だったが睨まれて軍部から迫害を受けていました、戦争が終わってあなた方迄、迫害するんですか、こちらの奥様・燈子様は子供を産んだばかりです、これから冬に向ってテント生活に追い込まれたら命に拘わります、この広い屋敷の片隅に住めるように御取り計らい下さい、と必死に訴えた。 →判りました、人道に反することは好むところでありません、と理解を示し、屋敷の中に壁を作り、同居することが認められた。 ・・・メイナード少将(50才そこそこ)と妻(40才ちょっと)は、なかなかの美男美女だった。 美桜子は、→トコちゃま、あの夫婦のご機嫌をとっておけばこれからの暮らしがうんと楽になりましてよ、と吹き込んだ。 →トコちゃまの着物を一枚、ドレスに仕立て直してジュネラルの奥様にプレゼントしましょう、 ・・・作戦は大成功! 大喜びの奥様だった。 燈子もキングスイングリッシュで受け答え、美桜子とともに優雅な会話が弾んだ。 そして、このドレスを買ってくれる将校の奥様の紹介を頼んだ。 プレゼントした翌日、砂糖・小麦粉・バター・粉ミルク・スパム・煙草がどっさり届けられた。 →ミコはまるで魔法使いね、とトコちゃまの顔は感謝と賞賛に輝いていた。 ・・・12月始め、メイナード夫人のお茶会で10人が集まってくれた、美桜子がドレスの特徴を流暢な英語で解説すると、着物から仕立てたドレス20着に全て買い手が付いた。 売れた大金は豊富な食料とドル札に化けたが、→退屈していた、遊びに行く場所も無いし、と愚痴っていた将校のマダム達だったが、恐らく男も一緒だろう、と考えた美桜子は、メイナード少将に提案した。 占領軍の男は万の単位でいるが、誰もが娯楽、遊ぶ場所に飢えている筈だ、ナイトクラブだ、→ここで開業すればジェネラル、あなたはひと財産作れますよ、それも占領軍の誰もが憧れる高級クラブです、純益の配分は少将が50%、私が40%、私の恩人の伯爵家に家賃代わりに10%、如何でしょうか? 美桜子は伯爵家の全員を集めて、→お酒と食料、最新流行のレコード等々の物資はジェネラルが調達、従業員は美桜子以外は全て男、実彦様は支配人、そして素人の学生バンド探し、給料は僅かだが食事はタップリ食べられる、弁当も付くという条件で。 母と尾形夫人は厨房でサンドイッチとお摘み、会計係は尾形のおじさまに、全員にちゃんと給料をお支払い致します。 トコちゃまの美貌とキングスイングリッシュはきっと別な活躍がある筈・・・。
名前を、クラブ・サンセットと決めた。 2月半ばにオープンすると、たちまち大盛況。 占領軍だけでは無く、新興成金族が多く、政財界、皇族、華族、芸能人、各国外交団等々、あらゆる客が押し寄せた。 メイナード少将は予想外の収益に、→会員制にしよう、あれこれランクを付けて、高い入会金と維持費をふんだくろう、そして皇族主催のパーテイを数多く開こう、パーテイ券はどれ程高くてもすぐに売れ切れるはずだ、誰もが社交界デビューが憧れの的になっているのだ。
その年の11月3日、新しい日本国憲法が公布されて施行は半年後の5月3日、六苑伯爵家にとんでもない財産税が課税された。 この時は骨董品や絵画等々の物納で乗り切ったが、残った土地・財産に更に富裕税が課せられるとは、誰も夢想だにしていなかった。 ・・・27才になった燈子が、→私も手伝いたい、と申し出てくれたので、新年から英会話教室を開いたところ、時流に乗り遅れまいとした希望者が殺到し、これも大成功に収めた。 美桜子は27才にして、主家の令嬢を雇う身になった、戦争前には考えられなかった事態であり、得意この上なく、心を満たしたら寛大になっていった。 ・・・昭和22年(1947年)、復員してきた暁は跡形もない「御小屋」を眺めて呆然としていた。 両親の尾形夫婦は歓びの涙に溢れ、その光景を前に美桜子はひたすらすすり泣いた。 これで全て上手く行く、と根拠のない願望を信じながら・・・。 半月後、クラブ・サンセットの用心棒を暁に勧めた、特攻帰りの生き残り、と触れ込めば強面の睨みが効く。
そして5月3日、新憲法によって華族制度が廃止され、伯爵夫婦は普通人となった。 美桜子は暁と婚約した、始めて抱かれたのに何か、虚しさが心に残った。 ある晩、燈子が慌てて走り去って行くのを見た、それは暁が平民になった燈子に襲いかかり、未遂に終わった瞬間だった。 美桜子は暁に、→出てって、江田島に逃げた様にトコちゃまから離れなさい、今は全て牛耳る美桜子に反逆出来る者はいない、全ての生殺与奪の権を握っているのだ。 ・・・昭和25年、朝鮮戦争が勃発し、メイナード少将にも出動命令が下った。 美桜子はこの年を最後にクラブを閉めた、将軍の援助が無くとも経営は揺らがなかったが、早目の撤退が利口だと判断したのである。 将軍が去る時、→あなたはこれからも絶対大成功する、と断言してくれたのだった。
(ここまで全316ページの内、157ページまで、クラブ経営の次は? 美桜子が手を打った会社は次々と成功する、そして、92才になった今、身を隠していたミコをトコが探り当てて訪ねて来た、実に20年振りの再会だった、・・・結構、スリリングな展開がある、代金750円の価値アリ) (ここまで、5,800字越え)
令和3年3月20日