令和2年(2020年)10月30日 第367回

またやった。 前回の年月、10月を11月と間違った・・・。

文庫本4冊購入。 安生正「レッドリスト」(単行本は2018年)、知念実希人「リアルフェイス」(単行本は2015年)、中山七里「笑えシャイロック」(単行本は2019年)、山本甲士「ひかりの魔女~さっちゃんの巻」(文庫書き下ろし)である。 2018、19年刊の文庫化、および文庫書下ろしとは、その短かい期間は読者にとっては有難すぎる。 心配なのは作者と出版社の懐具合である。

 

 

中山七里「夜がどれほど暗くとも」(文庫本、単行本は2020年3月)

・・・驚いた、たった7ヶ月で文庫化である。 このアト、11月末のテレビ放送を盛り上げる為の計略なのかなァ。 作者もハルキ文庫も承知の上だろうけど、上手く相乗効果が発揮されればイイけどナ。

 

週刊春潮(しゅんちょう)の副編集長・志賀倫成(みちなり)は部下の井波を叱責していた。 →取材対象の一人や二人、死のうが潰れようが関係あるか! それより雑誌が売れるかどうかだろ。  今回、井波が纏めた、今を時めくアイドルグループの能瀬はるみの不倫疑惑のスキャンダル記事は及第点をやれる。 ホテルから出てくる写真、既婚男性の素性も彼の妻からの証言も押さえてあるし、はるみが若さと知名度で籠絡した倫理的責任を追及し、男性の妻に同情的な内容に仕上がっている。 それなのに、校了直前で井波が疑義を差し挟んできたのである。 曰く、→この記事を出したら能瀬はるみは引退を余儀なくされて、既婚男性も世間に叩かれます、社会的意義があるんでしょうか?  →今まで不倫した大量のタレント・芸能人の中で、大衆から必要とされた人間はちゃんと生き残っている、この位のスキャンダルで潰れるのなら所詮その程度で、永続きしないのなら早めに引導を渡せ、人気商売を選択した時点で、不倫するならタレント生命を賭ける位の覚悟が当然だ、イイか、ウチの雑誌は読者の助平根性と嫉妬心と偽善に応える為に存在している、そして実際売れている、絶好調だ、春潮社の屋台骨を支えている仕事だ、もっと自分に自信を持て!  編集長の鳥飼も春潮社を食わせているのは自分達だという態度を隠そうともしていない。 副編集長の志賀もコンビとなって芸能ネタに舵を切り、多くの女性読者を開拓した自負があった。

 

二人のやり取りを見ていた鳥飼編集長は副編に言った。 →井波を説得させる言葉を副編に言わせて済まなかった、俺が言うべきだった、済まん、こういう仕事に真っ当な論理と大義名分をつける、余程の人格破綻者かへそ曲がりでなけりゃならん、そんな振りした常識人でなけりゃ説得できない、そんな役目をさせて申し訳なかった、ジャリタレ一人、スキャンダルで芸能界から抹殺したところで、寝覚めのイイもんじゃないが、決して本意じゃない、しかし、この週刊誌は読者の助平心云々・・・の下りは、正に正鵠を射ている、胸に刺さるな。

 

午前3時半、築20年の分譲マンションの1006号室・3LDKの自宅に到着した志賀には、妻の鞠子が待っていた。 鞠子も以前はマイナーな雑誌の編集だったから、校了で遅くなるのは充分承知だし、話も弾む。 息子の健輔はこの春、都内の大学入学と同時に、歩いて通える安アパートに引っ越した。 一人息子を溺愛している鞠子は自宅通学を進めたが無視されてお冠であった。 寝入ったと思った朝6時半、鞠子に起こされた。 不安そうな声で、→警察が来てるの。 モニター画面に映った警察手帳には、宮藤賢次と読めた。 ドアを開けるともう一人背後にいて、葛城と名乗った。 宮藤が、→志賀健輔さんの殺人容疑で御同行願います、本人も亡くなっています。 グラり、と足元が揺れる感覚、背後でストン、と痴呆顔した鞠子が尻もちをついていた。 ・・・取るものも取り敢えず志賀と鞠子は刑事に同行した。 検視は終って両親の面通しを待つだけだった。 途中、志賀は宮藤刑事に食い下がった。 →健輔が殺人なんて、とても信じられませんが、更に健輔が死んだってのは何ですか? →星野希久子さんは大学の講師で青年心理学を教えていて、健輔さんはその受講生です、そして希久子さんのストーカーでした、スマホには隠し撮りした画像、LINEでの彼女とのやり取りもありました、午前3時、合鍵を使って家に押し入って、希久子さんと夫の星野隆一さんを刺殺、その後、自分の胸を何回か刺して自死しています、凶器の指紋も健輔さんのひとつだけです、横恋慕しての心中を図り、ご主人の隆一さんはその巻き添えを喰った、と言うのが真相のようです。

 

遺体に対面した鞠子の慟哭、 →健輔!健輔え~、健輔え~・・・ 志賀も平衡感覚が乱れていた。 間違いなく息子・健輔だった。 このアト、司法解剖を告げられて鞠子は更に抵抗するが、それを避けられない事は、今までの取材経験から志賀には理解できた。 健輔のスマホもまだ返してくれない。 ・・・警視庁の出口に報道陣が群がっていた。 →週刊春潮の志賀さんですよね、お子さんに殺人容疑が掛けられているそうですが、潔白だとお思いですか? 普段報道している側として今のお気持ちを!  面前に突き出されるマイクとICレコーダー、カメラが、剥き出しにした悪意と好奇心で襲い掛かって来る。 志賀は取材する側とされる側の立場の逆転に呆然とし、マスコミの食い物にされる怯えで言葉が見つからない。 マスコミの追及は止まらない。 →インタビューに答えて下さい、される側になった途端、態度を豹変するんですか? 他人のスキャンダルを暴いている人が、息子さんが犯罪者だった事実をどう受け止めますか? 逃げるんですか志賀さん、あなたはそれでもジャーナリストですか!  やっとタクシーに乗り込んで横の鞠子を見ると、虚ろな目を車窓に向けていた。

 

個人や家族の在り方を激変させてしまう事は往々にしてあるが、まさか、わが身に降りかかろうとは・・・。 翌朝、鳥飼編集長に連絡を入れると、→息子さんの事は本当か? マスコミ各社からの問い合わせが凄い、有給休暇はタップリあるだろうから、暫く休め、これから葬式や警察の取り調べも続くだろう、当分出社に及ばず。 自宅蟄居命令は当然だろう、健輔は未成年であるから、その行為は志賀にも責任が及ぶ。 春潮社としては容赦なく取材の俎上に載せるしかない、そうでなければ春潮社の取材方針に疑義が唱えられるのだ。 志賀としては首を洗って待つしかない。 ・・・翌朝9時、宮藤刑事から、→解剖が終りました、ご遺体をお引き取り下さい、 と連絡が入った。 私も行く、と強情な鞠子と連れ立ってエレベーターで下りると、マスコミが群れを成していた。 怯えた鞠子が、→なに、アレ? →ご同業だ  →おとうさんもいつもあんな風なの? タクシー会社に電話して、部外者に発見され難いマンションの裏口に回って欲しい、とお願いする。 ・・・間一髪、彼らの追及を躱す事が出来たが、彼らの別動隊が警視庁に派遣されているに違いない。 ぞッとする。 これからは自分の採って来た取材方針がそのまま己に向けられる。 親兄弟、隣近所、職場や昔の知人にも容赦なくカメラが向けられる。 今まで、週刊春潮の餌食になった者が怨嗟と憎悪で一斉に襲い掛かってくる。 鞠子は外敵から身を護る様に丸くなっていた。 案の定、警視庁にはマスコミが待ち構えていた。 それを掻い潜ると宮藤、葛城刑事が待っていた。 →司法解剖の結果は、三人の死因は出血性ショックでした。 息子さんの犯行を否定する材料は何もありません、あなたは蚊帳の外に置くのかと言いますが、犯罪捜査は警察の仕事だ、あなたが蚊帳の内に入ってくる謂れはない、ましてや、あなたは雑誌記者だ、雑誌記者の出る幕じゃない。 宮藤は冷徹の下の悪意を覗かせた。 志賀は己の不明を恥じた、宮藤の言う通りだった。

 

葬儀社に任せた通夜は20数人だった。 鳥飼編集長が出席してきたので吃驚だった。 →会社の人間としてではなく、喪主・志賀の友人としての参列だ、せめてもの免罪符だ、罵ってくれて構わない、編集部としてはストーカー殺人の犯人を叩き、その背景を暴く、手加減すると風当たりが強くなる。  編集長の固い表情であるが、言葉の端々に侠気が偲ばれる。 →編集長の立場は理解しています。  横から、→この度はご愁傷さまでした、同じサークルの喜納みちると言います、志賀君が星野先生を殺したなんて、わたし、信じません、そんな犯罪傾向を持った人間ならとっくに敬遠しています。 髪が肩まで伸びた若い女性だった。 問いかける間も無く、祭壇に向かってしまった。

 

一週間振りに会社に行こうとエレベーターを出ると、マスコミが群がっている。 →改めてお話を! 被害者遺族には謝罪したんですか? ストーカー殺人を犯した未成年の息子に対する責任について! スキャンダルを暴いてきた春潮の副編の立場は? 我々に対して語る言葉のひとつもないのか! 志賀はスマホを向けた、→撮るなら撮れ、加害者家族に群がるアンタたちを撮る、アンタたちの会社も判る、一人づつ個人名も明記する、有名になれるぞ! 皆一様に逃げ腰になった。 顔を映されて言葉尻を取られる事の危険性を熟知しているから、尚更、尻ごみする。 強引に突破した。 口惜しさと恨めしさを孕んだ昏い視線が突き刺さる。 恫喝の手段を選んだ今、マスコミとの和解の道も閉ざされた。 知った事か!

 

病的精神の鞠子の手前、テレビのニュースも週刊誌も一切、遠ざけていたが、春潮社で確認した内容は、春潮社としての副編の説明責任を叩かれていた。 更には、健輔の中学時代、高校入学時の写真まで掲載、数多の談話から都合の良い引用と拡大解釈で健輔の人格等々を恣意的に歪めていた。 自分のやって来た手法が今、自分に唾を吐いていた。 編集長が言う。 →息子さんが犯人でない、という確証があるなら、署名入記事で反論するか? 他社に対して真っ向から論陣を張る、志賀健輔の冤罪を晴らす、どうだ?  →残念ながら冤罪を証するそんなネタはありません。 →社としては、容疑者の父親からコメントを取らなければならない、14才・中学生の一人娘の両親を奪った犯人・健輔を吊るさない訳にはいかない。 志賀は不意を突かれた、被害者遺族の事は全く考えていなかった、両親の祖父母4人は既に亡く、まさしく一人ぼっちらしい。 星野奈々美、それが天涯孤独になった一人娘の名前だった。 編集長のインタビューが始まった。 →志賀さん、息子・健輔さんはどういうお子さんでしたか?

 

「ストーカー殺人犯、実父の告白」と見出しの打たれた週刊春潮は売れに売れた。 売れた分だけ反響も凄まじかった。 殺人犯の父親の懺悔は一切なく、息子の回想に終始し、一言の謝罪も無かった志賀に対して猛烈な非難が集中した。 記事は鳥飼編集長が、犯人自身はともかく、父親迄、磔にするのは不合理、という信念に基づいたものだったが、これが裏目に出た。 抗議電話が殺到した、→あんなクズ社員を副編に据えているのか! 犯人の父親と言う自覚がない! 結果的に春潮社はストーカー殺人犯を擁護している。 ワイドショー番組も火を噴いた、ネットでは誹謗中傷が拡大し、志賀の個人宅と電話番号を晒し、マンションの壁には悪意の落書き、脅迫と無言電話が途切れず、鞠子の恐怖心は外出できず布団にくるまっているばかりだった。 春潮社に対する不買運動も始まった。 次号で半分以下に落ち込んだ週刊春潮、鳥飼編集長から内示が出た。 →春潮48に転属してもらう。 ・・・懲罰人事だった。

 

10年前に創刊した春潮48は、48才以上の読者層をターゲットにした健康情報雑誌で、その頃の読者はバブル時代を謳歌した世代だった。 春潮48は、最近は物議を醸す記事が連続し、春潮社の内部からもクレームが出ており、文芸誌を担当する編集長は、離れていく作家が出始めていく危機を訴えていた。 出迎えた楢崎編集長は、→ようこそ、今や噂でもちきりの春潮48編集部へ、志賀さんは編集者としての剛腕を活かして芸能ネタを追ってもらいたい。 楢崎は志賀を芸能記者として使い切る。 →ゆくゆくはヤクザネタ、下ネタも扱う、週刊春潮で追っていたネタをそのまま載せるのもアリだ、同じ出版社だから向こうだって文句は言うまい。

(ここまで、全296ページの内、86ページまで。 マンションを出たところで中学生の女の子に工業用カッターナイフで切り付けられた。 ハッキリと殺意を持った目で、→パパとママを殺された、殺した奴はもういないから親が責任を取れ、パパたちと同じように刺し殺してやる。 →俺達だって子供を亡くした。 →加害者側が被害者面すんなよ、クソ野郎! 星野奈々美だった。 ・・・志賀の精神がすり潰される日々が続く。 鞠子は実家に避難した。 志賀は独自に健輔の周囲を探った。 大学の数少ない仲間、その中に喜納みちるもいた。 殺された講師の合鍵はどうやって作ったのか、同じく作った男がもう一人いた。 健輔の動機が横恋慕だったという確信が薄かった宮藤刑事はその男の行動確認を秘かに行っていた。 一人住まいだった星野奈々美の家が放火された、水を被って飛び込んだのは志賀だった、何故? 最終章、相変わらずの中山マジックである。 文中、相反する目に遭った志賀の苦痛が重くのしかかるが、珍しくハッピーに終わるのが清々しい、お薦めである) (ここまで、5,500字越え)

 

          令和2年10月30日