令和2年(2020年)11月26日 第366回
楡周平「終(つい)の盟約」(単行本・2020年2月刊 図書館から)
藤枝慶子・54才は夫輝彦・55才と結婚して30年になる。 輝彦は糖尿病専門の内科医師である。 東横線沿線の川崎市にクリニックを開業してから21年、完治する事の無い糖尿病患者は長期の通院が欠かせなくなり、かつ、立ち並ぶ高層マンションで周辺人口も増え、常に予約でいっぱいである。 自由が丘の自宅は二世帯住宅、息子二人は既に独立している。 三年前に母がくも膜下出血で急逝し、父・久が今82才で彼らの家の二階のアトリエで好きな画を描いている。 父は温厚で世事に長け、話題も豊富、服装にも気を使う洒落ものだった。 父は自由が丘で内科のクリニックを開業していたが、伴侶を失った男は弱るのが早かった。 すっかり気力を失い、僅か1年半でクリニックをたたんでしまった。 最近は服装も乱れがちである。 同じシャツを4日も来ていたり、同じ様な事を話し続けるし、何よりも気になるのは、嫁をみる久の眼差しである。 全身を舐め回す様に瞳が動く。 気味が悪いとともに認知症の疑いがあるのでは? 病院で診てもらってと、慶子は夫に告げていた。 そして、事が起こった。 慶子が入浴中に脱衣室に入り込んで来た久が、剥き出しになった陰茎を握りしめて慶子の裸体を見つめていた。 →きゃああ~! 慶子の絶叫は凄まじかった。 輝彦は跳ね起きた、階下で只ならぬ異変が起きたのだ、浴室から絶叫が途切れない、脱衣所に全裸の慶子が蹲っていた。 →お義父様が、お義父さまが・・・、と叫んで泣きながらしがみ付いてきた。 →親父の様子を見てくる、と父の住まいに向かった。 リビング、ダイニングキッチンに姿が見えない。 二階か、二階には両親の寝室、亡き母専用の部屋と父のアトリエがある。 アトリエから明かりが漏れている。 →入るぞ、親父 ドアを開けたら目に飛び込んできた光景に絶句した、カンバスに向かう父の後姿、描かれているのは全て裸婦、そして男女の性交画だった、周囲の何枚ものカンバスもどれもが同じだった。 裸婦の顔は妻の慶子に酷似している! そこに狂気を見た輝彦は、全身から血の気が引く音が聞こえた。
翌日夕刻、輝彦は世田谷の老人内科専門の宅間クリニックを訪ねた。 父と宅間院長は医学部の先輩・後輩の間柄で、→万が一、自分に認知症の症状がみられた時には、先ず、宅間さんに相談しろ、と父から言われていた。 輝彦は昨夜の出来事を包み隠さず打ち明けた。 →なるほど、裸体画に男女の性交画ですか、それは驚かれたでしょうね、と心中察するにあまりあると、視線を落とした。 →父は画を描くのが唯一の趣味でした、ただ、静物画と風景画が主でしたが・・・ 入浴中の嫁を覗くなんて、あの父が・・・、画の裸婦の顔は妻によ~く似ているんです →あの藤枝先生が、と吃驚しますが認知症の疑い充分ですね、明日にもお連れ下さい。 輝彦は、自宅での介護は無理だと正直に言った。 裸体を覗かれた妻が、平静な心で日中二人っきりの自宅で介護できる訳がない。 →万が一、俺が認知症になったら家族で介護なんて考えるな、宅間先生に診断を仰ぎ、しかるべき病院、施設を紹介してもらえ、と言い聞かされていましたし、 随分前に渡された事前指示書には、延命治療は拒否する、死期が早まっても構わない、苦痛治療だけにして欲しい、と書いてあります、癌は優しい病気だ、死期が判るからそれまでに終活が出来る、とも言ってました。 宅間先生もしみじみ言う。 →私だって延命治療なんて真っ平です、患者・家族双方にとって苦痛以外の何物でもない、早く楽にしてあげたいと言っても、医者が安楽死に手を付ければ、それは殺人罪ですからね。 輝彦が帰ったあと、 宅間は感慨に耽っていた。 藤枝先生は13才上の大学同窓で宅間が入局した時の講師だった。 指導は厳しかったが、医師としての知識も腕も図抜けた頭脳明晰な、温厚な恩師だった。 助教授・教授も間違いなし、と言われていた人だっただけに突然大学を辞めて開業医になったのには吃驚した。 15年前、懇親の席でその理由を尋ねた。 それを聞いたアトの宅間の死生観は一変した。 その影響があって、12年前に老人内科に特化した。 藤枝先生と同じ考えを持つ隠れた医師グループの存在を知り、深くかかわる様になった。 その仲間の一人、馬渕先生に電話した。 藤枝先生が・・・・と説明すると相手は絶句した。 →私から紹介された病院に入院させるように、と言う藤枝先生のご意思です。 短い沈黙のアトに、→判りました、もし、認知症の発症が間違いなければ、お引き受け致します。
輝彦の弟・真也・53才は人権派弁護士である。 正義感が強く一途な性格は、融通が利かない頑固者・原理主義者で、収入には決して恵まれていない。 宅間から紹介された杉並中央病院(馬渕院長)で精密検査の結果、やはり、認知症だった。 レビー小体型と言われた。 それが判明したので父親の異変と明後日の入院を告げる為に渋谷のセンター街で落ち合ったのだった。 輝彦が語る浴室の覗き見、アトリエの裸体と性交画は真也には信じられない程の驚愕だった。 ましてや、妻にそっくりな顔の裸体、性交画等は慶子には絶対見せられないし、言えない、と輝彦は真也にダメを押しておいた。 ・・・真也の妻・昭恵は、「なに、私に介護を手伝えって事?」とイキナリ拒否反応を見せた。 新潟の農家の娘で、→東京に生まれるか、田舎に生まれるかで人生が決まってしまう、と一方的に口に出す女だった。 東京育ちの真也にとって、そんな視点が面白いと思って交際が始まった。 たちまち男女の仲になり、同棲生活が続いた。 大学4年の時、真也は司法試験に合格し、卒業直後に結婚する合意であったが、昭恵が妊娠したので、学生結婚となった。 昭恵は、文也が生まれた一年後には、教員免許を活かして私立中学校の英語教師の職を得て、家計を支えるようになった。 かたや、輝彦の息子二人はお受験を突破して都内最難関の私立小学校に入学した。 昭恵は初めて真也の経済力に不満を漏らした。 就学費用やその後の費用は富裕層に属する家庭でなければ合格も覚束ない世界であった。 →同じ家庭に生まれた兄弟なのに、どうしてこうも違うのかしら、と言う昭恵の目には嫉妬と羨望以外の何物でもなかった。 ・・・昭恵は教員の仕事があり、義父母・義兄の家庭との行き来が激減した。 総勢で高級店で外食しても支払いは、義父や義兄と言う肩身の狭い思いもあった。 子育てが終わった義姉・慶子は、美魔女として週刊誌のブラビアを飾る様になり、我が世の春とばかりに人生を謳歌していた。 昭恵は経済格差を思い知らされていくばかりだった。
文也は大学を卒業して学者の道を目指し、大学院を経て博士課程に進んだ。 今時、博士なんて・・・と猛反対した昭恵だったが、自分の人生だ好きなようにしたらいい、と背中を押したのが真也だった。 いま、文也は非常勤講師と言う不安定な職に就いており、昭恵の不満は尽きない。 →これ以上の低収入はもう充分なんじゃない、困っている人の為に働いて収入に繫がる仕事は消費者金融への過払い金の返還請求、B型肝炎の給付金請求等々、いろいろあるじゃない、貯えの無い今の儘、私が定年になって、あなたか、私が、もし、認知症になったら誰がどうやって面倒を見るの? 義兄さんのような経済力があれば別だけど・・・、本当に真剣に考えてね。 昭恵の言い分は全くその通りであり、真也はぐうの音も出ない。 地獄の沙汰も金次第、金が無ければ施設にも入れない。 兄の輝彦からは、→入院してからの費用は親父の貯えで足りると思うが、不足分が出たら俺が負担する、と言われているから、考えてみると、まったく充てにされていないという忸怩たる思いがあった。
杉並中央病院には認知症患者専門の介護施設が併設されている。 藤枝先生が入院して一週間後、宅間院長は馬渕院長・76才を訪ねた。 輝彦先生は二回程来ているらしいが、奥さんの慶子さんはまだ心の整理がつかなくて見舞いには来ていないらしい。 実の父のように慕っていた義父のあの行動は、それまでの人物像をぶち壊すほどの大きな衝撃であったろうから、もっと時間が必要だろう。 馬渕先生は、→藤枝先生はナースから赤いサインペンを盗んで、部屋の壁一面に男女の生々しい性交図が描かれて、女性の顔は全て同じ、恐らく慶子さんの顔でしょう、とため息を吐いた。 →藤枝先生がかって言われていた事ですが、全ての人間に平等に与えられているのは二つの瞬間しかない、生命を与えられる瞬間と死を迎える瞬間だ、と。 死生観の表れがあのような画かもしれません。 生命は生殖行為無くして生まれない、性交に快楽が無ければ人間は絶えてしまう、つまり性交は命を誕生させ、人間と言う種と社会を維持する為の聖なる行為です。 馬渕院長も画家を目指していて、日本画で身を立てる夢があった。 父の病院で待合室に飾った画が文芸誌の編集者の目に留まり、挿絵を頼まれてからはたちまち評判となり、数年に一度、個展を開く様になった。 銀座のデパートの個展に来られた藤枝先生と親交を結ぶようになった。 ・・・藤枝は明確な死生観を持ち、それに共鳴したからこそ、人生の終焉を迎えるに当たっての盟約を交わしたのであった。 その約束を果たさなければならない時がやってきたのである。 馬渕はスコッチのロックを一気に空けた。 決断を下すには酒の力を借りる必要がある。 →盟約は果たされる為にある、準備が整い次第・・・と、宅間に告げた。 →私が藤枝先生より、先になっていたかも知れない、そして私だって同じことを願っている、その思いは今でも変わらない。
父・久が入院してからひと月半、妻・慶子が見舞いに行くと言い出したので、輝彦は助手席に乗せて病院に向かっていた。 →お義母様は勿論、お義父様にも本当によくして頂いたのに、お風呂を覗かれたぐらいで・・・ 本当なら家で介護しなければならないのに、事前指示書迄残されていて、そこまで考えてくれる親なんていないわ。 前日、馬渕先生に妻を同行してよろしいですか?と電話を入れていたので、院長は受付まで来てくれた。 5年前に馬渕院長の個展に義父・義母と慶子、三人で伺って以来のご挨拶だった。 今日は朝方まで挿絵を描き上げたそうだ。 面会室で久と会った。 慶子は義父が好きだった手作りチーズケーキを口元に運びながら、話し掛けている。 →良かった、覚えていてくれて、と麦茶を注いでいた。 廊下に出て医者同志の話をしていたら、慶子の悲鳴が響いた →お義父様、何をなさるの、止めてください、止めてえ~ 輝彦が飛び込むと、久が慶子の手首を掴み自分の方に引き寄せている。 馬渕が羽交い絞めにした腕の中で、久は荒い息を吐き、目がぎらついている、明らかに正常じゃない、もはや狂気であった。 →風呂場で覗かれた時の、自分の陰茎を握りしめていたオスの眼付きだと思う、と震えながらの慶子の深い溜息だった。 院内の若い看護師にはこんなことが無かったから、やはり、慶子に対してだけの反応であろう。 慶子の父・英治は8年前に膵臓癌で亡くなっていた。 総合商社の専務から関連会社の社長の職にあった時、癌が発見されて既に転移していて手遅れだった。 栄治は紛れもない成功者だった。 そういう人間ほど生への執着は強くなる。 死への恐怖感は相当なモノだったろう。 父の最後のステージを義父も今、歩んでいると慶子は思い、→お義父様、可哀想・・・と思わず涙ぐむのであった。
昭恵は看護師長の友人、小倉美沙と小料理屋で近況報告をし合っていた。 高校時代からの友人である。 昭恵の義父の認知症が話題に上がった。 小倉の新潟の実家は両親とも健在、85才・83才で兄の家に同居らしいが、いつ、何があってもおかしくない、大きな不安を持っていた。 昭恵の新潟の実家は、父は亡くなっているが母82才で弟と同居中、こちらも何があってもおかしくない。 美沙が羨ましく言う →アンタのご主人の実家は自由が丘でしょう、クリニックを永年開院していたから貯蓄も半端じゃないでしょう、それに土地だって一等地よ、あなた方はそれを相続できるでしょ、羨ましい! 昭恵は真也が司法試験に合格した時に考えた、一生、食うに困らないという己の打算を思い出していた。 →相続、義父があんな状態なら、あるかも知れない
(ここまで、全432ページの内、僅か87ページまで、死生観を同じくした者たちの盟約とは? 認知症がますます酷くなっていった久は、馬渕院長の病院で心不全で急死した、真也・昭恵には現金・預金を兄弟で折半した莫大な遺産が入るが、小倉美沙から更にけし掛けられて、真也が二世帯で住む兄に相続放棄した土地・家屋の金額が大き過ぎる、絵画や調度品の相続だって残っている、と真也を責めた。 文也が将来性が見えない大学の非常勤講師を辞めて医科大学に入り直し医者を目指したいと言い出したが、折角の相続遺産が6年間の学費に消える焦りと恐怖が昭恵を襲う。 更に昭恵の母が施設に入り、その全額を負担すると昭恵の弟に真也は胸を張った。 看護師長の美沙が、久と同じ病院で5年前に大学教授が認知症で入院、自分の便を振り撒く症状が酷かったが、あっさり、心不全で亡くなった事実を不審事として焚き付ける。 昭恵は、義兄宅の幸せの絶頂期、上の息子に二番目の子の誕生、下の息子の結婚も決まり綺麗なお嫁さん、同じような歳のこっちの息子は30才目前にして医科大学への入学、そんな嫉妬心が美沙の知り合いのジャーナリストに不審事を嗅ぎまわせる事になった。 宅間院長、馬渕院長にもジャーナリストが迫る。 緊迫の状態が続いていた時、真也がまさかの認知症を発症する。 輝彦と吞んでいた時、真也の携帯に →今日の会合に何故来ない!!と大先輩の弁護士から激怒の声、慌てて行こうとするが、→兄貴、俺の行くところが判らない 最近続いていた度忘れの症状が認知症の始まりだった。 真也は輝彦に心から願った。 無様な格好になりたくない、俺も兄貴と盟約させてくれ、きっとだぞ! ここにも終の盟約が成った。 (ここまで5,900字超え)
アメリカのZOZOチャンピオンシップは予選落ちのない76人で開催された。 日本勢8人は松山が最高・28位タイで5万ドル、以下、小平3.7万、金谷2.7万、石川1.5万、今平1.4万、堀川1.4万、星野1.3万、関藤1.3万と、合計18.3万ドルを稼いだ。 最低、アメリカ遠征費は稼げたことだろう。 それにしても世界の壁は厚い。 19回目の図書館、2冊返却、予約の文庫本2冊を借用した。
令和2年10月26日