令和2年(2020年)9月15日 第358回

 

中山七里「ワルツを踊ろう」(図書館から文庫本、単行本は2017年)

溝端了衛・39才は、生まれ故郷の東京都西多摩郡依田村竜川地区の実家で目覚めた。 「美しき青きドナウ」の目覚まし曲をセットしていたので何時もの快適な目覚めだった。 竜川地区は300m四方に7軒だけの限界集落である。 携帯も圏外の山ン中であった。 裏庭の釣瓶式で汲み上げる井戸の水は、冷たい!美味い! 実家に移って来たのが一週間前、住民票を移動させたのが5日前。 30m離れた隣家が地区長の大黒(だいこく)家なので、父の葬儀のお礼と引っ越しの挨拶に伺った。 中学卒業で離れて以来、20数年振りの故郷だった。 ところが軽装な上に手土産無しを皮肉られ、加えてどこに勤めていて給料なんぼだった、と立ち入ってくる。 ここには生活保護者もいるし懐具合を見た付き合いがある、と言う。 70才過ぎの妻も同調していた。 これからどうやって生活を立てるのか、と訊かれても葬儀が済んだばっかりで何も決めていない。 そもそも、リーマンショックの影響を強く受けた外資系の金融機関をリストラされたばかりである。 失職と時を同じくして療養中の父が病院死し、母親はとっくの昔に他界していたので、身内は了衛だけだった。 土地建物の不動産評価額が呆れるほど安かったので相続税も発生無し、住居は家賃の支払いも無いのでしばらくは貯金の取り崩しで生活できる。 じゃ、当分暇じゃな、と決めつけられて定期健診の受診可否を貰いながら残り5軒に挨拶したらどうじゃ、と体良くその役目を押し付けられた。 矢印の大黒→雀野(じゃくの)→野木元→多々良→久間(きゅうま)→溝端(みぞはた)の順番で回れと指示された。 一軒足りないのは地区の外れの能見(のうみ)で、役場に密告して生活保護を打ち切られた恨みを買い、村八分に遭っているらしい。

 

更に50m離れた雀野宅はかって同級生の忠雄がいたが、今は、長い事帰って来ていない、と奥さんが嘆いていた。 雀野さんは副地区長で大黒さんとベッタリの感じだった。 更に100m離れた野木元宅、昔は妻子がいた筈だが今は一人暮らしだという。 家庭内暴力とパチンコ狂いが原因だったらしい。 家の中はまるでゴミ屋敷だった。 村役場の傍にある一軒だけのパチンコ屋にこれから出かけるという。 坂道を20m上がると多々良家だった。 ず~ッと独身で今年60才。 両親が亡くなってからは一人暮らしが永いと聞いた。 丁度、ライフル銃の手入れ中だった。 害獣駆除の猟師免許も持っている。 →お前のオヤジは役立たずだった、屋根には上れないわ、雪かきは出来ないわ、ホントにどうしょうもなかった。 ここでは助け合う体力が勝負よ、お前も弱っちィなら都会に帰れ、と容赦もない言われ方だった。 次は久間宅。 今年72才の依田村役場OBである。 奥さんは了衛が村を出る前に物故していた。 村ではエリート扱いされている怜悧な能吏であった。 最後は竜川の端っこの能見宅。 今年59才の能見さんは以前は妻子と三人暮らしだった筈だが今は一人だった。 実はもう20年も前、小児結核で息子を失い奥さんにも感染してアトを追うように亡くなった。 地区長を始めこの竜川地区全員が遺体をここに入れるな、老該は感染すると言って自宅では無く依田村の葬祭センターで弔った。 それには了衛の父親も同じく意見に従うしかなかったのは仕様がない。

地区長として自分の考えを押し付けたがる大黒夫婦

田舎の論理に固執し、都会の論理を厭う雀野夫婦

快楽主義に身を委ねて放埓に生きる野田元

独自の指針をもち、それ以外は軟弱と決めつける猟師の多々良

怜悧な感性、それ故に弱者に冷たい久間

ここの住人はこんな風に感じられる。 能見さんは、「理不尽を憎む気持ちは必要で、それを糾そうとする人は尊敬しますが、あなたの正義感は僕じゃなくて別の誰かに発揮しなさい」と、一番マトモな人だと思った。 ここを終の棲家と決めたのは早計だったか? 帰宅途中、首輪のない柴犬の子犬が道端の草を夢中になって齧っている。 捨て犬だろうか? 了衛は抱いたまま連れ帰った。 (こうして了衛は村の為にどうすれば皆に溶け込めるか、いろいろな行動を起こした。 先ず、金融会社の知識・経験を活かして資産運用の相談会を開いたが、誰からも鼻で笑われた。 資産価値の無い土地・建物だけで、金などあろう筈もない。 結局、相談者ゼロ。 次はカラオケ大会と懇親会を自宅の庭で開催。 カラオケ機器のレンタル、ビール・酒、寿司やお摘みを自費で揃えるも、二組の夫婦に飲み食いされて余った酒もお摘みも持ち帰られて、カラオケ無しで終わった。 翌朝、カラオケ機器が滅茶苦茶に破壊されていて、機器の弁償金他、総費用70万円程の損害を受けた。 その他、窓ガラスに石を投げ付けられ、軒先に糞尿をバラ撒かれ、猫の死骸迄放り込まれた。 ・・・そして愛犬「ヨハン」が殺された。 了衛に対する、悪意、蔑視等々、竜川地区全員の悪行や醜い顔が胸に浮かんでくる。 完全に村八分にされて追い詰められた憤怒の了衛が考えた乾坤一擲の恐ろしい策は? 数々の嫌がらせの実行犯は誰だったのか? 了衛を追い詰めたウラのウラの事情とは? そして又もや、驚愕のどんでん返しが待っていた、中山七里、お得意の最終章である。 ただ、題名のワルツを踊ろう、の意が良く理解出来ない。 クラシックが好きな了衛にちなんだ題名と思うが、最後の了衛の行動がワルツを踊った事になるのだろうか? 才能豊かな作者は、高尚なギリシャ神話やクラシックが得意なのである)

 

 

中山七里「セイレーンの懺悔」(文庫本、単行本は2016年)

(セイレーン~ギリシャ神話の海の怪物、半身女性で半身魚体、美しい歌声を聴かせて、滂沱の涙で感激する船員を翻弄し、船を座礁させる怪物)

BPO(放送倫理・番組向上機構)の放送倫理検証委員会から3件続けて勧告を受けた帝都テレビでは、簑島報道局長の怒りの会議が開かれていた。 看板報道番組である「アフタヌーンJAPAN」で取り上げた、重要文化財となっている建造物の悪戯書きは社会部の自作自演であった。 岐阜県で起きた、県が土木工事で裏金を作った、と言うスクープは、ネタ元の建設会社役員の証言は全く虚偽で、工事を受注したライバル会社への妨害工作だった。 大誤報の上、ライバル会社に対する偽計業務妨害の手段となった事から、社会部長の更迭に及んだ。 そして決定的な、「平成切り裂きジャック」と言われた、臓器を持ち去られるという殺人事件が連続し、「アフタヌーンJAPAN」で、犯人に対して捜査本部の管理管に呼び掛けをさせたのであった。 鶴崎と言う管理官は出世欲と自己顕示欲の権化のような男だった。 「お前の狙いは何だ、欲しいものは何だ、単なる復讐心か、それとも体の一部が欲しいだけか、私が言いたい事を聞いてやる」 律儀?な犯人はすぐ三人目の犠牲者を手に掛けた。 鶴崎管理官の軽挙さは左遷・降格の処分となり、帝都テレビの倫理観にも世間は反発心と猛烈な批判が繰り返されたのであった。 ・・・社会部に配属されて二年目の朝倉多香美は、二人三脚で取材している先輩の里谷太一が吠えているのに吃驚した。 今回の切り裂きジャックの件を仕組んだ住田プロデユーサーと兵頭デレイクターの顔が見えない事をいいことに、二人を痛烈に批判していたのである。 恐らく責任転嫁の謀り事に違いない、と。 自局の報道審査委員会が検証番組を制作すると、当然、粛清が始まる。 人事異動もあるだろう。 内部規制が強くなると誰もが失敗を恐れる。 大胆な取材方法は影を潜めるからスクープなぞモノに出来ない。 人も育たない。 他局の後追い報道しか出来なくなると、「アフタヌーンJAPAN」の視聴率はガタ落ちになる。 社会部が特ダネを追えない状態に陥ったらこの会社に入社した意味が無い。 ジャーナリストから落ちこぼれるなんて・・・ 多香美は恐れおののいた。 里谷は言う、窮地に陥った時の起死回生は、やっぱり、特ダネを取るしかない。 委員会の標的は俺達ベテラン組だろう、だからノーマークのお前が特ダネを拾ってこい! 席に戻ると兵頭Dが、「誘拐事件だ、警視庁に行け、恐らく報道協定だろう」と指示されたのである。

 

警視庁に出向くと、雛壇に三人の顔が並んだ。 村瀬管理官と津村捜査一課長と桐島警部である。 誘拐されたのは16才の女高生で、「娘の命と交換に一億円を用意しろ」と固定電話に掛かって来た。 父親は契約社員、母親はパート勤めで決して資産家ではない。 祖父母は両方とも他界、親戚には資産家はいない。 →今、犯人からの連絡待ち、被害少女の安否も確認されておらず、実名と住所も発表出来ない、今夜9時まで待って欲しい、マスコミ各社には報道協定を要請する。 里谷は多香美に、→桐島警部の一の利き腕、宮藤(くどう)刑事の居所を探ろう、桐島班のエースは必ず被害者宅に出張ってる筈だ、警視庁から出たらアトを付けよう。 捜査本部が万一失敗した時、それは遺体発見や犯人逃亡の瞬間に報道協定は解除され、報道各社は挙って警察と犯人の動きを追う。 そんな時に宮藤刑事や桐島班の動きを掴んでおく事がスクープに繫がる、イイな。 ・・・午後9時、被害者名は東良綾香(ひがしらあやか)、両親は東良信弘氏と律子さん。 葛飾区東葛飾青戸9丁目、と村瀬管理官から発表された。  →戦闘開始だ、俺の車で行くぞ  型落ちのレガシィはヤニの臭いが滲みついていた。 被害者宅は建売の同じ様な家が並んでいる団地だった。 なぜ、ここの住人が誘拐されたのか、必ず原因がある筈だと里谷は言う。 案の定、一時間ほどで宮藤刑事がやって来た。 路上駐車の車に目を配る様は間違いなく刑事の目だった。 「今晩は、宮藤さん」と里谷が声を掛ける。 180cm超えの30代半ば、洒落た服を着せればモデルで通用しそうな風貌をしている。 →報道協定があるのに被害者宅の近くで何をしている? →被害者宅ではない、アンタに張り付いていれば誤報は避けられるだろうし、犯人に一番近い刑事だろう  →誤報ばかりの帝都テレビの広報になった覚えはない  →明日になったら判ってしまう情報でイイ、何か教えてくれ  →しつこい、何も話すことはない 里谷は、→こっちは俺の相棒、と多香美を紹介してくれたが、 →君も声高に報道の自由を叫んで規制線の内側に平然と乗り込むタイプか?と、侮蔑が感じられる言い方だった。 思わず感情的に言い返す  →許可されない場所には真実が隠されています、私達は大衆の知る権利に応えます →大衆の誰もが真実を知りたい、と本当に言えるのか、我々は誘拐された子の救出に命を張っている、取材で邪魔をするのだけは許されない、普通の家庭の子なんだ  多香美は必死に言い縋る →16才の女子高生に普通の娘なんていません、みんな、胸の中に何か爆弾を抱えて、不安で不安で堪らないんです  宮藤刑事は毒気を抜かれたような顔になった。 →貴重なご意見有難う

 

少し移動して警視庁のワンボックスカーを見張る。 明け方、数人の男が車に乗り込んで発車した、同時に周辺の何台かも走り出した。 里谷が吠える。 事件が動いた! 追うぞ! 四ツ木の廃工場「羽川生コン」の朽ちかけた看板、刑事が駆け込んでいった。 里谷が指示する、 →付近の5階建ての雑居ビルから俺は探る、朝倉は工場の周りからデジカメで探れ、イイな! 万一、お前が初めての遺体だとしたら覚悟がいるぞ、心してかかれ! 工場の裏側の蜘蛛の巣を払いながら、土砂の上に乗ってガラス窓から覗いた。 デジカメに死体の顔が目に入ってきた。 赤黒く焼け爛れていて皮膚の一部がはがれ落ち、瞼は開いたまま、白く濁った眼球を晒している。 顔全体が火ぶくれで醜く膨張している。 恐怖感で不意に叫び声が口から出た。 腰からも力が抜け、多香美はズルズルと土砂からすべり落ちた。 誰だ! 逃げる間も身を隠す間もなかった。 しかし、宮藤が何だ、君か、帝都テレビの記者ですよ、と刑事達に告げていた。 摘まみ出せ! 排除しろ!と指示が飛んで、宮藤に軽々と抱き上げられて道路に降ろされた途端に、あの死体の顔が蘇り、四つん這いになって大量に嘔吐した。 死体を見たのは初めてか、と宮藤がティッシュを手渡してくれた。 ほい、と言いながらデジカメも一緒に。 当然の事ながら何も写っていなかった。 もし、写っていれば消去させる、あんな凄惨な写真を茶の間に届けられる訳がない。 多香美は唇を噛む、確かに宮藤刑事の言う通りだった。 そこに里谷が謝罪に来たが、返す言葉で、被害者が殺されたんだな、と突っ込むが、解剖しなけりゃ何も判らない、と宮藤は断じる。 多香美は言った。 →里谷さん、私見ました、人相が判別できない程、顔が焼け爛れていました。 里谷が食い付く、→それはどういう事だ。 →生コン工場にはミキサーを使用後に希硫酸で洗浄する。 その希硫酸が残っていて、顔を突っ込んだままだった、アトは想像が付くだろう、とだけ答えて、更に激しく言葉を浴びせられた。 「俺達は被害者とその家族の無念を晴らす為に働いている、だけど、あなた達は不特定多数の鬱憤を晴らす為に働いている、野次馬と何処が違う」

(ここまで、全375ページの内、78ページまで。 里谷と朝倉のコンビは、特ダネを焦った上司のプロデューサーとデレィクターに追い込まれ、若干の不安のまま書いた記事が「アフタヌーンJAPAN」の報道で、又もや大誤報となった。 里谷が関連会社に飛ばされ、一人になった多香美が参考人として尾行した男に、あの生コン工場で襲われ、危機一髪で宮藤刑事に助けられた。 捜査陣が手を拱いていた状況の中で、殺人未遂の現行犯逮捕となって真犯人の自白が容易になったのだった。 殺人未遂で助けられ犯人逮捕のキッカケとなった多香美は一躍マスコミの寵児となり、自局の報道番組でありながら自分の進退を考えずに、テレビで、心から反省し、犠牲者、取り巻く人々、捜査陣等々、世間に向かって懺悔したのであった・・・) 

 

 

大相撲が始まった。 ゴルフの無観客と違って、少数とは言え観客がある分だけ力士も奮起している筈だ。 大関二人のイキナリの明暗、どちらの力士の相撲も好きなのでこれからである。 我が町の幕下力士もイイスタートを切った。 暇な身、故の毎日の4時間の楽しみである。

(ここまで、約6,000字)

              

                 令和2年9月15日