令和2年(2020年)7月30日 第344回

Oさんから単行本・新刊2冊。 笹本稜平「希望の峰 マカルー西壁」、中山七里「毒島刑事 最後の事件」、図書館分と併せ貯まって来た。 文庫本で買いたいモノも8冊程あり。 どうするかなァ。 やっぱり、返済期限付きの図書館分が先だろうなァ。

 

 

山口恵以子「食堂のオバちゃん② ~恋するハンバーグ」(文庫本、単行本は2016年)

第一話・覚悟のビフテキ

昭和40(1965)年10月、はじめ食堂が佃の街に開店して半年、嫁の一子の提案で一(にのまえ)孝蔵は帝国ホテルでは考えられなかった、ロールキャベツのホワイトソース煮(邪道?)を誕生させた。 お互いに一目惚れだった、孝蔵・24才と一子・18才(高校中退)で結婚した二人は、14年後、孝蔵の生まれ育った街・佃で、父がやっていた寿司店を改造して洋食屋「はじめ食堂」を開店した。 帝都ホテルの副料理長を辞めて独立する話を聞き付け、松方英次・25才と日室真也・22才は弟子入りを直訴して来た。 二人の経験者を雇えた事は、はじめ食堂のスタートにとって幸運な事だった。 同じ通勤路線の二人は今日も10時に出勤してきた。 11時半、一子は電飾の看板とランチ定食の内容を書いた黒板を出す。 すぐ目の前の石川島播磨重工業の社員、月島の住人、更には佃大橋を渡った明石町からも来てくれる。 何を食べても美味しいのが判っているから、毎日のように来てくれる常連客が多い。 週に2~3度の女性客も今、ランチ選びに悩んでいる。 この人は月に2~3回、昼からビフテキを注文する。 一子と同年配、いっても35才迄と思うが、大女でもないしプロレスラーでもないし、しかし、どことなく貫禄があった。 不思議な人だと、一子には気になる存在だった。 満席で27人、混み合うホールの仕事を一子は一人で蝶のように軽やかに飛び回る。 そして必ず、ひと声掛ける。 客商売のお愛想である。 一子は中学生の頃から銀座裏のラーメン屋の看板娘だった。 孝蔵は初回からラーメンと一子にぞっこん惚れ込み、通い詰めて結婚に至ったのである。 「佃島の岸恵子」と謳われるほどの美人の一子は、その笑顔と愛想の良さ、そして気風のイイ女だった。

 

昭和40年は東京オリンピックの翌年だった。 父の貞蔵は前年に脳梗塞に襲われ、半身不随になって「寿司貞」を廃業せざるを得なくなった。 あくる年の初め、突然、千葉県館山市にある最新式の住居型施設に入ると宣言して、連れ合いの小春と共に移り住んだのであった。 永年、寿司屋の親方として弟子の上に立ってきた誇りが、家族の重荷になって暮らす事を良しとしなかったのである。 「一子を銀座の有名レストランのマダムにさせる」と頼もしい限りの孝蔵だったが、「済まない、俺はここで店を開きたい」と、胸の内を語ってくれた。 「あなたがちゃんと決めた事なら私は満足よ」 前年はオリンピックでホテル業界は多忙を極めていたので、既に見つけていたレストランの物件もありながら、退職の時期を延期していたのだった。 一子は結婚してからは佃の家に入り、貞蔵・小春夫婦と一緒に暮らしてきた。 長男の高も生まれた。 「寿司貞」のお運びや会計も手伝っていた。 だから、この土地にも店にも愛着があった。 しかし、開店当時は孝蔵は帝国ホテルの高級な味の美味しいランチを三分の一の値段で客が群がってくると、信じて疑わなかったが客足は一週間でガタ落ちした。 一子は、下町の食堂に必要なのはご飯のおかずであって、フランス料理ではない!と孝蔵の意識を変えさせた。 更に、「寿司貞」で晩酌を楽しんできた「魚政」の政吉さんから乞われて、酒の摘まみにカルパッチョ等々を提案した。 政吉の息子の正夫がリクエストしたオムレツの乗っかったチキンライスは今でも人気メニューである。 腕の立つフランス料理の名コックを、腕を訛らせずに街の食堂になり切らせた一子の大ファインプレーだった。

 

その年の暮れ、午後8時過ぎ、少年と言ってイイお客様が来た。 一子は、食い入るようにメニューを見入っているお客様に声を掛けた。 悩んでいたようなので、「失礼ですがご予算は?」 「5,000円あります」 「まァ、それは大金、ウチではその半分でも食べ切れないですよ」 少年は、「ビフテキセットで!」と声を張り上げた。 この時期、ビフテキと言うのはご馳走の代名詞で、それなりの覚悟が必要だった。 20才にもならない少年なら尚更である。 250gのステーキとご飯二杯を平らげた少年は、「美味しい! ご馳走様でした、実は5,000円は嘘です、警察に突き出して下さい」と椅子から立ち上って最敬礼した。 厨房から英次と真也が飛び出し来て、「この野郎!」と胸倉を掴んだが、アトからゆっくり出て来た孝蔵が、「訳を話しなさい」と椅子を勧めた。 少年は、「三年前、中卒で青森から集団就職して佃の町工場に勤めました、住み込みで、ず~ッとタダで住まわしていると言われて、日曜も働きました、今朝起きたら親父さん夫婦が夜逃げしてました、三年間の僕の貯金通帳も持って行きました、親爺さん夫婦が、以前にここで美味しい食事をして来たと言っていたので、最後に自分も食ってやろうと思いました、本当にすみません」 頬を伝う涙が幾つも転げ落ちていた。 少年の名前は西亮介、孝蔵は今日の売り上げの札を掴み出し、「兄ちゃん、これで一先ず青森のクニに帰んナ、貸してやる、アトで利子をつけてキッチリ返して貰う、ご両親に隠さず今度の事を説明しな、年が明けたら、東京へ戻って来てここで働け、毎月の給料から利子と元金とキッチリ返して貰う、解ったナ!」 無銭飲食で警察に突き出されもせず、お金迄貸してくれて、信じられない顔の亮介は何度も振り返りながら去って行った。 英二と真也はまだまだ不審げだったが、正月明けにアイツが来なかったらその時はその時よ!と孝蔵は意に介しなかった。 「田舎から出て来た子供をこき使って、その上、チビチビ貯めた有り金まで持ち逃げする奴ァ、人間のクズだ、東京は人間のクズばかり、と思われたら悲しいじゃないか」 一子は、「素晴らしい! ホントにそう、孝さん、大好き!」と抱き着いた。 

 

翌28日、今年最後の営業日、昼の客の一人がテーブルからズルズルと崩れ落ちて床に倒れ込んだ。 どいて!といつもランチを食べにくる女性客が、倒れた客の顔を一瞥するなり、「心筋梗塞よ、救急車!」と叫び、タイトスカートを捲し上げて男に乗っかり人工呼吸を始めたのであった。 救急車が到着すると、「私も同乗します、代金はアトでお願いします!」と、テキパキと頼もしい限りだった。 その夜の閉店間際、あの女性客が「患者は命をとりとめました、お昼のお代をお支払いします」と報告にやって来た。 問われて彼女は、「私は佐伯直、聖路加病院の心臓外科医です」と告げ、大きな手術の前には気合を入れてここでステーキを食べます、と心ウチをさらけてくれた。 二三は今日のお昼の代金は常連さんを助けて頂いたお礼、これから料理するステーキは今日の手術の成功を祝って、お店からのサービスです」 「有難う、ここのステーキ無しで年は越せないもの・・・」 佐伯医師の笑顔が満開だった。

 

第2話・ウルトラのもんじゃ 

孝蔵・一子・高一家は、年末年始を父母のいる館山で過ごした。 貞蔵は車椅子の生活だが、いら立ちや嘆きが消えて穏やかな表情が何よりだった。 正月が明けると西亮介が青森からやって来た。 この恩は生涯忘れちゃならない、と両親から固く言い付けられて、感謝の手紙も持たされていた。 館山に行った父母の住んでいた部屋に住み込みの最年少店員である。 18才だが童顔で小二の高がさっそく兄弟が出来たかのように懐いている。 亮介も請われればキャッチボールでも相撲でも、気軽に遊んでやった。 亮介の実家はリンゴ農家、今日は定休日の月曜日、木箱に入ったリンゴが届いて釘抜きで開けると紅玉の香りが広がった。 一子は5個ずつ包んで明日、英次くんと真也くんにあげるわね。 日曜日は家族連れのお客様が多いから、今度は焼きリンゴを作るか、と孝蔵もその気になっていた。 亮介は朝一番に起きて一子の朝食支度を手伝い、開店前の店の清掃も買って出た。 料理のド素人としての覚悟が見えた。 「追い回し」の雑務であるが、働き振りが真剣で三人の料理の足手まといにならないよう、何度も反復して必死で覚えようとする姿勢を皆が見ていた。 自費で買った野菜で皮むきや切り方の練習も続けていた。 地道な努力はジワジワと結果が出てくる。 一子は、「まじめで熱心、亮介くんは見込みがあるわ」と孝蔵に言うと、そろそろ、部屋を借りてやろう、ここにいたら24時間・365日気が抜けないだろう、その内、油が切れてしまう。 ・・・そこまで気が付かなかった一子は尊敬の眼差しで夫を見詰めた。 一人前の職人になるのは、全て本人の心がけ次第だ、途中で駄目になった連中を何人も見て来た、俺達には亮介を見守る事しか出来ない。

 

亮介は近所の三畳一間の安アパートに移った。 便所と流し場が共同だが生まれて初めての自分の城は嬉しそうだった。 5月3日(祝)、高の父兄参観日に、初めて参観する予定だった孝蔵だったが近所の酒屋の主人、立浪銀平に急に頼まれて店を開ける事になって、高の恨みを買ってしまった。 小学生でブラジルに移民した一番の親友を中心に旧友が集まって、16人の午餐会をしたい、何処も店が開いていない、頼む! 孝蔵さん。 ・・・ブラジルの主賓は懐かしい美味しいモノばっかりで感激です、と涙を流して孝蔵・一子に御礼を繰り返す。 佃名物の佃煮の折りのお土産がまた、この人の涙を誘った。 自分から申し出て孝蔵の料理をまじかに観られた興奮を隠さずに、休日を一人手伝った亮介は、親方のようにお客様を感動させる料理人に、きっと成る!と心新たに誓ったのだった。 ・・・亮介、味が濃いのとこくがあるのは違うんだと、と英次が手を取り足を取り、スープの取り方を教えててくれた。 今度はラーメン屋を廻りな、ちゃんと鶏ガラで出汁を取っているか、化学調味料で誤魔化しているか、解るようになるから、と真也も含めて優しい。 最近読んだ本には、「味は三代」 「東北人は一流の料理人になれない」とあって、亮介は衝撃を受けていた。 ・・・今日も亮介はラーメン屋を食べ歩いていた。 三軒目を食べて流石に喉が渇いた。 銀座の喫茶店「不二家」で一休みしている時に、奥の座席に英次の後姿と綺麗な女性が見えた。 まだ、無理だよ、にのまえさんからもっと技術を伝授されたい、・・・だって私もう25なのよ、レストランを経営するシエフの奥さんになって寿退社したい、コックの奥さんじゃ、月とすっぽんだわ、私だって、一生に一度は見栄を張りたい! ・・・理知的で、都会的な先輩の英次さんにも気苦労な悩みがある事を知って、東北人の自分の悩みが少し和らいだ。 しかし、亮介の悩みを感じ取っていた親方の孝蔵からズバリ、指摘された。 「おまえ、料理評論家の有村俊玄の本を読んだんだろう、あんなバカの言う事は忘れろ、俺の後輩の涌井直之は今じゃ帝都ホテルの料理長だ、秋田の漁師の倅だ、味の濃いしょっつるが今でも好物だし、貧乏な生まれだと言っている」 東北人が一流の料理人に成れない等々のたわ言に耳を貸すな! 亮介は吹っ切れた。 親方、ありがとうございます! もう、悩みません。 横で英次も真也も真剣な顔で頷いていた。 料理人は誰もが同じ思いなのである。 ・・・父兄参観日を駄目にされて、捻くれた高が夜になっても帰って来ない。 亮介くんの所に来ているかと思って・・・ 駆け付けた一子さんは真っ青だった。 そういえばキャッチボールのあの広場に捨てられていた古い金庫があった。 もしかして? 亮介は一目散に辿り着いて、町工場でやらされた回収した古金庫の開錠を必死に試みた。 開いた! 扉を開けると高が気を失っていた。 危なかった! もう少し遅ければ窒息死の恐れがあった。 孝蔵と一子の感激は凄まじかった。 高の命の恩人! 亮介は、にのまえ家の神の如くの恩人となり、それは、食い逃げの末・住み込みの弟子となり・料理人の端っくれとなった亮介が少しばかりの恩返しをした瞬間だった。 それ以来、高は益々、亮介に纏まり付いた。 「亮ちゃんは最高のウルトラマンだね、今度、亮ちゃんにウルトラもんじゃを奢るよ、玉子が入った一番タカイやつ」

 

第3話・愛はグラタンのように・・・英次と紗栄子の物語、第4話・変身ハンバーグ、孝蔵の後輩、涌井直之がフランス料理大会で世界第三位の栄冠、・・・孝蔵が近くの店に入った泥棒を捕まえた、泥棒に入られた主が店の権利を従業員に譲ると言い出して息子と裁判に・・・ 大捕り物の記事を観た後輩の涌井がはじめ食堂に来店、大根おろしの付いたハンバーグを絶賛。 裁判沙汰は泥沼に・・・・ 第5話、さすらいのこんそめスープ、そして第6話、別れのラーメンは、亮介の晴れの姿である。 

(ここまで5,500字越え)

 

 

コロナ禍、岩手で初の2人、達増知事は、責めないで下さい、と一生懸命彼らを庇っている。 確かに、黙した儘で感染が広がる方がよっぽどリスキーである。 正直な一号・二号に名誉を与えて非難の声を封じ込めたらどうだろうか?

 

・・・やったぜ! 7月一か月間で12回目のUP! 31日÷12回=2、58日/回。 コロナ禍のせいもあるが、それだけ暇人になった、と言う事か、 暇人を甘んじて受けるしかないだろうなァ。 

 

                               令和2年7月30日