令和2年(2020年)7月25日 第342回

前回、第341回・7月31日は、7月24日の間違いでした。 今回で7月一か月間10回UPの新記録です。 コロナ禍のせいか、パソコンに向かって書き込む時間が永くなっています。 24日・25日と連続UP、月末までもう一つ行けるかな?

 

山本甲士「ひかりの魔女 にゅうめんの巻」(2019年書き下ろし文庫)

(ひかりの魔女①は、文庫本2016年刊、yahooのブログでUPした筈なのでここでは省いたが、初めての人は、先に①で真崎ひかり先生の凄さを知ったほうが、より面白く読めると思う)

 

鳥海結衣・25才は、祖父・鳥海達夫から三年前に引き継いだ喫茶店「Cバード」を経営していた。 店の名前は海のシーと鳥のバードを組み合わせたモノらしい。 寂れた商店街の中で客足は減り続け、そろそろ潮時かなァと覚悟しているところだった。 祖父の娘が結衣の母親で保険の外交員をしており、二階の自宅には日中は不在である。 祖父は二年前に施設で亡くなった。 ・・・カウベルが鳴って小柄な老婆が入って来た。 白い手ぬぐいを姉さん被り、作務衣の上に白い割烹着、足元は紺の地下足袋、「あの、ここは鳥海達夫さんがやっておられたお店でしょうか? 私マザキヒカリと申します、もともとこちらの出身でしたが20年以上遠くに住んでいたので、達雄さんが亡くなったのを最近耳にしまして・・・ 線香を上げさせて頂きたくて」と言う申し出だった。 二階の仏壇に案内すると、丁寧なお参りのアト、割烹着のポケットから取り出した白封筒を差し出し、「僅かですけど、お線香代に」と、達者な直筆で、御仏前 真崎ひかり、と書かれていた。 かなりの書道の腕前だと判る。 ひかりさんは、「達雄さんが一つ上で良く皆と遊んでくれたイイお兄ちゃんでした」と思い出話を語った。 父は母が結衣を妊娠中に浮気をして、相手も妊娠させて、結衣が生まれる前に母は離婚。 以来、母と祖父の三人暮らしを続けていたのである。 ひかりさんがトイレに行った間に、母の携帯にかけ、直接、香典のお礼を言って欲しい、と言うと、これからお客様との約束の時間なので、祖父ちゃんの古銭を形見分けに貰って頂いたらどうか、お礼の電話はアトからするから・・・、時代劇で観た千両箱のような木箱に数十枚の古銭があったが、ひかりさんは美味しいコーヒーを御馳走になってこれで十分、それにしても貴女は本当に心を込めて丁寧にコーヒーを淹れてるわ、それが気持ち良く伝わって来て余計コーヒーが美味しくなるわ、と店を引き継いで初めてお客様から褒められたのであった。 古銭を見たひかりさんは、あらッ、この明治時代の黄色いお金は本物の金貨よ、と驚きの声を上げた。 「達雄さん、イイものを残して下さったようね」 ひかりさんの顔が大黒様や恵比須様と重なって見えた。 ・・・スマホで調べたレア物は明治時代の八枚だけ、それでも50万円くらいの値があった。 吃驚である。 母と相談し、これは売らずに祖父ちゃんを偲んでコレクションとして店に展示しよう、と決め、額に入れて飾った。 以前、漫画家を目指していた時に修得した書体文字で台紙に丁寧に、「明治時代の金貨」と書くと、如何にも印刷したように見えた。 ・・・翌日、モーニングサービスの常連客が、「昨日までなかったよね」と見入り、もう一人の老婦人が、えッ、50万円、へえ、あのマスターが・・・ 三人でコレクションの話で盛り上がり、その後も常連さんとの応答が続いて、誰もが去って店内が静かになった時、結衣は鼻歌が出ていた。 お客様との会話が楽しく続いて、知らず知らずの鼻歌だった。 祖父ちゃんが残してくれた古銭にこんな力があったなんて・・・ モーニングサービスの終わった頃、色白の、初めての中年男性が来店した。 男性は額縁を見に行き、「これ、本物ですね、レプリカならもっと色が綺麗な筈だし、其れとこの字は手書きですね、上手ですね、私は書道をやっていたので文字を見るとつい、観察しちゃう癖がついてて」 「手書きに気付いてくれたのはお客様が初めてですよ」 「一昨日、ここに真崎先生が来られたでしょう、私はあの人の書道の弟子でして、丁寧に淹れてくれるイイ喫茶店があると教えて頂きました」 こういう者ですと差し出された名刺は、「ホームセンター グッジョブ 店長 東尾正浩」とあった。 「祖父の古銭を飾る事にしたのは、実はひかりさんがきっかけだったのです」 「できれば他の貨幣も見せて下さい」 ざっと見た東尾は「古銭価値が無くても珍しい貨幣が多いですよ、始めて見る方の為にこれも展示しましょう」 「ウチの倉庫に使われなくなったショーケースがあります、ここに設置できるものを見繕って来ます」と言いながら、メジャーで寸法を測って行ったのだった。 ・・・その日の内に東尾店長はショーケースを持ってきた。 若い従業員と軽トラックから降ろして、「固定していいですか」と断り、ドライバーで固定した。 ものの10数分だった。 高級感のあるショーケースで棚が8段、奥が鏡張り、ガラス戸には鍵もかかる。 結衣は尋ねた、書道のお弟子さんて言うだけで、ここまでしてくれるのは何故ですか? 真崎先生は非常に面倒見が良くて、今確信している事は、子供たちを徹底的に褒めて伸ばす方針でした。 そして、遅くなるとお握りやイワシのヌカみそ炊きなどをご馳走してくれて滅茶苦茶美味しくて、それに自分の奥さんはその時の書道の生徒でした。 何人か弟子がいて今でも出入している人がいますが、私が一番可愛がってもらったんです、先生は私の人生の師なんです、と誇らしげだった。 ・・・そういえば私もコーヒーを誉めて貰ったな、気分が良かったもんな。

 

百円ショップで赤いフェルトを買ってきて8段全てに敷いて、最初の額に入れた金貨を最上段に並べて行った。 次に残っていた古銭を並べたが上の3段しか埋まらず、下5段がガラ空きである。 東尾さんは有難く熱心だけれど、もっと小さなショーケースの方が良かったかも? 彼は少し想像力が足りないかも知れない。 翌朝、いつもの常連さんは大賑わいだった。 今まで話すことのなかった常連さん同士の話も弾んでいた。 何か、飽きないで見て居られるわね、貨幣は歴史の生き証人だからかしら、と皆が納得している会話が続いていた。 モーニングサービスが終って誰もいなくなった時に、ひかりさんが一人の屈強な男性と共に来店し、美味しいコーヒーを頂きに参りました、と大輪の笑顔である。 ひかりさんはショーケースを見て、あら、イイ感じね、豪華になったわね、と相手に話掛けていた。 「先生、下の段が空いているのでぜひ、ここを使って頂きましょうよ」 そうね、でも親切の押し売りにならないようにね、「押忍、勿論です、でも喜んで頂けると思いますよ」 あ、結衣さん、こちらはシラカベさん、 出された名刺には、「白壁会館 館長 白壁成剛」とあり、ひかりさんが、空手の先生なのと言い、そういえば三階建ての道場があって、「練習生募集」の垂れ幕が下がっていたなァ、と思い出した。 結衣さん、昨日の夕方、お母さんから自宅に御礼の電話を頂きましたよ、ご丁寧にありがとうね、と言われた。 白壁館長が、実は私、空手の普及や大会で随分外国を巡りました。 その時の通貨のコレクションが貯まっておりまして、中には、東ドイツとか数国の消滅した国の珍しい通貨が結構あります。 この空いている段に飾らせて頂けませんか? お店を辞めるまで預かる事を条件に応諾すると、即、夕方、再訪されてセカンドバックに入れたコインを並べ出した。 70枚ほどのコインが並べられた。 4段目には欧州とアメリカ、5段目はアジア、6段目はその他の国、と並べられた。 ショーケースは一層、豪華になった。 そして白壁館長にも問うた、ひかり先生の書道の弟子だったんですね、いや、それ以上です、私の人生の恩人です、両親が離婚して荒れていた時に補導された自分を警察まで引き取りに来てくれたし、怪我を負わした相手の家にも謝りに行ってくれたし、その時の言葉が生涯の支えになったンです、「白壁クン、有難うね、私を頼りにしてくれて、先生こんな嬉しい事はないわ」 空手の試合の時には必ず応援に来てくれて美味しい弁当も持ってきてくれて、いわしのヌカ味噌炊きとか最高です。 何人も先生の弟子がいますが私だけは特別なんです、と誇らしげに胸を張る。 あれ、東尾さんと同じだ。 帰り際にウチのブログにUPさせて欲しいとスマホでショーケースを写していた。 ・・・その日の内に結衣はカードを作成し、欧州の段にはレア物が多いと説明し、「所有者 世界空手道連盟白壁会館館長 白壁成剛」と記した。 翌日は更にお客の話が弾んでいた。 常連客が連れて来たのか、お客様も増えている。 お昼には、白壁館長がこの店をブログにUPしているのを見て来た、と8人がミックスサンドとコーヒーの注文があり、結衣は大忙しだった。 「この店に行くように言われて来られたんでしょうか?」 いえ、館長はそんな強要はしません、そういう人じゃありません、押忍、と腕を胸の前でクロスさせた。 その日の夕方、今度は、「株式会社ケヤキ食品 専務取締役 園部哲」の名刺を差し出した、初老の紳士がやって来た。 「真崎ひかり先生から伺ってやって参りました、私も書道教室でお世話になった一人です」 また弟子がやって来た、ひかりさんていったい何者なんだろうか? 「ショーケースの下の二段にこれを置いて頂けませんか?」と取り出したのは、平たい木箱に入った12個のジッポーのライターだった。 立体装飾は躍動感溢れる干支だった。 次の木箱は、麒麟、鳳凰等々、東洋の伝説上の生き物、3箱目には、自動車メーカーのエンブレムシリーズ、4箱目はペガサス等々のギリシア神話関係、何れもライターとして使うよりも鑑賞の対象に相応しいモノばかりである。 白壁さんのお話を先生からお聞きしましたので、ぜひ、これも役立たせて下さい。 園部さんと白壁さんは親交があるらしい。 ひかりさんの息子さん夫婦がひかりさんの指導を受けた惣菜を作り、小料理店に卸していたり、デパ地下で小売りしているらしい。 二人は小料理屋で会う事も多いそうだ。 評判が良くてもっと量産して欲しいとデパートから要請されたが、人を増やしてする量産は手作りではない、忙しいと言う字は心を忘れると書く様に、手作りを逸脱しない謙虚な姿勢の夫婦は頑なにそれを守り続けているのだった。 流石、ひかりさんの息子である。 園部さんは両親が離婚して母子家庭になった時に書道を辞める、と先生に申し出たが、真の事情を知った先生は、月謝代わりにお手伝いをして頂戴、と頼み込むように言われ、手伝いの度に園部君のお陰でこちらの仕事が捗るわァ、と笑顔で言ってくれた。 遅くなるとお握りや卵焼きをご馳走してくれて、イワシのヌカみそ炊きは絶品で、今でも小料理屋で味わっている、と喜色満面である。 だから、何人かの弟子の中でも私は特別なんですよ、と言う事は誰もが同じだった。 帰り際、「私には弁護士や県警の幹部の知り合いがおります、何か面倒事が起こったら遠慮なく連絡を、真崎先生のお知り合いにはいつでも人肌脱ぐ積りです」と頼もしく言ってくれた。

 

その後お客様は確実に増えて行った。 誰もがひかりさんを頂点とする人脈だった。 白壁館長、園部専務、東尾店長等々の名前が漏れ聞こえ、中には取引先の方々がわざわざ名刺を出しながら、「イイ展示ですね」と声を掛けてくれる人も増えた。 ・・・ひかりさん、三回目の来店、「今日はお願いがあるの」 「あなたのお母さんと話した時、結衣さんは漫画家を目指していた、と聞いたわ、老人会の集まりでお孫さんに自分の顔を描いて貰ったって自慢する人がいるの、私の孫はもう、高校生だし、どうせなら結衣さんに筆ペンで描いて貰えないかしら」と、数本の筆ペンを渡された。 ひかりさんの頼みであれば断れない。 数分で似顔絵を描き上げると、「まァ、綺麗! 実物よりももっと素敵、宝物にするわ」と興奮気味である。 ・・・スマホで母に、漫画家を目指していた事をどうしてひかりさんに告げたのか、理由が知りたかった。 「それはあんたがネガティブな事ばかり言ったからよ、不登校だったとか、もうすぐ閉店したいとか、転職先も人と接しないところがイイとか、ひかりさんは、折角旨いコーヒーを淹れてくれるし、きっと、それを活かせる道はある筈だって言ってたわよ」 その日の夕方、東尾店長が包装が破けた無地のポストカードが入った紙袋を届けてくれた。 「真崎先生から伺って、良かったら何かに使って下さい」 「真崎先生から似顔絵の話を訊いた弟子や知り合いが自分にも描いて貰えないか、って頼んでくると思うんです。 先生の真似をしたがる奴ばっかりですから」 「妻の誕生日が近いので、彼女の写真を持ってきますから自分と二人の似顔絵をお願いします、花と一緒に渡そうかと」 ひかりさんは特技を生かしてお客様を持て成ししなさいと言ってくれているのだ。 またもや、ひかりさんの配慮に涙が溢れる。 もう、店をたたむ気はない。 頑張って続けていくと決めたのだった。 何と言ってもひかりさんは魔法使いなのだ。 似顔絵を孫に描いて貰って羨ましい、と言うのは嘘だ。 貴女には特技があるじゃないの、と教えてくれたのだ。 化けたり飛んだりじゃない、嘘を操る魔法を使える人なのだ。 (ここまで全339ページの内、僅か94ページまで。 4話ある内の1話のみ。 まだまだ感激モノの話が続く。 ②社内クーデターで会社を追われた元社長、③倒産寸前の町工場を営む中年夫婦、④ラーメン屋を潰して車上生活を送るバツイチ男・・・、優しい嘘の力、ひかり先生が巻き起こす幸せの物語である)   (ここまで5,700字越え)

 

                        令和2年7月25日