令和2年(2020年)7月31日 第341回

中山七里「カインの傲慢」(単行本新刊、Oさんから借用)

(カイン~旧約聖書のアダムとイヴの二人の息子、カインとアベル兄弟が人類初めての殺人となった加害者と被害者である。 カインは神に対して人類初の嘘も吐いた。 神は放逐したカインにどんな悪魔に絶たれても何度も転生させ、不老の罰・生き続ける地獄を与えた。 人類の最大の罪とされる同族殺しの犯人は、人類最初の長寿者でもあった)

 

12月4日、練馬区の公園の雑木林で、朝の散歩中の犬が埋められた少年の死体を掻き出した。 臨場した御厨(みくりや)検視官がその状態を見て、警視庁捜査一課の麻生班と犬養隼人を捜査本部に指名した。 死体から臓器が持ち去られていた「平成の切り裂きジャック」の模倣犯かも知れない。 あの時は、被害者は悉く腹を裂かれ臓器を持ち去られて、更に犯行声明もあった。 劇場型の事件で、犬養が所属する麻生班が異常に引っ張り廻された後味の悪い事件だった。

 

相棒の高千穂明日香と現場に向かった。 石神井署の長束刑事と検視官の御厨が全裸の死体を見下ろしていた。 どう見ても10代、短髪で細面の少年だった。  肝臓が半分だけ切り取られている、腹部の縫合の腕前が酷過ぎる、医師だとすると、とんだ藪医者だ。 唯、生体肝移植の術式の途中で何かしらのアクシデントが生じ、その後始末に死体を埋めたという見方もできる。 解剖の結果、傷口に生活反応が見られた事から開腹後の死亡、つまり、術式の途中、痛みに耐えかねたショック死と報告されると、捜査本部の誰もが口を固く結んで表情を険しくした。 生きたままの解剖が想像されたからだろう。 また、胃には殆ど何も残っていなかった。 ・・・被害者の身元確認が暗礁に乗り上げていた、行方不明者にも、警察歯科医からの治療痕にも該当者がいない。 もう三日も経っていた。 ・・・見つけたのは高千穂明日香のお手柄だった。 ヒョッとしてアジア人ではないかと思い、出入国在留管理局に顔写真を回していた所、東京出入国在留管理局から回答があった、との事。 出入国記録とパスポートのコピーがその手に握られていた。 件の少年の生気溢れた顔、王建順、12才、湖南省、観光ビザで一週間滞在、11月24日成田空港から入国となっていた。 入国の際に採取されていた指紋も被害者のモノと一致した。

 

東京出入国在留管理局・成田空港支局の入国審査官は熊雷(くまらい)と名乗った。 滞在予定が過ぎた入国者は、自動的にリストアップされていたが12才の少年だけに観光延長で考えていたらしい。 まさか、殺されていたとは、と熊雷は絶句する。 初めての日本へ一人で来たとは思えません、隣の席とか、入国カウンターのカメラとか、怪しいと思う入国者のデーターをお願いします、と明日香は必死だった。 僅か12才の子供の無念、仇を取らせて下さい。 20分、待って下さいと言って、戻って差し出してくれたのは、周明倫、32才、福建省、眉が薄く酷薄そうな顔付の男だった。 この男は搭乗機で王少年の隣席で、入国審査の際も彼の直ぐ後ろに待機しています。 終わると少年の肩を掴んで荷物を受け取って空港を出ています。 監視カメラで確認しました。 周はほぼひと月に一度の割合で来日していた、いつも一週間の滞在だった。 ・・・この情報を中国当局に問い合わせて周を洗おうとしたが、三日経っても回答が来ない、麻生は癇癪玉を破裂させた。 誰かに現地に行ってもらうよう上に進言する! 明日香が自分の顔を指さして、「私は大学で中国語専攻でした、北京に留学経験もあります」

 

明日香が空港に着くと、同行してくれる安河内力也さん(東都新聞北京支局特派員)がサスペンダー付きのビヤ樽型体形で出迎えてくれた。 遠い少年の出身の村の駅に着いたのは高速鉄道とタクシーで乗り継いで翌日の事だった。 ここから更にタクシーで向かうという。 タクシーの中で安河内さんは語ってくれた。 「中国がここ数年で臓器移植大国に上り詰めた大きな原因は、死刑囚の多さです。 事前に死刑囚の承諾を得て、死刑執行後に臓器を摘出する、予め、医療スタッフを待機させるので新鮮な内に臓器を摘出出来る、何しろ、死刑囚の数が多い、厳罰主義で46種の罪名に死刑が適用されている、麻薬所持は勿論、えッと驚く様な窃盗も含まれている。 囚人の遺族には数万元(約15円/元)の謝礼も支払われる。 摘出したての臓器を使うから手術の成功率も上がる、手術を多く熟していくから執刀医の経験値も上がると更に成功率が上がる、ある意味、ブラックなスパイラルですが、結果として中国は臓器移植大国となった、高い費用を払って外国からもやって来る、殆ど家族帯同ですから、渡航費用と滞在費用は多額の外貨が落ちます、中国政府が外国人向けの移植手術を奨励したのは、もう、成り行きですね」 「そうすると、臓器の仲介者が台頭し、臓器ブローカーが繁盛する、商売として中国では法的にギリギリ、セ~フなんですね」 「肺移植の場合、病院に600万円、医師と院長に30万円ずつ、臓器ブローカーに210万円が支払われました」 「死刑執行を管轄するのは人民法院、ここと病院とにコネが無ければ仲介が出来ません、コネには当然、賄賂が付き物です」 しかし、2007年に死刑制度の見直しがされて、それまでは地方で決めていた執行命令が中央の最高人民法院で下すようになった、それは地方の決定権をもぎ取る目的だった、すると、死刑執行数は二割に落ちた、今までは如何に簡単に死刑が執行されていたか、だから凄まじい賄賂攻勢もあった筈だ、そして外国人に対する臓器移植は禁止になった。 明日香は厭な予感が背筋に這い上がって来た。 一度大きく膨れ上がった市場が、そう簡単に縮小する筈がない、利権とカネの旨みを知った者が易々と金蔓を手放す筈もない。 安河内さんは、「正にその通りで、法的に身動きの取れなくなった臓器移植ビジネスは地下に潜るようになりました、 犯罪を誘発するのは自然の理でしたね」

 

中国政府は貧困県と名指しした273県を7年以内に飢餓状態から脱却させる政策を打ち立てました。 放置しておけば政府や共産党の基盤が危うくなる、と危惧して。 しかし、県の首長・幹部は貧困が明らかな地区を放置して、政府からの援助金を得られるように、ワザと見世物にしたままです。 王少年の村もその一つです。 王少年のみすぼらしい家は一番奥にあった。 震度2でも全壊しそうな脆さ・危うさである。 東京から来た警察官です、王建順は亡くなったと告げると、母親は、嘘!と叫んで獣のような声で号泣した。 4人の子供がいて末っ子の建順に養子の話が舞い込んだという。 残されていた名刺には、「日中養子縁組協会 北京支部代表 馬瀬賢市」とあり、周の写真を見せると、この人だと言う。 教会の住所は東京都世田谷区、代表番号も携帯番号も併記されていた。 無駄足だと思うが預かってアトで確認する。 解剖したら肝臓が半分摘出されていました、心当たりはありませんか?と訊くと、途端に母親の顔が一変した。 悪巧みが露見した狡猾な女の顔に変化したのだ。 一人っ子政策も政府の懐を温めた。 二人目以上の罰金の徴収が予想以上に大きくなって、労せずして収入が保証されたのである。 しかし、貧乏人の子沢山と言う通り、貧困家庭であるほど二人目以上の子供が多くなり、罰金が払えない家が続出した。 臓器の確保に躍起になるブローカーと貧乏子沢山の思惑が一致したのである。 表面上は養子縁組、実質的な人身売買であった。 建順の母親は全ての絡繰りを知った上で養子に出した筈です、周から相応の金を受け取って、貧乏に負けて自分の子供を売ったのです、と安河内さんは断言した。

 

12月11日午後7時、大田区羽田の路上で、帰宅途中の女性が少年の死体を発見した。 検視官の御厨から又もや麻生班・犬養が指名された。 「多分、二人目だ」と御厨が指さしたのは、粗い縫合痕だった。 被害者は学生証を所持していた。 「東糀谷中学2年生、小塩雅人、唐揚げの入ったスーパーのレジ袋、財布に251円、携帯を鑑識に回したが、直前の通話記録は無し、・・・50代と思しき女性が姿を現した。 被害者の確認をお願い致します、「・・・嘘でしょ、雅人お、雅人お」と凄い力で縋りついている、「ごめんね、こんなことになるんだったら母さん・・・」 犬養はその言葉に腑が落ちず顔を強張らせた。 夜11時、母の知里と一緒に息子と二人住まいのアパートを覗いた犬養は、部屋の荒れ様に絶句した。 部屋の中は荒廃が激しく、不安と不満と絶望が蔓延していた。 雅人が10才の時から二人暮らし、主人の真樹夫はギャンブルでサラ金、知里は取り立てから逃げ回って自己破産した。 しかし、ソフト闇金が自己破産した知里に貸し出した。 知里は風俗の面接にも行ったが軽くあしらわれていよいよ切羽詰まった。 するとソフト闇金の担当者が「息子さんの肝臓の一部を医療に役立てる気はないか? 200万円で買い取るが・・・」と持ち掛けて来た。 私のじゃ駄目ですか、と訊くと、求めているのは子供だから、と邪険に打ち切られてしまった。 が、同意したのは雅人だった。 肝臓は半分になっても生活には支障が無いし、また再生すると言うし、それで200万もくれるならそうしよう、お母さんに風俗でなんか働いて欲しくない。 雅人は12月4日に手術して10日に帰ってきました。 そして翌日の11日、術後の容態が急変して雅人は死んだのだった。 4日に200万円を受け取った知里は150万円以上の金を一括返済していた。 ここにも貧困の果ての人身売買があったのである。 「ジー・オー・ファイナンス 矢部」の名前と携帯番号が知里のスマホに残されていた。 連絡はこれだけで、4日の朝、矢部が運転して迎えに来ました、後部座席に一人座っていました。 犬養は、もしかして!と思い、周の写真を見せたが、「似ている気はするけど・・・」と確信は無理だった。 200万円は矢部から現金で手渡された。 返済したその日に借用書も破棄、矢部の事務所も知らず、振り込みも無いし、全ての証拠が残っていない。 ジー・オー・ファイナンスを辿るしかない、そこから雅人を収容した病院と執刀医が判明すれば解決への道が開ける、そう、犬養は決めた。

 

貧困は犯罪の巣窟だ、と言う話は正にこの二件の事件が物語っている。 貧困は犯罪を生むが、犯罪にも付け込まれる、中国と日本の貧困家庭の過酷さが二人の少年を被害者に仕立て上げた。 刑務所は人間のクズが揃っているが、その中でも子供相手の服役囚の扱いは別格で、イジメは当然、看守も黙認、子供殺しは最低のルールや仁義に違反していて、ム所の中では蔑まれた儘の除け者の扱いなのである。

 

矢部の番号はプリペイドで使用者判明は無理だった。 犬養は逆探知の準備完了後、ジー・オー・ファイナンスの番号を回した。 「20万円くらい融資してくれますか?」とか細い声で聞く。 折り返し審査結果を連絡しますので、お名前、住所、勤め先をどうぞ、「あの、担当する人の名前を知りたいんですけど」 私は平岡です 「あのさ、矢部って人いるかな、出来れば・・・」 言った途端に電話が切れた。 相手は車で移動中、世田谷区の基地局の発信に間違いないが、会話が短かすぎた。 知里に協力して貰った矢部の似顔絵を持って巡回中の警官に探させたが、小塩雅人の死亡記事で警戒したのか、組織が矢部を外して消したのか、とうとう矢部らしき男は報告されなかった。

 

 20日早朝4時、また石神井署管内で腹に縫合痕のある少年が死体で発見された。 王少年が発見された同じ管内である。 あの事件後、直ぐに不良少年の溜まり場になっているコンビニ跡地に長束刑事と同行して、4人の不良中学生から不審な事が無かったか問い詰めた場所だった。 被害者は与那嶺照生、15才、金髪少年だった。 致命傷は、柔道の送襟絞の技で窒息死、と御厨検視官が断定する。 被害者は術後数日間は生きながら得ている。 ただし、縫合痕はやっぱり藪だ。 死体の発見者はアト3人の不良仲間で19日夜10時に、コンビニで待ち合わせたがいつもは時間に煩い照生が来ないので、この溜まり場に探しに来たら、死体で転がっていた、と言う。 「いい金蔓を見つけたから、奢ってやる、19日10時に集合しろ」と連絡が来たらしい。 不意に翔太が割り込んで来た、「おかしいんです、先週まで賭けマアジャンの借金が92万円もあったのに、いつの間にか完済しちゃってるし、今度はイイ金蔓だって言うし・・・」 この話が本当なら与那嶺は臓器を売って借金を返済し、その違法行為を察知されて恐喝された金蔓が逆襲に転じて与那嶺を殺害した可能性が非常に高くなる。 スマホを犯人が持ち去ったのは間違いないだろう。 与那嶺の家も家庭崩壊されたそのものだった。 ゴミの山、鼻が曲がるような異臭、「照生君が遺体で発見されました」 「おい、照生が死んだってよ」 「照生が?何かの間違いでしょ」と、夫婦二人とも至って他人事であった。

(ここまで全301ページの内、半分の155ページまで。 与那嶺夫婦が200万円で売れた筈の照生の肝臓、借金は92万円しか無かった、その差額が出てきたらこちらで貰いたいと、呆れるような申し入れ。 次は交通事故で脳死した遺体が運び込まれた東明大学附属病院から遺体が消えた、内部犯行なのは間違いない。 一連の執刀医はこいつらか? 縫合痕の藪医者振りはわざと別人間にさせたのか? 東京出入国在留管理局・熊雷審査官から、周が入国すると連絡が入る。 成田で拘束して恐喝のような交換条件を持ち出し、周の重い口を割らせる。 そして、一気に犯人集団に迫る。 ・・・カインとは何者なのか? 傲慢とはどんな意味なのか? そして二転三転のどんでん返しの妙味、犯人の一味にこちら側の人間もいた。 流石の中山七里! それにしても、臓器移植の裏側を見事な調査で纏め上げた作家の奮闘努力に感動した。 この小説で初めて知った中国の死刑判決の速さ故の新鮮な臓器、恐るべき最大の犯人は、貧困であった)

(ここまで、5,800字越え)

 

7月は今回で9回目、アト6日間でもう一回頑張るか、一ヶ月で10回の新記録目指して・・・

                 令和2年7月24日