令和2年7月17日 第338回

 

小路幸也「花咲小路1丁目の髪結いの亭主」(単行本2019年)

「バーバーひしおか」は、ミミ子さんのお父さん・菱岡久造さんが60年前にこの商店街に開いた理髪店です。 久造さん亡きアトも引き継いでいるミミ子さん・56才の旦那さんは朱雀凌次郎さんと言って、殆ど、店内のソファで新聞や雑誌と、待機しているお客様のお相手をしているだけ。 店の仕事はミミ子さんと住み込みの谷岡せいらちゃんがいるし、自宅で主夫をしている気配もない。 完全なる「髪結いの亭主(ヒモ)」に見えます。 只、毎日のお昼ご飯だけは腕に自慢のパスタを作ってくれます。 信じられない位旨いンです。 パスタのお店をやっても大成功すると思います。 若い頃にイタリアに行っていてイタリア大好き、三食パスタでもイイ、と毎日いろいろなパスタを作ってくれます。 旦那さんはオシャレで愛想もいいしお話もすっごく上手なので、お喋りする為だけの来店者が多く、「バーバーひしおか」は、ミミ子さんの腕も良くてお客様の切れ目がありません。 繁盛しています。 おそらく、この商店街の全員がお客様だと思います。

 

せいらちゃんは自分を見守ってくれたおじいちゃんと同じ匂いのする古き良き昔風の理髪店で働きたかった。 理容師の資格を得てからチエーン店で働いていたが、偶然、ここを見つけて飛び込んだのであった。 「ここで理容師募集していませんか!」 ミミ子さんは、「まさしく、びゅん!と言う感じで入ってきて、背の大きい細っこくてモデルのような子」と思ったそうだ。 小っちゃくて可愛いミミ子さんはバストが豊かなトランジスターグラマー、せいらちゃんとは30cm以上の身長差、まさに、凸凹コンビなのだ。 女性の顔剃りは私より上手なの、とミミ子さんと「小料理居酒屋 魚亭」のママの太田玲子さんとの会話である。 還暦を過ぎた魚亭の旦那の嘉樹さんは一昨日理髪していった。 せいらちゃん、幾つ? 間もなく22才です。 ミミ子さん、一人息子の桔平クンは? 今年で28才、今はフランスかドイツか、どちらかですね。 桔平さんは革職人で、ネット販売は英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、日本語でサイトを運営している、腕の良い職人さんで、世界中にファンがいてちゃんと生活して行けてるらしい。 この商店街の「白銀皮革店」にも桔平さんの作品が置かれている。 ・・・魚亭の奥さんが旦那様にお願いしている。 ウチの亭主が女物のペンダントを持ってきた、パチンコの景品には見えないからオンナでも出来たのか? 今度、そっとペンダントを見て欲しい。

 

せいらちゃんの特技は毎朝、決めた時間にパチッと目が覚める事である。 第三月曜日、「バーバーひしおか」の定休日、8時に起きて台所に向かうと、若い男の人がいた。 「おはよう、せいらちゃん」  「あ、桔平さんですか?」 帰国されたんですね、いつの間に。 住み込みで働き出して半年、朝食は何時もすっぴんで三人で・・・、 ちょっと恥ずかしいけど、桔平さんの少しオネエがかった声に救われた。 桔平さんは動きも何だかおしとやかだし、かわいらしい顔とぴったりマッチしているから違和感が微塵もない。 まさか、ゲイじゃないですよね。 ご夫婦からは何にも聞いていないし。 「イヤー、楽しみにしていました、せいらちゃんに会えるのが。 いつもネットのやり取りでお母さんが自慢していたから、本当の娘みたいで毎日が楽しいって」 「商店街の話じゃ若いのにいい腕をしている、愛想もいいし、本当にイイ人雇ったって」 この人は情報が凄いね、世界を相手に生きてるからかな。 今度はいつまでいるンだ、と旦那さんが訊くと、「しばらくは・・・ いろいろやりたいことがある、克己とも商売の話があるし」 白銀皮革店の克己さんですね、花咲小路商店街の若き会長さんです。 ・・・今日は魚亭の奥さんが昼過ぎにペンダントを持ってくる日です。 私も見たい、と言ったら、「父さん、趣味の事はせいらちゃんに話していないの?」 じゃ、せいらちゃん、その前に東京までデートしよう、父さんの趣味の事が判るから。 ・・・東京・代官山の風格ある一軒家、表札は「朱雀」 旦那さんの実家です。 桔平さんは、「おじいちゃんは死んじゃったけど、おばあちゃんはまだいるよ、今の当主は父さんのお兄さんの朱雀凌一郎伯父さん」 そもそも朱雀家は平安時代に天皇家に仕えた「筆頭画師」で、今でもその血筋なのか、凌一郎さんは国立美術芸術館の企画局長で、全国の美術品を束ねる執行役員、弟の父さんはそんな権威的な事を嫌がって飛びだした放蕩息子さ、だけど、鑑定士の才能としては朱雀家の歴史でも最高峰の評価で、若い頃はルーブル美術館で働いていた事もあって、実は世界中の美術界で認められている、らしい。 ・・・朱雀家の秘書・師岡トモエさんは、いつか、池袋で見かけた旦那さんと一緒だった美女、その時は浮気かしら、まさか?と思っていたけど、そうじゃなくて安心しました。

 

ペンダントを鑑定?した凌次郎さんは、これはヨーロッパのオークションで売れれば100万円は下らない、ジョージ三世時代にイギリスで作られた名品だと言った。 過去、嘉樹さんが仲間に金を貸して取りッぱぐれた30万円で、夫婦が大喧嘩になった事がある。 今度もそれで借金のカタに預かったモノなのか、確認する事になった。 ・・・魚亭の二階に前仕事を終えた嘉樹さんが上がってくると、バーバーのダンナとせいらちゃんと奥さんの玲子さんが待ち構えていて吃驚、だったが、意外と素直に白状した。 玲子さんが通帳を差し出して、ギャンブルに使ったとは思ってないけど、37万円何に使ったの? 「済まねぇ、客の50才の小松量子ちゃんが会社が潰れて、老々介護だったお母さんの手術費用だ、お父さんも80才位でボケる一歩手前、量子ちゃんが一人で長い事、面倒を見ていたンだよね」 その窮状を見かねて、つい、貸してしまったが奥さんに一言あるべきだった。 ペンダントは俺はそんなモノ、イイって、と言ったんだけど、何か、お祖母ちゃんの形見で結構高く売れる筈だ、と聞かされていたモノらしい。 50才の量子ちゃんのお祖母さんは、若い頃、ロンドンに留学していたらしく、明治の末の留学とはかなりの家柄のお嬢さんだったンだろう。 朱雀凌次郎は言った。 この品物は私に任せて頂けますか、出所がはっきりしないと、オークションに出せません。 

 

旦那さんは私を誘って、一丁目の「苦悩する戦士」、二丁目の「グージョンの五つの翼」、三丁目の「海の将軍」、それぞれの石像の解説をしながら、怪盗セイントがこれを設置した疑いが濃厚で、あのペンダントはイギリスで怪盗セイントが盗んだのでは?と言い出した。 セイントが盗んだ裏リストらしきものが残っているのだ。 ただ、怪盗セイントは泥棒ではあるが、義賊だ、とヨーロッパでは大人気なんだ、この三体の石像だって、ぼくの鑑定眼を信用してくれるなら間違いなく本物だよ。 そしてここに設置したのは怪盗セイントだって、もっぱらの噂なのさ。

 

小松量子さんは篠田外科という大きな病院のウラに住んでいました。 家は築50年ほど、お父さんはほぼ寝たきり、暗い感じの家でした。 無理もありません。 ペンダントの値打ちを言うと、本当ですか!と驚きます。 ただ、盗品の疑いが強いので、これが明るみに出ればおばあさんが疑われる。 このまま眠らせる状態も止むを得ないかも知れない。 他に美術品らしきモノはありませんか? 「あります、あのペンダント一緒に祖母が大事に取っていたモノです、只、陶磁器なので割れるモノより、魚亭さんに預けるのはペンダントの方がいいかな、と」 立派な木箱に入っていたのは白い陶磁器のお人形でした。 じっと鑑定士の眼で眺めた旦那さんは、「僕が初めて見るモノです、恐らく一度も世に出回っていないモノです、これは世に出せる、つまり売れるものだと思います、それも相当大きな金額で・・・ だから、魚亭さんにも誰にも言わないでおいて下さい、両親の介護をしながら、量子さんが新しい仕事を見つけて何とか生活を立て直す程度にはなる金額です。 誰かに知られたら羨ましがられて嫉まれる以上かも知れません、だから口外する事は一切厳禁です。 量子さんご自身の為にも」 ・・・帰途、旦那さんは「兄貴の所にこれを持ってゆく、その後、どうやってオークションに出せるか、考えたい」 「ペンダントの方はせいらちゃんに頼みがある、4丁目の矢車マンション、オーナーの矢車聖人さん、彼に持ち込んでセイさんの反応を知りたい、彼は日本に帰化した怪盗セイント、と疑われた事があるのさ」

 

矢車マンションの一階は「矢車英数塾」の看板があり、これはセイさんの娘・亜弥さんがやっている小さな塾、亜弥さんのご主人は白銀皮革店の白銀克己さん、最上階の5階に二軒があって、独り身のセイさんと亜弥さん夫婦がそれぞれに住んでいる。 亜弥さんとは会った事が無く、克己さんはいつも来店してくれて、気さくで明るくて楽しい人、セイさんは散歩中のカッコ良い外人さんとして何度もすれ違って軽い挨拶はしていますが、店に来てくれた事はありません。 どこで髪を切っているのでしょうか? ミミ子さんと旦那さんが結婚したのが30年前、セイさんが日本に帰化したのは40年前、だから、セイさんと旦那さんは30年もこの商店街に一緒に居ながら二人は親しく会った事がない。 セイさんは、金属のプラモデル?(モデラー)を作る職人さんで、世界中から結構な注文がある、と自己紹介してくれた。 昨夜、ミミ子さんが、「タバコを飲まないウチのダンナからセイさんにプレゼントがあって、せいらちゃんに持って伺わせて下さい」と電話していた。 桔平さんがドイツの蚤の市で見つけて来たカワイイ猫の形をした銀製のマッチケースです。 「俺はタバコを吸わない、こういうイイモノは、葉巻でロマンスグレー紳士のセイさんが似合う」 これはオークションに出すと、30万円するかも知れない、いくら蚤の市で安く手に入れたとしても本当に貰っていいのかな?と、戸惑うセイさんだった。 ところでせいらちゃんが首にかけているそのペンダント、ちょっと見せてくれるかな? これは旦那さんから頂いたモノです、と旦那さんから指示された通りに言いながら、セイさんに手渡した。 どこで手に入れたかは聞かされていません、これも予想された質問に対する応答だった。 セイさんは髪を切りに来たことが無いから旦那さんと話す機会が全くなかった、 そう、実は自分でやっている、亜弥の髪も小学校までは切ってやっていた、と驚くほどの器用さである。 だから、モデラーの腕もイイのか。 凌次郎さんは若い頃、ルーブル博物館でキュレーターをやっていた、実家は由緒ある朱雀家、とせいらちゃんが知り得る全てを吐き出して、気持ちのイイ訪問が終った。

 

実はマッチケースは元々、旦那さんが持っていて桔平さんの蚤の市は作り話だった。 セイさんの反応は全て旦那さんの見込み通りだった。 帰宅して一部始終を報告した。 しかし、ペンダントを見つめた旦那さんが、これ、違う! 偽物じゃないけど違う、と言い出した。 推測するに元々、同じモノを持っていた? せいらは眼を離した覚えはないが一寸の隙に取り替えたのか? 

 

今日のお客様は、万屋洋装店の80才近い万屋伸一さん。 お孫さんのあゆみさんの結婚が決まって10月の挙式になるらしい。 相手は商社にお勤めで海外への短期の赴任・出張が多いとの事だった。 あゆみさんのご両親は事故で亡くなり、ず~ッと二人暮らしだった。 最近はオーダーは激減、殆ど無くて仕立て直しで細々暮らしていた。 「凌次郎君、骨董品に詳しい眼で見てもらいたい、それなりのモノをあゆみに持たせたくてね」 お伺いして見せて貰ったのは40cm角の額に入った刺繍だった。 金糸を使ったかなり裕福な家の人が作ったようだ。 万屋さんの亡くなった奥さんが恩師に貰ったモノらしい。 1711年作、何やら古英語の文がある。 凌次郎は持ち帰って夜遅くまで掛かって解読した。 吃驚! 呪いの言葉が刺繍されていたのである。 万屋さんの息子夫婦が事故死している。 万屋さんでモーニングとウエイデングドレスを作った「花のにらやま」のご夫婦も同じだ。 呪いの言葉にあった「永遠に永遠の愛を誓う者」そのまんまの二組である。 これは万屋さんには告げられない。 又してもセイさんの協力を得るえる事になった。

(次から次と値打ち物の骨董品が出てくる。 髪結いの亭主とその息子の大活躍が展開してゆく。美術品の専門知識が随所に披露されて、作家の猛勉強振りを感じさせる。 能ある鷹が爪を隠さずに爪を出し捲くりながら、貧者を救っていく・・・) (ここまで5,300字越え)

 

                   令和2年7月17日