令和2年(2020年)7月1日 第333回
コロナ禍の10万円の配布が終了したと札幌市長がマスコミ表明したにも関わらず、我が家にはまだ振り込みの通知が無かったので問い合わせをした。 何と、振込先の通帳のコピーが同封されていない、との事だった。 なんとまァ。 銀行名等々、全ての書き込みは大丈夫だったが、それで済んだ、と勘違いしてしまった我が身の老いを自覚した。 市役所の仕事がイキナリ増えて、どんな人員体制でやっているのか定かでないが、増加した分の殆どが職員にしわ寄せが行っているのは間違いないだろう。 「コピーが同封されていませんよ」と、連絡をくれるような親切心はもっとアトからなんだろうな、と自らの不覚を棚に上げて思ってしまう。
万城目学「パーマネント神喜劇」(文庫本、単行本は2017年)
(パーマネントとは、永遠とか永続とかの意。 永遠なる神、そんな神様の喜劇とは? 但し、神喜劇~しんきげき、とわざと仮名が振られているのが意味深である)
・・・私は由緒ある縁結び神社を預かる神で、もう千年以上もここでお勤めしているのであります。
「はじめの一歩」
篠崎肇・29才と坂本みゆき・27才は同じ会社の恋人同士である。 慎重居士の肇は口癖で必ず、「まず、はじめに」と言う。 みゆきは、その口癖を辞めて欲しい、もう、私の前では使わないで欲しい」と申し入れた。 「まず、はじめに」から始まる肇の話し方が、何事も理詰めで凄く突き放した感じなのである。 肇は、一歩目無くして二歩目無し、と言う考え方が強く、例えば、デザートが4つある場合は、先ず、溶けてしまうアイスクリームから食べるべき、と理論付けるのである。 その口癖が「まず、はじめに」だった。 みゆきは更に言う。 肇は細かいばかりで決断力が鈍いってみんなに莫迦にされているのに・・・。 肇が敢えて一歩を踏み出さない時は、最後までの順序が未完成な状態の時で、全てが完全な状態に確認出来たら先ず一歩を踏み出す。 別に焦る必要もないし・・・。 二人が交差点に差し掛かった時、「キンッ」という硬質な音と強い光が肇の足元からせり上がって来た。 正面に大きな鳥居が聳えていた。 そして視界を塞ぐように二人の男が並んで立っていた。 「あなたの事は何でも知っています、だって、私は神だから」 鳥居を指して「この神社でお勤めをしている神です」 見た事もない模様の図柄の長袖の開襟シャツを着て釣りバンドをしている。 腹が出ていて髪も薄く、何処から見ても中年男のいで立ちだった。 もう一人はスリムなスーツ姿に黒縁の眼鏡、髪をぴっちり横分けにしている30代前半で、私はこの神社に縁はありません、今日はオブザーバーです、と言う。 「信じられないンでしょう、でも、論より証拠、交差点の所に、あなたの恋人、坂本みさきさんがいます、動かないでしょう、そうです、今、時間を止めていますから」 ほら、車も、信号もスマホも腕時計も止まった儘でしょ、今、あなたは無茶苦茶ラッキーな状態なんです、神に会えるなんてどれだけ凄い事なのか、解ってる?
「篠崎肇くん、今からアンタの願いを一つだけ叶えてあげる、ただし、私が5つ数える間に言う事、ハイッ、5、4、3」 「一寸待って、そんな急に言われても・・・」 「2、1、ゼロ、はい、プップー」 「残念、時間切れ、千載一遇のチャンスだったのに、どうして何か、言葉が出てこないかなァ」 「優柔不断なんだねァ、今回は特別におまけしてあげよう、何々、口癖の、先ずはじめにかァ、じゃ、それを取ってあげよう、悠長にそんな事を考えているから、咄嗟の時に頭が働かないンだ、アンタにゃ無用の長物だ、現にたった今、億万長者も逃げて行った」 「まずはじめに、よ、消えるべし! よし、言霊が出来た、はい、口開けて」と右の手のひらを押し付けて来た。 「はい、言霊打ち込んだ、じゃ、あとは頑張って」 「キンッー」と先程と同じ音が一気に遠ざかり、足元から強烈な光が沸き上がって来た。 ・・・「キャッ、痛い、何すんのよ」と、肩を叩かれた肇の手をみさきが睨み付けていた。 同時に止まっていた車も人も動いていた。 腕時計もスマホも正常に戻っていた。
翌朝、何時もは規則正しい肇の生活が異常を来たしていた。 今朝の新聞を読んでいない、観葉植物に水をやっていない、材料は買ってあったのに弁当も作っていない、電車の乗り場が違っていた、会社では普段は階段を上がるのにエレベーターを使った、自分の席に座ると福岡支店から問い合わせがあったので、オレ、やりますか?と言ったら主任が驚いた。 午後の会議では、膠着した状態に陥ったので、「先ずはやってみたら如何でしょうか」と発言すると、「石橋を叩いても渡らないって有名な篠崎がどうした?」と揶揄された。 肇は自らの変化を実感する事は無かった。 席に戻ると、英語の苦手な先輩の机に英文FAXが見えたので、「僕、やりましょうか」と申し出て先輩を喜ばせた。 肇は、久し振りに何だか今日は気分がいいぞ、と大きく伸びをした。
肇とみさきはクリスマスイヴに、三か月前に食事したあのレストランで一緒だった。 「先ずはじめに、を使わないで欲しい」と、みさきが申し入れた事は肇の頭の中に残っていなかった。 つい先日、肇は新しいプロジェクトリーダーに指名された。 みさきは、「おめでとう、最近変わったよね、話していてもとても楽しいし、なんだか、頼もしくなった気がする、口癖も直してくれたし」と上機嫌である。 口癖?何だっけ?と肇は思い出せない。 「みさき、来年あたり結婚しないか?」とプロポーズもされた。 「ほんとうに変わったね、肇クン、前はあんなに最初の一歩目に拘っていたのに」 「確かに一歩目は大事だけれど、それが全てじゃない」 ・・・みさきが横断歩道を渡った時、「キンッ」と硬質な音と強い光が足元から一気にせり上がって来た。 目の前に鳥居が聳えていた。 「おめでとう、お嬢さん」と声を掛けられ振り向くと見覚えのある二人がにこやかな笑みを浮かべていた。 「私に会った記憶はここでしか戻らないからね、元の流れに戻ったら記憶もなくなるし」 「あなたの願いは、相手のこういうところを直して、後に自分にプロポーズしてくれるように仕向けてもらいたい、と千年の中では初めての神頼みだった、いや、勉強になった」 「あの~、力が解けてまた、昔に戻るなんて事は?」 「私の力はせいぜい一週間さ、一歩を踏み出せない男の背中を強引に後押ししたけれど、アトは二人の信頼さ、信頼こそ、長続きの秘訣だ」 ・・・「キンッ」と言う音がみさきの耳元から一気に遠ざかって行った。 止まっていた肇の手が肩先を叩いた。 「キャッ、何するのよ」と振り返ったみさきに、肇は、前にもこれと似たようなシチュエーションがあったような・・・と呟いたが、みさきは「行くよ」と地下鉄に向かって歩き出した。
「当たり屋」
男が競馬場に向かう途中、急に神社に立ち寄る気になって賽銭箱に5円玉を放り込んだ。 右膝の痛みを治して欲しい、と。 10日ほど前、当たり屋で稼ぎ取った7万円が懐にあった。 膝はその時の痛みが残っていた。 当たり屋稼業、23才から始めて先月26才になった。 偽装事故に遭うのは年に2~3回だが、最近は当たり屋としての技術が衰えてきたように思う。 男は、宇喜多英二といった。 賽銭箱の前で手を合わせ目を閉じた時、「キンッ」という硬質な音が鼓膜を鋭く駆け抜けた。 瞼の向こうで何かが派手に光った感覚に反射的に目を開けた。 男の右側に見知らぬ女が立っていた。 「こんにちは、宇喜多英二、お願いされたから出て来たわ、ははあ~、アンタ、随分弱い人生を送って来たね」 女はスレンダーな体を緑と青の中間色のワンピースを纏っていた。 「中学生の頃のカツアゲに始まって、自販機の釣銭泥、高校生になってからは名簿の販売、芸能人の偽造サインをオークションに流す、最近は振り込め詐欺の受け子、出し子か、痛めた膝は当たり屋の稼ぎか」 「あ、あんた何者」 「私は神よ、この神社の神、ほら、見なさい、羽を広げた儘、ハトが宙に浮いて止まったままでしょ、今、時間が止まっているの」 「アンタ、面白そうだから手伝ってあげる、立派な当たり屋にしてあげる」 「先ず、その願い事を叶えてあげる、膝の痛みね」 女は、拳にした状態の右手を顔の前に持ってきた。 開けた手のひらにふっと息を吹きかけ、視線を男の膝に落とした。 刹那、男の膝に冷気を感じた。 「次は当たり屋の方、・・・何個? まァ、いいか、全部使っちゃえ」 「当たりに当たるべし、当たりに当たるべし、はいッ、言霊、一斉に出来ました、じゃ、口を大きく開けようか、ヨッ、当たり屋!」 「アンタ、ロクでもない人生なのに、こんないい目に遭う人間は滅多にいないよ」
妙な気分のまま、鳥居を潜って駅に向かった。 競馬場で乗客がどっと降りた。 膝の痛みはすっかり消えていた。 神社に寄った時は確かにまだ痛かった筈だ、何やら化かされた気分の儘、競馬場に入った。 定位置でレースを見守り、いつものように簡単に金を失った。 当たり屋で稼いだ7万円の成れの果てが1,000円と小銭だった。 「当ててやる」とそらぞらしく宣言した時だった。 「ぐうえ、ぼ」 とんでもなく大きなゲップが男の口から放たれ、もくもくと白い煙が出て来た。 ふわふわと漂いながら、「7」と数字を描いてから、ふわりと消えた。 周囲の誰もが気付いた様子が無かった。 最後だからと大穴に注ぎ込んだ137倍のオッズが的中し、137,000円に化けていた。 俺は天才だ! 意気揚々と駅に向かい、自販機の「大当たりはもう一本!」の輝くランプを横目に、「よっしゃ、これも当ててやる」と、「ぐうえ、ぼ」と又もや大きなゲップが口から放たれ、白い煙が「6」と描いて消えた。 「ヨッ、当たり屋」と女の声が聞こえたような気がしたが、周りには誰もいなかった。 大当たりの一本と併せ、缶コーヒー2本を飲み干し、駅の階段を軽快に上って行った。 ・・・今度はゲップと白い煙と数字の「5」、英二は確信した。 俺には神がかり的な力が宿っている。 スクラッチカード5枚を買って10円玉で削った。 「3,000円、200円、10,000円、200円、50,000円」 5枚全てが当たりだった。 窓口のオバちゃんは目を丸くして、「こんなの初めてだよ、お兄さん、一生分のツキを使い果たしたンじゃないの」
翌日、勇んで競馬場へ向かった。 財布には20万円近い金が入っている。 俺は天才、億万長者だ! 自然に頬が緩み、へらへらと笑ってしまった。 メインレースの3分前、万馬券を選んでありったけの金をぶち込んだ。 ・・・英二はすっからかんになって部屋の天井を見上げていた。 すべては只のまぐれだったのだ。 つい最近まで一緒に住んでいた女が、「英二はズルイの、カッコ悪いの、英二を見ていたら頑張ろうって気になれない」と言い捨てて出て行ったのだった。 女が残していった化粧品の赤いボトルがあった。 それを目掛けてポップコーンを投げ付けたが、全然当たらない、「今度こそ当ててやらァ」と声に出した途端に、あの大きなゲップと白い煙と「4」と言う数字を描いて消えた。 ポップコーンがボトルのキャップに寸分違わず当たった。 そうか、、当ててやる、と声にしなきゃだめだし、数字は残り回数なんだと悟った。 だから、アト、3回の大きな運がある。 しかし、元手が無い。 また当たり屋で稼ぐしかないな。
当たりを付けた軽自動車に向かって自転車のスピードを上げた時、「危ない、当たっちゃう」と高校生らしき制服姿の少女が目を見開いていた。 英二は、「ぐうえ、ぼ」とゲップが出て白い煙が「3」を描いて消えた。 ノロノロと走っていた軽自動車が突然スピードを増して英二の自転車に衝突した。 運転席から女が飛び出して来たのは見えたが、英二はプツリと意識を失った。 気が付いたらベッドで寝ていた。 それからは、医者が、警察が、最後に女がやって来た。 女は愛想を尽かして出て行った凛子だった。 「四日も目が覚めないからダメかと思った」 家族が皆無だったので携帯から凛子に辿り着いたらしい。 「運転手の女の人がアクセルとブレーキを間違ったみたい、目撃者も大勢いるし・・・」と凛子の説明だったが、彼女は微かに当たり屋を疑っていた。 女の運転手は、間違っていない、けど、急にスピードが出たと釈明しながら、取り敢えず、50万円の見舞い金が届いていた。 「どうせ、競馬に使ってしまう筈、先ず、滞納しているい家賃を払っておいてあげる、元気になったら返してあげる」と凛子はバックに素早く入れた。
二日後、骨折もなく、驚くくらいに無傷だった英二は退院した。 あの事故は正真正銘の当たり屋の大当たりだったのだ。 金が無い、と凛子に無心した2万円を手にして競馬場へ向かった。 あの時と同じ137倍の馬券、「当ててやる」と言ったら大きなゲップと白い煙が「2」と描いて消えた。 5分後、274万円を窓口で貰ったが、何にも嬉しくなかった。 最終レースに274万円をつぎこめば億万長者間違いなしだったが、これまでの人生その儘の、当たりという強い磁石に張り付くのに、突然、嫌気が差したのだった。 ・・・その後の英二が取った行動、なるほど、英二は変わった。 今までの人生を反省した禊の行為、3億円と今までの英二を捨てて、いや、3億円で新しい英二を自分で買った、と英二は凛子に胸を張るのだった。 (ここまで5,600字越え)
令和2年7月1日