令和2年(2020年)5月13日 第323回

中山七里「嗤う淑女」(文庫本、単行本は2015年)

1.野々宮恭子

中一の二学期、野々宮恭子はイジメに遭っていた。 自分のマフラーが便器に捨てられていた。 美香か、朋絵か、久美か、真理子か、チクショウ!殺してやりたい。 上履きに「極限ブス」と書かれ、弁当箱には潰れたカエル、トイレでは上からバケツの水、・・・家族には心配させたくない、自分が我慢をすればイイのだ。 帰宅して、教科書の公式的な計算をしていれば嫌な事は忘れるだろう、と教科書を広げると、「早く死ね」、「貧血ブタ女」、「家畜臭い」、「便所女」と、書き放題な罵詈雑言が並んでいた。 目の前のクラスの集合写真にコンパスを突き刺す。 こいつも、こいつも・・・。 みんな殺してやる、怨嗟だけが恭子の頭を占めた。

 

蒲生美智留は恭子と同い年の母方の従妹だった。 美智留の母親は夫と娘を残して失踪した、だからもう6年も会っていない。 母親の照枝が「美智留がお前の学校に転入して来るンだって」 父親の孝之が「ご近所なら挨拶しなくちゃな」 母が窘める「事情があるンだから辞めときな」 そんな会話があった。 美人だった美智留がどんな風に成長したのか、恭子は久し振りに登校するのが楽しく思えた。 ・・・偶然にも同じクラスに美智留は編入してきた。 小顔のその姿は完璧なモデル体形で、クラスでは正に掃き溜めに鶴だった。 「久し振りだね、恭子」 「みっちゃん、ちょっと」と引っ張って行き、「私に話し掛けない方がイイよ、私、好かれていないから、忠告はしたからね」 ・・・しばらくすると、イジメの矛先が美智留に移った。 ボス的存在の神野美香が付き合っていた日坂浩一が、美智留にデートを申し込んで断られた。 自尊心を傷つけられた美香の怒りが美智留に向いたのであった。 それでなくても普段から美智留の美貌に憎悪感を持っていたのである。 ・・・頭からずぶ濡れになった儘の美智留が教室に入って来た。 美香が遠巻きに嘲笑していた。 美智留は艶然と笑っていた。 その視線は猛禽類が獲物を選ぶ冷えた目だった。 視線が捕らえたのは美香、刹那、美香の顔から嘲笑が消え、蛇に睨まれた蛙の様に硬直した。 ・・・下校時、美智留が背後から声を掛けてきた。 「わたしが標的になって、恭子が安全になったでしょ、イイのよ、それが普通の反応よ、明日の放課後、体育館のウラにおいでよ、面白いモノが見られるよ」 ・・・体育館の裏は周囲から完全な死角になっていた。 恭子が身を潜めたその先に、日坂浩一と二人の不良仲間が地べたに横たわる神野美香を足蹴にしていた。 「このブスがよ、調子こいて俺の女だと言うンだぜ、女王様みたいな態度を取りやがって」 日坂が鳩尾を蹴り上げ、二人は背中と尻を蹴っている。 三人とも笑顔である。 恭子が虐められている時、美香もこうして笑っていた。 「助けて・・・」か細い声で許しを乞うが、「お前だって助けてって言われても止めなかったじゃないか」と、強く鳩尾を蹴り上げた。 途端に「ぐぇばッ」と口から吐き出した。 美香の顔は涙と反吐でぐちゃぐちゃになり、足元には洩らした黄色い小便が溜まりだした。 「汚れた下着は替えなきゃナ、おい、脱がしちまおうぜ」 三人に剥ぎ取られて真っ裸にされた美香に、ジッパーを下げて出したイチモツから小便が掛けられた。 更に、その醜い姿態を写真に収め、「これでチクリもできないだろう」と、意気揚々と引き上げたのであった。 恭子は甘美な旋律に体を貫かれていた。 足元から悦びが立ち上がり、胸が歓喜に震え、口元が弛緩する。 「美香がおもちゃにされている、私にした事をされている、いい気味・・・」 体育館の裏口から中に忍び入ると、美智留が浩一と体を密着させていた。 「あれで良かったのかよ」 「まァ、合格」 美智留は長い舌で浩一の頬を舐め上げる、ぶるりと身を震わせた浩一がキスを迫ると、手のひらでそれを遮り、「駄目」と言いながら、「こっちの方がイイでしょ」と、ジッパーを下げた浩一の股間に手を差し入れ、男の押し殺した声と女の淫靡な動きでそこの空気が濃密になった。 その瞬間、美智留と目が合った、「ね、面白かったでしょ」 確かにそう言う呟きの口の動きだった。 恭子は金縛りに遭った。

 

翌日から美香は姿を見せなくなった。 不登校が続き、三学期が始まった時、転校した事を担任から聞かされた。 リーダー消失の群れ程滑稽なものはない。 美智留を自陣に引き込もうとする者もいない。 恐らく、女ならではの嗅覚で美智留の危うさを察知しているのだろう。 ・・・授業中に恭子が倒れた。 気が付いた時には病院のベッドで母親が自分を見下ろしていた。 再生不良性貧血、骨髄移植が最良の治療法であったが、両親も8才の弟・弘樹ともドナーとして合致しなかった。 ところが、従妹の美智留が合致したのである。 「恭子が助かるなら、私、協力する」 恭子は顔がくしゃくしゃになりながら、「ありがとう、ありがとう」と熱い涙を流し続けた。 ・・・一か月後に手術は成功した。 恭子に入った美智留の骨髄液が血液を造り始めたら一般病棟に移れる、と言う。 恭子は美智留の手を握って、生涯、ずっと彼女に寄り添う、と固く誓ったのだった。 「もう、同じ血が流れているから、私の秘密を教えるね」 左の額の生え際に、長さ5㎝程の痣があった。 「私、パパから毎日酷い目にあわされているの」

 

退院してからは何時も美智留を目で追っていた。 ある時、昼ご飯を一緒に開けたら美智留はパンとサラダだけだった。 母が作ってくれた弁当が如何にも自慢げで恭子は後悔した。 しかし、話は弾んだ。 好きな歌手のアルバムを借りに美智留の家に初めてお邪魔した。 築30数年の古ぼけた雇用促進住宅、階段無しの6階だった。 蒲生典雄の表札がかかっていた。 夕刻、ドアの開く音がした。 「帰って来た、隠れて」と恭子は押し入れに押し込められた。 「いるのかァ、美智留」と優し気な声がした。 しかし、お前は俺を捨てた母親に似てきた、俺を裏切る可能性がある、地元に就職してずっと一緒に暮らすんだ、都会に行く事は赦さん、・・・イキナリ美智留の腹に蹴りが入った。 恭子はゾッとした。 親が中一の子供に何て理不尽な・・・。 美智留は反抗した。 この街は負け犬の臭いが沁み付いている、だからここから出る! 父親は弱点をズバリ指摘されて吠える、父親の事をよくも負け犬呼ばわりしたな、もっと、教育が必要らしい、と鳩尾に一発二発蹴りが入る。 露わとなった額の痣を目がけて拳が叩き込まれた。 いつも同じところだけだ、どうだ、優しいだろう、 恭子は押し入れの中で震えていた。 イイ子に矯正してやる、イイ子は行動で示せ、と言うなり、ズボンを脱いで下半身を露出させた。 咥えろ! 美智留の口に男根を突っ込みゆっくり律動し始めた。 後ろを向け! 怒号と共に髪が掴み上げられ、四つん這いにさせられて尻を向ける、 下着を荒々しく剥ぎ取ると、後ろから犯し始めた。 恭子は驚きと恐怖で声を上げそうになるが必死で堪えた。 父親は腰を動かしながら喜悦に満ちた顔で直も続ける。 美智留がふいにこちらを見た。 目が助けを求め、訴えている。 しかし、恐ろしさが襲い掛かってきて動けない。 美智留の顔が苦悶する、しかし、歪んでもなお、その顔は壮絶で美しかった。 この間、10分だったか、1時間だったか、満足した父親が風呂へ向かったアト、「今のうちに帰って」と押し入れを開けられたが、腰から下がすっかり萎えていた。 帰り道、暗い団地の中を歩きながら、私のかけがえのない人を蹂躙した男、美智留の残酷な姿態、それらが脳裏に浮かんできて、きっと、あの父親は殺してやる、と秘かに決意した。

 

「おはよう」 翌朝、美智留は普段と同じ顔をしていた。 「ごめん、みっちゃん、私、昨夜の事忘れる事なんてできない」 「だから言ったじゃない、毎日酷い目に遭ってるって、だけど、許しているわけじゃないし、戦わない訳でもないわ、チャンスを待っているだけ」 「私、みっちゃんに助けてもらった、今度は私が助ける番、何をすればいいの」 「本当に助けてくれるの、じゃ、教える、こんな計画なのよ」 ・・・道具を調達するのに一日、細部を詰めるのに一日、決行は三日後の夜になった。 放課後、先に美智留が帰り、恭子は団地の誰にも見られないよう慎重に部屋に入った。 恭子は準備を済ませて押し入れの上段に待機した。 酔って帰宅した父親は美智留の髪を掴んで引きずり回し、脇腹への蹴り、蹲ると背中を足蹴、美智留は必死に逃げ回る。 父親は慌ただしい手つきでズボンを下ろすと、悍ましい男根が既にそそり立っていた。 押し入れに背を向けて美智留に挿入を始めた。 恭子の眼の下に男の頭がある。 麻縄でこしらえた輪を両手で持って、男の律動が激しくなったところを首にかけて後ろに思いっきり体重をかけた。 同時に美智留は体を反転させて男の下半身を押さえつける。 途端に麻縄がぐいッと引っ張られて、上下から二人の全体重が圧し掛かった。 「グええええッ」 蛙のような声と、死に物狂いの両腕の足掻きでも、食い込んだ麻縄は外れない。 「ぐううッ、ぐううッ」 断末魔の呻き声が続く、一分、二分、三分、・・・五分、「恭子、もう、いいみたい」 終わった。 男の股間から避妊具を外し、パンツもズボンもはかせて、欄干に麻縄をくぐらせ、そのまま吊り上げる。 麻縄の片方を欄干に括りつけて偽装自殺の完成である。 恭子に後悔の念は一切無く、むしろ、清々しい達成感があった。 しかし、体は震えていた。 「ごめんね、心を落ち着かせるおまじないよ」 美智留の手は恭子の胸に伸びて、しなやかな指が硬くなった乳首を軽く摘まむ。 こじ開けられた口から美智留の舌が侵入してきた。 甘い快感が押し寄せて来て殺人を犯した恐怖感を呑み込む。 感じるのは美智留の指先だけ・・・。

 

美智留が入浴中に父が酔って帰って来た。 父は妻に出奔されてから生活が乱れ、人生に悲観していた。 死の誘惑に抗しきれず、突発的に自殺を決意し、欄干で首を吊った。 警察の検証と事情聴取はこれで通った。 もう、怖いものは無い。 恭子と美智留は本当の一心同体となった。 しかし、恭子に疑念が湧いた。 最初の日、ワザとあの暴力・強姦行為を目撃させて、共犯者にさせたのだろうか? 考えすぎだ、美智留に限って、そんな奸計を巡らすものか・・・。

 

以下、美智留に関わった4人の物語が始まる。

2.鷺沼紗代 恭子の高校時代の同級生、銀行勤めで多額のサラ金を抱えている。 まじかにカード破産、失職が待ち受けている。 同窓会で会った恭子が、「同い年の従妹と生活コンサルタントをやっている」と言っていた。 どんな問題でもたちどころに解決、と自慢していた。 頼ってみよう、恭子の携帯を呼び出した。

 

3.野々宮弘樹 恭子の弟・弘樹は5才下の産廃処理の家業手伝いだった。 大学卒業してもただの一社からも合格通知を貰えなかった。 就職浪人だったが、父・孝之が、これ以上、無駄飯は食わせられない、と月7万円で雇われている。 今や、美智留はコンサルタント事務所の代表、恭子はそこの所員、美智留の妖艶な姿態を前に、孝之は「骨髄移植してもらって、更に、今はそちらの事務所にお世話になっている、有難いね」と、目を細めていた。

 

4.古巻佳恵 名古屋市在住、夫の登志雄は二年前にリストラにあった。 ハローワークに通い出したが不満ばっかり口にしてさっぱり再就職を決めなかった。 それどころか、作家を目指す、と言い出し、引きこもりになった。 娘二人は、「あの、自称作家」と蔑んでいる。 佳恵はパート主婦の亀谷から、生活コンサルタントの蒲生美智留を紹介された。

  

5.蒲生美智留 鷺沼紗代が嵌った銀行2億円横領事件、野々宮家の惨劇、古巻登志雄の1億円保険金殺人、・・・野々宮家の惨劇のあと、美智留は整形して恭子の顔に変えた。 不器量で何の取り柄も無い従妹、あの女の使い道は自分の身代わりしかない。 ・・・今回の保険金殺人の裁判で美智留は無罪を勝ち取った。 かって父親は、お前は都会では成功しない女、と罵ったけれど、美貌と知恵と行動力で、馬鹿な人間たちからあらゆるモノを奪い取って、勝者の座に君臨し続ける才能が私にはある。 ・・・今度は、誰をどんな風に陥れてやろうか、込み上げてくる歓びを抑えきれず、美智留は高らかに嗤い始めた。 (淑女とは、しとやかな品のある女性、の意であるが、そこに悪知恵の限りの行動力で相手を貶める美智留は、仮面を付けた淑女であろう、その淑女が嗤う、・・・何と、ブラックな小説であろうか)

 

 

 

Oさんから借用。 柚月裕子「狂犬の眼」(単行本、2018年刊)、及び文庫本2冊、堂場瞬一「刑事・鳴沢了 熱欲」(単行本は2005年6月)、「刑事・鳴沢了 孤狼」(単行本は2005年10月) 柚月裕子のシリーズ2作目の単行本、待っていた甲斐があった。 このアト、シリーズ3作目の「暴虎の牙」を続けて読める。 家内は先に3作目を読んでしまっているが・・・。

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                               令和2年5月13日