令和2年(2020年)3月23日 第313回

森友改ざん問題で自殺した近畿財務局の54才・職員の妻が、自殺に至った本人の手記を発表し、国と局長を提訴した。 手記では阿部首相に忖度した佐川局長からの指示による改ざんだった、と明快に言い切っている。 局内ではパワハラで有名だった佐川局長に逆らえず、やむを得ず、改ざんに手を染めた強い自責が故の自殺だった。 提訴した妻は、「佐川さん、どうか、改ざんの経緯を、本当のことを話して!」と切実に訴えている。 ここ迄なったら佐川本人もその親族も、世間体的には針の筵であると思うが、追い込まれて底まで落ちたンだから、開き直って真実を語って、亡くなったこの職員の方に心から懺悔して欲しいものだ。  

 

 

 

中山七里「ネメシスの使者」(文庫本、単行本は2017年)

・・・ネメシス~ギリシア神話の、義憤の女神 復讐の女神と誤訳もされている

1.私憤

埼玉県警捜査一課の渡瀬警部とその部下・古手川刑事は、日本で一番暑い熊谷市の殺人現場に向かうところだった。 8月10日午前7時半、今日も早朝から激烈な猛暑である。 被害者は戸野原貴美子65才、自宅で刺殺体で発見された。 現場では、熊谷署の豊城刑事が出迎え、鷲見検視官の検視も終わったところだった。 自治会の清掃当番だった戸野原が来ないので、呼びに行った主婦が発見したらしい。 新聞が数日分溜まっていて、玄関の施錠部分がガラス切りで穴を開けられていたそうな。 犯人は、死体の血濡れた人差し指を持って、壁に、「ネメシス」と書き付けた。 貴美子は40年前に結婚してこの実家を出て行ったが、10年前、出戻りで実家の姓に変えた。 結婚した姓は軽部、息子の軽部亮一(当時26才)は、女性二人が惨殺された「浦和駅・通り魔殺人事件」の犯人だった。 10年前の12月5日、駅コンコースを歩いていた女子大生・一ノ瀬遥香(19才)を刺殺、続けて小泉玲奈(12才)に馬乗りになって頸動脈を切り裂いたのであった。 コンコースを歳末巡回中だった巡査二人が駆け付け、この犯人を取り押さえた。 逮捕された軽部亮一は、途端に借りてきた猫のようにおとなしくなり、夜半になって、やっと、本名や両親の名前、住所を名乗った。 父親は県の教育委員会に名を連ねる著名な教育評論家だった。 父親の威光を自分の威光と勘違いした諒一は、ネットの世界で傲岸不遜に振舞い、集中砲火を浴びていた。 此の儘じゃ父親を超える有名人になるしかない、としか考えられなくなった引き籠りだった。 男じゃ返り討ちに遭う、女を二人以上殺して名を挙げる、有名人になる、だから、誰でもイイ、場所は人の多いところ、目立つところ、と自我が未熟な人間の行動原理だった。

 

父親の軽部謙吉は被害者の親族から謝罪を求められた。 著名な教育者の倅が凶悪犯罪を起こした、それまでの称賛が一夜にして侮蔑に変わる、いい笑い者に成り下がった謙吉は、高速道路で防護柵に激突して命を失った。 自殺と推測されたが遺書はなかった。 起訴前鑑定で、軽部亮一は責任能力アリと診断されて裁判が始まったが、死刑判決要因の多くを満たしていたにも拘わらず、渋沢裁判長は、「無期懲役」の判決を言い渡したのであった。 軽部は最終意見陳述で、「亡くなった二人の分までずっと長生きをして謝罪し続けたいと思います」と、と厚かましくも平然と言ってのけて、遺族を始め世間から猛烈な憎しみを浴びていたにも拘わらず、裁判長は、「被告は精神的に未発達、前科もない、被告人の犯罪傾向から、死刑にする他ないとは判断しがたい」との判決骨子は、世間的には異常判決であった。 この裁判長は過去にも死刑判決を避けた案件があり、「温情裁判長」の綽名もあった。 遺族は承服できず、集団訴訟で民事に訴えた。 しかし、残った財産は皆無で遺族には一銭も渡らなかった。

 

死刑判決を免れた犯人・軽部の母親が殺された。 動機的には被害者の家族による復讐が考えられるので、渡瀬と古手川は一ノ瀬・小泉両家のアリバイを確認せざるを得なかった。 しかし、ネメシスの意味が「復讐」ではなく、「義憤」とするならば、第三者の犯行も充分考えられた。 懲役囚の家族に正義の鉄槌を下した、とするならば、容疑者の数は数倍に跳ね上がる。 ネメシスと名乗る者が、懲役囚の家族や、死刑判決を避けた裁判長、更には判決の際に笑顔になった堤弁護士を狙っている事が公になったら国の司法はどうなるか、ネメシスの事については捜査本部で箝口令を敷いているものの、マスコミに洩れたら大変なことになる。

 

二人の刑事は千葉刑務所に軽部亮一を訪ねた。 今36才になった軽部は、実母が殺害されたと聞いて「どうやら本当のようですね」と冷淡だった。 「酷い母親だったから涙なんか出ません、父親の召使で俺を監視していただけだった、父親は子供が失敗作だったから、逃げを打って死んだだけ、それを聞いた時、俺はガッツポーズしましたよ、母親だって良妻賢母を演じていただけさ、旧姓に戻ってやり直す、アンタも生まれ変わた積りで一生懸命生きなさい、と一度だけ手紙が来ただけさ、殺されていい気味さ」 「あいつを憎んでいる奴? 心当たりはないなァ」 「ここは三食付だし、病気も診てもらえる、労働も大した事もない、ここは居心地がイイよ、死刑判決を回避してくれた裁判長に感謝ですよ」と嘯く始末であった。 更生・改心の欠片もないこいつと死刑廃止論者と対談させたらどうだろうか?

 

一ノ瀬家は長野県上田市にあった。 「母親の香澄」と名乗った、まだ50代の筈の白髪の目立つ老婦人が、「目に入れても痛くない程、可愛がっていた娘が殺されて主人は一気に弱り、早々に亡くなりました、浦和の大学進学をもっと強く反対すべきだったと悔やみながら・・・。 理不尽です、どうして被害者側が罪悪感を持たなければならないンでしょうか」と呟き、渡瀬は胸が潰れる思いであった。 香澄は続けて淡々と言う、「あの渋沢裁判長が無期懲役と告げた途端、弁護士と軽部は勝ち誇ったように笑いました、それがどれだけ憎々しかったか」 「夫は目に見えて衰弱していきました、裁判長を呪いながら痩せ衰えて行きました、恨み辛みが人を食い殺すと言うのは本当だと思いました」 軽部の母親が旧姓に戻って最近殺害された事、申し訳ないが被害者の方々のアリバイを確認させて頂いている、と正直に打ち明けた。 「どうしてあんな男を生かしておく必要があるのでしょうか? 更生も期待出来ず、一生無駄な税金と職員を費やすなんて」 渡瀬は返事に窮した。 ・・・小泉玲奈の自宅はさいたま市浦和区だった。 渡瀬が名乗ると、今は高校生になった弟の英樹が棘のある口調で顔を出した。 「浦和駅ではぐれてしまってコンコースから離れた所にいた、救急車でも一緒にいた、姉さんが息を引き取った瞬間も覚えている、姉さんよりもこっちが刺されていれば良かった、姉さんの方が頭も良かったし綺麗だったし、両親だってきっとそう思っている」 死者は無敵だ、自分がどんなに成長しても賢くなっても、死者はそれ以上の存在であり続ける。 「軽部亮一が生きてちゃいけない奴で、二人も罪のない人間が死んでいて、罪のあるやつが生きているなんて、絶対、おかしいじゃないか」 「法が許してくれるならアイツを殺したいと思っている、刑務所の中に手を出せないから、こっち側にいるあいつの家族に復讐してやろうって気持ちがあるのは当たり前じゃん」

 

2.公憤

東京地方検察庁の岬次席検事は弘前検事正の部屋に呼ばれた。 岬は10年前の「浦和駅・通り魔事件」の担当検事だったが、「無期懲役」の判決に唖然とした胸中は、被害者遺族と同じく激しい怒りを覚えたものだった。 弘前検事正から、軽部亮一の母親が刺殺された事、壁に「ネメシス」の血文字が書き残されていた事、本当に復讐ならば司法に対するテロリズムであり、裁判所の判断に反旗を翻してリンチに走ることを許すと法治国家の根幹を揺るがす、これはさいたま地検の担当だが、君も看過できないだろう、とあざとい物言いだった。 岬は部屋に戻ると、横山事務官に指示して「浦和駅・通り魔事件」の公判記録の全てを取り寄せた。 「この事件は次席検事がご担当されていたんですね」 「そう、死刑間違いなしと思われた事件が無期懲役となって、油断した愚か者が敗退した記録だ、被害者遺族に報告に赴くのが辛かった、遺族から労われたのが更に辛かった」 判決が言い渡されたとき、一ノ瀬遥香の母親・佳澄は気も狂わんばかりに泣き叫び、あの男が獄中で寿命を全うするまで私達にその生活費を払い続けろと言うのか! 激高した両親は、今から軽部の所へ乗り込んで刺し殺す!と叫んだ。 法廷は復讐の場ではないと言い募り、遺族に一方的な忍従を強いる、逆に被告人は人権と生活を擁護されるのに・・・。

 

岬検事は渋沢判事を訪ね、身辺を警護する旨を伝えた。 すると冤罪事件の事や刑法論議にも及んだが、最後に、「実は、孫娘が誘拐されて殺されました」と、岬が声を失うほどの打ち明け話があった。 「東北に嫁いだ娘の三才の子で、犯人を逮捕した時は小さな首を絞められていました」 「盛岡地裁で無期懲役、二審もそれを支持し、最高検で棄却されました」 「犯人は初犯ではなかった」 「我が身に痛みを覚えようと、それを基準にして罪を裁くことは厳禁です」 岬はいたたまれない気持ちで判事の部屋をアトにした。 堤弁護士を呼び出して、判事と同じように警告し、目立った行動は自殺行為に等しい、警護は警察に相談して下さい、と言うと、小心者の堤はこくこくと慌ただしく頷いた。

 

千葉刑務所の軽部亮一は自分の母親が殺された事を自慢げに吹聴していた。 強盗殺人の相良と長谷川はその話で盛り上がっていた。 強盗に押し入って母親と娘の二人を殺した相良の求刑は死刑だったが、渋沢裁判長は「懲役16年」だった。 この時、相良は34才、出所時には50才になる。 模範囚を演じればもっと短くなるかもしれない。 九死に一生を得て、相良は生き永らえて50才からの生活を想像する楽しみがあった。

 

3、悲憤

4年前に上尾市で起きた、娘と祖母の二人が殺されたストーカー事件。 犯人は直ぐ逮捕された。 川越市の二宮圭吾・29才。 しかし、上尾署にストーカー行為に悩んでいた相談が明るみに出てきた。 署の大きな怠慢があからさまになった。 二宮は懲役18年、死刑の求刑にも拘わらず、又もや渋沢裁判長の温情判決だった。 ・・・その父親、二宮輝彦はスーパー勤務を終えて夜11時に自転車で帰宅途中だったが、後ろから迫られてきた乗用車に追突され、土手の下まで転げ落ちた。 土手を上がろうとしたときに、鉄パイプで頭をたたき割られた。 息子が二人を殺した手口とまったく同じで、自転車に残っていたビニール袋に、「ネメシス」と血塗られた字が書かれていた。 また、ネメシスだ。 ・・・渡瀬は、岡山刑務所の二宮圭吾を訪ねて事件の報告をした。 「父さんが殺された?、犯人は逮捕されたンですか」 「殺した娘の両親はクソッタレですよ、僕がこれほど愛していることを理解しないなんて」と、今になっても自分よがりの勝手な言葉を吐く。 「あの両親の復讐心が一番怪しい、お願いです、父さんの仇をきっと討って下さい」と、自分の事を棚に上げて言う。 「懲役20年刑期は人間をゆっくり殺していく刑罰です、彼はもう廃人同然です、シャバに出ても一週間と持ちません」 本人にも刑期の自覚症状があるらしい。 輕部良一と較べると少しはマシかも知れない。 ・・・埼玉日報に「ネメシス、報復か!」の記事が載った。 里中県警本部長から渡瀬警部に直通の呼び出しがあった。 埼玉日報の尾上記者は、「冤罪事件が蔓延っていた過去の判決にビビって判を押さない弱気な法務大臣が多すぎます」と断じる。 翌日の朝刊は、「軽部亮一に対する異物感」 「二宮圭吾に対する義憤」 「死刑判決を確信した中での温情判決」 「ネメシスの復讐」と文字が躍った。 二宮輝彦を発見した早朝ランニングの人の目撃談だった事が判明した。 テレビは、更生制度に重きを置いた死刑廃止論が激論に沸いていた。 (このアト、憂憤、義憤、怨憤と続く。 なるほど!と思う、いろいろな憤激である。 最終章、まさかの犯人像には吃驚過ぎる。 流石の七里! と言わせて貰おう。 ここまで、全362ページの内、192ページまで)

 

 

 

我が町の幕下45枚目、一山本が5勝2敗と好成績で休場明けを飾った。 これで10枚近く番付を上げると思うが、再十両にはまだまだ遠い。 怪我は本当に恐ろしい。 益々の鍛錬を期待したい。 ・・・無観客で無事に15日間を乗り切った。 力士は朝・夕二度の体温測定を行って協会に報告させ、部屋から会場へはタクシーか、仕立てた車で場所入りすることを義務付け、会場に入る時は消毒薬で手を洗う、そういう様々な努力が実を結んだのだろう。 あっ晴れ!だった。

(ここまで、5,300字超え)

 

                                       令和2年3月23日