令和2年(2020年)1月6日 第302回

娘の旦那から、「一週間、お世話になります」と、10万円を家内に渡された。 流石に、「飛行機賃にして・・・」と半額を強引に返したが、娘からは、「お年玉」として各1万円をポチ袋で頂いた。 「2020年も元気で暮らしてください」とメモが入っていた。 昨年に続き、お年玉を貰う年になったか、と素直に有難く財布に入れた。

 

 

雫井修介「望み」(単行本は2016年)

埼玉県・戸沢市の設計事務所・石川一登は、見込み客の種村夫妻から、螺旋階段とか、いろいろな希望を訊きながらカタログ等で説明していたが、「我が家もご覧になりますか」と、同じ敷地にある自宅にも案内した。 自分が設計したお洒落な外観は結構なインパクトがある。 25畳程のLDKに居た、妻・貴代美は幾分慌てて、「あら、いらっしゃいませ」と、フリーの校正者である仕事中の眼鏡を外して立ち上がって、足元のミニチアダックスフンドを連れて行った。 息子は高一、娘は中三の部屋もご覧下さい、と案内した。 子供の成長に併せて部屋を変えれるように設計していた。 種村夫婦が挨拶すると、息子・規士(ただし)は、小さく舌打ちしながら、「ち、は」とあどけない顔で短く返事をした。 先週末、外泊から朝帰りした時につけていた小さな青あざがまだ残っていた。 理由を訊いても曖昧にはぐらかすだけだった。 部屋の隅には足を怪我してから辞めてしまった、サッカーボールが転がっていた。 部屋で受験勉強していた娘・雅は質問をされて、「この部屋の住み心地は満点です」と返答し、両親を喜ばせた。 更に風呂場の大きな窓を見てもらったが、冬場は寒いので、お薦めできないと、大きな窓を要望していた夫婦に念を押しておいた。

 

・・・規士の部屋のゴミ箱に、ナイフのパッケージに付いている厚紙が捨てられていた。 妻の貴代美から、「お父さん、これ、何で買ったンだろう?」と見せられたが、工作用の切り出しナイフか?と気にしなかった。 青あざに関係するモノ?とは考えられなかった。 「まさかと思うが、一言云っとく」と、応えた。 夕方、帰宅した規士の前に、彼の机から取り出した切り出しナイフを指し、「これ、お前が何の為に買ったのか、教えろ」と迫ったが、「怪我も関係ないし、何でもない」とのらりくらりだった。 「使う目的が言えないなら、これは預かっとく」 「文句はそれだけ?」と、にべもなく言って自室に上がって行った。 

 

・・・その日、規士は昼11時半を過ぎても外泊から帰ってこない。 「携帯が繋がらないなら、メールを入れとけ」と夫に言われたので、少し強めの言葉を並べてメールしたら、間もなく、返信があった。 「悪いけど、いろいろあって、まだ帰れない、心配しなくていいから」と、取り付く暇もなかった。 規士の携帯の留守電に吹き込んだ、兎に角、一度電話しなさい! ・・・夕方、規士が帰って来ない儘、雅と三人でファミレスに出かけた。 雅が電話してもメールしても一切、返信が無かった。 行く途中、サイレンを鳴らしたパトーカーが数台、走り回っていた。 帰路の途中、また、どこかでパトカーのサイレンが聞こえた。 夜9時過ぎ、春日部市の貴代美の姉・聡子から電話があった。 風呂に入っていた貴代美に代わって出た一登に、「お昼に貴代美から聞いていたンだけど、規士は帰って来たのかしら?」と問われた。 「今、気になるニュースが流れた、戸沢市で、車のトランクから少年の遺体が出たって・・・」 「道の途中で動けなくなった車から、何人かの少年が逃げて行った、と目撃されているらしい、って」 10時のニュースは、「戸沢市内で、縁石に乗り上げた車のトランクから、若い男性の遺体がビニールシートにくるまれて発見された、複数の男が現場から立ち去ったのが目撃されている、身元の割り出し、車の持ち主等の捜査を進めている」 市道の現場からは、報道記者の報告がなされていた。 「夕方6時頃、ど~んと音がして車が乗り上げていた、高校生のような若い男の子が二人、走って行った、と目撃者が語っていた」 「遺体は、刺し傷や打撲の激しいアトがあり、かなり、激しい暴行を受けた末に亡くなった、と推測される」 「シャベルもあったので、何処かに埋める積りの途中だった」 ・・・貴代美の縋るような視線を受けて、一登は警察に電話した。 「高一の息子が昨日から出かけた儘、帰ってきていない、連絡もつかない、もしかして、この事件に関わっていないか」と、石川規士の名前と自宅の住所を告げたのである。 「身元確認中らしいが、どうやら、規士ではないような感じだ」と、貴代美に言うと、幾分、安堵感の表情を見せた。 ・・・翌日の朝刊で遺体の身元が判明していた。 倉橋与志彦、高校一年生、って、お兄ちゃんと同じ、アッ、もしかして友達かも? ヨシヒコがどうとか、電話で話していた事がある、と雅が言い出した。 高校は違うらしい。 10時、「昨夜の電話、もう少し詳しくお伺いしたい」と、40代の寺沼、30代の女が野田と名乗った刑事が訪れて来た。 規士からのメールを見せ、娘が言った友達らしいという話を告げた。 刑事の方も倉橋君の周りからの聞き込みで、「石川規士君の名前が出てきた」らしい。 「半月程前、グループ内で喧嘩めいたいざこざがあった」 それは恐らく、規士が青あざを作った頃の事だろう。 一登と貴代美は震えた、まさか、規士が殺人犯? 「どう、関係しているか判らないが、取り敢えず、行方不明届を出す事、携帯の番号」を訊き出して刑事は帰って行った。

 

規士と倉橋は中学校時代のサッカークラブの仲間だった。 倉橋は戸沢商業高校、と別れたが、規士は戸沢高校に上がっても部活でサッカーを続けていた。 しかし、紅白戦で後ろからタックルを受け、半月板損傷の重傷を負って、サッカーを辞めたが、どうも、先輩から標的にあった可能性が浮かんできた。 フリージャーナリストの内藤、と名乗る男が、貴代美を訪ねて来た。 「倉橋君の仲間で、行方をくらましているのが規士君で3人目です」  車から逃げ出した二人の他にもう一人? 貴代美は混乱した。 警察からの情報は一切、無いからマスコミの情報は有難かった。 ・・・一登が帰宅すると、新聞記者が待っていた。 話を振り切ると、今度はテレビ局からの電話である。 もし、規士が犯人だとすると、加害者少年の父親が今まで通りの仕事を続けられるのだろうか? 考えるだけでゾッとする。 石川設計事務所とタッグを組んでいる高山建築の社長から電話が入った。 「今回の被害者の少年は、花塚塗装の外孫で、あの頑固職人が涙声で、もう、仕事が出来ねェ、と可愛がっていた孫を失った悲しみを呟かれて、こっちはもう耐えられないよ」 「花塚さんと娘さんが確認に行ったけど、よくもこれだけ酷い事が出来るモンだ、と思うほどの凄惨な遺体だったらしい、泣けて泣けて仕方がなかった・・・と嘆き悲しんでいた」と続けられると、まさか規士が・・・と、改めて自身に震えが襲ってきた。 更に、夜が更けてもマスコミが押すチャイムや、掛かってくる電話の鳴る音が止まらない。

 

未成年者の犯罪は親の責任、世間も許さないし、賠償だって大変な額になる、と姉の聡美は貴代美に言うが、耳を塞ぎたいばかりである。 逃げたって、いつか警察に捕まる、これが本当だとしたら確かに、今から心の準備が必要に違いないが、あの心優しい規士に限って、と現実味に乏しい。 何よりも被害者という考え方は一切、この頭から放り出したい。 息子が死んでいるとは、とても許容できる話ではなかった。 夕方、雅が帰宅すると、案の定、マスコミが話を訊きたいとしつこかったらしい。 近所のおばさんには、マスコミの車をここら辺から除けてほしい、と苦情があったそうな・・・。 中学生にも不満を言い出す近所モンスターの出現である。 テレビでは戸沢商業高校の校長先生やクラスメートが、倉橋の優しさを語っていた。 可哀そうな被害者の対極に、残忍性や異常性を生じさせる規士がいるのである。 犬の散歩はやむを得ず、外に出た途端、テレビカメラが寄って来た、亡くなった倉橋さんについて一言を!と、まったくの加害者家族扱いである。 「痛ましいことです」と、言う他はない。 「何もわかっていないのに、変な言い方は止めて下さい」 それ以上、カメラは追いかけてこなかった。 ・・・もし、規士が警察に身柄を確保され、加害者の一人だと確認されたら、自分は、カメラの前で涙とともに謝罪しなければならないのか。 高山建築や花塚塗装との縁も切れ、この家も事務所も売って賠償金に当てるのか、仕事はどうなるのか、考えたくない恐ろしい世界である。 ・・・しかし、車から逃げた2人、事件以来、連絡が取れない3人、この一人の違いは何か? 犯人2人が逃亡して、残る一人は、もう一人の被害者なのか? まさか、それが規士で既に、犠牲者? ・・・加害者なのか、犠牲者なのか、どちらも考えたくないおぞましさであった。 貴代美と言い争いになった。 「リンチ殺人はどう言ったって人殺しだ、それをお前は受け入れられるのか?」 「親だもの、受け入れてやり直しをさせるしかないでしょ、生きてたらどうにでもやり直せるでしょ、でも、死んだらそれで終わりなのよ」 「そう言うのは人を死なせておいて警察から逃げ回っている人間に許される言葉じゃない」 「そんなの、規士が死んでてもイイと言ってるのと同じじゃない、どうしてそんな冷たいことが言えるの!」

 

サッカークラブチームのスレッドを覗くと、S山コーチの息子となっているから、一登も知っている塩山の息子だろう、確か、規士の一つ上だ。 W村はフォワードだった若村か、主犯はS山かⅠ川か、と書き込まれていた。 車から逃げた奴は足の速い若村か、塩山は、二人殺ったから逃げ回るしかない、と知人に電話で言ったらしい。 車を貸したのは塩山の先輩で、こんなことになるなんて・・・と、無免許の後輩に貸した罪を嘆いていた。 この3人の内、もう一人の被害者は誰なのか? IかWか? それとも車に乗らなかったもう一人がいて、更に別な犠牲者がいるのか、一登は、只々、規士がどちらであっても遣り切れない無情さに怯えていた。

 

一夜明けると玄関ドアに生卵が投げ付けられていた。 雅も過敏になって来た。 「殺人班の家族は家を引っ越す、自殺に追い込まれた人もいる、もし、お兄ちゃんがやったら、私は進学も就職も結婚もできない」と興奮気味に叫ぶ。 「そんなことは親の責任だ」 「犯人じゃなかったらイイけど・・・、犯人じゃない方がイイ」と、呟いた。 ・・・秋田邸の棟上げ式、高山建築の社長から詰問された。 「花塚さんのお孫さんの事件、先生の息子さんも関係しているって、本当かい?」 「確かに今、連絡が取れてません、三人の行方不明がいて、もしかして、こちらも被害者の可能性もあります」 「被害者ならどうしてまだ見つかっていないのか、無実なら、どうして逃げ回っているのか」 「高校で怪我をしてサッカーを辞めた先生の息子さんが、殺された倉橋君を連れまわしていた、と花塚さんから聞いた」 「俺は、30年来の花塚さんとのお付き合いがあるし、先生とは10年位か、どっちにしてもこのままじゃ花塚さんは先生の仕事は受けないし、俺だって、出来ない」 一言一言が、気が滅入る言葉の連続だった。 更に岐阜の兄・一茂から、「息子の幸久が教えてくれた、規士があの事件に関係あるンだって? 幸久も来年は就職試験が始まるから迷惑が掛からんようにしてくれ、もし、犯罪者が出たら、末代までの恥だぞ、解ってるんか!」と、一方的な犯罪者扱いだった。 ・・・一登は恐ろしい夢を見た。 自分が規士を殺した夢だった。 心の悪魔が、息子は犠牲者になっていたと信じ込みたいからそんな夢を見させるのか、残った家族の安寧の為に・・・・。 一方で、いや、息子は殺人などするような子じゃない、と信ずるせいかも知れない。

 

倉橋君の葬儀が行われる事を知って、一登は香典袋を持って会場に向かった。 しかし、顔を強張らせた高山建築社長に、拳で頬を強烈に打ち据えられ、「あんた、正気か!」と、胸倉を掴まれて外に放り出された。 「規士はやっていない、彼も被害者だ」 高山社長は、「警察が発表した訳じゃない、失せろ! 常識を弁えろ」と、吐き捨てて式場に入って行った。 

・・・塩山コーチの息子が、逃げていた一人、として逮捕された。 もう一人は? 規士は?

 

(悲惨な物語である。 父親、母親、娘、それぞれの親族、それぞれの周囲が織りなす思い、題名の「望み」とは誰の望みだったのか? 最終章に衝撃が走る、果たして誰の望みが叶えられたのか? それの真意は? 読み疲れた頭に、更に考えさせられる結末だった) (ここまで、約5,300字)

 

                                                         令和2年1月6日