令和元年(2019年)12月31日 第301回

マンション理事会と懇親会、各自1,000円負担で、「K」の店でお任せ小料理。 結構な酒の量が呑まれて4人で20,000円だったが、16,000円の領収書を・・・。 「旨い! 美味しい!」と喜ばれて顔が立った。 流石、Kの料理である。 ・・・我がマンションのインターホーン、来年3月で部品が終了するとメーカーから通告され、4月以降、さて、どうするか? 取り換えの見積書は約400万円。 インターホーンは15年取り換え周期だ、とメーカーは今更に言う。 我が家を始め、数軒が修理済みであるが、25年目を迎えたマンションとしては無理もない事かも知れぬ。 しかし、「A」社と「P」社の独占市場らしく、部品供給に関して、巷では結構な不満の声が満ち満ちているそうな。 何か、道はないか? ・・・あった! 親機に携帯電話機能が付いていて、来客からピーンポーンと押されると、登録されている番号順に(3つの番号が可)、固定電話や携帯電話に呼び出し音が鳴るそうな。 外出していても携帯に繫がるのも嬉しい。 (電話料は固定で、年間約60,000円、管理費で負担する) 設備費は約290万円。 110万円も違う。 工事期間はたった一日なので、4月以降に故障が出たら、これに切り替える事を決議した。  

 

 

 

 

中山七里「テミスの剣」(単行本は2014年)

・・・テミス~ギリシア神話の正義の女神、右手に持つ剣は権力を表す

昭和59年(1984年)11月2日午後11時30分、埼玉県警・浦和署の渡瀬は久し振りの風呂から出て布団に入る寸前だった。 「コロシだ、直ぐ行くから支度しておけ」と、低い声で電話が切れた。 妻の遼子が、「また? さっき帰ってきたばかりじゃないの」と、眉を顰めて抗議する。 着替えたばかりの時に官舎のチャイムが鳴った。 見たくもない顔の鳴海・55才が鼻をひく付かせて、「風呂上がりか、ヤリたい盛りの新婚には辛いだろうな」 渡瀬の教育係兼パートナーの鳴海の下品さにはもう馴れたが、部屋を覗き見るような視線をドアで遮った。 鳴海は捜査畑一筋で、検挙率は署でトップを独走しているが、その顔はキツネ目で陰険な色をしており、人格は不遜そのもであった。 覆面パトカーの運転を代わり、零時過ぎにホテル街の二階建て、「久留間不動産」に到着した。 刺殺体が二つ、主の久留間兵衛と妻の咲江、同居家族は無し、主の刺切創は7か所、妻は一刺し、死因は共に失血死、死亡推定時間は21時から23時、発見者は向かいのラブホテルの従業員、不動産屋の照明が消えているのに、ドアが開けっ放し、不審に思って覗いたら人が倒れていて血が流れているのが、ホテルのネオンの明るさで確認できた、驚愕、泡食って110番した、らしい。 耐火金庫が無残にこじ開けられていた。  鑑識が引き上げたアト、二階の寝室を漁り捲った鳴海は、これを見ろ、と見つけたノートを渡瀬に突き付けた。 違法な高利貸しを裏付ける名簿だった。 恐らく過酷な取り立てから相当な恨みを買っている可能性がある。 この名簿の全ての客・65人に殺人の動機がある。 

 

翌朝、捜査本部は埼玉県警が仕切った。 管轄の浦和署は県警捜査一課の連中にこき使われる宿命である。 以前に取引があった司法書士は、金庫の中のかなりの札束を目にしていたらしいと、訊き込み班が発表した。 こじ開けられた金庫にはいくらの札束が入っていたのだろうか。 別な班からは、「当日、夫婦で3泊のハワイ旅行を予約していたが、台風の接近で欠航になり、二人は夕方自宅に舞い戻り、臨時休業の張り紙を剥がした」と、発表された。 恐らく、その張り紙を見た犯人が、金品の窃盗で忍び込んだが、しかし、誰もいない筈の家で主や奥さんと鉢合わせし、仰天して凶行に及んだ、と推測された。 しかし、一方で恨みを持っている筈の高利貸しの記録を発表すべきだと、渡瀬が鳴海を見ると、首を横に振っている。 黙ってろ!と、その顔が言っていた。  鳴海は、「署の課長には話してある、まだ表沙汰になっていない人間関係があるかも知れない、もう少し詰めてから発表したい、と言ったら、すんなり承諾した」と渡瀬に告げ、結局、高利貸し情報はその場では握り潰されたのである。 「たったの65人だ、二人で充分に調べられる」 「しかし、二人なら一か月もかかります、本部を抱き込めば一日で終わります」と反論するも、襟首を掴まえられて、「本部のクソ刑事よりもこっちが優秀さ」と、昏い眼が傲岸に言い放った。 この古強者が警部補の階級に甘んじている理由、だから、人の上に立つ器量ではなかった。

 

渡瀬が、高利貸し名簿の3人から聴取したところ、新居を手に入れたアト、何らかの理由でローンが払えなくなって、彼らは久留間不動産に相談に行った事が判明した。 折角、手に入れた新居は絶対手放したくない、少しくらい高利な資金を貸してくれるのは有難い。 住宅取得者の心理を知り尽くした久留間不動産の巧妙な誘い掛けだった。 ・・・事件発生から20日間、二人の捜査で唯一アリバイが立証できなかった男が絞り込まれた。 楠木明大25才。 木造アパートの二階、その日はず~っと部屋にいた、と言うが誰も証明してくれる人はいなかった。 鳴海の強引さに引きずられ、渡瀬は二人で任意同行と言いながら、かなり強引に楠木を署に連行した。 任意と言いながら取り調べは峻烈を極めた。 鳴海に言われて渡瀬は懐柔する役割を演じた。 ここでいつまでも否認せずに、一旦、自白調書にサインして、裁判が始まったら否認すればイイ、と長時間のキツイ取り調べから解放される為の甘い言葉を投げ続けた。 実際の鳴海の殴打・蹴りつけ等々の暴力、睡眠をさせない横暴等々、酷いモノだった。 しかし、それでも落ちなかった楠木であったが、事務所での指紋や靴跡はもちろん、最後は久留間夫婦の血痕が付いたジャンパーが発見されて検察も死刑を求刑し、裁判官も死刑判決を申し渡した。 (・・・・この間の、冤罪を創り上げてゆくサマは、ここに書くに耐えない。 凄まじい、権力のやりたい放題である) 

 

裁判の最中、「自分は殺していない、200万円も獲っていない、そこの刑事の暴力に負けて、もう一人の刑事の甘言に唆されてウソの自白をした!」と、血の吐くような叫びを上げたが、証拠があり過ぎてその叫びは通らなかったのである。 

・・・4年後の、昭和63年7月15日、楠木は東京拘置所で首を括った。 

・・・平成元年(1989年)、浦和市の強盗殺人事件、5才の男の子と母親の二人が殺された。 渡瀬が逮捕したその犯人・迫水二郎から、余罪が判明した。 実に、5年前の不動産殺しの真犯人であった。 既に鳴海は退官していたが渡瀬は慄いた。 俺は無実な人間を殺した。 ・・・しかし、アトから出てきた血痕付きのジャンパー、あれをどう説明するのか? 最初の現場検証ではどうして無かったのか? 5年前の証拠品を調べる! 驚愕の事実があった。 実は鳴海が捏造した証拠だった。 白髪の多い老人になっていた鳴海は、それでも否定したが・・・。 迫水の調書をとった相棒の堂島が、その調書を寄こせ、俺が処分する、と言い出した。 「貴様、組織を滅茶苦茶にする気か、警察の信用が地に落ちる、署内の犠牲者も半端じゃなくなる」と必死だった。 その話が署に充満して、誰からも白目で見られた。 偽りの証拠であいつは裁かれて自死した、俺達が殺したのも同然だ、特に鳴海と俺は首に縄を掛けて締め上げた張本人だ、罪は重い。

 

渡瀬は、東京高等検察庁に恩田検事を訪ねた。 その人は正義の検事として名高く、最も尊敬している人だった。 今回の迫水犯人の供述書から、5年前の誤認逮捕を正直に打ち明けた。 「法の正義、正義の無い権力は只の暴力、テミスの剣」と、恩田検事は熱弁を振るった。 誤認逮捕、冤罪の確証を得られたらもう一度来ればいい、君が泥の中から見つけ出したモノを握り潰すような真似はしない、と背中を押された。 内部告発の破壊力の大きさは果てしないが、告発前の君に対する妨害も並みの激しさじゃない。 もちろん、内部告発した本人が最大の非難を浴びる、世間に対するその覚悟たるや、如何に! ・・・死刑判決を下した高円寺判事は今年退官する女判事であった。 渡瀬はそこにも今回の事実を告げた。 私は、楠木を甘言で釣り、警察に都合の良い供述をさせた張本人です。 真っ先に糾弾されるべき人間です。 高円寺静は、天は楠木に関わった全ての人間に、いったいどのような鉄槌を下すのか、退官近い高円寺判事に悪寒が立ち上って来た。 ・・・渡瀬が合同庁舎から退出したあと、浦和署と思われる数人から暴行された。 「この野郎、恰好つけやがって」 「仲間を売りやがった、裏切り者」と、胸に、腹に、背中に鉄拳や固い爪先が飛んできた。 官舎では妻の遼子が卒倒しそうな顔で出迎えた。 部屋の中は正に台風一過、手当たり次第に捜しまわったアトが歴然である。 買い物から帰ったらこのありさまだったらしい。 渡瀬は決断した。 恩田検事に電話を入れて、「襲われました、お預けした調書で迫水を送検させて下さい」 「これを表に出すと、地獄の門が開く、解った、君の覚悟は決して無駄にしない」 

 

翌週の月曜日、週刊誌は軒並みトップ記事で冤罪事件を報じた。 「5年目の真実、獄死した死刑囚は無実だった」 「作られた冤罪、自白強要と捏造された証拠」 「地に落ちた警察と検察、何故、冤罪は作られたのか」 これらのネタ元は恩田だった。 週刊誌の記事は、押しなべて、「冤罪をこしらえた張本人たちを残らず洗い出し、縛り首にしろ、それしか、無念の内に死んだ楠木明大に贖罪のしようがない」と、容赦なかった。 ・・・埼玉県警の監察官室の来宮から、渡瀬は呼び出しを受けた。 5年前の捜査本部では当初、県警が主導だったが、楠木を挙げた鳴海を始め、浦和署の手柄となって、県警の刑事のハナを明かした事、最近の渡瀬に対する妨害の数々、等々で、「浦和署の刑事課長、捜査員全てが私の監視下に入ります」 渡瀬は当時の取り調べについて全て正直に打ち明けた。 自分は楠木に対して甘言を弄した事、鳴海の暴力や睡眠妨害、鳴海が証拠ジャンパーを捏造したらしい事、浦和署から暴力で襲われた事、迫水の調書を奪おうとして自宅が荒らされた惨状、等々もである。 「貴女はその筋から守られていますし、法の正義に走った方を罰する事は出来ません」と、僅か、皮肉を混じらせて言い切られた。 証拠偽造罪の時効は三年、冤罪の張本人の鳴海は既に退官しており、最も安全圏に身を置いていた。 粛清人事は過激に行われ、一人、渡瀬だけが蚊帳の外だった。 

 

テレビ報道された無実の息子を殺された楠木家の怒りは大衆の怒りそのものだった。 母親がインタビューを受けていた。 「二人の刑事が明大に無理やり嘘の供述をさせて証拠もでっち上げた、特に若い方は国選弁護士に依頼しろ、と言いました。 今では、やる気のない国選弁護士を押し付けて、何て狡い卑怯な奴だ、と思ってます」 抗議電話が殺到した。 浦和署、埼玉県警、検察庁、裁判所、大津波のような殺到振りだった。

 

渡瀬は楠木家を訪ねて、「お詫び申し上げます、線香を上げさせて下さい」と申し込んだが、二人から強烈に拒絶された。  「建築の仕事が永かったが、息子が死刑囚になって下請け仕事がゼロになった、今じゃ、農家の真似事で自給自足だ、どう責任を取れるんだ」 「警察は誰も謝りに来ない、まさか、署を代表してきた訳じゃあるまい、そんな卑怯者から線香なんぞ、誰がしてもらうか」 「手錠を持ったクソガキ、とっとと失せろ!」 自分は取り返しの付かない過ちを犯した、一家族の生活を完膚亡き迄に破壊し、あまつさえ若い命を屠った。 可能なら、この身を塵芥に貶めたいと思った。 もう、二度と間違えるモノか! 俺は真っ当な刑事になる。

 

・・・平成24年(2012年)、迫水は23年振りに府中刑務所を出所した。 その日、街中の公園のトイレで小便中に刺されて死んだ。 誰が殺したのか、何故、この日の出所を知っていたのか、渡瀬は所轄違いであったが、捜査を開始した。 自分でこの一連の決着が必要だった。 ・・・どんでん返しの中山の本領がここで発揮された。 迫水に殺意を抱いているものは誰か? そして、まさかの信じられない真犯人であった。 (ここまで、5,300字超え)     

 

 

 

今季最終回の24回目のマアジャン、やられた! -16、累計-102、一回当たり、-4.2、この一年間の実質負けは、僅か4.8(24回×0.2)と思えば腹も立たないか・・・。 それにしても最後にこんなに負けて悔しい。 麻雀アトの居酒屋での懇親もイマイチ、話が弾まなかった。 ・・・帰宅すると、静岡から娘夫婦が正月休暇で来た。 7泊8日、ウンと旨いものを食っていきたまえ!

 

                                          令和元年12月31日