令和元年(2019年)12月9日 第298回

男子ゴルフ最終戦、石川遼が優勝! 見応えがあった。 today-4で二打差を逆転してプレーオフに突入。 P・O三ホール目であの難関なグリーンでバーデイを決めた。 何と素晴らしい! 史上初の若さで獲得賞金10億円突破との事。 また、賞金王は今平周吾が史上5人目の二年連続との事。 撮ったこの録画は消さないで、正月頃、またゆっくり見ようと思う。 石川遼が男子ゴルフの人気復活の旗印になって欲しい。 期待しよう!

 

 

 

山本甲士「はじめまして、お父さん」(文庫本、2011年文庫を加筆訂正)

福岡県ひびき市在住の白銀力也・33歳は、フリーライターの職にあった。 妻・優奈、生まれて間もない息子・世界との三人暮らしである。 世界が生まれる前は優奈がパートして二人の収入で家計を凌いでいたが、これからは一家の生活が力也の肩に重く圧し掛かって来たのである。 二人の身長は同じくらいだが、優奈の方は力也より30㎏は重い。 半年前に日光書店主催の企画募集に応募した「人間カタログ」が金賞となり、賞金百万円が唯一の貯金だった。 優奈は全国の出版社にメールで力也の優秀さをアピールし、九州地区の取材をお任せ下さい、とか、福岡県内のフリーペーパーやタウン誌とかへの営業も熱心に熟していた。 最近では、下関市在住の著名な80才画家の自伝出版のゴーストライターも請け負っていたが、急性心不全で他界してしまい、画家の長男からストップが掛かって、これまでの分として、僅か、10万円で打ち切られそうだった。 ・・・そんな時、日光書店・編集部の北方次長から携帯が入り、「人間カタログ」の企画が社内で採用になったので、「月刊ニッコウ」の連載シリーズで出したい、と思わぬ朗報であった。 取り敢えず1年間と考えているが、読者の反響が良ければ継続し、半年に一度位の割合でムック本(雑誌ではなく、一つのテーマの纏め本)で出版し、それが売れると印税の対象にもなる、と夢物語のようなお話だった。 原稿料と別に印税・・・、体が震えて宙に浮いているような気分である。 月光書店では、数人のフリーライターをピックアップし、インタビュー相手の所在地によって振り分けたい、白銀さんには九州と、時には、関西をお願いする時もある。 交通費は実費で出すが、一度の取材で一泊分の宿泊費しか出せない、というが、取材相手の都合によって二泊・三泊になろうとも、中古の軽自動車で駆け付けてそれに泊まれば何の問題もない。 アトは原稿料の説明があって、「さっそく、一回目の相手ですが、合馬邦人さん、かって、時代劇俳優で活躍し、後に居酒屋チエーンを経営、実業家として成功した人ですがご存じですか? インタビューして頂いて、その半生を原稿用紙80枚に纏めて下さい」 オウマクニヒト! 瞬間、力也は頭が真っ白になって、直ぐ、返事が出来なかった。 やっと、合馬邦人だ、と漢字名に転換出来たものの、現実か?と、頭の中がこんがらかった。 「合馬さんによると白銀さんは遠い親戚にあたる、とお聞きしました」 その話を優奈に告げると、目と口を大きく開けて固まった。 「力也君の実の父親だっていう、あの人?」 「そう、会ったこともないし、連絡した事もない、恨んでもいない、けどその人、自分のインタビューを俺に名指ししたらしい」 力也が物心ついた時に、既に、母の再婚相手が育ての父親だったし、だから、合馬邦人に捨てられたとかという感覚は一切ないし、実の親、と気にはしていたが、タダ只、別世界の人だった」 

 

その日の夕方、見知らぬ番号から着信した。 聞き覚えのある低い声で、「白銀さん? 合馬邦人です、北方次長から番号をお聞きしました、インタビューですが、明日でもよろしいですか? 普段は大阪にいるんですが、福岡・小倉に行く用事があります、エンペラーホテル小倉に泊まりますので、午後4時、ホテルの部屋でお願いしたい」 今、暇なので断る理由はない。 「お伺い致します」と即断した。 小5の頃、テレビの高級ウイスキーのコマーシャルで合馬邦人が流れた時、母親は、「卑怯者の顔を良く見ておきなさい」と、静かに言った。 刑事ドラマに主演していた時も、セリフ一つに、「卑怯者が何を言ってンのよ」と憎々しげだった。 明日会う事について、今は亡き母親は文句を言うのだろうか。

 

・・・合馬邦人は62才、中卒で働いていたガラス店で、芸能事務所のガラスの修理に出向いた時に、「俳優になる気はないか」と声を掛けられたのが23才だった。 26才の時に共演女優と結婚したが、合馬邦人の派手な女性関係で一年半で離婚、子供はいなかった。 力也の母・朋江は離婚後に付き合って妊娠したが、子供の認知を求めることなく示談金で別れていた。 合馬邦人は女性関係ばかりではなく暴力団関係者とのスキャンダルも多かった。 46才の時、知人が手放した居酒屋チエーンを買い取って、商才があったのか、順調に店舗を増やし、「株式会社オウマノクニ」も立ち上げて事業家としても頭角を現した。 しかし、53才の時、飲酒運転による衝突事故を起こし、完全に芸能界から身を引いたのであった。   

 

ホテルの一階ロビーに5分前に入ると、黒っぽいスーツに襟の高いシャツの合馬邦人は、存在感高く佇んでいた。 直ぐ声を掛けられた。 「先程、チエックインしました。 さっそく、私の部屋でインタビューといきましょうか」と、エレベーターに乗り込んだ。 「あのう、どうして私だと直ぐわかったんですか?」 「事前に知ってましたから・・・、曲がりなりにも親子なんだ」 最上階のスイートルームだろうか、普通のイメージのホテルの部屋の3倍以上の広さに思える。 「君と親子関係にあるのは間違いない。 勝手な事をして申し訳なかったが、信頼出来る検査機関でDNA鑑定をしてもらった」 「自宅で奥さんがバリカンで切った君の髪の毛を興信所が回収してくれた」 「今回、バハマに生活の拠点を移すことになって、会社の社長も辞めた」 「家もカジキ釣りの船も買って、アメリカ国籍も、これも・・・」と小指を立てた。 「それで人生の最終回に白銀君に一度会って話をしてみたい、と考えた次第。 どうか、許してくれ」と、膝に両手を置いて頭を下げられた。 「インタビューが終わったら少し、酒を付き合ってもらいたい、君も泊まってゆっくりしてくれ、費用は全て負担する」 携帯で優奈にそれを告げると、「何か、下心があるのかしら」と訝れた。 二時間強のインタビューは、質問に対して全て真っ当に答えてくれた、という好感触があった。 「半年ほど前に、急性の呼吸困難になった事があって、医者から、仕事のストレスからくる神経性のものと診断されたので、スパっと辞める事にした、そのアトは症状が出ていない」らしい。 「ホテルのウラのステーキ屋で食べよう」 ステーキなんていつ以来だったっけ。 「君のご両親はほほえみ教という宗教団体の信者だったと聞いた、世間からは結構な色眼鏡で見られていたようだったね、君も信者だったの」 「いいえ、父親が教団の幹部だったので、○○支部長とかで良く転勤になって、僕も何度も転校しました。 16才になったら入信させられそうになったんですが、きっぱり拒絶した為に、両親との間がギクシャクしてしまい、高校のアルバイトで貯めたお金で、高卒と同時に家を飛び出ました、結局、母親の死に目にも会えませんでした」 「高卒で入社した倉庫会社が倒産になったアト、数社の勤め先でも何かしらの不幸な状態に遭い、二度ほど、ホームレスの生活も経験しました」 自分の経歴について正直に話したのは実の父親だからである。 更に、ホテル最上階のバーで話が続いた。 冷たい飲み物は翌日下痢をすると言ったら、テキーラを勧められた。 「初めて飲みます」 「飲ませ甲斐がある人だ」 優奈との出会いも訊かれたので、「夜中までやっているスーパーのレジをやってました、もう少し経ったら半額になるよ、と囁いてくれたのが始まりです、彼女は捨て子でした」 「君のお母さんは私が渡したお金全部を教団に寄付したんだってね、興信所の報告書にあった」 「そうみたいですね、伯母から聞きました、土地付きの家が一軒買える位だったと」  「俺の事はどう言ってた?」 「テレビの合馬さんを見て、卑怯者と言ってた時がありました」 途端に、「卑怯者だと!」と襟首を締め上げてきた。 「俺は確かに女関係はいろいろあったが、普通の男どもに比べたら、かなり高い金を払って詫びの気持ちを込めた、それの何が、卑怯者やねん」 顔を赤くして、突如、大阪弁に戻って、今にも殴られそうな気配である。 ああ、地雷を踏んでしまったか! しかし、「すまなかった、君が悪いわけじゃないのに」と、直ぐ正気に返ったので、そこでお開きにして貰った。 翌朝は合馬さんはチエックアウトした後で、携帯メールに、「昨夜は済みませんでした。 また、近いうちに連絡します」とあった。

 

午後に、インタビュー録音を原稿に起こす作業中、携帯が鳴った。 合馬さんだった。 昨夜の非礼を詫びられて尚、「別れた女に金だけ渡して詫びの言葉一つなかった、と思い知った、卑怯者という言葉で取り乱したのは、そういう自覚が腹の底にあったンだろう」  「頼みたい事がある、バハマに渡る前に会っておきたい人が4人ほどいる、それに同行してもらって、全て記事にしてもらって構わない、謂わば、合馬の半生を顧みて4人に謝るんだ、これなら日光書店も乗ってくるだろう、交通費も宿泊費もこちらが負担する」 「会って謝って、出来たら経済的な負担もさせてもらいたい、君はその立会人だ」 北川次長にメールを入れると、夕方に携帯に掛かって来た。 「それが本当であれば、大幅にボリュームを増やして掲載したい、早急に話を纏めて欲しい」、とグッドな返答だった。 ・・・そして4日後、「君の口座に5万円振り込んでおいたから、明日の朝、それで新幹線で新大阪駅まで来て欲しい」との事だった。 新大阪に到着して合馬さんの携帯に入れて20分ほど経ったとき、サングラスを掛けた合馬さんが現れた。 重厚な存在感が際立っている。 これで行こう、と名古屋行きの新幹線グリーン券を渡された。 芸能界を引退したきっかけは酔っ払い運転の衝突事故だったが、実は、その時の女性マネージャーに事故の責任を代わって貰おうとしたが、断られたので、クビにした。 その話が世間に晒されて合馬邦人に非難が集中したのが芸能界引退の原因だった。 当時は余田美樹、結婚して今は石原美樹、6才の娘がいるらしい。 俺がクビにしたんじゃない、彼女が、担当している俳優がこういう事態になったのは、マネージャーの自分にも責任がある、と辞めて行ったんだ。 マスコミは好きな風に書きやがる、これから君も余程注意した方がイイ。 男女の関係は一切なかったが、彼女に金だけは渡した。 今、改めて心から謝罪しておきたい。 

 

フリーライターになった経緯を訊かれた。 三年前、アルバイト情報誌に仕事に纏わる体験記募集があって、工務店時代の事を書いたら、優秀賞・10万円をもらった、大掛かりな改築工事の時に、床下から古い金庫が見つかった。 亡くなった爺さんのモノだったので、中の取り分をめぐって遺族で大喧嘩になり、何十万円も払ってカギを開けたら、出てきたのはポルノ写真ばっかりだったというマンガのような話です。 金庫の話を聞きつけた地元の新聞社も立ち会ったので、遺族は大恥を掻きました。 ・・・グリーン車の中で、一際大きな声で債権回収を指示している濁声が響いた。 どう見ても筋モノの二人である。 ところが合馬さんが立ち上がって、それを嗜めて、外でやれ!と親指で追っ払う仕草をした。 案の定、電話が終わった二人組が凄んできたが、合馬さんが、「お前ら、関西の枝の枝か、名前を言え」と、睨みつけながら関西連合の幹部に電話を掛けると、青くなって、すごすごとグリーン車からも退散した。 この電話した相手から昔、サインをねだられた事、今でも、メシを食っている仲である事、俳優中間がヤクザに絡まれたので、この人に頼んで助てやった話、等々、録音させてもらったが、相手の実名さえ出さなければ本当の事だから、どうぞ、と北川次長が悦びそうなウラ話であった。 車内販売から高価な幕の内弁当を買う、と言うので、自分は持参したお握りがあるので・・・と断った。 かなり豪華な幕の内だったが、「奥さんが握ったそれと交換してくれ」と言い出し、剥いたゆで卵、ちり緬じゃことシャケフレークの混ぜご飯、ラップに巻いたそれぞれ二個と交換した。 最近は機械で仕上げたものばっかりだから、人の手で握ったホンモノの握り飯は旨い!と上機嫌だった。 名古屋駅近くのエンペラーホテル名古屋は高層階で、恐らく、一生、自分では泊まらないホテルだった。 夕刻まで、グリーン車内の録音話を原稿にアップしていたら、内線で連絡が来た。 二人で繁華街を歩いて、「鰻屋」で鰻重(特上)を御馳走になった。 優奈には小倉でのビフテキも言わなかったし、今回も言えない。 

 

石原さんは名古屋市街地でジャズバー「フラッパー」を夫と二人で営んでいるらしい。 同じ店で、昼間は「喫茶店貸し」をしており、なかなか良いアイデア経営だ。 興信所の調べで、ジャズピアノを教えている旦那さんは22時位に店に出る、19時の開店に顔を出して、ご主人のいないところで謝罪したい、とタクシーで出かけた。 上品な感じの美人アラフォーだった。 「合馬さん・・・」と呟いて「いらっしゃいませ」と、おしぼりを差し出しながら、「ぎょっとしたけど、合馬さんご本人だなんて」と、柔和な顔だった。 ・・・合馬からの1,000万円の申し出を石原さんは断った。 ここまでこられて正式に謝罪してもらい、すっきりした。 私は今、幸せの絶好調、好きな主人に優しくしてもらい、娘の弾ける笑顔に癒してもらい、これ以上の余分なモノは不幸の芽となるかも知れない。 重荷になるモノは受け取れません。 だから、お気持ちだけ頂きます、と頑ななお断りだった。 ・・・翌日は岡山へ向かった。 「井手浦良・26才、奥さんと5才になる娘、君の腹違いの弟だ」 母親が既に亡くなっているので、遺産相続として2,000万円の申し出も固辞された。 ・・・次は香川・高松市だった。 市丸昭伸氏、30代半ば、スポーツジム経営、奥さんと小4、小1の男の子二人、以前、会社で働いていた。 何れ取締役と思っていたほど、優秀な男だったが、経営方針で対立して辞めて行った。 追い出したも同然だ、そのお詫びとして1,000万円受け取ってほしい。 しかし、市丸氏は、自分から辞めた、本音は仕事が結構辛かった、だから、イイタイミングでした。 だから、そんな施しは入りません、と強く拒絶されてしまった。 ・・・兵庫県加古川市、曽根正直氏、小学校の同級生、中一の時、父親が亡くなって転校して行った。 8年前に早期退職して、今は釣り堀を経営している。 小4の時に無理矢理危険な事をやり合って曽根君が大怪我をしたが、強制的にやらされた事を黙っていてくれた。 後遺症で、今も足を引きずっている。 あの時の慰謝料として、2,000万円受け取ってほしい。 「この釣り堀は土地代も含めて全部自分の力で作り上げた。 秘かな誇りだ。 これ以上、誰からの援助もいらない。 父親の死亡保険金で、5,000万円が手に入った知人が、人生が破綻した事があった。 ましてや、合馬クンの勝手な思い込みで無理強いなんて。 幼馴染のイイ思い出さ」 

 

その夜は、「姫路エンペラーホテルだった。 高級すし店は旨かった。 「4人とも断りやがって、断られた金額、前部、君にあげる」と言われたが、「とんでもない」と断った。 「お前までもがッ・・・」と怒りの声だったが、その顔は優しげだった。

(4人に対する付属話も面白い、ここでは簡単に省いているが、それぞれの人生模様が浮き彫りである。 そして、最終章、力也の知名度アップから将来の明るさが見えてくる。 突然の合馬邦人からの伝言に驚愕する)   (ここまで、6,800字超え)

                                         

 

 

元会社のO・B3人(当初4人だったが、直前に風邪ひいたと1人欠席)と、仕入れ商社・メーカー4人との忘年会、いつもの「小料理 S」で。 毎回毎回、兎に角、昔話と、元会社の最近の人事話等々に華が咲く。 共通の話題で楽しく盛り上がる結構な会である。 恐らく、ず~ッと続くんだろうなァ。 

                                                

                                                            令和元年12月9日