やばい。


中盤あたりからずっと泣いた・・・。
もうね、ほんとこれ、・・・やばい。
思い出しても泣ける。
これほどに3.11で、これほどに政治的で、これほどに憲法・安保・自衛隊・原発etcetcとメッセージ性が極限までに高い中で、なおも娯楽というカテゴリーに入ろうとするこの作品は驚愕。
よくこの時期にこれを作ったと思う。
真の恐怖。
海外では面白いポイントは全くわからないでしょうから、酷評なのは当然だけれども、地震大国日本で、決して遠くない未来に起こりうる関東域大規模災害の巧妙なシュミレーションであり、災害マニュアルであり、まだ終わらない復興途中の“現実”そのもの。
“現実(ニッポン)”vs“虚構(ゴジラ)”として、ゴジラを『天災とは違ってただの生物だ』なんて当初はいっているんだけど、船や車をぞぞぞぞと押し上げて上陸してくる姿は津波そのものの自然災害だし、自然災害から派生したアンダーコントロールとはいえない原発という二次災害そのものとしか言いようがない。
ゴジラは決して虚構ではなく現実でしかない。
すごいね・・・・。
この映画はあの日にどんな思いをしたかでも評価は変わるし、“コンテイジョン”みたいに比較的公的な人間にスポットが当たっている点から、自身がどんな仕事についているかでも相当評価が変わる。
次回、公私を問われたときに公に100%振ることができるのかとか考え混んでしまう。
もう、そうすると映画の中のみでなく、自分の現実の感情も入ってきて涙じゃじゃ漏れ状態となるわけだ。
さて。
エンドロールでキャストも協賛もまさに日本の総力戦であるかのようだった。
これだけの手がかかっているのに、あんまり情報なくってひっそり始まっていたのも、危ない映画だけあってどこかから物言いが入る前にこっそりさっさと出してしまおうという感じを演出しているかのようでよい。
そして観た人は誰かに言いたくなるだろうから、静かに次第にヒットしていくのも納得の作品である。
大変な映画です。
正統派ゴジラの確かな系譜と、日本だけはどんな困難な状況でもパシフィックリムをしてはいけないんだっていう、ものすごい強いメッセージになってる。
うん。
ラストの尻尾は鋼のエンヴィーを思い出した・・・。
きっと牧博士は、賢者の石を使ってホムンクルスを作るように、高次エネルギーでゴジラを生み出すなんらかのきっかけと、自分そのものもついでに渡したのであろう・・・。
悪役令嬢もの流行ってるじゃありませんか。
これは正統派無邪気に略奪系ヒロインが、幸せにはならない・なれない話ですから、シンデレラとかの生き様が憎くなってきているアラサー女子にも安心の物語であります。
悪役令嬢バチルダ様とは毛色の違う村娘と遊んじゃった王子様と、まんまと爽やかチャラ男に騙された美貌を自慢してたメンヘラ村娘の話でしょ?と。
心臓が弱くって村の仕事しないくせに、踊ったりする小娘でしょ?と。
きれいで苦労したくさいかーちゃんの切実な忠告も聞かずにいた小娘のことでしょー?
わーはははははは。
自業自得ですわよ!!!
なんだったら、第一幕が明るく朗らかで馬鹿そうであればあるほど、薄倖な第二幕が生きるってものですわ!
なんて、当初から感情移入する先は、嫉妬を抱く村娘Fとか、バチルダ侯爵令嬢の友人Dくらいなものなのである。
・・・・。
そんな私が、ラストシーンでは号泣していたという秀逸なものであった。



蒸し暑くて、冷たい床にごろんと寝転がった瞬間に、この行為が実家にいた頃以来、実に10年近くやっていなかったことだと気付いた。
就職してから寝苦しくて寝られないなんてことがなかったんだな、と。

金曜日に結婚を目指して医者がもがき苦しんでいる一方、木曜日には離婚した弁護士カップルがしのぎを削りあっているという超面白い構図を楽しまないわけがないのである。
なによりも私ももう若くないせいか、青春ドラマよりもド直球お仕事ドラマ・ほんのりときめき味くらいのほうが楽しめるのである。
ベテラン勢の演技力は素敵だし、なにより聴力問題的に若い娘の高音がうっとうしくなるってのは本当なんだと実感する残念なお年頃なのである。
話が盛大にずれますが、半沢直樹のころから絶対これからはお仕事ドラマだと思ってましたよ?私は。
昔の時代劇みたいなターゲティングですな。
・・・さて。
・・・話はそもそも全然違うんだが。
近年の反発反応的男尊女卑への回帰にはほんっとにイライラが止まらない日々なのですが、最近の若者の無自覚で無邪気な女性差別は頭がおかしいとしかいいようがない。
私より下くらいの子たちが輪をかけてダメなんだな・・・。
残念ながら刷り込まれている。
これは明らかに彼らを教育した世代、それすなわち女性の社会進出をよく思っていなかった我々よりちょっと上の世代の人々の仕込んだ時限爆弾のせいであります。
全くだめだ!
何この周囲の近年の謎の保守的な思想。
そこに当時は“社会参加”というプラスアルファな要素っぽさを持っていた共働きが、今の貧乏社会では“生活のために必須”に変化してしまっていることを理解できないプチセレブな余裕のある世代が教育しちゃっているっていう問題も積み重なっちゃっているもんだから、もう!
わけかわらん。
とりあえず話になんないよ!
そんな問題を根底に持っていたかは知らないが、グッドパートナーの
「なんで私が事務所をやめなくちゃいけないのって~」
「君と、君の人生を尊重していませんでした。ごめんなさい」
には驚いたのである。
いや、その通りなんだよ。
これ、わかる人にはわかりすぎてて、何が問題なのかわからないし、わかんない人には永遠にわからないのですよ(禅問答)。
夏目先生が出て行った理由がわかんない人に、
A 自分ところがすでに共働きで、家事子育て全般共同分担生活で同等負担
B 全くなんでかわからない
の2通りがあるなあと思うわけである。
・・・・うむ。
めんどくさくなってきたからどうでもいいが、金曜日のみやび先生はグッドパートナーを観た方がいいよって思いました。
まず前提条件としてディーンさんのことはほっとんどmaxレベルに好きである。
テレビに一瞬映ったのを初めて見たときから、気配だけで『はっ!』となるくらいに好きである。
しかしな、しかし。
ロイ・マスタングはロイ・マスタングでしかないんですよ。
リザ・マスタング(昏迷)はリザ・マスタングでしかないんですよ。
10年といえば当時漫画を読める知能のあった子たちはみんな大分大人になってますよ。
高校生~大学生だった私はババアになってますよ。
微妙なお年頃の中尉を越えて、大佐も越えて、なんだったら北の姉御くらいなお年頃ですよ、たぶん。
10年もあればリザ・ホークアイはリザ・マスタングになってるっすよ。
我々の美しい思い出は熟成されきってお酢レベルに達していて、日本映画はテラフォーマーズレベルで、CGはアルフォンスに画龍点睛できるはずもないレベルでなんだってそんなばかな。
なんだって実写化。
なぜ今更。
いや、間違えた。

何を今更

忘れもしない。
3年前のどん底社畜生活時に読んだとき、私は玉鼎真人に対して王天君と同じことを思った。
間違いなく思った。
 ちょっと愚か者タイプよねーって。
 実直で正直で融通がきかなくって、これほど強いのに全く無抵抗に無駄死にしちゃうんだもんって。
 やっぱり脳みそ使ってるタイプじゃないとねーって。
ほんとに、恐ろしいことよ。
ナチュラルにそう思った。
人間はたった一回しか死ねなくて、仙人連中は何百年何千年とスーパー長生きしてきて、たった一回、たった一回だけ自分の命が使えるタイミングを間違えなかったってだけであった。
それを馬鹿な私。
ほんとに、恐ろしいことよ。


封神演義をねちねちねちねち読んでは、ハァハァしているBBAです、ありがとうございます。
先月も封神演義の話をいたしました。
前回読んだ時(3年前)、大幅に感動が薄れた気がして歳には勝てないと思っていましたが、それは過度の社畜生活のせいで感受性が低下していたからにすぎなかったことが判明いたしまして、現在文庫版6巻を絶賛読んでいる途中ですが、これ、もう天化が××されるころにはもう悶え死ぬかもしれません。
辛くて。
玉鼎真人のあたりで、もうだめかもしれない。
普賢に至っては絶対にだめだ。
さて。
文庫版を集めている間に、やはり当然の如く、完全版が欲しくなるのが大人の運命。
あの表紙は神がかっていますし、文庫版はやっぱりすぐに色が悪くなりますし。
と、いうわけで、もうね、買っちゃおう!と。
私、毎晩たくあんだけでいいから買っちゃうもん!と。
独身の貴族の特権を今こそ行使すべし!と。
本棚限界だけどなんだったら、仕事の関連書籍捨てるし☆、と。
さあ、クリック!クリック!と調べてみたところ。


   絶   版


なんだとおおおおおおおおおぉぉぉぉおおおおぉおおおおお!!!!!
そんなばかな話があるかい!
我らアナログ最後の世代ぞ?
No kindle , yes paper.
小銭を手にして、引っ越しも重ねて、実家にコミックス置いてきちゃってて、新しく買い直したい頃合いよ?
なんだったら子どもに読ませたいお年頃よ?
そんなばかな話があるかい?!
そんなばかな話があるのかい・・・。
急遽もとからクソみたいな配置だったゴールデンウィークの中3日の部分が本当にカレンダーどおりに休めることが決まり、どうしていいかわかりません。
まじか!
暇じゃ。
どこか行こうにも若干時すでに遅しで、日帰りがせいぜいであります故、引きこもりの心を動かすにはしばし不足と相成ります。
ううむ。
去年も同じこと言ってるし!
誰か遊んで欲しい。
ゆとりですがなにか

まさにこれ。
なにかって何かは自分で考えたらいいじゃない?
“なにか思われてる”って信じている自意識過剰感。
“何と思われたって平気ですけど”みたいな見栄感とその裏に隠された小者感。
よく言ったものである。
さて。
ゆとり世代というべきか最近の若者というべきかよくわかんないけど、約10年新人を見てきたからそろそろ物を言ってもいいと思うの、私。
まず特徴的な傾向として、とても自己評価が高い。
かといって本質的な自己肯定しているかと思うとそうでもない。
ガラス製品。
ただ単に怒られたことないだけだから、怒られるとこれ以上ないくらいにステータス異常をきたしてしまってリカバリ不能なのである。
だめだといわれたときの再生能力不足だから、逆ギレしたりもうそこで駄目になってしまったりする。
もうね、これ、はっきりとめんどくさい。
怒られたら勝手に調整してほしいんだけど。
ステータス異常の修復を私に求められても困るっていうところなのである。
そして甘い、甘い自己認識。
「自分は98点です(キリッ)」って500点満点だと気付かずに言っているみたいな印象。
本当は5000のスキルを必要としていて、新人に求められているのがうち500だとすると100くらいしか見えていなくって、98できる自分はよくできる、みたいな。
・・・。
そして何より全体像を把握できないから
「専門家の癖にこんなこともできなんですか?」
みたいなクレームやら文句を言うやつが多い。
そんなことは専門家どころか人類でできるやつがまだいない。
なんだろうね。
500点満点なのもわからなければ、5000までしか開拓されていないこともわからないのである。
レベルは99までしかないわけじゃないし、マップも無限に広がっているんだけどってところなのである。
現実はカンストできない。
・・・。
しっかし、なんにせよ、本当にめんどくさい。
彼らに合わせるように、幹部たちは啓発本を読みまくるのである。
彼らは合わせてもらっていることも知らずに大人になって、ちょっと本当に苦労しないと手に入れられない系のスキルはきっと打ち捨てられていくのだろう。
5000のスキルは3000になっていくのだろう。
それが合理化というものなのだろう。
「すごいね☆」「上手だね☆」と、すでに教育を放棄しているような自分は、2000のスキルを護るべく啓発本を一心不乱に読んでいる頑固親父たちには本質でやはり勝てないのである。
マウントレーニアのCMのお兄ちゃん(小出君)の
「おう、幸せだよ」
のセリフが素敵すぎる。
あの心配しながらも隠しているような、適当そうなのに繊細そうな・・・。
完璧に素敵。