記念切符が残り4つとなりました。
どれを最後にするか、さんざん悩んでおりましたが、ようやっと心を決めまして・・・
まず、こちらをご紹介。
港南台に引っ越して1年半後に発売された記念切符です。
本当はこれを一番最後にしようかと思っていました。
なぜなら、港南台に引っ越してから父が記念切符を集め出したと思ったからです。
ところがっ・・・!
昭和51年に「空港線大形車運転開始記念」というのを購入していたんですね。
引っ越したのは昭和51年の10月でしたので、まだ金沢文庫に住んでいた頃です。
この後は昭和53年まで購入した形跡はありません。
空港線の記念切符が無ければ、「初めて購入した記念切符」として、これが最後になったかと。
・・・でも、よくよく考えれば、昭和53年といったら、覚えているだけでもハマスタオープンの
記念切符が先に発売されていますね・・・。
中身をご紹介します。
2セットあったので、裏表一気に紹介します。
昭和51年に引っ越す何年か前に、環境事業局に併設されている温水プールへ友人たちと
行ったことがあるのですが、駅まで行く道中には何もなかった記憶があるので、
この図は納得です。
トンネルが足りませんね。
洋光台から新杉田までもいくつかトンネルがありました。
トンネルを抜けると下に京浜急行の線路が交差するように走っていて、
赤い京急が見られた時はラッキーと思っていました。
新杉田駅から杉田駅へはよく歩いたっけ。
やはり根岸線沿線でこの施設は特筆すべきものです。
みなとみらいが開発されるのはまだまだ後です。
港南台駅前は駅舎こそ変わっていないと思いますが、このイラストでタクシーが止まっている
ところの駅側にNewDaysがいつの間にか建っていました。
タクシー乗り場が移動したのは随分前で、高校の文化祭当日、休日だったためバスが少なく
乗りあぐねた私と友人がタクシー乗り場に並んでいたら、先生も並んでいて相乗りしまして、
先生が全額払ってくれた想い出があります。
その時のタクシー乗り場はこの絵の左側でした。
えっ・・・こんなにいろいろありましたか?
今でも一戸建てが並ぶ地区と、公団が建てた鳥の名前の団地が立ち並ぶ地区があります。
この切符が発売されてから、まもなく45年になりますが、建て替えた団地もあると聞きます。
道路もいろいろ整備されて、私が住んでいた頃とはいろいろ様変わりしていますが、
当時も私には住みやすいところでした。
ただ、金沢文庫から越したので、電車の本数が少ないなと思った記憶があります。