パニック障害罹患して19年、

それ以来初めて一人で新幹線に乗って
大好きなぢんさんに会いに
京都に行って来ました✨


だけど京都に着いたその日、
このままBeトレに出ずに
東京にとんぼ返りしなきゃいけないんじゃないか、

という出来事が起こっていたのです。




心屋大好き心屋オタク
エリージアム巣立ちコース修了
コバマス123期受講中
 
「ある」を見るリハビリ中、
感情の垂れ流し中の
きみちゃんです。 

Beトレ前日に行った建仁寺の紅葉🍁

何が起こったかというと、

三男から電話が掛かってきて、
また心臓のバクバクが治まらないと。



実は三男、
6月に救急車で緊急搬送されている。


その1年ぐらい前から
急に頻脈になることが時々あったんだけど、


6月のこの日は
一時間経っても200程の頻脈が治まらなかった。



救急相談に電話したら、
即救急車を呼ばれて大病院に搬送。



上室性頻脈発作だと言われた。




今すぐ命に関わる病気ではないけど、
やはり、
1分間に200ぐらい脈打つのだから、
本人はしんどい。


中には気絶してしまう人もいるらしいので、
倒れた時には注意が必要だ。


ただでさえ
不安と恐怖をいっぱい抱えている私は、
そんな状態が怖くて仕方がない。



心配、というよりも、
ひたすら怖いのだ。


9月に夫と2人で旅行に出掛けた夜も
三男は発作を起こした。



薬を飲んでも
呼吸法をやっても治まらないという。



たまたま家にいた長男にタクシーで病院につれて行ってもらいつつ、


私たちは350kmの彼方からとんぼ返り。




でも、
三男の発作は行きのタクシーの中で治まって、
病院に着いた時には
異常がなかったそうだ。


そして、
わざわざ私たちが帰ってきていると聞いたドクターが、

「えっ、
そんな、わざわざ帰る程のものじゃないのに」

と言ってたらしい。


そう、
服薬とちょっとした呼吸のコツを試せば、
治まるもの、らしいのだ。



でも、
私にとっては怖くて仕方のないものなのだ。

********

今回もその電話を受けた時は
夕刻になっていた。


私は一気に不安の坩堝にはまった。



幸い、
その時は心強いお友達、
しろともちゃんが一緒だった。


薬飲んでも治まらない、
呼吸法しても治まらない、
という三男に


私はどうしていいのか分からなかった。


私が帰るべきなのか。

でも、
私が帰るにしても
新幹線に乗って2時間以上、
在来線も入れたら3時間以上掛かる。


夫に帰って来てもらった方が断然早い。


夫に連絡入れつつも、
なかなか繋がらない。


三男も不安がる。


私は
三男に自分の姿を重ねる。


苦しい時に一人で耐えなきゃいけないなんて、
どれほど辛いことだろう。


一人で苦しむ小さな私を
三男の中に見て、
余計に怖くなる。


私と三男は別の人間。
私が怖がるように、不安がるように、
三男も怖がっているとは限らないのに。


私が不安で不安で、
怖くて怖くて、


私が怖いように
三男も私と同じように怖がっているに「違いない」と重ね過ぎて、
苦しくなる。


でも、
どうしていいのかも分からない。




それと同時に発動するのが

「私が何とかしなきゃ」。



実質、500kmも離れていて、
どうにも出来ないのに。


夫に任せるしかないのに。



子どもの頃から家の中の困難を一人で抱えてきて、

お母さんが「きみちゃん、助けて」って言うから、

自分が全部何とかしなきゃって頑張って何とかしてきた。
そして、何とか出来てきた。


子どもだったのに。



だから、
私の中では
家族の問題は私が何とかするのが通常なのだ。




最終的には
夫とも連絡が取れ、

あなたにお任せします

と言えた。


そして、
私よりももっと冷静に、
そして、的確に
夫は対処してくれた。


その間、
ずっとしろともちゃんが側に居てくれた。



きみちゃんが帰るって決めるのなら、
京都駅まで送っていくよ
って言ってくれた。

しろともちゃんが側に居てくれて、
本当に心強かった。


夫と連絡が取れた辺りから少し冷静になれて、

しろともちゃんにも心のうちを聞いもらった。



もう
あまりにも苦し過ぎて
何を話したかも覚えてないけど、



しろともちゃんが何度目かに
ちょっとキツイ口調でこう言った。


「きみちゃんが帰るって言うのなら、
私ももう帰るから」



それまでも何度も
もう自分にはどうしようもない、
帰ったって私よりも夫や長男次男に帰ってもらった方が断然早い、


何度も
「だから、私にはどうしようもない」
ってとこにたどり着くのに、


すぐに
「やっぱり、私が帰った方がいいのかな」
ってとこに戻ってしまう。


そんな私に向かって、
しろともちゃんが少し厳しく言ってくれたのだ。



いつも優しいしろともちゃんのその言葉に
一瞬、
見捨てられるんじゃないかと怖くなったけど、


そうじゃなくて、
「私にはどうしようもない」
それをハッキリと確認させてくれるための言葉だったのだ。



そして、

「私が何とかしようとしなくても
あの子は大丈夫」

それを認識するための言葉だったのだ。

大好きなしろともちゃん♡

私、
マスターコースに行きたかったのは

一番は
「私が私のことを救ってあげたい」
の思いだった。


でも、
いろんな意味で

「私は大丈夫
目の前のあの人も大丈夫」

ということがどうしても分からなくて、
それを体感として知りたいと思ったのも

マスターコースへ行っている目的の一つなのだ。




しろともちゃんの言葉に覚悟を決められ、
そして、
つらつらと離すうちに、

自分では自覚してたけど
なかなか口に出来なかったブラックな思いも口にした。


なんで私がお泊まりする時ばっかり
発作起こすねん!!!

なんで私が楽しみにしてる時に限って、
発作起こすねん!!!

普段、一緒に居る時には
全然起きひんのに。



そう考えると、

それはきっと、
三男が寂しいからだよ、
三男からの「行かないで」のメッセージだよ、

ちゃんとその気持ちを汲み取ってあげなきゃ、
きみちゃんも子どもの頃、寂しかったんでしょ?


そんな脳内声に支配される。


そう、
私は本当はいい母なんかじゃなくて、
自分のことしか考えられない人間なのに、だ。


息子の心配よりも
自分のやりたいことを邪魔される、
と思ってしまう人間なのだ。



それは自分でもずっと知ってたけど、

自分の苦しさ、寂しさを息子に重ねて見ていたので、

そんなこと思っちゃいけない、
ちゃんとその不安を受け止めてあげなきゃ、

私みたいに寂しい思いをさせてはいけない、


そう思って
気付いてるのに、

自分の苛立ちや、
邪魔すんな!!の思いの方を我慢させてた。



それをしろともちゃんの前で話して、

言葉にして吐き出した。


口汚く言葉を吐き捨てた。



そしたら、
涙が出てきた。


ちっともお母さんらしくないし、
ちっとも優しくない人間だ。



自覚はしてたけど、
自覚をしてるからこそ、


そんな思いを出しちゃいけないって思って閉じ込めてた。

自分では気付いていたのに。



でも、
出しちゃいけないって思ってた思いを自分の口から出してあげた時、

きっと、
私が喜んで涙が溢れて来たんやと思う。


やっと自分の気持ちの方を大切にしてくれたねって。


そして、やっと
本当は悔しかった思い、
本当は自分の行きたかったところを優先したかった思いを
ちゃんと出すことが出来た喜び。



そうしていたら三男からLINEが来て、
発作が治まったと。


お父さんはすぐに帰れなかったけど、
お父さんが送ってくれたLINEの通りに呼吸法を何度もやってみたら、
治まったんやって!!!




…後で読んでみたら、
私が何回も言うてたのと同じことやっただけやったんやけど😅


私が何とかしようとするのを手放したら、
勝手に他の人からの言葉をちゃんと受け取って、
自分で解決しちゃった(笑)



しろともちゃんに

「きみちゃんが『大丈夫』って決めたら、
『大丈夫』の証拠が集まってきたね!!」

って言われて、

こういうことなんかー
ってことをうっすら感じた。


…そう、
まだ「うっすら」なのだ。


私は感じるという感覚においては
ホンマに麻痺が酷いので、

こうやって
うっすら
うっすら
うっすら
を何度も何度も体験して、


そして、
自分の感覚としていっているのだ。



それでも、
こうやって「大丈夫」の経験が出来たことは
とっても嬉しかった✨


まだ不安はある。
また私がお泊まりする時には発作を起こすんじゃないか。
(これから毎月お泊まりが続く😅)



でも、
本人含め、
家族含め、

みんなに任せてしまおう。

怖いけど。
私にはどうしようも出来ない。



そして、
今回、父の手を借りて自分で発作を乗り越えた三男にも、

少しの自信が付いたみたいだ✨
自分で対処出来た、という自信が。


それも何よりも大きな収穫だ。
(私が手取り足取りやってたら、この自信は三男自身のものにならなかったと思う)



おしまい。



大好きなぢんさんに愛されまくってる
きみちゃんでした。
(ひっそりと新しいセルフイメージを載せておく)