昨日のココケンでは、
思考型人間の私には珍しく、頭で殆ど理解することが出来ず、

でも、運命のメンバーたちの姿を見ることで
「こういうことなのか」と「体感」することが出来たという初体験。


体感したことをなかなか言語化出来なかったけど、
自分の体験を交えて質問した部分を書くことで、なんか、自分の言葉になりそうな気がするので、書いてみるおねがい



昨日の最後のはしのんさんの言葉。


外側の出来事を使って、自分で勝手に解釈して、自分で自分を苦しめてきた。
自分を苦しめるのは、自分でしかない。

内側の自分は何も傷付いていない。
あなたは誰にも傷付けさせることは出来ない。
自分で自分を傷付けることも出来ない。
自分で自分を苦しめているだけ。

勝手に自分を傷付いた人にしてしまっただけ。
勝手に自分の人生が変わったことにしたいだけ。
その方が楽だから。

By はしのん



「外側の出来事を使って、自分で勝手に解釈して、自分で自分を苦しめてきた。
自分を苦しめるのは、自分でしかない。」


ここは、とてもよく分かる。


自分が生まれてから今まで、どこかで握り締めてしまった前提、セルフイメージによって、
目の前で起きている出来事、人の言動を自分勝手に解釈し、
勝手に自分自身で自分のことを苦しめてきた。


うん。
これは、とてもよく分かる。

目の前の問題はダミーであり、
自分のセルフイメージに沿った証拠集めをせっせとやって、
勝手に苦しくなっていくのだ。


だけど、だからといって、何故に

「内側の自分は何も傷付いていない」

と言えるのか????


だって、自分が勝手に解釈したからといって、私は苦しいんだよ?
心に傷だって付いてるよ???


内側の自分は何も傷付いてないって、どういうことなん?!?!( ̄ω ̄;)?


誰にも傷つけさせることは出来ないって、
自分で自分を傷つけさせることも出来ないって、
どういうこと?!?!( ̄ω ̄;)?

私、傷付いてるで?!
私、苦しいで?!
私、しんどいで?!?!



他の方も質問する。

その中で

「本質」「鎧」

というキーワードがはしのんさんの口から出た。


本質?!
本質は何も傷付かないということ?
本質は何も変わらない、価値は変わらないということか???

鎧を被ってる???



頭の中がまとまらないまま、
私も自分のモラハラ体験を交えて質問してみた。

*********

私は約10年前にモラハラ夫の元から子どもたち3人を連れて、逃げてきた。

夫との同居生活11年の間に、モラハラされ、追い詰められ、パニック障害になった。


このまま夫の元にいては、私が死ぬか夫を〇すか、というところまで追い詰められていた。


別居してからも、ずーーーーっと夫のことが怖かったし、パニック障害も全く良くならないし、夫の名前の漢字を見るだけで動悸が激しくなるし、
離れても離れても、夫に責められ続けている気がして、夫に苦しめられ続けている気がしていた。


苦しかった。
怖かった。
しんどかった。
悔しかった。
夫が憎かった。
私の心も身体も、ボロボロだった。



だけど、3年前に仁さんに再会して、被害者やめるって決めた。

なかなか止められなかったけど、2年ぐらい掛けて、被害者を止めていった。


去年が本当に大きな転機になったんだけど
(夫に対するバンジーもいっぱい飛んだ1年だった)、

被害者やめたら、見える景色が全く変わった∑(๑ºдº๑)!!



そして、見える景色が変わった今の私の心の中を見てみたら...


あれだけ苦しくて、しんどくて、ボロボロに傷付いていると思っていたけど、

私の内側は何も傷付いてなかった∑(๑ºдº๑)!!


...ちょっと語弊があるな。

あの時は、確かに苦しかった。
しんどかった。
心が傷付いた、傷付けられた、と思っていた。


確かに、心は痛かったんだと思う。
傷も付いていたんだと思う。


だけど、

私自身の価値、というか、本質、というか、
その部分は何も傷付いていなかった、というか、
私自身が、傷ものにはなっていなかったのだ。


私の本質は、ピカピカしたキレイなままだったのだキラキラ
(これが今の私が表現出来る、一番フィットする言葉かな)



私自身が傷付いた「ような」気はした。
実際に、心は痛かった。
痛かったから、傷はついたんだろう。


だけど、

それは、自分の握り締めてきたセルフイメージ、つまり、「鎧」を着てる状態で受けた傷。

自分の着てる「鎧」の部分に、いっぱいいっぱい傷をつけてきたんだ。


でも、私は被害者をやめた。
被害者やめて、その「鎧」を脱いだ。


そしたら、

「鎧」を脱いだ私の中身は、なーーーーんも傷付いてなかった...というか、
なーーーーんも本質も価値も変わってなくて、

持って生まれたままのピカピカの自分しかいなくて。

...今、見てみたらね、あれ?!傷なんて付いてないぞ?!
私、キレイなまんまやで?!って感じ...( ̄▽ ̄;)
傷付いた鎧は脱いじゃったからね( ´_ゝ`)フーン



そもそも、その部分は他人も、そして自分でさえも、傷付けることは出来ない。
変えることは出来ない。  


だって、私は、素晴らしい存在だから。

ダメでも、役に立たなくても、何も出来なくても、私の存在そのものが素晴らしいから。
(それは、昨日の運命のメンバーたちを見ていたら、そう思えたしそう見えた)

だから、何があっても、傷ものにはならないキラキラ



【ここから追記2/17】

生まれてきた瞬間から、偏った前提、歪んだセルフイメージを持っている人はいない。

生きているうちに、いつの間にか、間違った前提を握り締め、勘違いして生きてきた。


その偏った前提、歪んだセルフイメージで目の前の物事を捉え、
相手の言動を受け止め、
傷付いた、傷つけられたと苦しんできた。


偏った前提、歪んだセルフイメージというフィルターを掛けて、傷が付いた気になってた。

痛かったし、苦しかった。



だけど、そのフィルター自体を外してしまったら、
フィルター掛けてた時には、切り刻まれて血まみれになっていたように見えていた私の内面が、
実は、赤いフィルター通して見てるから血まみれになっていたように見えただけで、
赤いフィルターを外したら、どこからも血は流れてなかった。

傷さえ付いてなかった。
...って感じなのかな。


そもそも、生まれてきた時には傷は付いてなかったんだし、
傷付いたというのも、フィルター越しに見えた傷なだけだから、
そもそもどこにも傷は付いてないのだ。

そして、そのフィルターを掛けない限り(偏った前提、歪んだセルフイメージで物事を見ない限り)は、 
誰にも自分のことは傷つけられない。
私ですらも、自分のことは傷付けられないのだ。

だって、歪んだフィルターで見なければ、何も傷付いたことにする必要はないのだから。
だから、私の内面は傷は付かない。

*********

最後の方はまだジャストフィットな表現ではないけど、現時点で昨日の自分の話した体験を、言語化出来そうなところまで言語化してみた照れ

追記もしてみた(2/17)

あともう一歩、な感じやな。