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一日一思想

考えることは生きること

某外食産業での過労死認定での社長の理念が物議になっているようだ。


低価格の外食産業で、その社員が超過労働を強いられざるを得ない

という環境の中で、その人たちのライフワークバランスというのは

相当劣悪なものだろうと思う。

ただでさえ、週末や連休など、世間の休日が繁盛するわけで

結果的にその中で各店舗の社員がサービス残業などの犠牲を払って

成り立たせているのは、当該企業だけではないはずだ。


そんな中、社会的に弱者である障害児が将来就労した先が

極端にライフワークバランスが悪い労働環境である可能性は大いにあると思う。

「無理を強いる」という根性論に対して、

組織に反論できる人はもともと少数派であると思うが

その歪んだ企業で働かざるを得ない、

理不尽を受け入れざるを得ないという形になってしまうのは

一生懸命就労に向けて、訓練や情報収集をしてきた人に対して

筆舌に尽くしがたいことだと思う。


高等支援学校を卒業して、障害者枠で就労する場合でも

特例子会社などで特に障害者に対する正しい理解と

支援体制を持っているところは別としても、

自分の権利を主張しにくいということを

逆手に取られてしまわないかということも不安の材料となる。

まして、手帳を使わずに一般枠で就労するということが

学校と違って決まった期間で卒業するわけでもなしに、

豊かな生活をしていくための仕事というあたりまえなことが追求できるのか。


障害のない人でも若い人は「使い捨て」に近い状態だったり

労働基準法というあるのかないのかわからないもの頼りの社会で

残業時間自慢、寝てない時間自慢をする人こそが

有能な「使える人」となってしまう状態になっていることに

別の意味で憂いを感じてしまう。


しっかりした価値観を持って、何のために働いているのか、

一番大事なものは何なのかということを自分の中で理解したうえで

社会にでていくのが理想なのであろうが、

長男のような子どもたちにはあまりにもハードルが高い。


こんなことを考えていると、学歴とか資格とか成績とか

いったい何なんだろうと堂々巡りになってしまう。


弱者になりがちの軽度知的障害者、発達障害者が

一般就労をした場合にこのように一企業の使い捨てにならないように

考え続けては行きたいと思う。

昨日死刑判決が出たこの事件、

ずっと前から気になっていたどころではないほど気になっていた。


この本を読んだのはもう何年前のことだろうか。

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事件の詳細、遺族である本村洋さんの葛藤が事細かに書かれていた。

本村さんは多分私と同じ年なんだと思う。

そして11か月で殺された娘の夕夏ちゃんは長男と同じ年くらい。

つまり同じような年代で子どもを産んで、

同じような年齢だった時に事件があったのではないだろうか。

自分と重ね合わせることがあまりにも多かった。

一人きりになってやり場のない怒り、

社会の理不尽さの憤りに深く共感した。


そしてちょうど同じような時に、私自身も理不尽な医療ミスにあい、訴訟も考えた。

正義と公正が世の中にあると信じていた23歳くらいの時、

それから時が経って、世の中正義がすべてではない、理不尽なことだらけだと

身にしみて感じることが幾多となくあった。

でもそんな時代を同じくして、本村さんは自分の信念を曲げることなく戦い続けてきた。

私自身ができなかったことを、彼がやってくれているようにも思えた。


どんなに加害者側の弁護団が神経を逆なでするような論理で攻めてきても

どんなに理不尽に司法が「通例」を大事にして、事件そのものについて考えたうえでの

判決を下してくれなくても

家族という支えがいなくなったという憎しみだけで突き動かされていたのではないはずだ。


人を許すということがどんなことなのか。

そんなことも13年間のうちに考える機会が何度もあった。

自分の人生を何に捧げているのかと問う機会も何度もあった。

もちろん彼にもそんな時期もあったと思う。


そして加害者の悲惨な成育歴、発育歴。

親が、そしてコミュニティがとるべき道はなんだったのか。

彼はもちろん非道な事件の加害者であることは間違いないが、

今現在、そんな状況に置かれている子どもが地域にいたら、

自分だったら手を差し伸べることができるだろうか。

そんなことも考えた。


発達障害の二次障害ともいえる反社会性障害。

そんなものを子どもが併発して世の中に衝撃を与える事件を起こした

親の気持ちはどんななのだろうか。


いろんな意味で私に考える機会を与えてくれたこの事件。

そしていろんな人がこの事件について考えることこそが、

本村さん自身が求めていたものであったのかもしれない。


こんな誰もが不幸な事件が二度と起こらないような世の中になるように、

そして弥生さん、夕夏さんのご冥福を心からお祈りいたします。



自分の記録的なものになるが、
公開する事に何らかの意味があることを信じてあえてブログに残すことにする。

承前の定期試験の時間延長の件を

教育委員会の地域の特別支援担当に確認の意味もこめて、電話で聞いてみた。

支援級に在籍をしていて、成績はつかないものの

学習、生活は全て交流級で行っていること。

交流級と同じように学習している以上、

経験としてでもいいからテストを受けさせてあげたいと考え、
二年生の今までとりあえず同じ教室同じ条件で定期テストを受けてきたこと。

点数が低いことも、家庭で努力していることを踏まえて

フォローするからと伝えてきたこと。


そして私自身も現在の中学校のテスト勉強のさせ方が少しずつわかってきて

計画的に教科書をよんだり市販の問題集をさせることで

本人が実際にテストで回答できるようになってきていること。

かなり複雑な四択問題や記述問題も本人なりに考えて書けるようになってきたこと。

そして彼自身の軽度知的障害のため、問題を読んだり理解すること、

書きこむことに、他の子よりも時間がかかってしまい、

時間内にできないようになってきているのではないか

というところまでたどり着いたのかもしれないということ。


そして世の中ではセンター試験で障害に対する配慮がされる実例がでてきたこと。

その配慮を受けるためには、今まで中学校や高校で

「どのような配慮が必要な子だったか」という実績がいること。

その実績を積むためにも、そして本人の障害特性を考慮してフェアに試験を受けるためにも

今までやっていなかった「別室受験・時間延長」をしてほしいという打診をしてみたところ、

「前例がないので無理だ」と言われたこと。


以上のことを伝えると教育委員会の電話口ではいともあっさり

「それはできるんではないでしょうか」ということだった。

ただ教育委員会で学校に「こういう対応をしなくてはならない」と強制もできないと。

校長と話す機会が近々あるのでその時に聞いてみますよ。とポジティブな印象。


この対応がどうなるかはわからない。

上から言われたからしぶしぶ時間延長しますということになるかもしれない。

でもそれでいいのか、支援級。それでいいのか、特別支援。

文科省や職員のために学校があるのか、生徒のために学校があるのか

そんな根本的な姿勢が試されるような発言だったのではないかと思う。


正直言って、どうせ理解されないのなら交渉したくない、

と今まで思ったことはたくさんある。

他のことに力を注いだほうが本人のためにも近道で

自分の精神衛生にもいいのだろうなと思ったこともたくさんある。

しかし時々こんな風に、スルーしちゃいけないな、

これ以上本人やその後の子どもたちを犠牲にしちゃいけないなと思う時がある。

そこを見定めて時々頑張ってみる。

まぁ、木曜日からの学年末試験には間に合わないだろうけど。


長男は昨日も今日も一生懸命机に向かって試験勉強をしている。

私はそれをコーディネイトして本人のやる気の続く限りサポートしてあげるだけ。

試験範囲に目を通させて、該当する問題集をやらせて丸をつけてやり直す。

何回も間違えるところ、わかっていないところは一緒に考える。

他の子は塾でやっているのかもしれないけど、家庭で頑張っている姿を私は見ているから

余計に「フェアに」テストを受けさせてあげたいと思う親心。

頑張っていないんだったらそんな風に思うわけがないのに。