某外食産業での過労死認定での社長の理念が物議になっているようだ。
低価格の外食産業で、その社員が超過労働を強いられざるを得ない
という環境の中で、その人たちのライフワークバランスというのは
相当劣悪なものだろうと思う。
ただでさえ、週末や連休など、世間の休日が繁盛するわけで
結果的にその中で各店舗の社員がサービス残業などの犠牲を払って
成り立たせているのは、当該企業だけではないはずだ。
そんな中、社会的に弱者である障害児が将来就労した先が
極端にライフワークバランスが悪い労働環境である可能性は大いにあると思う。
「無理を強いる」という根性論に対して、
組織に反論できる人はもともと少数派であると思うが
その歪んだ企業で働かざるを得ない、
理不尽を受け入れざるを得ないという形になってしまうのは
一生懸命就労に向けて、訓練や情報収集をしてきた人に対して
筆舌に尽くしがたいことだと思う。
高等支援学校を卒業して、障害者枠で就労する場合でも
特例子会社などで特に障害者に対する正しい理解と
支援体制を持っているところは別としても、
自分の権利を主張しにくいということを
逆手に取られてしまわないかということも不安の材料となる。
まして、手帳を使わずに一般枠で就労するということが
学校と違って決まった期間で卒業するわけでもなしに、
豊かな生活をしていくための仕事というあたりまえなことが追求できるのか。
障害のない人でも若い人は「使い捨て」に近い状態だったり
労働基準法というあるのかないのかわからないもの頼りの社会で
残業時間自慢、寝てない時間自慢をする人こそが
有能な「使える人」となってしまう状態になっていることに
別の意味で憂いを感じてしまう。
しっかりした価値観を持って、何のために働いているのか、
一番大事なものは何なのかということを自分の中で理解したうえで
社会にでていくのが理想なのであろうが、
長男のような子どもたちにはあまりにもハードルが高い。
こんなことを考えていると、学歴とか資格とか成績とか
いったい何なんだろうと堂々巡りになってしまう。
弱者になりがちの軽度知的障害者、発達障害者が
一般就労をした場合にこのように一企業の使い捨てにならないように
考え続けては行きたいと思う。