ご無沙汰しております。ここあです。

早いもので娘が亡くなり、3年が経とうとしています。

近況としては、家庭教師をしています。
中学生、高校生と一緒に勉強をする日々です。

ゆとりになる前に大手予備校での3年、個別指導塾での3年、計6年の指導経験を基にやっています。

娘が元気だったら今年の春に一年生になります。

亡くなった直後とは違う思いが胸をしめつけることもありますが、

元気に暮らしています。

皆様のご多幸とご健勝を祈念しております。
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小児がんの治療の中の私の日常は、昼にシャワーを浴びる。
車で病院に向かい指定の面会時間である14時から19時まで滞在。

帰りにすいてるスーパーで買い物をして、帰宅時にシャワーを浴びる。

洗濯物は外に干さず乾燥機を夜のうちにすませる。

といった形で外の菌を持ち込まないようにきをつかってました。

娘は最初の病院で毎日看護師さんと仲良くしてもらい、

はたからみたら楽しく過ごしているようでした。

大好きなチョコレートを食べたいということは病院では一切なく、
私達が帰るときも『看護師さんとねんねする』といってました。

けれど、転院先の病院に行ったとたん、『チョコレート~食べたい~!』と夜中に泣き叫び(大声…しかも四人の大部屋)

24時間付き添いになたたとたん、『ママ、外いっちゃダメ』とワガママ放題。

大変な反面、私達はずいぶん娘に我慢させてしまったのだなと思いました。

転院してからは2時間以内で加熱調理したものなら食べさせていいとのことで、

ピザやホットケーキを作って食べさせてました。

それだけでも私達には夢のようでしたが、この春から

家族が一緒に住みながら、患児は治療を受けることができる夢の家が神戸で始まります。
チャイルド・ケモ・ハウス
www.kemohouse.jp/

規定の病院ではできないことが多く、寄付で成り立つことを目標としています。

小児がん以外にも病気が稀少すぎて、小児慢性特定疾患と認定されない人もいる中で、

ワガママいっていいのかなと思うこともあります。

東日本大震災で関西に避難し小児がん治療を受けたというお母さんに会ったことを思い出し、

被災により治療や看病が困難になった人にも必要なのかもしれないと思えるようになりました。

よかったらホームページをご覧ください。

娘の一周忌の翌日、チャイルド・ケモ・ハウスのでき具合を見に行った際に取材を受け、
関西のテレビに少し娘の姿が放映されました。

六甲颪を歌ったり、亡くなる直前にケーキを作ったり、いちごをぱくついたりした映像が流してもらえたようです。
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早いもので昨日は娘の一周忌でした。

京都のお寺に納骨したので私達夫婦と私の両親と妹達とで行きます。

小児がんの神経芽腫が2才になったとたんの一昨年の4月にわかって、

抗がん剤治療を頑張っていたのに、投薬中に転移が発覚し、

治療法がなくなり、藁にすがる思いで親子間骨髄移植もしました。

その際には一時、悪性腫瘍マーカーの値が今までになく下がり、光明が見えた直後に、

リンパ節が腫れ、新たな転移がわかり、望みがなくなってから10日で娘は旅立ってしまいました。

幸いにというべきかわからないけど、元気に病気になって、
ママ、ママと大きな声で呼んでくれてから私の腕の中で息を引き取りました。

亡くなったときに娘がどんな服を着ていたのか夫も私も思い出せません。

母や妹達がくれた服を着せて病院で化粧をしてもらったときからの様子は思い出せるのに。

亡くなる3日前に家族みんなで集まり、2か月早いお雛祭とお誕生日をして

一緒にケーキを作り、イチゴをぱくつき、本当に元気な姿を見せてくれた直後でした。

入院中もいつも笑顔で歌ってた娘、絵本を読むと暗誦してしまって先を急かした娘を誇らしく思います。

だから、私も普段は笑ってます。娘を見習って。今日はかなり頑張らないと難しいみたい。

週末まで関西にいる予定です。

当日忘れずにメッセージをくれたブログ仲間さんに感謝。

画像はグアムで水着を着たときのもの。
画像と一緒に本文も入ってたんだけど…

表示されない仕様だったのね…。
ご無沙汰です。
唐突ですが、この愚問を持ち出す大人がいることに非常に憤りを感じるので一筆。

いじめられる子に問題があるならば、それを指摘して、改善した方がいいと言えば済むこと。

別にその後お互いに関わるのも関わらないのも自由だと思う。


問題があるからいじめていい理由なんてどこにあるのか。

それを言い切る大人があまりに多すぎて、またそれをいう無神経さに気づかないことに呆れすぎて一瞬言葉を失う。

いじめに正当な理由を与える必要がどこにあるのかわからないので愚劣としかいいようがない。

正直、今、この馬鹿げた論理が子どもを自殺に追い込みかねないのではないかと心配。

だって、『いじめられる子に問題がある』という論理が通用している今の世の中では、

いじめられてるって相談すること自体、『自分に問題があります』って言うのと同じ。

それなのに『いじめられてるなら相談してくれれば…』っていうのはおかしい。

『いじめられてる子に問題がある』発言及び思想を全面的に禁止を宣言し、厳罰を設ける位、

真剣にその発想を駆逐しないといじめはなくならないし、いじめによる自殺も止められない。

それくらい矛盾してるのは何もO津の教育関連者だけでなく多くの人が陥っている。

私だって、レイプされた被害者が肌を露出させていたと聞かされると

そんな挑発するような格好はよくない…とやはり眉をひそめてしまう。

しかし、露出した格好でも他のまっとうな人は挑発的な服装の人をレイプすることはない。

つまり、冷静に考えれば、レイプした人間の行動が違法で卑劣だと私でもたどり着く結論である。

そのレイプをいじめに置き換えてほしい。

単純にいじめはレイプなどと同様に精神的もしくは肉体的に苦痛を与える刑事事件で

いついかなる自体で起きてもそれをしたものを徹底的に処罰する姿勢をもっていく覚悟を必要とする。

大津の起きてしまった自殺でさえもやはり生きて相手を糾弾してほしかったと思う私としては

これから自殺して相手をほのめかしてなんとかなればいいと思うなら、

とにかく生きて証人となってほしい。

いじめをする卑劣な馬鹿げた人達のせいでひとつとして命が失われて欲しくない。

まず生きてみよう
もうダメだと思うなら学校に行かなくていいから

いじめられているのもいたのもあなただけではない。
私もそうだし他にもたくさんいます。
ちょっとびっくりしたのはフランスでもいじめがあると最近知ったこと。

そのいじめられた人達も大人となり社会人となり家族がいる…

乗り越えた先がどうなるかは自分次第。それも今の自分だけじゃなく毎日少しずつ変わっていく自分が変えること。

今、自らの手で命を捨てることだけはもったいないからやめときなさいとだけいいたい。
どうかよろしくお願いします。
娘の遺骨の大半は手元に置き、一部を浄土真宗 大谷祖廟に納骨しました。

永代供養ですが金額はびっくりするほど安かったし、
夫の母がお世話になっているお寺も仲介などの手間を省いてくれて
ほとんど直接申し込み同然でした。

念仏を唱えるだけで誰でも救われるという民のための仏教である点、
親鸞さんが自分の死後は魚に食べさせてほしいと言ったらしい(私の希望する形態と同じ)点、
親鸞さんの教えを広めた蓮如さんが他宗を批判してはいけないとした点
などなど宗教としてこうあってほしいなぁと思う点が多かったこともあります。

なによりもお墓に対する通常の概念を取り払ってくれたことが大きい。

墓は本来下が地面であり、納骨しても古くなればカルシウムは反応して水になり、
地面に流されることで自然に還るという話を聞いたことがすごく大きかった。

うちの実家も夫の実家もたまたま次男次女という組み合わせだったために
夫が長男、私も長女なのにお墓という負うべきものがなかったのも幸いしたかもしれません。

ただ、もし娘が元気で大人になったときこの問題に直面したとしたら…
大谷祖廟のような解決策があればいいんじゃないかなと思います。
宗教のために今を生きる人達の幸せを妨げるのは
恐らく多くの宗教の本意ではないと私は思うからです。
墓を守るという発想自体、宗教の本意というより
宗教関連の営利団体の本意なのではないかとも思えるほど。

以前にメッセージをいただいた人の中にそういう話をする人がいて、
当時、私はそういうことで縛られたことがなかったので何もいえませんでした。
ただ、今、こうして経験していえるのは、今を生きる人を縛ることを強要するならば、
墓の中身ごと永代供養できるところに移す方が祖先のためであり本人のためだと思います。
結婚しようとすまいと気になるならばいろんな方策はあるもの。
そういったことで生きている人の選択肢を狭めることが
祖先や親の本意とは到底思えないのでした。
先祖代々、帰依しているお寺に納骨している場合も、
そのお寺がいつまで存続するかは不確かなわけです。
ちなみに、夫の母がお世話になっているお寺の住職さんも先だって亡くなりましたが、
大谷祖廟に納骨されたそうです。
仏教の大元であるブッダの言葉にある『執着しない』に近いな~と私達夫婦は感じました。
一区切りつき一息ついてきます。