タイトル---苛刻な政を行うことなるべし。第1266号 24.06.06.(水)

 

 暁の学問館は今日で59回となりました。若手師範の申し出により始めた訳ですが、私自身が大変有難く思っている次第です。

 それは『修身教授録』『大学』『中庸』『孟子』『学問のすすめ』『論語』『言志四録』等々二十年前に読んでいたのですが、新たに又拝読して新たなる感慨が湧いてくるのです。毎朝、その喜びに浸っています。

 今朝の新聞によりますと、警察のパトカーに暴走車が数回体当たりしたため、警察官が威嚇発砲の後、射殺したという記事が掲載されています。

.


 昨日読んだ『学問のすすめ』に標題の字句があります。引いてご紹介します。

.

〈---強訴を名として金持ちの家を毀ち酒を飲み銭を盗む者あり。その挙動は殆ど人間の所業と思われず。かかる賊民を取り扱うには、釈迦も孔子も銘(明)案なきは必定、是非とも苛刻の政(まつりごと)を行うことなるべし。〉

.

 警察官は治安を守るお仕事をしています。発砲した警察官は正当防衛とは言え、良心の呵責にさいなまされていることと思います。お互い無理をせず、世のルールに従って日々を過ごしたいものです。

 

 テレビをみるよりか、『南洲翁遺訓』を読んでください。『学問のすすめ』を読んでください。テレビの画面に出てくるオバサンたちを見るよりか、はるかに素晴らしい毎日が送れること請け合いです。

.

拙歌を。


  理非の理も知らず慾だけ人の倍 

  己が職分知らぬ、と(福沢)諭吉

.

 人民も国も栄えと願うなら 

     学問をせよ才(能)高くせよ 

.

 金盗み酒飲み仕事は何もせぬ 

    暴徒は苛刻政(治)で圧せよ


 金

タイトル----学を志す者に大事な事。第1261号 24.06.01.(金)

 

 学を志す者に大事な事。


先づ第一は、学問に対する志をしっかり持つことである。その目標は遠大なるものであるべきである。第二は、当然心配しなければならないことが生まれるものである。そのおちいり易い事は、方向が片寄って行き身を修めることが粗雑にりがちで、まとまりがなくなることである。第三は、忘れてはならない事がある。常に己に克って身を修める事を忘れない事である。第四は、人を容れる事、人に容れられては済まないということで、大きな器量を備えることを努めることである。(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)

.

〔コメント〕 円心会若手師範の申し出により連日、暁の学問館で『修身教授録』『論語』『大学』他を学ぶことにしています。今日で54回になりました。

 私は30年前から片っ端から筆写して参りました。とにかく手当り次第に書き写してきたものです。

 そのお陰で多くの漢籍と出会いました。漢籍から教えられることは数多く、人が生きて行く上において必要不可欠のものばかりでした。

 若手師範には、私が実践してきた以上のやり方で学んで戴いています。

 そしてまた、最近入会した中〇様も漢籍等の書を買い込み、これ偏に学んでいます。森信三先生によると、出来るだけ幼少の頃から学んだ方がよいと案内されていますので、私もそのようにご案内しています。

 二度とない人生、これほど参考になるものはないと確信しています。そういうことを空手道場で学ぶ門下生の保護者にも機会あるごとに伝えてはいるのですが、その浸透度は一割でしょうか。慾がないと言うか、欲を求める次元が違うのです。

 お金も大事です。でも、それ以上のものが、学問から得られるということです。  

 先に書いた小野寺先生の教えを充分に構築可能にするには、私が現在指導している学問館のやり方は最高だと自負しています。

 

 『論語』『大学』『修身教授録』『南洲翁遺訓』『学問のすすめ』『古典の叡智』『禅とは何か』『菜根譚』『幸福論』『貞観政要』『氷川清話』『努力論』等々です。


 拙歌をひとつ。


  天機くる国民挙って気をしめよ 

               勤・倹・譲の教えを糧に


タイトル---己を足れりとする。第1256号 

24.05.27(日)

 

己を足れりとする。


 上に立つ人も、下に居る人も共に、己が完全無欠であるという人など居る筈がないのに、どういうわけか居ることが多い。それは錯覚によることであろうが、自分自身が自惚れる結果であって、これ程反省しなければならない事はないのである。

 南洲翁について菅実秀翁が言われておるように、「南洲先生の謙遜は生まれつきのものである」と、まさにその通りであった。それが常に求めた向学の道であり、又天を敬する愛人の精神による政治となったものと思われる。

 政治の基本は上下共々に己は未だ足らざる者であることを認識することによって、より前進し充実することが出来るものである。(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)


.

〔コメント〕 何回も書きましたが『南洲翁遺訓』を学びだしてから30数年が経過しました。小野寺先生のご著書も繰り返し繰り返し拝読しましたが、暁の学問館で読み始めた処、違った感慨が湧いてくるようになりました。

 今日で49回を数えましたが、若手師範もせっせと学びの館に元気でやって参ります。私は通常することもないものですから、朝食後は書斎で読んだり書いたりして時を過ごしています。

 特に森信三著『修身教授録』を一講ずつ読みだしてから、その素晴らしさが全身を洗い清め、かつ新息吹を吹っこんでくださるのです。このブログをお読みくださった方、是非、繙いてください。

 中でも古典の名著として『貞観政要』『氷川清話』『海舟座談』『『南洲翁遺訓』』が4冊にとりあげられていたことを知り、喜びこれに過ぐるものはありません。

 『南洲翁遺訓』は、ご存知のように西郷隆盛の遺訓である訳ですが、これは菅臥牛翁をはじめとする荘内の英邁な人格と頭脳があって初めて為し得たことなのです。その原点が分からずして何百回『南洲翁遺訓』をよんでも、真の中身は理解できないと言えましょう。

 出来れば『貞観政要』もお読み戴ければなおその良さが理解できるようになると思います。


 拙歌をひとつ。


 金無くも民族精神高ずれば 

           言語栄えて民裕(たみゆたか)なる



 学問は知識獲得これなきぞ 

          人を創るが真の目的


タイトル---足らざるを知る。第1253号 24.5.24(木)

 

 足らざるを知る

.


 政治の道も、人間の道も同じである。当然その入り口も同じである。その入り口は誰にも用意されておるが、それがなかなか見えない。その事はあたり前であると思う人には何時になっても道は開けないことになる。太古の礼記にある教えを省みる必要を痛感するのである。それは「学びて然る後に足らざるを知る」これが入り口である。(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)

.

〔コメント〕 今朝の「暁の学問館」では、第19章を学びました。30数年前から今まで何回『南洲翁遺訓』を読み続けてきたのでしよう。

 夜の勉強会よりも朝の新鮮な空気を吸い学修する方が新鮮な感覚がよびさまされるようでございます。

 皆さん、荘内南洲会にある小野寺理事長著『南洲翁遺訓』をお読みください。森信三先生曰く『『南洲翁遺訓』』『貞観政要』『氷川清話』『海舟座談』がすばらしいと書いています。これらを読まずして旅たつことの何と可哀想なことか、と書いているのです。

 今朝の新聞広告に、文芸春秋掲載の「最善の医療  よりよく生きるために」とあります。これらも大事でしょう。でも、全気で『南洲翁遺訓』を毎日読めば、病気などにはかからないのです。幸田露伴も全気で打ち込めば病気などにはならない、と書いています。


 今日の拙歌をひとつ。


 達人は人の見ざるを観察し 

             万古の凄涼とらぬ工夫す


 日の本の民は治にいて乱忘る 

             目覚めよ早く難来る前に


 

タイトル---正道を踏む。第1251号 24.05.22(火)

 

 正道を踏む。


 正道とは何なのか。何が正しいのか。何が正しくないのか。その判断ほどむす゜かしいものはない。これを間違えば成功は初めから無いことになる。その判断が出来なければ踏み行うという実行は出来ないことになる。その大事な判断は誰がやるか、何を基準にきめるかという事になる。結局自分が決めなければならない。

 その判断力を身につけること以外にはない。その第一歩は学ぶことである。しかし完成ということはあり得ない。その為に生涯学ぶことが必要であると申し上げたいのである。(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』) 


 〔コメント〕 前回も紹介しましたが、では何を学ぶのか、ということだと思います。私も四十年間、読書三昧の日々を重ねて参りました。

 それは森信三先生の修身教授録でご紹介している、古典として優れている『貞観政要』『『南洲翁遺訓』』『氷川清話』『海舟坐談』でございます。幸いなことにこの四冊の書は読んでいました。ところがあと一冊推薦している『楽翁公遺書』は読んでいませんでした。ですから、先ずは『南洲翁遺訓』をお読みいただきますようにとご紹介致します。