タイトル---欲望上のことは『菜根譚』 第1127号 24.1.26(木)

 

 『菜根譚』 40 のところを少し長めに書きましたが、保存されませんでした。

タイトル----欲望上のことは『菜根譚』。第1127号 24.01.26(木)

 

 『菜根譚』 40

〈欲路上のことは、そさの便(べん)を楽しみて姑(しばら)くも染指(せんし)を為すことなかれ。一たび染指せば、便(すなわ)ち深く万仞(ばんじん)に入らん。理路上のことは、その難を憚りて稍(やや)も退歩を為すことなかれ。一たび退歩せば、便ち遠く千山を隔てん。〉

 

〔訳文〕 欲望上のことは、手っ取りばやくついでだからといって、かりそめにも手を出してはならない。一度、手を出したがさいご、(その味を覚え、一度その味を覚えてしまうと、それに溺れてゆき)、ついには万仞の深みに落ち込んでしまう。(これと反対に)、道理上のことは、その困難なことをおっくうがって、ほんの少しでもしりごみしてはならない。一度、しりごみしたがさいご、(余計におっくうになり、一度おっくうになり出すと、ますますおっくうになってきて)、ついには千山を隔て全く追いつくすへもなくなってしまう。


〔コメント〕 この項は男の子をお持ちの保護者は真剣に聞いてほしいものです。内の子に限って、世間様に顔向けできないことをする筈がないなどとは思わないでください。

 イギリス人の英語教師を強姦殺人した市橋達也君は、今牢獄にいると思いますが、あの子は普通の子供だったと私は思っています。どちかというと真面目な。そういうと被害者側の方々からお叱りを受けるかも知れませんが。

 男の子は、成長すると同時に性に目覚めます。異性に全く関心がないという人はむしろ、おかしいと思います。

 現に、警察官学校で訓練を受け警察官を拝命したすぐ後、すぐ暴漢になる人もいます。勿論、教師も。新聞記者も、と。

 だから、人生の半分を過ぎた大人は、その辺のところを是非、後輩に教え、人の道を間違えないよう指導して欲しいものです。

 私が半世紀前勤めていた職場は、素行のよくない先輩が牛耳っていた感がありました。そういうことに嫌気がさして、鹿児島へ転勤希望を出したものです。

 これは天の助けであったと同時に、目に見えない観念の世界から、君には善い人生が待ってるヨと、誘ってくれたのだと解釈してます。天風師の教えをトコトン聞いてのことですが。

 道を間違うどころか熱血漢の私は、青少年を導くという尊い仕事をするようになったのでした。

 

タイトル---弟子を教うるは『菜根譚』。第1125号 23.01.24(火)


 『菜根譚』 39

〈弟子を教うるは、閨女(けいじょ)を養うが如く、最も出入を厳にし交遊を謹むを要す。若し一たび匪人(ひじん)に接近せば、これ清浄の田中(でんちゅう) 

に一(いつ)の不浄の種子(しゅし)を下すなり、便(すなわ)ち終身、嘉禾(かか)を植え難し。〉


〔訳文〕 弟子を教育するのは、ちょうど箱入娘を養育するのと同じで、最も大切なことは、その出入りを厳重に監督し交友に注意することである。もしこの点をおろそかにして、一度、よからぬ者に近づいたら、必ずその悪風に染まってしまう。それは清浄な田地に一個の不浄な種子をまくようなもので、必ず不浄な種子がはびこって、それこそ一生、よい稲の苗など植えられなくなるのと同じである。

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〔コメント〕 へそまがりな人は、今時何を言うか、とおぼしめしになるかもしれません。時代が違うじゃないかと。

 人が人の人格を尊重して、生きがいよく生きていくためには大切なことだと私は思います。

 でも、現代社会は、余りにも多くの悪風が蔓延しすぎて、その是非すら論じることができないくらいデタラメな社会になっていると私は思います。まずはテレビです。

 ただ恰好よさを求めて、ブラウン(映像)管に出てくる自分の姿こそが最高だと親も子も錯覚して、それを求めているようです。

 人間の真の幸せはそういうものではないと、連日漢籍を繙きつつ感じています。タレントが結婚した、離婚した、子供を産んだ、というくだらないニュースばかりにウンザリするのは私ばかりではないでしょう。

 貧乏で、働きづめであった私は、学びたい、書けるようになりたい一心で、テレビを利用してきました。NHKのテレビコラム、時の話題、文化講演会、教育番組等々を20年間録画して、学んできました。それはそれは最高でした。とても有難いことでした。

 ところが視聴率競争とかで、NHKも相当レベルが落ちてきました。アナを退職した池上氏が華やかに活躍していますが、あれらは現職のアナ職員にさせればいいのです。民報と代わらないような番組なら、NHKの存在意義はないでしょう。そういう少しのことが、それを見ている子供たちの精神を汚染して行くのです。

 

 昨夜は極寒の中、そして真っ暗闇の中、天風師の講演テープを聞きながら、健康ランドのジャングルを歩きました。天風師が説く「中立主義」、人間は、国籍に関わらず皆同じである、という語りには、感銘しました。

 人間は賢いようで馬鹿だなと、あの世で思っているでしょう、天風師は。

タイトル---魔を降す者は『菜根譚』。第1124号 24.01.23(月)

 

『菜根譚』 38

〈魔を降す者は、先ず自心を降せ。心伏すれば則ち群魔は退き聴く。横を馭(ぎょ)する者は、先ず此の気を馭せよ。気平らかなれば則ち外横は侵さず。〉


〔訳文〕 魔性のものを降伏せしめんとする者は、何よりもまず自己の心に勝つようにせよ。自己の心にわだかまる煩悩や妄想を退治すれば、本心が明らかになり、さまざまな悪魔も退散しかしこまってしまうものである。

 また、横着なものを制御せんとする者は、何よりもまず自己の気持ちを制御するようにせよ。自己の気持ちにわだかまる勝心や客気を制御すれば、気持ちは平静になり、さまざまな外道も侵入せず恐れ入ってしまうものである。


〔コメント〕 王陽明に「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」とあります。でも、こういった処理が出来るのは、ある程度の社会訓練を得た者でなければならないでしょう。

 では、どうすればいいか。『南洲翁遺訓』を読み続けるか、漢籍を繙くことなのです。

 まもなくすれば、選挙がはじまるでしょう。そうすると、昔一緒に仕事をしていた連中は、「この人をよろしくお願いします」とやってくるのです。心中の賊どころか、国家の賊をお願いします、とお願いにくるのです。

 今朝のテレビで、野田氏が政権交代時前に演説したものがインターネットで相当数アクセスされているという。それは現在と真逆のことを言っているからです。

 橋下市長は現政権も全く駄目だと発言しています。前政権も現政権も駄目なら、ならば次を選択するしかないでしょう。その勇気が国民にあれば、今よりかはるかによくなるし、溜飲が下がる事、間違いないでしょう。

 今年の年賀で、荘内の方から来たもので橋下市長を絶賛してありました。願はくば、橋下市長、古賀氏、堺屋氏らに託してみたらどうでしょう。そのことが国家再生につながると思います。とにかく、バラマキはよくないのです。

タイトル---処世の態度としては『菜根譚』。第1122号 24.01.21(土)


 『菜根譚』 37

〈寧ろ渾噩(こんがく)を守って聡明を退け、些かの正気を留めて天地に還せ。寧ろ紛華を謝して澹泊に甘んじ、個の清名を遺して乾坤に在れ。


〔訳文〕 処世の態度としては、むしろ朴直を守るようにして、利口ぶることをしりぞける方がよい。そして天地の正気だけは我が身に留めて死ぬときに天地に返すがよい。また、むしろ華美な生活をしりぞけて、淡泊な生活に甘んじる方がよい。そして一個の清き名だけは世の中に残しておくがよい。


〔コメント〕 原文の「退け」の「退」という文字は、著書では左側が「黒」、右側が「出」なのですが、漢字が出てこなかったので、「退く」にしました。意味は同様です。

 さて、この原文・解説を読み素晴らしい処世訓だなと、いつも感じています。


 ある町の一族が行政を牛耳り、したい放題、朴直を守るとみせかけ、我田引水のしたい放題、町の自然も破壊させたと聞き及んでいます。当時の市長は、死去する前倒れ、救急車で運ばれたが病院到着を待たずして息を引き取ったということです。そのお話を聞き、天は厳粛に観ているのだな、と思ったものです。

 それに比し、我が詩吟道の師匠・竹下一雄先生は、この『菜根譚』 37章のとおりの生き方をしました。誠に見事でした。「華美な生活を退け---清き名だけは世に残した」のでした。

 誠心誠意生きて、世の人々の蒙を拓いてあげました。尤も、蒙を拓かせて貰っても、また眠りにつくという人もいるわけですが。

 西郷隆盛をこよなく尊敬し、愛し、西郷隆盛の一生に負けてはならじと、人生を謳歌したと私は見ています。その証明に西郷隆盛同様、250首の漢詩を詠んでいるのです。詩吟指導を受け終了後、毎回と言っていいほど、焼酎を酌み交わしたものです。それは20年の長きに及びました。会話の内容は、如何にして「徳を構築するか」でした。 

 鹿児島と谷山の合併を機に、師匠の推す市長が革新派に敗北し政界を引退したのです。仮定の話。竹下鹿児島市長が誕生していたら、谷山はものすごく発展したのに、と想像しています。とにかくスケールが普通の人とは全く異なるのです。

 負けてくれたお蔭で私は、詩吟道を通じて子弟の交わりを結んだのですが。

 私の道場には、お写真を掲げ、朝夕、ご挨拶をしています。