タイトル---教育とは「人を植える道」。第1188号 24.03.22(木)

 

 前回に引き続いて森信三著『修身教授録』から一部抜粋してご紹介致します。ここでご海容賜りたいのは、大学教育も受けていない、一市井の空手指導者でございますが、私自身、勉強不足の感が否めないため、門下生ともども学んでいる処でございます。その道30年前からでございます。

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---教育とは、結局人間を植えることであり、この現実の大野に、一人びとりの人間を植えこんでいく大行なのです。それがいかに荘厳な事実であることか。それは達識明眼の人でなければ、真の洞察はできないかも知れません。----中略---


 今日学校教育だけでは、種子のまきっ放しであって、真に木を植えたことにはならぬのです。それというのも、真に人間を植えるには、有為の少年を選んで、これに正しい読書の道を教え、それによって各々その職分において、一道を開くだけの信念を与えなければならぬからです。---中略---


 畢竟するに教育の根本目標が、いかなるところにあるかを知らずに、ただ子どもらのお相手教育をもって、能事畢れりと考えているからであります。

 されば諸君らは、すべからく活眼を開いて、自分らの行く手を大観して、任重くして道の遠きを知ると共に、翻って自ら深く、養い蓄える覚悟をしなければならぬと思うのです。

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 〔コメント〕 学校の先生方の教育は、真の教育ではなく、闘争の為の教育のような気がしてならないのです。君が代、国旗掲揚問題しかり--。権力者にどんなに虐げられても、国民を味方につけた真の教育をすれば、たちどころに思いを遂げることは出来るのに、と思えてならないのです。頭がよくても、賢さがないと思えてならないのです。

タイトル---富家の戒め。第1185号 24.03.20(火)

 

 寺田一清著『二宮尊徳』一日一言、3月16日をご紹介致します。


16日 富家の戒め

 

ここに長く富貴を維持し、富貴を保つべきは、只我道推譲の教あるのみ。富家の子弟、此の推譲の道を踏まざれば千百万の金ありといへども、馬糞茸(ばふんだけ)と何ぞ異ならん。夫れ馬糞茸は季候に依って生じ幾程もなく腐敗し、世上の用にならず、只徒らに滅するのみ。(夜話二四)


【略解】 世の中には、このような一時成金の家も多く目にする所です。


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 遅ればせながら、寺田先生に昨日、メール速達便で御礼状と拙著を送付しました。18日の反省会終盤には『修身教授録』の話題で賑わいました。

 安岡先生の教えと方向性は同じなのですが、森先生、寺田先生の書は、普通の人々がお読みになってすぐ理解できるものであります。そこに、庶民を啓蒙しようとの深遠な哲理が込められていると読んでいます。

 政治等に関心がないからと言っても、人皆恩恵をうけている訳です。その関心がない人々の純真な思いを為政者は、上に立つ人は、大事にしてあげなければならないと思います。そういった意味で寺田先生の訓戒も『南洲翁遺訓』同様、素晴らしいと思います。

 それにしても政治家の人々は、税・税・税と庶民を苦しめることばかりを決めたがるのでしょう。


 昨夜のたけし番組で、社会保険庁天下り軍団・シロアリ集団が報道されました。このようなものがまだまだあるような気が致します。それらにメスを入れずして、庶民から搾り取ることだけを優先したら、本当の鉄槌を受けるでしょう。足腰立たなくなるような、鉄槌です。


タイトル---推譲の道。第1180号 24.03.13(火)


 昨日に引き続き、寺田一清著『二宮尊徳一日一言』、3月13日をご紹介します。私のブログを見て本を購入し、読んでください。それがご家族様の幸せにつながるのです。健康で長生きをし、幸せになりたいのなら---。テレビを見るよりかはるかに有益だと自負しています。


 3月13日 推譲の道


 推譲の道は百石の身代の者、五十石にして暮らしを立て、五十石を譲るを云ふ。此の推譲の法は、我が教え第一の法にして、則ち家産維持且つ漸次増殖の方法なり。家産を永遠に維持すべき道は、此の外になし。(夜話一四六)


【略解】 尊徳翁の教えの中でも、此の分度推譲の道は、筆頭第一の教えと言われるものです。


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 円心会関係者の皆様、先日道場でご挨拶して頂いた寺田先生のお姿を覚えていますか。86歳にして、益々元気になり矍鑠としているお姿、私は、菩薩そのものだと受け取りました。推譲の道の教えは『南洲翁遺訓』の教えと同じなのです。


 さて、あなたのお子様が、寺田先生みたいになってほしいとお思いになりませんか。寺田先生のご講話を聴き、道場で一緒に空手道と『南洲翁遺訓』の発表、約束3本組手をご覧になられたある母親様は、子供の生涯に匹敵する財産だった、一億円の値打ちがある発表風景であったと感想を述べてくださいました。

 心の持ちようで、価値観を変えるだけで、お子様の将来が変わるのです。


 閑話休題


 今日の読売新聞社説に「大阪維新の会は、人気先行の面は否めない」とありますが、前回も書きましたが、仕事がない、金がない弱者を救済してください、という人々の願いだと私は思います。特権階級の方々だけいい思いをするのを苛斂誅求をほしいままにしている、というのです。なぜ、救おうとしないのでしょう。

タイトル---不生不滅。第1179号 24.03.12(月)

 寺田一清著『二宮尊徳一日一言』の3月11日をご紹介します。

ブログをご覧になられた方、是非、寺田先生のご著書をお求めになり、お読みください。森信三先生の教えを世の人々に、お教えする人生最高のご著書でございます。こういった教えを学び、日々に実践すれば、天災地変も幾らか減少するのではと、独り言をくりかえしています。現政権の偉い方々のやり方だと、天は益々怒り、天災地変も増えるのではないかと愚考しています。


 3月11日  不生不滅


 生きしにと世のはかなさをよくみれば

 

   氷と水と名のみかわりて

                             (二宮翁道歌)


 【略解】 生死の問題は形の上からは、万物無常の世界でありますが、氷が解けて、水と化するように、固体が液体に変わったようなものですと、一応解釈できますが、なかなか大認自証は難しいものです。

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〔コメント〕 私の詩吟道師匠であった竹下先生は、「大認自証」したと思っています。30年詩吟道の師弟関係にあり、その間、杯を酌み交わしたものです。西郷隆盛になりきりたいとの気持ちもあったようでした。そのように生きたと私はみています。250首の漢詩を詠み従容として旅立ちしたのです。私もそうありたいとかねがね思っています。

タイトル---人の人たる所以。第1176号 24.03.09(金)


 昨日は寺田一清先生のご著書『二宮尊徳一日一言』の3月8日のところをご紹介しました。今日は3月9日のところをご紹介致します。


 9日 人の人たる所以


 人にして徒に目前の利を謀らば、則ち禽獣となんぞ択ばんや。人の人たる所以は推譲にあり。此に一粒栗あり。直ちに之を食えば則ちただ一粒のみ。若し推して以て之を種え、秋実を待って食えば、則ち百粒を食うも、猶お且つ余りあり。是れ則ち、万世不易の人道なり。


【略解】 人間と禽獣の異なる点は、推譲の如何と、将来への備蓄ができるかどうかである。


〔コメント〕 時代が急テンポで進む関係ばかりとは思いませんが、禽獣ではないか、と思われる人がいると聞いたことがあります。人間には人間の理(ことわり)があるのですから、精神的な高尚さを構築したいものです。そういった積み重ねが出来た時、人生の本当の喜びを味わうことが出来、従容として旅路につくことができるだろうと思います。私の詩吟道の師匠・竹下先生はそういう晩年を送りました。数多いる仲間の中で私にはそういう心境を何時も吐露していたものです。


 昼前、薩摩川内市の松田先生から電話があり、荘内の伊藤ふみ子様へお葉書を出したら、すぐお返事があったとの連絡がありました。とても達筆な文字で書かれ、鹿児島での交流会で暖かく迎えてくれたこと、そして空手道場の見学を終えバスでお帰りになるとき、子供たちが最後までおみ送りしてくれて嬉しかったと書いてあられるとのことでした。


 荘内の皆様をお迎えするについて、ひと月前から誠心誠意取り組んできて、当日を迎えた訳ですが、所期の目的を果たすことが出来、そして皆様がお喜びになられたと聞いてうれしく存じている次第です。


 こういったイベントは何回もしていることとは申せ、手抜かりがあってはならぬと念を入れて取り組んだ次第でした。男夫婦と言われている大坪師範とも呼吸が合い、順調に事を運ぶことができました。


 今日は昼から快晴になりましたので、道場の仮小屋を組み立てていた材木を日干しにし、金具等にも油をかけ所定の位置にしまいました。確定申告も終わりましたので、通常の業務をしたいと思います。18日は薩摩南洲会と合わせ、今回の反省会をしたいと思います。