タイトル---あせらずおこたらず。第1202号 24.04.04(水)

 

 寺田一清編『二宮尊徳一日一言』4月4日をご紹介します。


 4月4日 あらせずおこたらず


 昔の木の実、今の大木、今の木の実、後世の大木なる事を、能々(よくよく)弁えて大を羨まず、小を恥じず、速やかならん事を欲せず、日夜怠らず勤むるを肝要とす。

「むかし蒔く木の実大木と成りにけり、今蒔く木の実後の大木ぞ」(夜話一六三)


【略解】 事の成就は、日夜あせらず、なまけず、おこたらずの勤勉の労による。



〔コメント〕 ありふれているかも知れませんが、素晴らしい訓戒だと思います。私自身、この訓戒どおり日々実践しているつもりですが、やり方が悪いらしくて成就していませんが、それでも楽しんで続けています。

 たまたま拙著を出版したお蔭でいろいろな方との出会いがありました。その方々は、今回の尊徳翁の教えを実践し、見挙げる巨人になっています。薩摩川内市在住の方も。要は、どんなことでも一歩からだと思います。


 私の役目は、天職は、円心会に集うヤンチャたちに生きる楽しさ、意義、そして健康と長生きを教えたいと思っています。勿論長生きは80歳を超えることが出来てからのことですが。

 そのためにはくだらないテレビ報道に翻弄されないことだと思います。これを書く少し前に天風師述『いつまでも若々しく生きる』を聞いてみました。これこそが正論だと私は思います。

タイトル---勤・倹・譲。第1200号 24.04.02(月)

 寺田一清編『二宮尊徳一日一言』4月1日をご紹介致します。



1日 勤・倹・譲


我が道は勤倹譲の三つにあり。勤とは衣食住になるべき物品を勤めて産出するにあり。倹とは産み出したる物品を費やさざるを云ふ。譲は此の三つを他に及ぼすを云ふ。扨て譲は種々あり。今年の物を来年の為に貯ふるも則ち譲なり。

 夫れより子孫に譲ると、親戚朋友に譲ると、郷里に譲ると、国家に譲るなり。其の身その身の分限に依って勤め行ふべし。(夜話続四三)


【略解】 尊徳翁の三本柱「勤・倹・譲」を簡明に説かれたものです。

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 〔コメント〕 私自身、郷里にも国家にも譲るものは全くない貧者の生活をしていますが、私の道場に集ってくる子どもたちに、人生の意義を教えることにしています。先ず第一は、人様に対して意地悪をしないこと、暴力を振るわない事、暴言を吐かない事等です。そして贅沢をしないこと、勤勉であること、忠恕の精神であること、物事をやり出したら継続すること等であります。

 最近、スピード違反で検挙され収監されている方からお手紙を戴き、援助を求めてきましたので、出来ることはしてあげようと二回返信を出しました。


 間もなく73歳になりますが、コメントに書いたことの真逆のことをすると健康と長生きに支障があるということです。ハッキリいえば長生きしないということです。そういう多くの事例をみてきました。


 ある方は57歳の頃、会社に出勤した朝、職場で倒れ救急車で運ばれました。80歳過ぎた今までに救急車で5回運ばれました。現在は、自分で動くのがやっとという処です。技術が優れていた優越性をもって、人を罵倒したり見下げたりしていたものです。

 ある人は管理職になって請負会社に天下りしましたが、60歳くらいで他界しました。現職時代は毎晩ビールを20本飲んでいました。国技館クラスの体格で、暴飲暴力したい放題で、請負会社の支店長がパトロールで不在になると、すぐ会社を抜け出し酒飲みにいっていました。

 仕事に必要なデータは自分で調査をせず、同類の後輩から手に入れて悠々としていました。そして年金も少ししか貰うことなく、旅立ったのでした。


 天風論、幸田露伴論その他学問を通じて天の理を説いた碩学の著書を拝読し、自然の理に背いた生き方をした場合の報いが厳然としてあるのだ、ということを痛切に身に染みている昨今です。いわゆる人の道に背かない生き方こそが、人生を謳歌出来るのだ、ということを子どもたちに言い聞かせているのです。

 そこに行くと、我が空手道師範仲間の人生に処する態度の清廉な事、勤勉なこと、度量豊かな事、『菊と刀』に象徴される刀剣道を極める生き方、寸分の隙もないほどです。

 そいういう師範たちに檄を戴きながら、ホソボソと子どもたちと、『南洲翁遺訓』と空手道の道に邁進している処です。

 日本航空を退社し、薩摩川内市に帰ってきた方から、三年ほど前からご親交を賜り、寺田先生をご紹介して戴きました。そしてハガキ道を薦められ取組みだした処でございます。この方は、まさしく人間の生きるお手本と形容できる素晴らしい先生なのでございます。

タイトル---逆徒の存在。第1196号 24.03.29(木)

 前号に続き『二宮尊徳一日一言』3月29日をご紹介致します。こうしてご紹介しながら教えられることばかりてす。購入しお手元におかれたら如何でしょうか。


 3月29日 逆徒の存在


 小田原の吏某(なにがし)なるもの性甚だ剛悍にして先生の徳行を忌み其の事業を妨ぐ。先生の処置する所は悉く僻論を以て之を破り、邑中に出づれば、この件々を二宮命ぜりと雖も我之を許さず。若しわが言に従はずんば必ず汝等を罰せんと云う。某常に先生の功業を破るを以て心とす。(報徳記)


【註】 先生も大いに困ったわけですが婦人に命じて酒肴を以て労をねぎらい、終日酒肴を絶つこと勿れと命じられました。

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 〔コメント〕 似たような話を別な本で読んだ記憶があります。たまにはどうしようもない、手に負えない人もいるものです。これが核をまき散らす訳ではないので、酒肴でもてなす方法が、平和的なのかもしれません。

 人間の幸せとはどういうことなのでしょうか。汗水たらして働くことか、また、酒肴三昧で日々を過ごすことか。

 近くのパチンコ店に入り浸っている人は、どの種にはいるのでしょう。




 

タイトル---朝に道を聞かば夕に死すとも可なり。第1193号 24.03.27(火)

 

 この言葉は『論語』里人第四に出てくる言葉です。人が人としてかくあるべき道、いわゆる当然行わなくてはならぬ人たるの道を知ることができたら、かりにその晩に死んでも差支えないであろう。


 これは『中庸』に言う、「性に率(したが)う、之を道と謂う」とあるところの道で、人してかくあるべき道のことでもありましょう。

 人生の真の意義は、ただ生きる、長く生きるかということではなく、如何に、深く、真実に徹して生きるかということでありましょう。

 

 歴史を遡れば、二十歳そこそこの若さで生を閉じた人が、五百年後の今日もなお、人々から惜しまれている現実もあるのです。之れ畢竟、その人の生き様が至誠の故であったということであろうと思います。


 翻って、今日の政治家諸氏で右へ行ったり左へいったりと、適当に弁じている御仁がいますが、人は勿論、天も静かに観察しているのだと思います。

 人々を老獪してはならないのです。

 

タイトル---国家衰弊の原(もと)。第1191号 24.03.25(日)

 

 寺田一清編『二宮尊徳』一日一言より紹介します。


 3月24日 国家衰弊の原(もと)。


国家衰弊の原(もと)二あり。

富者の費、貧苦の費、是れなり。

富者の費は奢侈なり。

貧者の費は怠惰なり。

                     (金言集) 

【註】 費とは消費、浪費を意味する。富者の金のムダ使いと貧者の時間のムダ使いを明確に指摘しています。

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 〔コメント〕 現政権のバラマキもこの範疇に入るでしょう。そして金はあるのに、財務省官僚らの贅沢のための消費税値上げは、まさしく「富者の費」ということでしょう。これまさしく国家衰弊の元凶というべきではないのでしょうか。


 先ほど、お墓詣りに行ってきました。ついでに知人宅へも立ちよりました。そこのご婦人曰く、政治家も減らすことなく、公務員も減らすことなく、なんで生活苦にあえいでいる我々から金をむしりとるのか、と息巻いていました。同感です。