千日紅



千日紅とワレモコウはちょっと似てるのに、百日紅はサルスベリで全然違うのも面白いです。

一週空いちゃいました。すみません。

先週、今週と続き記事で、それぞれ
「エホバ​から​の​素晴らしい​招待」
「ずっ​と​エホバ​の​友​で​いる」
ってタイトルでした。

内容は、どちらも「神と親密な関係を築くことができる」というもので、まあ普通のキリスト教で教えてることと、あんまり違わないんじゃないかなぁと思いました。

聖書信じてる人にのべつ幕なしに喧嘩を売る気もないので、「これはおかしいだろ!」と思ったところに順に突っ込みますね。

まず先週の分から。
5節。

エゼキエル​の​預言​から,ご自分​に​仕える​人​たち​と​親しく​なり​たい​と​いう​エホバ​の​温かい​気持ち​が​分かり​ます。エホバ​は,その​人​たち​と「平和​の​契約」を​結ぶ​と​約束​し​て​い​ます。この​預言​は,天​に​行く​希望​を​持つ​人​たち​と​地球​で​生きる​希望​を​持つ​人​たち​が「1​つ​の​群れ」に​なっ​て​エホバ​の​天幕​に​集まる​時​の​こと​を​言っ​て​い​ます。

まずこの適用がおかしいと思いました。
エゼキエルの預言ですよ。
そんなバビロン捕囚時代の預言が、現代のことを指してるなんで本気で思ってんですか?!
このあとのヨハネに書かれてるイエスの言葉だってそうです。時代背景から見れば、ほかの羊はユダヤ人以外の人のことに決まってるじゃないですか。
現代に当てはまることにするために、無理矢理捻じ曲げて解釈するのは、聖書を歪めていると思います。


6節。
私たち​は​献身​し​た​時,いわば​エホバ​の​天幕​に​迎え入れ​て​いただき​まし​た。

はい。根拠なし。
神との関係に献身が必須ってのも納得できないんですよねぇ。
コルネリオなんか聖霊受けてからのバプテスマでしょ?
ナアマンも献身なんかしてなかったでしょ?
例外が一個でも有ったら、それは「正」ではありません。


9節。
誰​か​の​家​に​招か​れ​た​場合,その​家​の​人​の​失礼​に​なら​ない​よう​に​し​たい​と​思う​でしょ​う。もし​家​の​人​が​家​に​入る​前​に​靴​を​脱い​で​ほしい​と​思っ​て​いる​なら,喜ん​で​そう​する​はず​です。同じ​よう​に,エホバ​の​天幕​に​とどまり​たい​なら,エホバ​が​どんな​こと​を​望ん​で​いる​か​を​ぜひ​知り​たい​と​思う​こと​でしょ​う。私たち​は​エホバ​を​愛し​て​いる​の​で,できる​限り​の​こと​を​し​て「全て​の​点​で​神​に​喜ば​れ」る​人​に​なろ​う​と​し​ます。

力が入り過ぎなんですよねぇ。
前半は良いんですよ。
でも家に招待されたからって、家の人に失礼にならないように「できる​限り​の​こと​を​し​て全ての点で喜ばれるように」とか考えます?
考えないでしょう?
なんか、ここを読むとエホバが「ルールをめっちゃ作って、従わないと幕屋から叩き出す」ような奴にしか見えないんですよ。
で、いきなりキレられると怖いから、こっちはお邪魔してる間中、顔色伺ってる。
普通なら、その人のことを喜んで招待したんだから、ある程度の基準さえ守ってもらえれば、多少行き違いがあっても、気にしないか、優しく教えてくれるもんなんじゃないですかね?


先週の記事の最後。13節。
兄弟​姉妹​の​中​に​は,エホバ​の​証人​の​世界​本部​や​支部​事務​所​の​近く​に​住ん​で​いる​人​が​い​ます。そこで​働い​て​いる​人​も​い​ます。その​よう​な​人​たち​は,そこで​行わ​れ​て​いる​いろいろ​な​活動​に​直接​関わっ​たり,責任​を​委ね​られ​て​いる​兄弟​たち​と​個人​的​に​知り合っ​たり​する​機会​が​ある​か​も​しれ​ませ​ん。

これも馬鹿みたい。
救いはキリストからなんでしょ?
「責任​を​委ね​られ​て​いる​兄弟​たち​」なんか、ただの人でしかないんですよ。そんなのにまるで多少なりとも価値があるかのように書いてるのがめちゃめちゃ馬鹿みたいです。


ほんじゃ次。今週の記事から。
5節。
「非難​さ​れる​ところ​が​なく,正しい​こと​を​行[う]」人​と​エホバ​から​見​て​もらう​ため​に​は,集会​に​定期​的​に​参加​し​て​いる​だけ​で​は​不​十分​です。生活​の​全て​の​面​で​エホバ​に​従う​よう​に​努力​し​なけれ​ば​なり​ませ​ん。1​人​で​いる​時​で​あっ​て​も​そう​です。

なんで、「集会」がこんなに前面に出てきてるんですかね?
むしろ、生活の中で神に従うように努力してれば、「集会」なんかどうでも良いんじゃないでしょうか。
なんか、枝葉のことを前面に押し出して、さも重要であるかのように見せてるのがいやらしいと思いました。


次。7節。
うそ​を​つか​ない​と​いう​だけ​で​は​不​十分​です。エホバ​は,私たち​が​話す​こと​や​する​こと​など​全て​の​点​で​正直​で​ある​こと​を​願っ​て​い​ます。この​こと​は​大切​です。「エホバ​は,欺く​人​を​ひどく​嫌い,正直​な​人​たち​を​親しい​友​と​する​から」です。

こんな事言ってますけど、「1914年にキリストの臨在を認識した人の世代が生きている間に終わりが来る」って嘘を大々的に広めた奴等は、エホバにひどく嫌われてるってことでいいんてすかね?
あと、やっぱり大々的に子供を鞭打つように指導してたくせに、それを認めないとか、正直さが欠片も見当たらないんですけど、エホバに喧嘩売ってんですかね?


10節。
エホバ​の​天幕​に​いる​人​は「中傷​せ​ず,周り​の​人​に​何​も​悪い​こと​を​せ​ず,友​を​けな」し​ませ​ん。

ここもおかしいよね。
このあと「中傷」にばかり焦点当ててっけど、後半はどうよ?
周りの人に悪いことしかしてなくね?
「友をけなしません」とか言ってっけど、悪いところを見つけちゃ排斥とか言ってすぐ追い出してるよね。
エホバの天幕からは遠く離れたところにいるんでしょうね、きっと。


最後。15節。
エホバ​から​見​て「卑劣​な」行い​を​し​て​いる​人​だけ​を​退ける​べき​です。(コリ​一 5:11)それ​に​は,悪い​行い​を​改め​よう​と​し​ない​人​や,私たち​の​信じ​て​いる​こと​の​価値​を​認め​よう​と​し​ない​人,また​エホバ​と​の​絆​を​壊そ​う​と​する​人​が​含ま​れ​ます。

これ、コリントの聖句読んだか?
ここで書かれてんのは
兄弟と呼ばれる人で,淫行の者,貪欲な者,偶像を礼拝する者,ののしる者,大酒飲み,あるいはゆすり取る者

だぞ。
「私たち​の​信じ​て​いる​こと​の​価値​を​認め​よう​と​し​ない​人,また​エホバ​と​の​絆​を​壊そ​う​と​する​人」なんて、出てきてないんですけどねえ。
こういう、書かれてない事をさも書かれてるかのように信者に強制しようとするのが、『エホバ​から​見​て「卑劣​な」行い』だと思います。


今週は以上です。