ちゅーりっぷほか
いやー、いい季節ですね。
もう、桜は散っちゃいましたが、八重桜は咲いてる、サツキ(ツツジ?)も咲いてる、ムラサキツメクサも咲いてる、電車からしか見てませんが藤も咲いてる。
5月のはじめには立夏ですから、やっぱり植物が元気なんでしょうねぇ。
まあ、葛も伸び始めてますけど。
さて、今週の記事についてです。
まあね。
神を賛美することには反対はしませんよ。
この記事では、そうすることの理由について。
1 神が喜んでくださるから
2 イエスが喜んでくださるから
3 他の人の命を救うことになるから
としていました。
気になったのは、なんかやたらうがった見方をしているってことと、「神の名」を賛美することが、本当に「名前」を賛美することになってたりすることでした。
まずは、うがった見方を2箇所。
1個目。4節。
私たちがエホバの名を賛美する時,エホバは喜んでくれます。ある人は,不安で自信がないので褒め言葉が欲しいと思うかもしれませんが,全能の神であるエホバはそうではありません。
神が、賛美を喜んでくださるってことから、「不安で自信がないので褒め言葉が欲しいと思う」を連想する神経が分かりません。
この後これを否定する例えが出てきてましたが、そもそも、人がほめられて喜んでいる時に、それを「不安」だの「自信のなさ」の表れだと考える奴なんかそうそういないと思うんですよ。
ましてや「神」ですよ。
神が、「自信が無くて人間からの賛美を欲している」とか、考えつくだけでも失礼極まりないと思います。
もちろん結論では否定してるんですが、なんでこの組織はそんな見方を思い付くんでしょうかね?
2個目。6節。
エホバの聖なる名はどんな言葉でも賛美しきれないということを謙虚に認めていました。このように自分の小ささを認めつつ心から捧げられる賛美を聞いて,エホバはとても喜んだに違いありません。
「どんな言葉でも賛美しきれない」ということは、別に「自分の小ささを認め」てるのとは違うんじゃない?
「どんな言葉でも賛美しきれない」っていうのは、単に神の偉大さを強調してるだけでしょ?
「A国の山火事は、日本の全消防車を持って行っても消せない規模だった」って言ったとしても、日本の消防能力の小ささを言ってることにはならないでしょ?
それなのになんで「自分の小ささ」とかわざわざ持って来るの?
性格激悪なの?
次。「神の名」を賛美することが、本当に「名前」を賛美することになってる箇所。
これも6節から。
ダビデはエホバの名を賛美するなら,エホバを賛美していることになるということを理解していました。エホバの名には評判が含まれているので,それはエホバの素晴らしい性格や行いを連想させます。
「エホバの名には評判が含まれている」ってあるけど、「名」って「評判」そのものだよね。
むしろ「評判」を完全に除いて「名」を賛美することってあるの?
「エホバ」という名の、響きが素晴らしいとか、綴りが素晴らしいとか賛美するの?
それ却って馬鹿にしてるよね。
ここの書き方だと、エホバを賛美することと、エホバの名を賛美することが違うことになってるけど、同じことだと思います。
その流れで10節では
イエスはほかの人にもエホバの名前を使ってほしいと思っていたでしょうか。確かにそう思っていました。
とか出てくるんですけど、エホバという名前を使うことと、エホバの名を賛美することとは、全然別だと思うんですよ。
神がして下さったことを認識したり、それに感謝したり、それを讃えることはぶっちゃけ名前なんか知らなくたってできないことはありませんから。
この組織は、「エホバ」という読み方にこだわって、16節にも
神の名前がエホバだというシンプルな真理も,誠実な人たちの生き方に大きな影響を与えることがあります。
とか書いてますが、「エホバ」が唯一の正しい読み方だという根拠もありません。
たぶん組織も「ヤハウェ」読みなどをはっきりとは否定していないはずです。
それなのに文字通りの「名」と、評判を表す「名」をごっちゃにして分かりにくくしてるのが、気になりました。
じゃ、後は細かい箇所に突っ込みます。
7節。
私たちがエホバに倣うなら,人々はこの悪い世の中にあって,私たちの生き方が違うことに気付き,興味を持つかもしれません。
「生き方が違う」って、子供を鞭で虐待したこととか、狂信的に輸血を拒否して、自分じゃ判断できない年齢の子供を死に追いやったこととか、教育の機会を取り上げることとか、信者が精神を病む確立がやたらめったら高いこととかですかね?
それとも、他の宗教をボロカスに貶すこととか、政府からの指導に従わないこととか、逆に政府に優遇してもらえなくなると、今まで信者に強制していた基準を手のひらを返したように無かったことにすることとかでしょうか。興味を持ってもらえても、悪名ばかり広まりそうです。
次。上を踏まえて14節。
私たちが伝道を行うなら,サタンの思い通りにはなりません。エホバについて人々に伝えることによって神の名を賛美することができます。
あー。
賛美どころか、逆に悪評を招きそうですよ。
最後。16節。
組織としての宗教には関わりたくないと思っていました。宗教が教えていることと実際に行っていることの違いをたくさん目にしてきたからです。
お前が言うな!
今週は以上です。
せっかくなので、春っぽい写真をいくつか載せておきますね。