ユキヤナギ。



綺麗ですよね。

多摩川の河川敷で、点々と真っ白に咲いてるのを見ると嬉しくなります。

染井吉野も咲き始めました。素晴らしい季節ですね。



さて今週の記事についてです。


主題は「エホバ​は​あなた​の​こと​を​心​から​愛し​て​い​ます」でした。


でもねぇ。


先週と同じ突っ込みになるんですけど、愛しているってだけで、大したことしてくれないんですよねぇ。

いや、してくれてるのかもしれませんが、それがはっきりと分かるわけではない。


もちろん贖いは貴重なものでしょう。

でも、そんな2000年も前に示されたっきりのことに、今でも死ぬほど感謝して、それに命をかけられるってほどまでは、さすがに心に訴えないんですよ。

まあ、私がクリスチャンでなくなっているってことなんでしょうけど。


ここで、こんなことを考える事自体、「神様はもうちょっとしっかり何かしらしてくださるはず」と私が勘違いしていたことの証拠というか、組織のミスリードに乗せられていた結果なのかなぁと思ったり。

であれば、逆に先週や今週の記事のように、神から確実に与えられるものは基本的には「心の平安」だけで、何か他の物も与えられるかもしれないけどそれについては保証されてはいない、というガッカリな結論こそが、実はキリスト教のあるべき状態なのかなぁ、と考えたり。


そんな変な方向に黙想が進んで行っちゃってます。


ほんじゃ、その「神の愛はいまいち役に立ってない」ってことから突っ込みますかね。

4節。

聖書​の​中​で​エホバ​は​ご自分​の​こと​を​愛情​深い​母親​に​例え​て​い​ます。幼い​子供​を​優しく​世話​し​て​いる​お母さん​の​様子​を​イメージ​し​て​み​て​ください。(中略)私たち​も​つらい​とき,エホバ​が​この​母親​の​よう​に​行動​し​て​くれる​こと​を​確信​でき​ます。詩編​作者​は​こう​書き​まし​た。「心配事​で​圧倒​さ​れ​そう​な​時,あなた​は​私​を​安心​さ​せ,落ち着か​せ​て​くださっ​た」。


挿絵は赤ちゃんを抱っこしてるおかあさんでした。


前回も書きましたが、「安心」は与えてくれるのかもしれないんですけど、実際的な助けが欲しいんですよ、こっちは。

母親は赤ちゃんの一切合切を世話してくれていますが、神様からそうされてる印象はあまりないんですよ。

もし、そうしてもらってるなら、JWが世の人としている人もほぼほぼ同じだけ世話してもらってることになりますし、世紀の極悪人も同様に世話してもらってることになります。


神様を愛している人に対する特別な配慮は無いんですかね?







無いんでしょうね。




次。

6節。

エホバ​は​私たち​の​こと​を​瞳​に​例え​て​い​ます。目​は​体​の​中​で​も​特に​傷つき​やすく,大切​な​部分​です。エホバ​は「あなた​が​傷つく​時,私​も​大切​な​もの​を​傷つけ​られ​て​いる​よう​に​感じる」と​言っ​て​いる​か​の​よう​です。


いや、大切に思ってもらえるのはありがたいですよ。

でも、こっちとしては守って欲しいんですよ。

とりあえずまぶた閉じろ、と。

顔を背けろ、と。

相手の手を払え、と。


「いやー、こいつめっちゃ瞳触ってくるやん!」とか思いながら、そのまま触らせておくなよ。



で、守ってもらえない例が16節。

レイチェル​姉妹​の​例​を​考え​て​み​ましょ​う。姉妹​は,コロナ​の​パンデミック​中​に​夫​が​エホバ​から​離れ,家​を​出​て​いっ​て​しまっ​た​時,とても​大きな​ショック​を​受け​まし​た。エホバ​は​姉妹​の​ため​に​どんな​こと​を​し​た​でしょ​う​か。姉妹​は​こう​言っ​て​い​ます。「エホバ​に​愛さ​れ​て​いる​こと​を​実感​できる​よう​に​し​て​ください​まし​た。兄弟​姉妹​は​一緒​に​時間​を​過ごし,食事​を​届け​て​くれ​まし​た。温かい​メッセージ​や​聖句​を​送っ​たり,ほほ笑ん​で​安心​さ​せ​たり​も​し​て​くれ​まし​た。エホバ​が​私​の​こと​を​気遣っ​て​くださっ​て​いる​こと​を​思い起こせる​よう​に​も​し​て​くれ​まし​た。エホバ​が​この​よう​な​温かい​家族​を​与え​て​くださっ​た​こと​に​いつも​感謝​し​て​い​ます」。


これも、レイチェルが必要としているのは、できれば「夫が帰ってくること」で、だめなら「安心して生活する手段」ですよね。

それに対してエホバがやってくれたことはと言えば、「愛さ​れ​て​いる​こと​を​実感​できる​よう​に​し​て​ください​まし​た。」だけ。




はあー、使えねー。




って言いたくなりませんか?



結局、愛されてるかもしれんし、大切に思われてるかもしれんけど、守られてないのよ。


そう考えると、「神の愛はいまいち役に立ってない」って結論に行き着くんですよねぇ。


この辺は聖書も一般のキリスト教も敵に回すことになるので、これ以上考えないことにします。



さて、後は細かい箇所に突っ込みます。

まず1節。

私たち​は​エホバ​の​姿​を​見る​こと​は​でき​ませ​ん​が,聖書​の​いろんな​表現​から​エホバ​が​どんな​方​か​に​つい​て​知る​こと​が​でき​ます。例えば,エホバ​は「太陽,盾」,「焼き尽くす​火」と​表現​さ​れ​て​い​ます。


なんでここで、「イエス」を出さないんですかね?

イエスご自身が「わたし​を​見​た​者​は,父​を[も]見​た​の​です。」って言っておられるんですから、「神のイメージ」を考えるときに真っ先に浮かぶべきなのは、杉浦太陽とか焼き尽くす火とかじゃなくて、イエスであるべきだと思います。



次。

5節。

何​か​重大​な​間違い​を​犯し​た​と​し​て​も,エホバ​は​私たち​の​こと​を​見捨て​たり​し​ませ​ん。


んじゃなんで、この組織は人をぽんぽん排斥にするんですかね?

しかも、排斥になった根拠が間違ってたと分かっても、謝罪どころか取り消しもしないですよね?

エホバが許しても俺は許さんっ!って思ってるってことですかね。神を踏み越えるとかいい度胸してますね。



9節。

エホバ​は​天​に​行く​よう​選ば​れ​た​人​たち​に​も​愛​を​表し​て​い​ます。


ここ、特出しする必要無いよね?!

同じ節に、

エホバ​は​私たち​全て​の​こと​を​愛し​て​い​ます。


ってあるんだから、それで十分だよね?



最後。

10節。

エホバ​は​私たち​を​愛し​て​いる​の​で,ご自分​に​とっ​て​一番​大切​な​息子​で​ある​イエス​が​苦しん​で​死ぬ​の​を​許す​こと​まで​し​まし​た。


ここももう納得できなくなっちゃったんですよねぇ。

塩狩峠の話あるじゃないですか。

乗客助けるために、自分が線路に飛び込んで犠牲になった機関士の話。

あれのミニ版を考えてみて。

観光バスに家族全員で乗っててブレーキが故障したとする。外から操作すれば止められるけど外に出た人は助からない。


そこで「よし!長男にやらせよう!」ってなるか?


しかもそれが「一番​大切​な​息子」らしい。


この前も書いたけど、全能者であり、ルール作ってるのが神なんだから、他の手段でバスを止められたんじゃないかとか考え出すと、どうも聖書自体に納得できなくなっちゃうんですよねぇ。


別にキリスト教にも聖書にも喧嘩を売りたいわけではないので、今週は以上です。