枝垂れ梅。
これも毎年お世話になってる花です。たぶん。
ちなみに撮影は2月半ば。この時はやっと咲いた感じでしたが、今はもうほとんど散っています。
ほんじゃ今週の記事について。
今週は記念式についてでした。
まず全体に突っ込みたいと思います。
JWは記念式を「1年で一番大切な日」とか取り上げてことさら強調しますけど、そこまで重要とも思えないんですよ。
なぜ重要かについて、今週の記事の1節では
エホバに仕える人たちは,キリストの死の記念式を1年で一番大切にしています。それはイエスが行うようにと弟子たちに命じた,たった一つの行事だからです。
なんて書いてました。
でもさあ。
なんだかんだ言って、イエスっていろいろ命令してるじゃん。
確かに行事っぽいのは「記念式」しかないかもしれませんが、イエスが「これを行事として行い続けなさい」って言ったわけでもないし、「これを行わない者は王国に入ることはできません」って言ったわけでもありません。
そんなに目くじら立ててやらなきゃいけないことじゃないんじゃないかなぁと。
JWはこれを厳守するのを誇りに思っていて、なんか投獄されていてもどうにかして無酵母パンとワインを手に入れて記念式を祝う、とかやってんですよ。
命の危険を冒して誰も飲まないワイン手に入れるとか愚の骨頂だろ。
ちなみにダビデは、部下が命懸けで水を手に入れた時は、それを「血と同じ」として捨ててたぞ。
ちなみに私は現役の時でも、仕事が入ったら記念式休んでました。
仕事が入らないように、精一杯努力したのにダメってことは、神もそんなに無理して出席することを望んでない証拠だからね。
あと、記念式に来る途中でひったくりに自転車の籠から荷物を取られて、警察に行かなきゃいけなくなって欠席した姉妹とかもいましたね。
開拓してかなり貧しい生活してんのに、あんまりじゃないですか。
神様もそんなに重要な行事なら、ひったくりぐらい止めてやれよ。数億のみ使いがいるんだろ。たかだか数百万の信者守れないなんてサボっt
では、細かい突っ込みに進みたいと思います。
記念式をする目的について。
2節では
記念式に出席するなら,贖いの価値を思い返すことができます。イエスの犠牲に対してどうすれば感謝を示すことができるかを学ぶこともできます。また,記念式は兄弟姉妹と「励まし合う」機会となります。
とか書いてありました。
これさぁ。
別に記念式じゃなくっても良くね?
クリスチャンなら普段から、食事のたんびに祈ってたり、起きた時や寝る前にも祈ってたりするじゃん。ざっくり言うと歯磨きと同じ回数祈ってる。
その中で、贖いの価値を思い起こすことも、感謝とかもいつでもやってるわけじゃん。
別に記念式じゃなくてもいいでしょ。
『兄弟姉妹と「励まし合う」』ってのも、年に1回しか会わないならともかく、週に2回(ちょっと前までは3回)も会ってるじゃん。
記念式1回増えたぐらいで、なんにも変わりゃしねーよ。だいたい今年なんか記念式のおかげで集会1回休みだろ。プラマイ0じゃねーか。
ってことは、別に記念式に出席する理由も大してないってことだね。
次、13節。
記念式に招待することについて。
記念式に来てもらうために,どんなことができますか。まずは招待しましょう。普段の伝道で出会う人に加えて,招待したい人をリストアップしてみるのはどうでしょうか。
これもさぁ、イエスがほんとに望んでんの?
イエスが記念式を制定した時は、マリアもその他の忠実な人たちも誰も呼ばずに、弟子たちとだけ過ごしてたんだろ。
こんなのべつ幕なしに誰でも彼でも読んで良いもんじゃないでしょ。
先週うちにも招待状が来たって書きましたけど、イスカリオテのユダなんか途中で追い出されたんだよ?
こんなブログ書いてる奴なんか招待しちゃダメに決まってんだろ。
JWの14,4000人の解釈は私は納得できませんが、そんなに契約の当事者とその他を分けたいなら、記念式も当事者だけでやってろ、とも思います。
次。聖書への突っ込みになるんですけど10節。
イエスがたくさんの試練に耐えるのを,エホバはどんな思いで見ていたのでしょうか。自分の息子がみんなから退けられ,虐待され,苦しむ様子を見るのは,エホバにとって本当につらいことだったに違いありません。
JWから離れてこれだけ経つと、この辺もおかしく感じるんですよねぇ。
だって物理法則も何もかも、エホバが作ったわけでしょ?
だったら親の罪が子に遺伝しないようにしとけば、アダムとエバは死ぬけど、子孫は死ななくて済んだわけで、別に贖いの必要もなかったわけです。
最悪、アダムが善悪の知識の実を食べた瞬間に、後出しジャンケン的に、「実はこれは遺伝しませんでした」的に決めたって良かったんです。
言わば、必要もないのに縛りプレイやってるみたいなもん。
わざわざ自分で、贖いが必要な世界に設定しておいて、「辛いわー。イエスが贖いとして苦痛を受けるのはマジ辛いわー。」とか本気で言ってんの?って感じですわ。
エホバは造物主だから、すべてのことを決定する権利がある、とかさんざん学ばされたじゃないですか。
だったら、親の罪が子に遺伝するかどうかぐらい、好きに決められるでしょ。それやらないで、「犠牲を払ってる」とか言われても、好きでやってるようにしか思えないんですよねぇ。
最後。
17節。
長老たちは集会や奉仕をしばらくお休みしている兄弟姉妹をどのようにサポートできるでしょうか。兄弟姉妹のことを心から気に掛けるようにしましょう。記念式までにできるだけ多くの人と連絡を取るようにしましょう。
お願いだからやめて。
戻りたいけど、戻れないなんて人は正直言ってツチノコ並みにいないの!
お休みしてる人のほとんど全員が、もう二度と関わりたくないと思ってんの!
こっち見んな!って思ってんの!
今週は以上です。