タイトルは別に悪くないですね。
まずは4節。
適用を狭めている1箇所目です。
そして2箇所目。6節。
愛し合う→兄弟姉妹を、と適用を狭めています。
最後に15節から2箇所。
これもひどく適用を狭めていると感じました。
パウロがどんな意味で「正しい実」と言ったのかは、ちゃんと聖書を研究している人に任せますが、少なくとも「エホバとエホバに仕える人たちへの愛」とか限定してはいないでしょう。
「愛の豊かな人」っていうのは、どっちかというとこういう人のことじゃないですかね。
タイトルだけならね。
今週の記事は、パウロのフィリピの言葉から、どのように
・愛の豊かな人になる
・より重要なことを見極める
・正しい実を結ぶ
ことができるか、というものでした。
ただねえ。
全体を通して感じたのは、適用を狭めているという印象でした。まあ、後で突っ込みます。
とりあえず内容です。
・パウロはフィリピのクリスチャンに上の3つを行うよう勧めた。
・神を愛するために、聖書を読み、学んだことを思い巡らすことができる。
・人の不完全さに注目するなら、愛が冷える。
以上です!
おいおい後半の2つがないぞ、と言われそうですが、結局宣べ伝えることを強要してるだけなので省きました。
では突っ込みです。
まずは4節。
パウロはフィリピのクリスチャンに,「いっそう愛の豊かな人」になるよう勧めました。どうすればエホバをいっそう深く愛せるでしょうか。
適用を狭めている1箇所目です。
愛を示す対象を、なんの前振りもなく「エホバ」に限定しているのが、引っ掛かりました。
もちろん神を愛することは大切です。また、後で隣人を愛することについて触れています。
でもこの進め方だと、パウロは神を愛することだけを念頭に「いっそう愛の豊かな人」になるよう勧めたように受け取れます。
私の考え過ぎですかね?
そして2箇所目。6節。
エホバが豊かな愛を表してくださったのですから,私たちも愛し合わなければなりません。(ヨハネ第一 4:11,20,21を読む。)兄弟姉妹を愛するのは簡単だと思うかもしれません。
愛し合う→兄弟姉妹を、と適用を狭めています。
イエスは誰を愛するように言ったんでしたっけ?
自分の兄弟姉妹たちだけでしたか?
さらに、隣人とは誰ですか?と聞かれたときに、どんな例えを話されたんでしたっけ?
なぜ、愛する対象を、問答無用で兄弟姉妹たちに限定するのかが理解不能です。
次は11節。
服装って、高価な腕時計やピンキーリングですかね?
次は11節。
何によって人の信仰を妨げてしまうことがあるでしょうか。例えば,自分が選ぶエンターテインメントや服装や仕事です。
服装って、高価な腕時計やピンキーリングですかね?
冗談はさておいて、つまずく理由はもっと他のものが多いと個人的には思います。
ここでは、服装、仕事、エンターテイメントしか出てませんが、そんなのは個人の決定なので、大してつまずかせないように感じます。
むしろ、会衆内で重く用いられている人や、組織で上の立場にある人の言動の方が、よっぽどつまずかせると思います。
あえてそこから目をそらさせるために、服装だ、エンターテイメントだに限定して話を進めている、というのは、うがった見方でしょうか。
最後に15節から2箇所。
「正しい実」には,エホバとエホバに仕える人たちへの愛が含まれるに違いありません。
この最も重要な仕事を一生懸命に行うなら,「正しい実」を生み出せます。
パウロがどんな意味で「正しい実」と言ったのかは、ちゃんと聖書を研究している人に任せますが、少なくとも「エホバとエホバに仕える人たちへの愛」とか限定してはいないでしょう。
しかもここでは「違いありません」とか書いて、内容を強めています。
2番目の箇所もです。
2番目の箇所もです。
言わずと知れた宣教についてですが、「正しい実」ってのそんな限定されたことなんですか?
カートのそばでだべってたり、牛歩のような奉仕をするのが、そんなに立派なことなんですか?
私にはそうは思えません。
つい最近ネットで読んだ外国のニュースで、親切なことをした人が話題になっていました。
その人がやはりクリスチャンだったようで、インタビューにこんな風に答えていました。
「神が第一。家族が第二。そしてすべての人が家族。」
「愛の豊かな人」っていうのは、どっちかというとこういう人のことじゃないですかね。
今週は以上です。
良かったー。
金曜日にアップできたー。
ただし!
明日はヤバいレベルの台風らしいです。
前回千葉で停電などのひどい被害を出した台風より、はるかにヤバいらしいので、間違っても集会とか行かない方がいいと思います。