先週末に近所の教会のクリスマスコンサートに行ってきました。


こういうのをフェイクって言います。実際はかなり前の週末です。
特定されるのを防ぐために、話に影響の無い範囲で偽の情報を混ぜます。覚えておきましょう。


さて、クリスマスコンサートに行った話です。

「最初のクリスマス」とか言って、イエスが誕生した晩についていろいろ話してました。
全く触れられてなかったけど、羊飼いの話もしてたんで、12/25に生まれたんじゃないのは、分かってるように見えました。
でも公式見解では12/25だから、別に否定しない。そんな感じでした。


ただねぇ。

「救い主イエス」は連呼するものの、イエスがなんで救い主なのかとか、どうやって救うのかとかが全く出てこなかったんですよねぇ。

あくまでクリスマスコンサートは、初心者向けの客集めで、詳しく知りたい人は今後も来てくださいって事なんですかね?

アダムの罪とそこから救うための贖いについてざっくりとでも教えているJWの記念式の方が、なんぼかマシに見えてしまいました。


もっとも記念式の方も、話し手の質の低下で何言おうとしてるのか理解に苦しんだりします。
信者ですら。

また最近は「お前ら食うなよ!飲むなよ!」ばかりで、内容がうっすくうっすくなっているとも聞きます。

どっこいどっこいですかね?



ただ1個だけ収穫がありました。
今までなかった視点が得られました。

私は人間は幸せになるために生まれるんだと信じています。過去の「黙想の種」でもそれを書いてきました。

だから、全ての人間は(アダムのせいで達成が難しくなってるけれど)幸福に永遠に生きる希望を持って生まれてくる、と思っています。

ただ、一人だけ例外が有りました。


そう。イエスです。


イエスの人生は幸福だったと思います。
創造の初めから見ていて、関わっていて、天から愛していた人間達に救いを備えられました。
サタンには、決定的な回答を突きつけられました。
天ではさらに勝った立場が与えられます。

でも、イエスは一つ他の人と違ったんです。



死ぬために生まれたんです。



生まれる前から、これだけは確定してました。
こんな人間は他にいません。

そりゃマリアも「長い剣がまさにあなたの魂を貫くでしょう。」とか言われるわけです。


イエスだって人間として生まれたからには、「死にたくない」という気持ちも有ったはずです。
だからこそ「父よ,もしあなたの望まれることでしたら,この杯をわたしから取り除いてください。しかしやはり,わたしの意志ではなく,あなたの[ご意志]がなされますように」って言ったんだと思います。


イエスが払った犠牲。

それをもう一度考える事ができました。

それだけでも行った甲斐はありました。





本当は、聖書買いたくて行ったんだけどねー。
売ってなかったわ。

いや、言えば売ってくれたのかもしれないけどさ。誰に言えば良いのかも分からないし、時間もないしね。

向こうも、クリスマスコンサートに来た人がいきなり「聖書ください!」とか言い出すとは思ってなかったんでしょう。

いい加減超直訳の新世界訳はお腹いっぱいですし、いくら待っても新しい新世界訳は出ないですしね。

ま、買えなかったんだから、どの訳にするかゆっくり考えて決めたいと思います。

おすすめがあったら教えてください。
個人的には、弟子たちがイエスに対して、かしこまりすぎていないのが良いです。(←無茶な注文)